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平成時代は国民受難の時代、江戸の呪縛か!?

2023-11-26 | Weblog
  平成時代は国民受難の時代、江戸の呪縛か!?
 2019年4月に「平成」の時代は終わる。
 その平成の時代を振り返ってみると、「東日本大震災」、「地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件」、「阪神大震災」などなど、日本中で大規模地震・洪水・山崩れなどの大災害や大事件の枚挙に暇がない。
 更に平成時代に入り「バブル経済は崩壊」し長期の経済停滞が続き、国家財政は膨大な負債を抱え、マイナス金利と「消えた年金」、消費増税に象徴されるように国民負担の増加と世代を問わない将来不安に見舞われ、国民受難の時代となっている。
 1、「即位の礼」と「大嘗祭」が例外的に‘江戸’で行われた時代
 そして「平成」時代に歴史上特徴的なことがもう一つある。
 平成天皇の「即位の礼」と「大嘗祭」が江戸城址を専用している‘皇居’で行われたが、明治、大正、昭和と3代とも京都で行われており、平成天皇がこの歴史に反し唯一の例外となっていることだ。例外的に新天皇の「即位の礼」と「大嘗祭」が江戸城址内で行われた時代が国民の受難の時代となった。‘江戸の呪い’か‘江戸の呪縛’か。
「平成」後の新天皇の「即位の礼」と「大嘗祭」も江戸城址である‘皇居’で行われるらしい。国民には未だ明確な説明がなされていない。少なくても詳細な説明はなされていないが、「平成」時代と同様に行われるものと見られている。しかし「平成」時代は歴史的には‘例外’であったところであるので、その例外を踏襲するということになり、何故‘例外であった平成’を踏襲するのか、何故、明治、大正、昭和3代と異なる場所で行われるのか、適正な説明が必要なようた。‘江戸城’を‘皇居’として塗り替え、江戸城という歴史的、文化的遺産を、歴史から抹消しようとしているのだろうか。‘江戸の呪縛’も踏襲するこということなのだろうか。
「大嘗祭」については、天皇家の一人が、皇室行事なので公費を使うべきではないと言われた。宮内庁長官にも伝えたところ、‘前回公費で行っており、政府予算の中に含まれている’として‘聞く耳を持たなかった’、‘残念である’と誕生日の記者会見の席で発言されている。皇室行事でありながら、天皇継承2番目になる殿下の考えを一蹴するとはどういうことだろうか。これでは天皇家が‘皇室行事’にも考えを反映することが出来ないことになる。首相官邸も同様の説明を記者会見で行っている。皇室を支える事務方の宮内庁や首相官邸が皇室を黙殺できることを示すものであり、一方で天皇象徴制の強化し、その権威を利用しつつ、天皇家の意見は聞かないという権力的で、非民主的な体制となっていることは懸念される。
 2、‘皇居’が‘江戸城’を歴史から抹殺か!?
 江戸城址を‘皇居’と称するのも、歴史を封殺するものではないだろうか。
最近外国人の観光者が著しく増えており、‘皇居’が外国人観光客の東京における人気の場所の一つになっている。‘皇居’を訪れる理由を外国人観光客にインタビューすると、「侍が好きだから」、「古くから残っている石垣(城壁)に興味がある」など、武士や城に関連するところとしており、侍の‘城址’として認識されている。外国人観光客は江戸城址に関心があるようだ。その場所を‘皇居’という名称で歴史的史跡である‘江戸城址’を覆い隠す結果となっており、日本人のみならず外国観光客に対して誤解を与えているようだ。多分、日本人でさえ、
‘江戸城址’として認識している人は少ないのかもしれない。‘宮内庁’が江戸城址内に設置されているのも歴史にそぐわない。
 明治維新後、天皇を擁する官軍が幕府軍に勝ったので、戦勝者である天皇派が江戸城址を占拠、使用することは容認されても、旧帝国憲法も天皇専制も廃止となり、民主憲法となっている今日、それが引き続き容認されるべきではないのではないか。新憲法では、天皇は軍の指揮権はもとより、統治権などは無い。その上‘国民統合の象徴’である天皇が、江戸城址を専用し続けることは、‘反幕府’、幕府支配の抑止・封殺を意味し、尊皇派支配を意味するので、‘国民統合の象徴’としてはふさわしくない。現状のままでは‘国家分断の象徴’、‘抑圧の象徴’と映ってしまう。
 明治以来の3代に亘る尊皇派支配は終わり、天皇は国民統合の象徴となっているので、天皇は京都御所に戻り、江戸城址は‘江戸城址’として国民及び世界からの観光客に開放すべきではないだろうか。いずれも経済的、社会的、文化的効果は大きい。(2018.12.2.)
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靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか (再掲)

2023-11-26 | Weblog
靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか (再掲)
 衆議院選挙中の2017年10月17日、安倍自民党総裁は、靖国神社の秋季例大祭に際し、「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して真榊の鉢植を奉納した。これに対し、野上官房副長官は記者会見において、‘総理が真榊を奉納したとの報道は承知しているが、私人としての行動に関するものであり、政府として見解を述べる事柄ではない’とし、‘靖国神社を参拝するか否かは総理が適切に判断される事柄’と述べた。靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか
 どうも官邸側の説明振りが、何時もの通りで、どうも正確を欠く。「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して奉納しているので、‘私人としての行動’とは言えない。誰の目から見ても、「内閣総理大臣 安倍晋三」の奉納物である。どうして国民をごまかすような説明をしなくてはならないのか。どうして国民に正面から正直に説明しないのか。
 どうしてマスコミやTVコメンテーターがこの点に疑問を呈さないのか、不思議だ。また一部マスコミは、参拝でなく、まさかきの奉納だから問題がないような印象を与えているが、参拝も奉納も、信仰という点では変わりはない。この点を指摘しないのも不思議であり、マスコミ力の低下なのだろうか。
 靖国神社は、他の神社とは異なり、政治的な色合いや政治姿勢に関係する。中国や韓国が歴史認識の上で問題視していることは別として、天皇を中心とする独裁的な政治体制とするか、軍事力を認め軍国主義的な国家体制とするかなど、基本的な政府の在り方や、憲法改正の方向性などにも関係する問題なのである。
 靖国神社は、明治時代に統帥権を持つ天皇の下で国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として建立されたもので、軍関係者のための神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人や軍関係者も祀られている。しかし戦後に米、英を中心とする戦勝国(連合国)が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われ、東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人がA級戦犯として死刑と判決された。これら7名他の政府及び軍の戦争遂行責任者が、1978年10月に靖国神社に他の一般戦没者と共に合祀された。
 極東国際軍事裁判については、米英を中心とする戦勝国が主導したもので、日本国内には、特に新保守主義グループは裁判の公平性等に、異議を唱える者がいる。戦後、日本国内で天皇を含め時の政府の戦争責任が総括されたことはないので、戦争責任については曖昧なままになっているのが現実のようだ。
 しかし、東條英機首相などA級戦犯が1978年10月に靖国神社に合祀された後、終戦を宣言した昭和天皇を靖国を参拝しておらず、また現行天皇も参拝していない。
 首相や新保守主義と見られる議員等は、天皇が2代に亘って参拝しない靖国神社を何故参拝し、或いは榊を奉納するのだろうか。安倍首相は靖国神社参拝(2013年12月)に際し、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈るのは国のリーダーとして当然」と答弁しているが、真榊を首相名で奉納したことは、A級戦犯となった人々を含めて「尊崇の念を表し、ご冥福を祈った」のであろう。しかし、ここで誤った言葉の綾がある。「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈る」云々とあるが、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」は一般将兵であり、戦犯と呼ぶか否かは別として、東條英機首相はじめ時の政府及び軍の首脳部は、第2次世界大戦を決断し、主導した責任者であり、200万人余に及ぶ兵士、軍関係者を犠牲にし、東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎の原爆投下を含めて100万人以上の一般市民を犠牲にした責任者であるので、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」としてひっくるめて表現するのは誤りではないだろうか。
天皇は昭和天皇も平成天皇も靖国参拝をしておらず、いわば天皇の意に反してこれら議員等は参拝し、榊を奉納していることになる。
 これら自民党グループは、憲法改正を唱えているようだが、基本的に天皇制を擁護し、‘日本は天皇を中心とする神の国’などとの考え方に立って、天皇を‘国家元首’として憲法に規定し、天皇制の恒久化を図り、また軍事力の保有を実質的に認め、保守政治を常に政治の中心に据えることを意図する一方、天皇を祭り上げて内閣が実権を握ることを意図しているように映る。いわば天皇を利用して保守政権の恒久化を図ろうとしているとも解釈出来そうだ。この信条は、森友学園の復古的教育方針に共鳴した安倍首相と同夫人の姿勢に通じる。
これら議員グループは、第2次世界大戦突入を決断し主導した天皇を含む時の政府、軍の首脳部の責任をどう考えているのだろうか。
因みに、自民党の‘選挙の顔’となっている小泉進次郎自民党候補も、8月15日の終戦記念日に靖国神社を参拝しており、同一の信仰や歴史認識を持っていると言えそうだ。耳障りの良い言葉や一部マスコミの報道振りなどに惑わされず、個々の言葉や行動から国民自身が判断することが必要のようだ。(2017.10.17.)
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石油価格高騰、なぜ特別税率を停止しないのか? (再掲)

2023-11-26 | Weblog
 石油価格高騰、なぜ特別税率を停止しないのか? (再掲)
 <はじめに>2023年5月にコロナウイルスへの対応がインフルエンザ並となり、各種の補助金事業が真直され、同年6月よりガソリン高騰を緩和するための石油元売りへの補助金が徐々に削減され、9月には廃止になる方向にある。これにより7月よりのガソリン価格が高騰し始めており、広範な影響が予想されるので、対策が急務となっている。ロシアのウクライナ侵攻への対抗措置としてロシアからの天然ガス輸入を含む経済制裁措置からエネルギー価格が高騰した2021年の状況が再燃したと言える。
 現在政府自民党が石油元売り企業への補助金とするか検討中だが、2重にも3重にもなっている石油税の暫定税率を中止することを世論は主張し始めている。補助金はかなりの部分が元売り企業の利益となり、消費者への効果に還元せず目減りしていない。事実大手石油元売り3社の2022年4~6月期の決算は、売上高と最終利益が同期比で過去最高となっている!それが企業の内部留保となり、自民党への献金等となっている。補助金は選挙ビジネス化しており、政策目標の効果を減殺している。
 このような状況から、本稿を再掲する。(2023.8.6.補足)

 石油高騰により、レギュラーガソリンが170円/リッターに迫る中、政府(経産省)は、レギュラーガソリンが170円を超えた場合、卸売業者にリッター当たり5円の補助金を出す方針を明らかにしている。
 それにより少しでもガソリンが安くなれば多くの国民、運送業者、物流業者等にとって喜ばしい。しかし補助金分だけガソリン代が下がるとは限らない上、
補助金の財源は所詮国民の税金であるので、税を徴収して配るという施し政治、金権政治をまた行うことになる。所得960万円以下を対象にして、18才以下の子供に10万円給付という施し政治についても、その目的の不明朗さを含めて批判が多い。
 ガソリンには、消費税の他、いわゆるガソリン税が課されている。その1つが「特別税率」(道路財源確保のための旧暫定税率)で、ガソリン税の約半分の25.1円となっている。旧暫定税率は1970年代の高度成長期に、自動車の普及と共に国中で道路建設が行われていた時代の名残りで、「暫定」と言いながら2011年ころまで継続していたが、東日本大地震を契機に批判が高まり、民主党政権時代に一時廃止されたものの、福田(康)自民党政権で「特別税率」と看板を変えて復活された。財源確保のためでしかない。
「特別税率」については、トリガー条項があり、ガソリン価格が3カ月連続でリッター160円を超えた場合、上乗せ分25.1円の課税を停止することが出来る。
現在正にトリガー条項を適用すべき時期ではないだろうか。ところが松野官房長官は11月16日の記者会見で、財源確保の観点から否定的意見を表明した。
コロナ禍で経済が停滞する中で、一部野菜や小麦、牛肉などが値上がりし、カソリン代の高騰で多方面に亘り困っているのに、法律で決められていることを拒否する政府というのは一体どういう政府なのだろう。
もっとも日本の経済全体を見るべき日銀総裁が、ガソリンや一部価格の上昇の影響は、余り大きくないなどとしているのも違和感を覚える。
 明年夏の参議院選挙を前にして、補助金や給付金等の施し政治、金権政治を継続する空気が自・公政権内に強いことを受けてのことであろうが、何時までこんなことを続けているのだろうか。(2021.11.18.)
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