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比例代表制、投票に政党名記載強要は憲法違反か!?

2021-12-01 | Weblog
 比例代表制、投票に政党名記載強要は憲法違反か!?
 2021年衆議院選挙が10月31日に実施された。小選挙区制は立候補者名記載で、比例代表制は「政党名」の記載が要請されている。政党名を記載しなければ無効となる。
 1、「政党名」記載は憲法で保障される思想の自由に反する!?
 有権者数は現在約1億6百万人であるが、その内40%~45%は無党派層で推移しており、支持政党が決まっているのは有権者全体の半分程度でしかない。直接選挙では、公認政党や推薦政党・団体などは参考にはするが、各候補者の政策や地域貢献の実績、人柄などを見て判断する。
 他方、比例代表制で政党名を記載しなければ投票は無効となり、有権者が直接選ぶのではなく、各政党が作成する候補者の順位により当選者が決まる。
 無党派層はおおよそ有権者の40%~45%存在し、この比率は時代によりほとんど変わらない。無党派層は無関心層では必ずしもない。意見や自身の考えは持っている。2021年10月の衆議院議員選挙でも投票に行く予定はないとする者が20%程度存在するが、政党支持者の間にも投票に行かない者は少なくない。
 今回の全国の投票率は、小選挙区ベースで53.7%と、戦後3番目の低投票率なった。有権者の46%強が投票していない。多少分析が必要だが、その多くが無党派層とみられる。選ぶ政党がないからだ。
 そもそも与党自民党でさえ党員は110万人程度で、有権者の1%強でしかない。党員数でしっかり固めているのはイデオロギーを信奉している共産党と宗教団体の創価学会を代表する公明党であるが、いずれもイデオロギーや特定宗教を信奉するところで共通しており、国民政党にはなり難い。
 野党では、どの政党も党員は更に少ない。労働組合を支持基盤としている立憲民主党や国民民主党などもあるが、労働組合も多様化しており、野党支持とは限らない。野党全体でも党員・党友数は有権者の数%程度にも満たないだろう。
 このように与野党を問わず党員が広がらない状況で、投票者全員に政党名を記載させるのは実体を反映していない上、無党派層に政党名を記載させるのは無理がある。思想、良心の自由を保障する憲法の精神に反しているようにも見える。
多くの無党派層とっては、投票に行っても支持する政党はないので投票に行かないか、白票、即ち無効票を出すしかなく、比例代表制を含む現行の選挙制度では投票権を行使し難い。

 2、比例代表の実体は、直接選挙で落選した候補の「滑り止め」!
 小選挙区で立候補している多くの候補者は、所属の党比例代表名簿にも記載されており、小選挙区の直接選挙で有権者によって選ばれず落選しても、比例代表で当選するケースも多く、小選挙区選挙の滑り止めになっていることが少なくない。小選挙区で有権者からノーと言われた候補者が別の土俵から議員として再起している。何のための直接投票か、まるでゾンビのようだ。これでは有権者の選択がフェアーな形で反映されない。
 また比例代表制は、小選挙区では当選者を出せない小政党・零細政党が当選者を出せる小政党救済の場となっている。救済の場と言えば聞こえは良いが、多数決で決まる国会では発言力はほとんど無い。小政党が増加して利するのは与党であろう。小政党・零細政党間の喰い合いとなることが多い。共産党については、共産主義イデオロギー信奉者で固められ宗教団体と似ている面があるが、ほとんどの小選挙区で候補者を立てていたので、野党の票を喰い、或いは中道右派層が保守党に向け、野党が伸びない要因となっている。与党保守党にとっては、共産党の存在はいわば保守の守護神となっている。
 無論マイノリテイの声を聞き、多様性を受け入れることは大切なことであるが、衆・参両院で同じような選挙制度を持つ必要は無い。特に予算など優先権がある衆議院では有権者の選択が直接反映される小選挙区のみとし、参議院では多様性を反映させて小選挙区と比例代表の組み合わせとするなど、改善が不可欠なようだ。現在は、参議院は衆議院のクローン、そっくりさんの域を出ない。むしろ全く重複するので、現在のままであれば参議院は廃止しても良い。

 3、政党交付金は党員拡大努力を失わせ、健全な民主主義にとって有害!
 嘗て中選挙区制で選挙に金が掛り過ぎるとの批判があった一方、日本では選挙基盤が固い公明と共産党は別として、党員・党友が広がらなず、また政党への個人の寄付が広がらない風土となっている。他方、企業による政治パーテイ券の割り当てその他の企業献金の横行などへの批判から、国民の税金による政党交付金が実施された。年間総額は320億円に達し、各党に配布され、党から所属議員に配られている。本来であれば、立候補者への選挙資金支援とすべきであったが、いつの間にか政党助成金となり、国民から立候補者への支援では無く、国民は税金を支払うだけで置き去りにされ、政党が所属議員に配るということになり、趣旨が大きくすり替えられている。日本の政党は準公営とも言え、民主主義政党とは言い難い。共産党のみは政党助成金を受け取っておらず、党員の会費・寄付で運営しており、その点では模範的と言えるが、これら資金は党が管理するため中央統制が強くなっている。
 政党助成金についても、所属議員に助成金や支援金を配る党の力が強くなり、党議拘束などによる締め付けが強くなっており、議員は萎縮し、党議に反する言動は少なくなった。それならそんなに多くの議員は必要ない。
 政党助成金の弊害はそれだけでなく、共産党を除き、党が政党助成金にあぐらをかき、党員・党友獲得努力がなくなって来ている。
 他方、経団連は組織的な政治献金を一時控えていたが、それが復活しており、政党助成金の役割は既に終えていると言えよう。
 このように健全な民主主義の発展にとって、政党助成金の弊害は大きく、廃止すべきであろう。選挙費用が掛りすぎるという批判を背景として、中選挙区制から小選挙区制にしているので、立候補の資金面での負担を軽減し、立候補し易くするため、立候補者個人への支援方法を再検討すべき時期に来ている。
 選挙資金などとも関係するが、保守政党の多くの議員が世襲、或いは近親者・縁故者への世襲となっているが、政治への国民の関心や参加を促すため、引退する議員の事務所や残余資金等については、近親者・縁故者が世襲する場合には、国庫に納める、また後援団体を解散するなどの対応が必要なのかもしれない。(2021.11.2.)
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男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!(再掲)

2021-12-01 | Weblog
シリーズ平成の本音―男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!(再掲)
  2021年2月3日に開催されたJOC臨時評議会におけるオリンピック組織委森会長の発言が、女性蔑視的発言としてマスコミ等に報道されたことを端に発し、日本国内での批判が多方面に及んだため、森会長(当時)が釈明会見を行った。しかし謝罪はメモを読むような形で行われ、また記者との質疑応答も高圧的とも見られるやりとりがあったため、批判は更に広がった。国際オリンピック委員会(IOC)も、当初は「謝罪したからよい」との姿勢であったが、米国はじめ国際世論が厳しさを増したため、同会長の発言はオリンピック規定に沿わないとの見解が出されるに至り、辞任に追い込まれた。
 更にその後森会長側が特定者を後任候補に指名、推薦したことが報道され、不透明な指名等として批判されるに至り、2月12日、オリンピック・パラリンピック組織委・評議会合同会議が急遽開催され、森会長が正式に辞任を表明する一方、後任候補については検討委員会において行われることになった。
ここまでの経緯についても、同組織委の右往左往振りは拙劣であり、事務局の事務的トップであり、また森会長慰留に奔走した事務総長の責任が問われている。また同組織委についてが、事務局職員は月収20万程度から200万円となっているようだが、多数のボランテイアが無報酬或いは少額の手当で募集されているにも拘わらず、事務総長はトップとして月200万円、年額2,400円という高額の報酬を得ているのではないかとの疑問の中、事務局幹部の報酬も不公表となっている上、オリ・パラ大会が2020年7月から1年間延期されたにも拘わらず、その後も同じ報酬を得ているのではないかとの疑問も聞かれる。
 新会長については、政府、与党自民党幹部筋やから「女性か若い人」などとして具体的な名前が報道され、これがかえって女性や年長者に対する「逆差別」などとの批判が出るなど、迷走振りは日本だけでなく世界の目からも醜態と映っているようだ。
 1、男女平等が身についていない日本の社会
 このように男女平等への意識が低いという国際世論を背景として、新会長は女性からなどという意見が出ることは、一見理解ある対応と見えるが、要するに国際社会の目を配慮しての対応であり、それで男女平等が確保されるわけでもなく、そのような発想自体、男女平等意識が身についていないことを示している。また、もっと若い人をと言う発想も、新卒優先の定年制や制度を年齢で区別する行政や社会慣行をベースとした、過剰な年齢差別の意識と言えよう。80歳以上の年長者が時代遅れの不適切な発言をしたからと言って、「若い人」を会長とすれば問題が解決するわけでもない。
 他方、森会長(当時)の「女性理事が多いと会議の時間が掛る」との発言については、辞任するほどの発言ではないとの見方もある。しかし今回の批判は、その発言だけではなく、与党自民党の幹部を務め、党内最大の派閥を率い、自ら首相となり、安倍内閣を誕生させた有力な政治家ではあるが、政治活動の中での心ない言動やオリンピック・パラリンピック組織委の会長に就任してからも新国立競技場建設に当初予算の2倍以上の3,500億―5,000億円内外を掛けようとしたり、エンブレムでは盗作疑惑を掛けられたり、数々の不祥事起し、また小池東京都知事との確執など、とかくの風評があったから今回の問題に発展したとのであろう。国際的スポーツの祭典に国レベルにせよ世界レベルにせよ政治を持ち込むのはなじまないのかもしれない。
 その会長を武藤事務総長が組織のために慰留したとされ、事務総長自体も森発言の問題を理解していない。更に同事務総長は森会長が辞任した後も、新会長候補の指名に関与したり、新候補選びでは「候補者検討委員会」のメンバー選びが不明瞭な上、氏名を不公表とするなど、迷走に迷走を重ねている。同事務総長は、組織委の事務方トップとして森会長が引っ張った元財務官僚であり、組織委発足以来、上記の一連の不祥事を重ねて来ており、事務処理上も拙劣に映る。その事務総長が、「候補者検討委員会」の進行役を務めているようだが、一体この「候補者検討委員会」は何なのであろう。

 2、個人の平等も達成されていない日本
  男女平等は勿論支持するところだが、実は日本において国民の「個人の平等」が未だに実現されていないのが現状だ。
 民主主義の基本は、男女を含めて「個人の平等」であり、憲法にも規定されている。個人の平等を最も基本的に体現できるのは、国民の代表を国会に送る選挙であろう。しかし戦後国民1人1人の投票の重み、価値が1対1に近い形で平等な選挙が行われたことは1度もない。都道府県毎に選挙区が区割りされ、定数が割り振られているが、人口の少ない選挙区と多い選挙区では、1票の重みが衆議院では最大で3倍以上、参議院では5倍以上の状態が続き、選挙のたびに弁護士グループが憲法違反訴訟を提起して来ている。裁判においては、地裁レベルでは「憲法違反」とする場合もあったが、地裁レベルでも、最高裁においても「違憲状態」とされる場合が多く、国会の対応に委ねられて来た。しかし国会では時に微調整は行われたものの、長期に亘り抜本的な検討はなされなかった。そこで裁判所も国会へ対応を促すため、最近では衆議院で2倍以内、参議院で3倍以内なら違憲ではないと裁定するようになっている。それでも、都市圏の人口の多い選挙区では少ない県に比し、個々人の1票の価値は衆議院で2分の1以下、参議院で3分の1以下となっており、とても「平等」とは言えない状態が長期に続いている。男女平等どころではない。男女を問わず国民の平等は未だに確保されていない。
 最高裁の「平等」に関する考えは、「単なる1対1の関係が基準ではなく、地域など他の要素を考慮する」ということに尽きるようだ。この並びから言うと、男女平等も「単なる1対1の関係が基準ではなく、他の要素を考慮する」という解釈となり、女性への待遇等が男性の2分の1か3分の1以下でも許容されることになる。そうなのですよ。憲法の番人であるべき最高裁でさえも、建前では国民、男女の「平等」と言っていますが、「他の要素を考慮する」という恣意的な判断を加えることを容認しているということ。平等は原則1対1の関係という初歩的な算術も理解されていないようだ。これが現実なのでしょう。
 最高裁のこのような恣意的な「平等」が容認されると、男女平等についても、女性が男性の2分の1、3分の1でも容認されることになる。それが最高裁の本音なのかもしれないが、速やかな是正が望まし。
 最高裁の判事も、内閣により任命される公務員、時の内閣に不利になる判断を出せば、人事で不利にもなりかねないので、わきまえるしかないのは誰も同じと言えそうだ。しかし、そんなことでは3権分立の意味は薄れるばかりでなく、社会も、全体的な民主主義も進まない。
 国会は真に平等な国民の代表ではない。その国会で指名された首相も真の意味で国民の代表ではなく、その内閣に任命された裁判官も同様という負の連鎖が続いているように見える。これに意見が言えるのは、マスコミや学者を含む知識人なのであろう。
 しかし従来、マスコミや学者、有識者などもこの状況を許してきたと言える。マスコミやコメンテーター等もビジネスであるのでスポンサーや雇い主等を考慮しなくてはならないことは当然だろう。学者については、著名で国の各種委員会等で委員を務めている国立大学の多くの教授、研究者は国家公務員であり、言動には国家公務員としてわきまえなくてはならない。余計なことを言えば外される。全国には国立大学が86校(2020年4月現在)もあり、これ程多くの最高学府の学者、研究者が国家公務員であり、発言は自粛、制限される。自由な発信は望めない。いわば御用学者が多過ぎると言える。特に政治・社会・経済・歴史を含む人文科学、社会科学の分野では自由な発想、研究や表現は望めない。日本は、政治に縛られない生物化学、物理、及び文学の分野ではノーベル賞受賞者を出しており、喜ばしい限りだが、政治と密接に関係する社会科学の分野では1人も受賞していないことは、教育制度に国家色の強い偏りがあるからであろう。学問や表現の自由を確保する意味からも、国立大学の民営化と、学生の経済的負担を軽減し、平等の教育機会を与えるとの観点から、その予算を、将来負担を軽減した奨学金制度の拡充及び研究助成に振り向けることを検討すべき時期ではないだろうか。
 また最近情報系バラエテイ番組でお笑い系のタレントが重用されているが、お笑いの人からコメントなど聞きたくないという辛口の意見や、わきまえて話すお笑い芸人は面白くも可笑しくもないとの声がある。
 従って現実問題として、残念ながら日本は中から政治・社会・経済制度の改善、改革の動きは出にくく、今回のように国際社会からの批判や圧力、良く言われる「外圧」がないとなかなか動かないのかもしれない。それで良いわけがない。(2021.2.17.2021./2.20.一部加筆)
  2021年2月3日に開催されたJOC臨時評議会におけるオリンピック組織委森会長の発言が、女性蔑視的発言としてマスコミ等に報道されたことを端に発し、日本国内での批判が多方面に及んだため、森会長(当時)が釈明会見を行った。しかし謝罪はメモを読むような形で行われ、また記者との質疑応答も高圧的とも見られるやりとりがあったため、批判は更に広がった。国際オリンピック委員会(IOC)も、当初は「謝罪したからよい」との姿勢であったが、米国はじめ国際世論が厳しさを増したため、同会長の発言はオリンピック規定に沿わないとの見解が出されるに至り、辞任に追い込まれた。
 更にその後森会長側が特定者を後任候補に指名、推薦したことが報道され、不透明な指名等として批判されるに至り、2月12日、オリンピック・パラリンピック組織委・評議会合同会議が急遽開催され、森会長が正式に辞任を表明する一方、後任候補については検討委員会において行われることになった。
ここまでの経緯についても、同組織委の右往左往振りは拙劣であり、事務局の事務的トップであり、また森会長慰留に奔走した事務総長の責任が問われている。また同組織委についてが、事務局職員は月収20万程度から200万円となっているようだが、多数のボランテイアが無報酬或いは少額の手当で募集されているにも拘わらず、事務総長はトップとして月200万円、年額2,400円という高額の報酬を得ているのではないかとの疑問の中、事務局幹部の報酬も不公表となっている上、オリ・パラ大会が2020年7月から1年間延期されたにも拘わらず、その後も同じ報酬を得ているのではないかとの疑問も聞かれる。
 新会長については、政府、与党自民党幹部筋やから「女性か若い人」などとして具体的な名前が報道され、これがかえって女性や年長者に対する「逆差別」などとの批判が出るなど、迷走振りは日本だけでなく世界の目からも醜態と映っているようだ。
 1、男女平等が身についていない日本の社会
 このように男女平等への意識が低いという国際世論を背景として、新会長は女性からなどという意見が出ることは、一見理解ある対応と見えるが、要するに国際社会の目を配慮しての対応であり、それで男女平等が確保されるわけでもなく、そのような発想自体、男女平等意識が身についていないことを示している。また、もっと若い人をと言う発想も、新卒優先の定年制や制度を年齢で区別する行政や社会慣行をベースとした、過剰な年齢差別の意識と言えよう。80歳以上の年長者が時代遅れの不適切な発言をしたからと言って、「若い人」を会長とすれば問題が解決するわけでもない。
 他方、森会長(当時)の「女性理事が多いと会議の時間が掛る」との発言については、辞任するほどの発言ではないとの見方もある。しかし今回の批判は、その発言だけではなく、与党自民党の幹部を務め、党内最大の派閥を率い、自ら首相となり、安倍内閣を誕生させた有力な政治家ではあるが、政治活動の中での心ない言動やオリンピック・パラリンピック組織委の会長に就任してからも新国立競技場建設に当初予算の2倍以上の3,500億―5,000億円内外を掛けようとしたり、エンブレムでは盗作疑惑を掛けられたり、数々の不祥事起し、また小池東京都知事との確執など、とかくの風評があったから今回の問題に発展したとのであろう。国際的スポーツの祭典に国レベルにせよ世界レベルにせよ政治を持ち込むのはなじまないのかもしれない。
 その会長を武藤事務総長が組織のために慰留したとされ、事務総長自体も森発言の問題を理解していない。更に同事務総長は森会長が辞任した後も、新会長候補の指名に関与したり、新候補選びでは「候補者検討委員会」のメンバー選びが不明瞭な上、氏名を不公表とするなど、迷走に迷走を重ねている。同事務総長は、組織委の事務方トップとして森会長が引っ張った元財務官僚であり、組織委発足以来、上記の一連の不祥事を重ねて来ており、事務処理上も拙劣に映る。その事務総長が、「候補者検討委員会」の進行役を務めているようだが、一体この「候補者検討委員会」は何なのであろう。

 2、個人の平等も達成されていない日本
  男女平等は勿論支持するところだが、実は日本において国民の「個人の平等」が未だに実現されていないのが現状だ。
 民主主義の基本は、男女を含めて「個人の平等」であり、憲法にも規定されている。個人の平等を最も基本的に体現できるのは、国民の代表を国会に送る選挙であろう。しかし戦後国民1人1人の投票の重み、価値が1対1に近い形で平等な選挙が行われたことは1度もない。都道府県毎に選挙区が区割りされ、定数が割り振られているが、人口の少ない選挙区と多い選挙区では、1票の重みが衆議院では最大で3倍以上、参議院では5倍以上の状態が続き、選挙のたびに弁護士グループが憲法違反訴訟を提起して来ている。裁判においては、地裁レベルでは「憲法違反」とする場合もあったが、地裁レベルでも、最高裁においても「違憲状態」とされる場合が多く、国会の対応に委ねられて来た。しかし国会では時に微調整は行われたものの、長期に亘り抜本的な検討はなされなかった。そこで裁判所も国会へ対応を促すため、最近では衆議院で2倍以内、参議院で3倍以内なら違憲ではないと裁定するようになっている。それでも、都市圏の人口の多い選挙区では少ない県に比し、個々人の1票の価値は衆議院で2分の1以下、参議院で3分の1以下となっており、とても「平等」とは言えない状態が長期に続いている。男女平等どころではない。男女を問わず国民の平等は未だに確保されていない。
 最高裁の「平等」に関する考えは、「単なる1対1の関係が基準ではなく、地域など他の要素を考慮する」ということに尽きるようだ。この並びから言うと、男女平等も「単なる1対1の関係が基準ではなく、他の要素を考慮する」という解釈となり、女性への待遇等が男性の2分の1か3分の1以下でも許容されることになる。そうなのですよ。憲法の番人であるべき最高裁でさえも、建前では国民、男女の「平等」と言っていますが、「他の要素を考慮する」という恣意的な判断を加えることを容認しているということ。平等は原則1対1の関係という初歩的な算術も理解されていないようだ。これが現実なのでしょう。
 最高裁のこのような恣意的な「平等」が容認されると、男女平等についても、女性が男性の2分の1、3分の1でも容認されることになる。それが最高裁の本音なのかもしれないが、速やかな是正が望まし。
 最高裁の判事も、内閣により任命される公務員、時の内閣に不利になる判断を出せば、人事で不利にもなりかねないので、わきまえるしかないのは誰も同じと言えそうだ。しかし、そんなことでは3権分立の意味は薄れるばかりでなく、社会も、全体的な民主主義も進まない。
 国会は真に平等な国民の代表ではない。その国会で指名された首相も真の意味で国民の代表ではなく、その内閣に任命された裁判官も同様という負の連鎖が続いているように見える。これに意見が言えるのは、マスコミや学者を含む知識人なのであろう。
 しかし従来、マスコミや学者、有識者などもこの状況を許してきたと言える。マスコミやコメンテーター等もビジネスであるのでスポンサーや雇い主等を考慮しなくてはならないことは当然だろう。学者については、著名で国の各種委員会等で委員を務めている国立大学の多くの教授、研究者は国家公務員であり、言動には国家公務員としてわきまえなくてはならない。余計なことを言えば外される。全国には国立大学が86校(2020年4月現在)もあり、これ程多くの最高学府の学者、研究者が国家公務員であり、発言は自粛、制限される。自由な発信は望めない。いわば御用学者が多過ぎると言える。特に政治・社会・経済・歴史を含む人文科学、社会科学の分野では自由な発想、研究や表現は望めない。日本は、政治に縛られない生物化学、物理、及び文学の分野ではノーベル賞受賞者を出しており、喜ばしい限りだが、政治と密接に関係する社会科学の分野では1人も受賞していないことは、教育制度に国家色の強い偏りがあるからであろう。学問や表現の自由を確保する意味からも、国立大学の民営化と、学生の経済的負担を軽減し、平等の教育機会を与えるとの観点から、その予算を、将来負担を軽減した奨学金制度の拡充及び研究助成に振り向けることを検討すべき時期ではないだろうか。
 また最近情報系バラエテイ番組でお笑い系のタレントが重用されているが、お笑いの人からコメントなど聞きたくないという辛口の意見や、わきまえて話すお笑い芸人は面白くも可笑しくもないとの声がある。
 従って現実問題として、残念ながら日本は中から政治・社会・経済制度の改善、改革の動きは出にくく、今回のように国際社会からの批判や圧力、良く言われる「外圧」がないとなかなか動かないのかもしれない。それで良いわけがない。(2021.2.17.2021./2.20.一部加筆)
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韓米軍事同盟に日本は参加すべきではないー再掲

2021-12-01 | Weblog
 韓米軍事同盟に日本は参加すべきではないー再掲
 韓国の康京和(カン ギョンファ)外交部長官は2017年10月30日、議会での外交関係の国政監査において、対北朝鮮防衛強化のため配備された米国の迎撃ミサイルTHAADを巡り悪化している中国との関係について、中韓首脳会談開催への期待を表明しつつ、次の3つの立場を明らかにした。
・THAADの追加配備は行わない。
・米国のミサイル防衛(MD)システムに参加しない。
・韓日米安保協力は軍事同盟に発展しない。
 これはTHAADの配備を巡り悪化している中韓関係の‘復元’、正常化を狙った発言と見られており、‘三不’政策とも言われている。
 これに対し中国外務省は、同日午後に報道官が康長官の発言に関連して、「韓国側のこうした3つの立場を重視する」とし、韓国側がこれを実際に行動に移すことを願う旨述べた。しかし中国側が、韓国外交部長官の発言を‘約束’との表現を用いたため、韓国内でも議論となっている。
 中国側は、韓国におけるTHAAD配備と共に、米韓日の軍事同盟化を強く警戒していると見られ、中国が10月の全人代で習体制を固めて以降、日本との関係を改善する姿勢になっているのはこれを阻止するためとも思われる。
 韓国が、米韓日の軍事同盟を望んでいなければそれに参加する必要はない。日本側がそのような意向を表明したこともない。もっとも軍事同盟については、一方の同盟国への北朝鮮を含む第三国からの攻撃は日本への攻撃とみなされ、参戦しなくてはならなくなるので、日本の現行憲法ではそのような軍事同盟に参加することは困難であろう。従って韓国側から言われるまでもない。
 そもそも朝鮮戦争は1953年の休戦協定により軍事対決こそ回避されているが、米韓両国と北朝鮮は現在でも敵対関係にあり、北の核、ミサイル開発は基本的に米韓への対抗措置として進められているものである。日本は、朝鮮戦争の当事国でもない。また第二次世界大戦後、北朝鮮とは平和条約を締結していないが、2002年9月に小泉首相(当時)と金正日総書記(当時)とで調印された日朝ピョンヤン宣言において、拉致家族問題の他、日朝国交正常化交渉の開始などが盛り込まれており、この宣言は自・公連立政権において破棄はされていない。
従って政策論としても、朝鮮半島有事の場合には米軍への必要な後方支援は行うことになろうが、日本及び日本国民の安全のためにも、米韓との軍事同盟に参加しないことが賢明な選択肢と言えよう。
(2017.11.23.)
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10万円相当18才以下一律給付、何のためか!?

2021-12-01 | Weblog
 シリーズ本音トークー10万円相当18才以下一律給付、何のためか!?
 公明党が、10月の衆院選挙で財源の裏付けもなく提案していた「18才以下の子供に10万円一律給付」は、与党自民党の幹事長間で、2021年度内に現金5万円、来春にクーポン券5万円相当で両党間で大筋合意し、960万円の所得制限を設けることについても合意した。
 いずれにしても本件は、総額2兆円にも及ぶ上、配賦等に必要な人件費を含む事務経費を加えると巨額な経費と事務作業が必要となるが、未だ財源の裏付けもなく、補正予算に含めて国会で承認されなければならない。施しを受ける側からすると、反対する必要も無いのだろうが、次の通り、経費は国民の税金か借金(公的債務)である上、政策目的が選挙対策以外にはほとんど見あたらない。
 1、18才以下の子供に10万円一律給付に緊急性や高い優先度も無い!
 1年11か月に及ぶコロナ禍により、非正規就労者やアルバイトなどを中心として職場を失い、食事も満足に取れない子供や就職難の学生、若者世代での自殺や生活難の家庭も多く見られる中で、所得制限を設けるとしても、18才以下の子供のある家庭に10万円一律給付する緊急性は乏しく、補正予算における優先度も低い。また18才以下とすると、18才以上の扶養家族である専門学校生や大学生が除外され、不平等感が募るのではないか。無論一部の低所得層にも届くだろうが、それ以外は無駄な施しとなる。
 将来世代を救済・支援するとしても、1回限りの10万円施しでは効果に乏しい。また960万円以下という所得制限を設けても、家計所得の平均はその約2分の1程度であり、一律に給付すると平均以上の家計と以下の家計では苦労の度合いは異なり、所得制限を更に下げれば、より少ない予算で効果が出せる。
 更に、低所得の困窮家庭、母子家庭、交通遺児、身障者や要介護者を抱えている家庭などや、職を失っている青年層などに焦点を当てて、関係支援団体等と協力してきめ細かい救済を行えば、本当に必要な人に国民の支援が届くであろう。費用的にも2兆円あれば大規模の救済が実施できよう。
 また経済効果については、クーポン券5万円分は子供養育に使途が限定されるので、現金5万円は貯金等となる上、クーポン券配賦は学校の入進学の時期の春となるので、予想される支出の範囲内となり、新規の需要とはならないであろう。2020年に同じく公明党が進めた全国民に一律10万円給付については、3割弱が消費、7割強が貯畜となっている。生活のために10万円がどうしても必要だった国民は約3割であり、恐らく今回もそれに近い状態であろう。このような状況を理解していない政治家とは一体何なのだろう。

 2、財源は国民の税金や国の借金で将来世代の税負担となる!
 財源が潤沢であれば一律給付も容認されるだろう。しかし日本政府は既に国民総生産の2倍以上の1,200兆円を超える借金(公的債務)を抱え、毎年莫大な利子を支払う上、将来世代へのツケとなり、税負担となる。今は良いが、国の借金が増加すればするほど、将来は増税の必要性に迫られる。
 恐らく自・公政権は、2020年度にコロナ禍対策として予算を組んだ60兆円強の内、20兆円以上を遣い残したので、その残余を使えば良いと思っているのかもしれない。しかしそれも税であり、国の借金だ。
 もし自・公政権が、このような政策的に的を絞れていない一律給付を行いたいのであれば、その財源を自ら用意すべきである。議員として責任を取れる財源は、国会議員の歳費(政治活動費、連絡費等を含む)を30%削減することであろう。或いは、日本維新の会が提案している、議員の30%カットである。自・公政権は国会で圧倒的多数を占めているので、実施可能であろう。
いずれにしても、少子化、人口減の中にあるので、議員の30%カットは速やかに行わなければならないだろう。

 3、票目当ての選挙公約と、2022年夏の参議院選挙目当てでしかない
 こうみてくると、この1律給付提案は、集票のための2兆円ということになりそうだ。これは票目当ての官製買収と言うことも出来る。将来世代を含めた国民にとっては、将来の負担増となることは明かであるので、迷惑なことだ。
もっと生活困窮者、将来不安を抱えている子供や若者層等に的を絞ったきめの細かい施策が望まれる。そのための予算であれば、多くの国民は納得するであろう。(2021.11.11.)
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2021年流行語大賞候補

2021-12-01 | Weblog
シリーズ本音トークー2021年流行語大賞候補
<はやり言葉>            <関係する人や事柄>
変異株                増資
億り人                地獄も株も金次第
うっせえわ              子供グループ
他山の石               自分がまいた種
女性は話が長い            オリ・パラ組織委(元)会長
アスリート・ファースト        命セカンド
まん防                 ヤン坊まん防のコロナ予報 
“3A”(トリプルA)          某保守党3悪人(=トラブルA)              
バブル方式              バブル外は感染爆発でも知らぬ顔
YOASOBI              若気の至り
「自由で開かれたインド太平洋」推進議連 不自由で閉ざされた派閥グループ
自宅療養放置死            自宅療養推進連盟
ペット飼育放棄            仕事を失った飼い主
卒婚                 留年組の悲哀
家族の絆               キレッキレの華族
「心を大切に守っていける社会」    心ない社会を生きる決意
オミクロン株             汚ミクロン撲滅同盟
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