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平成時代は国民受難の時代、江戸の呪縛か!? (再掲)

2024-01-20 | Weblog
平成時代は国民受難の時代、江戸の呪縛か!? (再掲)

 2019年4月に「平成」の時代は終わる。
 その平成の時代を振り返ってみると、「東日本大震災」、「地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件」、「阪神大震災」などなど、日本中で大規模地震・洪水・山崩れなどの大災害や大事件の枚挙に暇がない。
 更に平成時代に入り「バブル経済は崩壊」し長期の経済停滞が続き、国家財政は膨大な負債を抱え、マイナス金利と「消えた年金」、消費増税に象徴されるように国民負担の増加と世代を問わない将来不安に見舞われ、国民受難の時代となっている。
 1、「即位の礼」と「大嘗祭」が例外的に‘江戸’で行われた時代
 そして「平成」時代に歴史上特徴的なことがもう一つある。
 平成天皇の「即位の礼」と「大嘗祭」が江戸城址を専用している‘皇居’で行われたが、明治、大正、昭和と3代とも京都で行われており、平成天皇がこの歴史に反し唯一の例外となっていることだ。例外的に新天皇の「即位の礼」と「大嘗祭」が江戸城址内で行われた時代が国民の受難の時代となった。‘江戸の呪い’か‘江戸の呪縛’か。
「平成」後の新天皇の「即位の礼」と「大嘗祭」も江戸城址である‘皇居’で行われるらしい。国民には未だ明確な説明がなされていない。少なくても詳細な説明はなされていないが、「平成」時代と同様に行われるものと見られている。しかし「平成」時代は歴史的には‘例外’であったところであるので、その例外を踏襲するということになり、何故‘例外であった平成’を踏襲するのか、何故、明治、大正、昭和3代と異なる場所で行われるのか、適正な説明が必要なようた。‘江戸城’を‘皇居’として塗り替え、江戸城という歴史的、文化的遺産を、歴史から抹消しようとしているのだろうか。‘江戸の呪縛’も踏襲するこということなのだろうか。
「大嘗祭」については、天皇家の一人が、皇室行事なので公費を使うべきではないと言われた。宮内庁長官にも伝えたところ、‘前回公費で行っており、政府予算の中に含まれている’として‘聞く耳を持たなかった’、‘残念である’と誕生日の記者会見の席で発言されている。皇室行事でありながら、天皇継承2番目になる殿下の考えを一蹴するとはどういうことだろうか。これでは天皇家が‘皇室行事’にも考えを反映することが出来ないことになる。首相官邸も同様の説明を記者会見で行っている。皇室を支える事務方の宮内庁や首相官邸が皇室を黙殺できることを示すものであり、一方で天皇象徴制の強化し、その権威を利用しつつ、天皇家の意見は聞かないという権力的で、非民主的な体制となっていることは懸念される。
 2、‘皇居’が‘江戸城’を歴史から抹殺か!?
 江戸城址を‘皇居’と称するのも、歴史を封殺するものではないだろうか。
最近外国人の観光者が著しく増えており、‘皇居’が外国人観光客の東京における人気の場所の一つになっている。‘皇居’を訪れる理由を外国人観光客にインタビューすると、「侍が好きだから」、「古くから残っている石垣(城壁)に興味がある」など、武士や城に関連するところとしており、侍の‘城址’として認識されている。外国人観光客は江戸城址に関心があるようだ。その場所を‘皇居’という名称で歴史的史跡である‘江戸城址’を覆い隠す結果となっており、日本人のみならず外国観光客に対して誤解を与えているようだ。多分、日本人でさえ、
‘江戸城址’として認識している人は少ないのかもしれない。‘宮内庁’が江戸城址内に設置されているのも歴史にそぐわない。
 明治維新後、天皇を擁する官軍が幕府軍に勝ったので、戦勝者である天皇派が江戸城址を占拠、使用することは容認されても、旧帝国憲法も天皇専制も廃止となり、民主憲法となっている今日、それが引き続き容認されるべきではないのではないか。新憲法では、天皇は軍の指揮権はもとより、統治権などは無い。その上‘国民統合の象徴’である天皇が、江戸城址を専用し続けることは、‘反幕府’、幕府支配の抑止・封殺を意味し、尊皇派支配を意味するので、‘国民統合の象徴’としてはふさわしくない。現状のままでは‘国家分断の象徴’、‘抑圧の象徴’と映ってしまう。
 明治以来の3代に亘る尊皇派支配は終わり、天皇は国民統合の象徴となっているので、天皇は京都御所に戻り、江戸城址は‘江戸城址’として国民及び世界からの観光客に開放すべきではないだろうか。いずれも経済的、社会的、文化的効果は大きい。(2018.12.2.)
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地方再生は保守政党には出来ない!? (再掲)

2024-01-20 | Weblog
地方再生は保守政党には出来ない!? (再掲)
 総選挙を前にして、自民党は選挙公約を公表したが、その中で‘地方創生’を一つの公約としている。
 しかし保守自民党には‘地方創生’は出来ないと見られている。事実これまで長期に亘る保守政権において地方が再生されたためしがない。逆に、若干の例外はあるが、地方に過疎村、限界集落、空き家集落が広がっている。
 多くの同党古参議員等は、地方への大型量販店、百貨店や大規模工場、企業の進出を内心嫌っている。これらの産業の進出により、労働組合が出来、野党勢力が進出し、保守地盤が侵食されることを懸念している。従って、地方の産業や市場の自由化や規制撤廃には本質的に消極的だ。
 それが保守政党、保守政党議員の本質だろう。伝統的な保守地盤を維持することが再選への道なのである。地域社会をなるべく閉鎖し、新規の参入を止める、それが保守の本質だ。その最も好例が、世襲議員だ。先祖からの地盤、看板等を受け継ぎ、それを維持し続けることが競争相手を抑え、再選を確実にすることになる。従って、言葉とは裏腹に、経済にしろ、農林業、漁業にしろ、大型の新規参入には内心消極的となっても不思議はない。
 しかしそのような閉鎖的な、保守的な姿勢が、地域の新陳代謝や活力を失わせている。新規の参入、若い世代の進出を阻み、活力が無くなった地域から、若い世代は出て行く。そして年長者だけが残って行く。それが現実に起こっている。
 現在、地方の市町村に老齢者だけが残り、多くの900前後の市町村が消えて行くことが予想されている。それは長い間政権の座についていた自民党の政策がそのような結果を招いたと言えそうだ。
 農業についても、農協の下で新規参入を拒み、同一地域のコメを一律に扱い、農家間の競争を排除する一方、コメへの需要が減少するたびに減反をさせ、減反した農家に補助金或いは所得補償を行って来た。それは生産しない者に所得を保証するということであり、そのような農業に若い働き手は必要もなく、残らない。それが農業の衰退と競争力の退化をもたらしたといえよう。来年もコメへの需要は低下すると予想されており、生産削減や減反が実施され、作物を作らないことに所得補償が行われる。自民党は農家にそれを約束して来た。しかし、それでまた農業は一層退化する。要するに、保守党の基盤に立って、農水省と農協が、税金を使って“俵”を買い上げ、議員が“票”を買っているようなものと映る。
 国民はコメを含む農産物の有り難みを知っており、このような農業政策に寛容であった。しかし働かないことに補償が与えられるような制度は持続不能であることも知っている。現状で農業は退化し、若い働き手も残る見通しもない以上、農業への参入規制を緩和し、大規模化、企業化を図るしかないのではないか。
 経済戦略特区についても、一方で全国一律に規制を維持しつつ、特定の都道府県を選択し、規制の一部解除を行うだけで、新たに地域選択という手続きを追加し、規制制度を更に複雑化させるだけだ。中央管理の複雑化、強化に繋がる。
 また自民党は、選挙公約の中で、‘地方創生’の具体的施策として、中小企業対策や人口減少対策のために‘バラ撒きにならないような’交付金や、商店街などの地域経済の活性化を図るため、‘地域商品券’の発行等を行うとしている。正にバラ撒きではないか。公明党が嘗て‘地域振興券’なるものを推奨したが、地方のシャッター街が次々と増えるのを防ぐことは出来なかったことは誰もが知っていることだ。このような中央から地域振興のための予算、税金のおこぼれを受け取っている限り、地方の自発的、自律的な振興を図れないばかりか、中央―地方の支配関係や制度を保守する結果となり、地方分権の拡大にもならないだろう。もっともそれが保守政党の狙いなのだろう。
 地方がそれに安住する限り、地方の再生はない。それは歴史が物語っている。
 (2014.12.1.)(All Rights Reserved.)
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首相官邸・内閣府、法令遵守崩壊か!?(改訂/補足版)

2024-01-20 | Weblog
首相官邸・内閣府、法令遵守崩壊か!?(改訂/補足版)
<まえがき>
コロナ禍への対応が緩和されし始めたときにし始めた時に明るみに出た中古車販売・買取会社ビッグモーターの保険金詐欺事件は通常の取引常識を大きく逸脱するもので、これではビジネスを信用できない。しかし法令違反(コンプライアンス違反)はこれに止まらない。東京オリンピックを巡る不正の数々や個人レベルでの殺人や幼児殺害等、常識を遙かに越えた身勝手な犯罪が日常的に起きている。倫理、コンプライアンス意識の崩壊と言える。政府レベルでも、本来ならば3大多数の大多数の賛同を得て実施されるべき国葬を内閣だけで決定するという法令軽視から自衛隊隊員による殺人、セクハラなど国全体の各層、各分野でコンプライアンス意識が後退している。それには8年間に及ぶ布石があり、それがマスコミ、知識人、経済界等の間で容認されていたからだ。
 それは安倍政権から始まった。
 2021年9月29日、自民党総裁に岸田元外相(元党政調会長)が選ばれ、10月4日の臨時国会で首相に指名される。組閣に先立ち党の役員人事が決まったが、幹事長や総務会長、政調会長など主要役員は総裁選で支持した細田・安倍派と麻生派で固め、官房長官候補にも自派閥からではなく安倍元首相が属する細田派、財務相候補にも麻生派からの起用と伝えられ、中核となる閣僚も自派閥は別として、細田・安倍派で固めるものと見られている。これは一般的には安倍・麻生ラインを踏襲との表現で済まされるところだが、実体的には、安倍・麻生ラインで封じられた森友学園問題での「有印公文書偽造」や「桜を見る会に関連する地元有権者への利益供与」などを蒸し返さず、封じ込める結果となると予想される。このいずれの問題も、誰であろうとも、行政や政治におけるコンプライアンス(法令遵守)を大きく損ない、行政の信頼性だけでなく民主主義の基礎を損なうもの問題である。くしくも今回の総裁選は、麻生氏自身から「権力闘争」と言われている。マスコミや有識者、有権者がこの問題に口をつぐめば、この権力に屈することを意味する。それも1つの処世術ではあるが、問題の重要性から本稿を再掲する。(2021.10.3. 2023.7.29.追補)

 首相官邸はじめとして政権中枢部局は、森友学園問題での公文書の廃棄、文書の書き換え・改ざんや加計学園問題での縁故者優遇などを背景として、首相主催の「桜を見る会」の招待者リストの廃棄、コンピュータ・データの廃棄、破壊など、行政の公正さ、透明性、そのための検証を確保出来ない状態になってきているように映る。行政官僚は、行政の公正、公平よりは、そのような政権の意向を忖度し、政権の意向を優先するようになる。行政官僚も生活のため、保身に走るのも仕方ないのかも知れないが、一般国民にとっては事態は深刻だ。
そのような行政の信頼性を失わせるような状況で、東京高検の検事長の定年63歳を延長する「閣議決定」がなされた。政府は、上記の閣議決定に先立って、「従来国家公務員法に基づく定年60歳の延長は検察官には適用されない」との解釈を所管の法務大臣が口頭で変更し、当該検事長の定年についても「国家公務員法を適用できる」との解釈を採択していたとされる。
このような中で自・公政権は、国家公務員の定年引き上げ法案と共に、検察庁法改正案を併せて閣議決定し(3月13日)、通常国会も終盤に入った段階で採決をしようとしている。本検察庁改正法案では、検察官の定年を現行の63歳から段階的に65歳に引き上げ、高検検事長や検事正などの幹部は63歳でポストを退く「役職定年」も設け、その後は「特例」で定年延長を最大3年間可能にし、検事総長については「特例」で最長68歳まで延ばすことが可能になるようだ。
 1、検察官の定年延長については、法改訂が不可欠
 検察官も広義では国家公務員ではあるが、時の政権や政党、諸団体、社会等の影響を受けることなく、独立性を保てるよう「検察庁法」が定められている。
 検察庁法は、一般国家公務員と区別し、検察官が時の政権や政党、利益団体の圧力に対抗できるよう、心神喪失等と認められる場合を除き、罷免されないよう法律で保護している。定年についても国家公務員に比し不利とならず、定年延長の判断に左右されないよう、63歳として優遇している。従って、既に保護、優遇されているので、定年延長の規定もない。政権等からの介入を防ぐためでもある。
 定年延長の規定がない以上、検事長を含め検事の定年延長には法律改正が不可欠と言えよう。
 法律を守るべき法務大臣が、検事長の定年延長を‘口頭で了承した’としているようであるが、国民には、「法律でございます、規則でございます」などと言わせておきながら、自らは法律軽視、法律無視であり、言語道断だ。文書による決裁がなされておらず、事務方が文書決裁としなかったのは、文書での決裁には広範な部局の決済が必要であるが、事実上それが不可能であり、事務方が拒んだことを意味するのかも知れない。そうだとすると、事務方にも多少の良心が残っているとも言えるので、救いではあるが、疑義が呈されたときに誰も責任を取らず、‘無かったことにする’ためのこの政権の常套手段と思われ、行政の闇がここまで広がっていると言えよう。法務大臣がこれをやり通したことは、上からの指示で、検察といえども人事に介入するとの政権の意図が見える。
 また定年延長を‘受諾‘し居座っている黒川検事長については、国民に「法律違反の嫌疑を掛ける立場」でありながら、法律違反に当たる定年延長を受けるとは、何と見識の無いことか。その程度の法律の理解では、国民に嫌疑を掛ける資格は全くない。自ら身を引くべきであろう。そうでないと検察当局とは、こんなところかとの印象を国民に与える。
 定年延長自体は、一般国家公務員も65歳定年に向け法改正を行う予定とみられるが、検察官についても検察庁法の改正によって行うベきであろう。それまでは、法律を守るのが当たり前だ。
 この問題をメデイアや言論界が仕方ないとしてやり過ごすとすれば、由々しきことだ。また民間調査・研究機関等も経済問題を含め全く頼りにならない。
 国家公務員の定年引き上げ法案については良いが、検察庁法改正案については、一見、一般国家公務員の定年を65歳に引き上げる国家公務員法改正案と一本化するかたち見えるが、次の通り検事の独立性の確保の上で根本的な問題を抱えている。
(1)検察官は、一般国家公務員と区別し、検察庁法を別途規定して、検察官が時の政権や政党、利益団体等の圧力に対抗できるよう、法律で保護し、定年についても現行法の国家公務員60歳定年に対し63歳として優遇している。検察庁法改正により定年は65歳までとなるが、一般公務員と同様となり保護も「優遇」もされなくなる。更に検事総長や検事長らの検察幹部は63歳で定年となり、その後は1年毎に最大3年間定年延長が可能になるが、「特例規定」により法相または内閣が判断することになり、一般公務員より抑制され、不利になる可能性ある。さらに検事総長については、法相または内閣の判断により最長68歳まで延ばすことが可能となるが、検察幹部は常に法相や内閣の顔色をうかがって仕事しなくてはならない。それでは検察の独立性などないことになる。
(2)首相は、「恣意的判断は入らない」などとしているが、上記の通り、黒川検事長を検察庁法上の規定に従わず、内閣の判断で6ヶ月定年を延長している。これは内閣による行政判断が法律を上回るという法律無視、下克上的姿勢であり、まさに内閣による「恣意的判断」に他ならない。そのような「恣意的判断」をして置きながら、「恣意的判断はしない」と言われても誰も信じないであろう。
(3)法相は、「三権分立に反しない」などと言っているが、訴追をする検察官は行政に属する公務員であり、裁判所の問題ではないので、当たり前のことで、単なる言い逃れとしか聞こえない。しかし検察官は、国民を罪人として訴追する側として、権力のある者にもない者に対しても公正、公平であるべきとの観点から、圧力に屈しないように法律で一定の保護をしている。そのために一般国家公務員法とは別に検察庁法を規定しているのであり、首相側や与党はその趣旨を理解しようとはせず、逆にそれを歪めようとしている。
 政権側の説明は、言行不一致で不誠実であり、連立政権を担っている自民、公明党両党の議員がこれを支持しているとすれば、両党議員も正義からほど遠く、国民の代表として再び国会に送るべきか大いに疑問が残る。

 2、「桜を見る会」など、官邸のコンプライアンス違反の常態化
 「桜を見る会」については、確かに何人招待したかなど、たいした問題でもない。しかし行政当局による招待者リストの棄却、更にコンピュータ・データの消去にとどまらず、データを蓄積している基盤まで破壊したとしていることは、非常に悪質で、深刻だ。これでは政権内で不正が行われていても懸賞不能になる。国民の7割以上が十分説明しているとは思わないとしている。
 その理由が「個人情報保護」、プライバシーなどと主張しているが、全く理由にもならない。首相が国家、国民に貢献し、功績、功労があった者を招待し、労をねぎらうことを目的としており、そうだとすれば招待された者は世の中に大なり小なり知られた方々であろうから、名前や功績の内容、出身地などは既にそれぞれの分野では知られており、その範囲であれば個人情報保やプライバシーを侵害することは一切無いであろう。会の趣旨からして氏名や出身地域などを公表することは何ら問題ない上に、当事者にとっては光栄なことであろう。この会の趣旨にも反する訳の分からない理由に、いわば納得している形のマスコミやコメンテーターと称する人たちは一体何なのであろうか。
 2019年の首相主催「桜を見る会」には約1万8200人もの人が各分野、各都道府県より招待され、5,000万円以上が公費から支出されている。その内山口県については、安倍事務所の推薦で参加した者は何と800名以上にものぼっている。安倍事務所関係だけでそんなに多くの功績、功労者がいるとは考えられないが、山口県の誇りだ、氏名を公表して欲しいものだ。
 しかし公費を使っているので関心もしていられない。5,000万円以上の公費を使っており、予算(毎年1,700万円程度)の3倍前後も使っているのに、精算、決算の裏付けとなる招待者リストも跡形もなく直後に廃棄されているとされているので、内閣府内の精算、決算が如何にずさんかを物語っている。こんなにずさんな形で差額が補填されているとすれば、官房機密費が充てられている可能性もあるが、いずれにしても公費であるので、こんなにずさんに公費が使われるのでは国民としても納得できないであろう。会計検査院や決算委による個別検査が望まれる。費用の根拠となる招待者数、参加者数は、招待者リストに基づくが、招待者数の適否を査定するためには被招待者が、招待されるにふさわしい業績、功労があるかを点検する必要もあろう。それを精算、決算前に資料を消したということになり、とても常識では考えられない。
「安倍晋三後援会 桜を見る会前夜祭」については、2019年4月に某大手ホテルで行われた趣だが、地元の安倍事務所が推薦、斡旋した800人ほどが参加したと伝えられている。会費が1人5,000円とされるが、高級寿司店まで入っている会合であるので、通常は1人15,000円~20,000円内外と予想され、差額1人1万円内外はホテル側が宿泊代から割り引かれたことになる。予算委員会での首相答弁では、安倍事務所がホテル側と話し、そのような取り扱いとし、また会費領収書はホテル側より各参加者に出すことにした旨説明されている。常識的には考えにくい手法だが、もしそのようにされていたとすれば、政治資金規正法の報告義務の悪質な‘脱法行為’と言えよう。こんなことが認められて良いのか。選挙管理委員会は、このようなやり方が適正か否か、見解を出すべきであろう。
 だが、実体的には安倍事務所の要請でホテル側が安倍事務所推薦の参加者に利益便宜がなされたことは明らかだ。宴会場の入り口で会費やご祝儀を受け取ったのは安倍事務所関係者や後援会関係者であろうから、金の授受がなかったとは思えないが、いずれにしても、実体的には安倍事務所の口利きで、各参加者に対し1万円内外の利益が供与されたことになる。またホテルに宿泊しなかった参加者も参加費5,000円とすると差額は誰が支払ったかの問題もある。だから差額はホテル側が持ったとする説明はまずあり得ない。
 また800名内外の参加者がホテルから10台以上のバスを連ねて会場の新宿御苑に向かったとされるが、バスの借り上げ代は誰が払ったのか。まさか各人がバス会社に払ったとはいえないだろう。ここにも安倍事務所の地元参加者への利益供与の可能性がある。
 このような問題を、コロナウイルス肺炎の脅威がある中で、何時までも追求すべきではないとする意見やコメントが聞かれるが、それこそ危険な意見だ。危機を持ち出して、国民を黙らせる手法は、往々にして独裁国家に導く恐れがある。第2次世界大戦もその1例だろう。
 こんなことを何時までも続けていれば、行政システムは適正に維持できないばかりか、良心を持つ有為な人材は確保出来なくなるだろう。新型コロナウイルス肺炎の問題はそれとして緊急に対応しなければならない。今優先して行うべきことは、検査体制の拡充と医療機関受け入れ体制の強化であろう。同時に、この状態で対応に当たっている首相はじめ関係閣僚、事務方、及び与野党議員はじめ関係者の尽力には敬意と感謝の意を表したい。
 しかし行政システムを適正に保ち、健全な民主主義を維持して行くための努力は続けていかなければ、健全な国家、健全な国民生活は維持できない。

 3、行政府内のチェック機能が機能不全
 このような首相官邸を中心とする指導部のコンプライアンスの崩壊により、会計検査院、人事院、内閣法制局、そして検察庁という行政府内のチェック機能がほとんど機能しない機能不全の状態に陥っている。
 首相官邸の政策遂行上のリーダーシップが強化され、関係省庁が一国一城のあるじ的な存在となり、政策や人事が各省庁にほとんど委ねられ、縦割り行政の弊害がなくなることは望ましいことである。しかし現政権では、官邸トップによる人事権が強くなり過ぎて、個別の措置などについてトップの意向に沿うよう行動していないと不利益があるとの意識が行政各部に広がり、行政府内部のチェック機能が低下しているように見える。人事権の乱用であり、恣意的な人事の横行である。
その好例が、検察幹部への恣意的な人事であった。本来であれば、検察庁法改正案は、法律違反であり、内閣での決定を避けるべきであった。人事院や内閣法制局が沈黙を余儀なくされた。森友問題での国有地の捨て値の払い下げについても会計検査院が特別検査を実施すべきであった。
首相官邸の政策遂行上のリーダーシップが強化され、縦割り行政の弊害が除去されることは良いが、官邸による人事権の乱用、恣意的な行使を今後どうチェックできるかが課題となった。
(2020.3.10.2020.5.15.一部改訂、同年6.18.第3項追加)
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米韓軍事同盟に日本は参加すべきではない (追補版)再掲

2024-01-20 | Weblog
米韓軍事同盟に日本は参加すべきではない (追補版)再掲
<まえがき>岸田首相は2023年5月7日訪韓し尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領と会談した。2013年以降安倍政権の下で靖国神社参拝問題、従軍慰安婦問題、戦時における韓国人徴用工問題など歴史認識問題を巡り停滞していた日・韓関係が改善されることは歓迎されるところである。
 その中で、地域情勢、特に北朝鮮問題については、『日米同盟、韓米同盟、日韓・日韓米の安全保障協力により抑止力・対処力を強化することの重要性について一致した』とされ、5月19日より開催されるG7広島サミットの際にユン大統領を招き、日韓米首脳会合を開催することとなった旨公表されている。
 核、ミサイル開発・配備を含む北朝鮮問題については、朝鮮半島情の緊張を激化すると共に、核拡散を助長するものとして強く非難されるところであるが、北朝鮮への『抑止と対処』については、次の通り米韓両国と日本とは立場を異にしていることを認識すべきであろう。
(1)朝鮮戦争は現在休戦状態にあるだけで、南北両国は敵対関係にあり、朝鮮戦争が再発する可能性がある。日本は朝鮮戦争の当事国ではなく、また日本の安全保障・防衛上このような地域紛争に関与すべきではない。従って日・韓が北朝鮮との関係においた協力して『抑止、対処』すべきものではない。
(2)米国は当初より韓国の庇護者として朝鮮戦争の当事国であり、韓国と共に休戦協定の当事国である。また米国は韓国軍隊の指揮権を有しているので、米韓は軍事的に一体となって軍事同盟を形成している。日米同盟は日本の防衛に主眼を置いたもので、基本的に米韓軍事同盟とは性格を異にすると共に、朝鮮半島における紛争当事国である米韓との安全保障上の具体的な協力や同盟関係は、朝鮮戦争を引き寄せ、飛んで火に入る虫のような結果となるので、日本の安全を著しく損なうことになる。日本側外交・防衛当局にこの認識が欠けている。
 北朝鮮を巡っては日本としては米韓両国との情報交換を越えることは望ましくない。日本海における米韓・日の海空合同軍事演習も北を挑発する防衛当局の拙速行為であり望ましくない。
(3)北朝鮮の核開発、生産・配備は核拡散をもたらし、国際的な緊張を激化すのみであり非難される。しかし核不拡散の実態は、インド、パキスタン、イスラエル及び北朝鮮が核保有しており、既に核拡散防止条約(NPT)の枠外で拡散している現実がある。またNATO諸国の内、ドイツ、ベルギー、イタリア、オランダなどが米国と核共有(核シェアリング)していることが知られており、核NPTで禁止されている「非核兵器国による核兵器の獲得又は保有」に実態上違反しているとも言える。従って国際的な核不拡散レジームは後退しているのが現実である。更に5核兵器国(国連常任理事国)はNPT上核軍縮を行う義務があるが、実行されていない。
 その上5核兵器国は核の生産・保有・使用を禁止する核兵器禁止条約にも反対している。日本もこの条約に反対しているが、岸田首相が安倍政権下の外相だった時だ。広島で開催されるG7首脳会議では、この条約を支持する非核兵器諸国にどのような『橋渡し』が出来るのだろうか。

 なお、北朝鮮による日本人拉致問題については首脳会談で言及された趣だが、日本国民の生命と財産の安全ということであれば、ソウルに本部がある国際統一家庭連合(=統一教会)の活動が多くの日本国民の財産と安寧な生活を奪っていると共に、多額の金が韓国や北朝鮮などに送金されているので、統一教会の日本での非社会的な活動の是正に言及されていないことは、この問題を黙認した形となり問題が残る。この時期にソウルで開催された統一教会合同結婚式についても、日本から600人ほど男女が参加したと言われるが、既に農村部に5千人以上の日本人が韓国農村部で生活していると言われているので、邦人保護の観点からこれらの人々の人権、人道、そして尊厳が守られているかも問題であり、韓国側の善処を求めると共に、調査することが望ましい。(2023/05/09追記)
このような動きを踏まえ、その背景として下記評論を再掲する。

 韓国の康京和(カン ギョンファ)外交部長官は2017年10月30日、議会での外交関係の国政監査において、対北朝鮮防衛強化のため配備された米国の迎撃ミサイルTHAADを巡り悪化している中国との関係について、中韓首脳会談開催への期待を表明しつつ、次の3つの立場を明らかにした。
・THAADの追加配備は行わない。
・米国のミサイル防衛(MD)システムに参加しない。
・韓日米安保協力は軍事同盟に発展しない。
 これはTHAADの配備を巡り悪化している中韓関係の‘復元’、正常化を狙った発言と見られており、‘三不’政策とも言われている。
 これに対し中国外務省は、同日午後に報道官が康長官の発言に関連して、「韓国側のこうした3つの立場を重視する」とし、韓国側がこれを実際に行動に移すことを願う旨述べた。しかし中国側が、韓国外交部長官の発言を‘約束’との表現を用いたため、韓国内でも議論となっている。
 中国側は、韓国におけるTHAAD配備と共に、米韓日の軍事同盟化を強く警戒していると見られ、中国が10月の全人代で習体制を固めて以降、日本との関係を改善する姿勢になっているのはこれを阻止するためとも思われる。
 韓国が、米韓日の軍事同盟を望んでいなければそれに参加する必要はない。日本側がそのような意向を表明したこともない。もっとも軍事同盟については、一方の同盟国への北朝鮮を含む第三国からの攻撃は日本への攻撃とみなされ、参戦しなくてはならなくなるので、日本の現行憲法ではそのような軍事同盟に参加することは困難であろう。従って韓国側から言われるまでもない。
 そもそも朝鮮戦争は1953年の休戦協定により軍事対決こそ回避されているが、米韓両国と北朝鮮は現在でも敵対関係にあり、北の核、ミサイル開発は基本的に米韓への対抗措置として進められているものである。日本は、朝鮮戦争の当事国でもない。また第二次世界大戦後、北朝鮮とは平和条約を締結していないが、2002年9月に小泉首相(当時)と金正日総書記(当時)とで調印された日朝ピョンヤン宣言において、拉致家族問題の他、日朝国交正常化交渉の開始などが盛り込まれており、この宣言は自・公連立政権において破棄はされていない。
従って政策論としても、朝鮮半島有事の場合には米軍への必要な後方支援は行うことになろうが、日本及び日本国民の安全のためにも、米韓との軍事同盟に参加しないことが賢明な選択肢と言えよう。(2017.11.23. 2023.5.9追記)
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政党交付金は廃止すべし (再掲)

2024-01-20 | Weblog
政党交付金は廃止すべし (再掲)
 総務省は、2020年11月27日、2019年分の政治資金収支報告書(中央分)を公開した。収入総額は、1,098億円(前年比1.3%増)で、参院選があり借入金が例年の約5倍の36.5億にものぼるので、借入金を差し引くとネットで1,063億円になる。その内自民党の政党本部収入は約245億円で、ダントツのトップである。
 1、政党交付金にあぐらをかく政党、各候補個人への選挙費助成に転換すべ
多数党で最も多く議員を擁しているので当然と言えば当然であるが、自民党本部の収入の72%強の約176億円が税金を財源とする「政党交付金」であることは驚きだ。まるで政府がほぼ丸抱えした政党が与党となっている。これではまるで中央専制国家のようで、政権与党の税金お手盛り振りが明らかのようだ。その上、自民党本部は戦後75年も経っている今日でも、国会に至近の国有地を割安で賃貸しており、まるで国立政党のようだ。
 これはいかにも異常で、民主主義国家であれば、政党は基本的には個人や企業・団体の浄財、任意の寄付で運営されることが望ましい。長期に亘り政権を担ってきた政党の72%強の収入が国民の貴重な税金である政党交付金で賄われ、政党本部が国有地を優先使用している現状は、共産主義国や独裁国家と余り変わらず、民主主義とは言えないのではないだろうか。  
戦後直後ならまだしも、75年も経っている今日、政党助成金を廃止して、候補者個人への選挙費助成金とする時期ではないか。その方が、助成を受けた候補が国民の税金の有難味が分かるのではないだろうか。また各政党が国民から支援を広げる努力をするようになるのではないだろうか。

 2、河井案里議員側が自民党より受領した支援金1.5億円は政党交付金から
 2019年7月の参議院議員選挙に際し、自民党は、擁立した河井案里側に1億5千万円の支援金を提供した。それが、案里側により、車上運動員(通称うぐいす嬢)に法定上限2万円を超える報酬支払いや県議や市議、市長等に配られた疑いで、案里議員事務所と夫である河井克行衆院議員(元法相)が公職選挙法(買収)及び政治資金規正法違反の容疑で起訴され、まず案里事務所の公設秘書が禁固1年6ヶ月、執行猶予5年の有罪判決が確定した。
 河井衆院議員の判決は別途行われることになるが、自民党から通常1200万円/人と言われている選挙支援金の10倍を超える1.5億円もの支援金が出されていなければ、これだけ広範な選挙違反行為が行われていなかったであろう。その支援金は、税金を財源とする政党交付金から出されていることが分かっている。1.5億円の税金で買収等の選挙違反行為が行われたということであり、納税者である国民としては納得できないであろう。
 党の政党交付金管理責任と結果責任が問われそうだ。また政党交付金が選挙違反行為の原資になったと見られることから、遅滞なく全額を国庫に返納することについても問われるのではなかろうか。

 3、共産党、自助努力で204.5億円の党収入を確保
 共産党は、政党交付金を受けず、党員による会費と機関誌赤旗の販売など自助努力により、同年204.5億円の党収入を確保している。自民党に次ぐ高額の党収入であるが、政党交付金無しの自助努力ではダントツの1位となっている。
 要するに、政党交付金無しでも、会費、事業収入などの自助努力で党収入は図れるということであり、与野党を問わず、会費、事業収入などの自助努力で党費、政治活動費を賄うという、民主主義本来のあり方を築いて欲しいものだ。
 もっとも、共産党は中央統制による共産主義というイデオロギーを信奉するグループであり、多様性を基礎とする自由、民主主義、自由市場主義という日本を含む世界の大多数の諸国に共有されている価値観とは相容れない、絶対的なイデオロギー信奉政党であるので、他の政党が会費などの自助努力で党収入を図ることには困難があるだろう。しかし民主主義政治の基本はそういうことであるので、そのような政治環境を構築するのも政党の仕事であろう。
 他方、共産党はこれまで党収入が潤沢であったため、原則として全ての選挙区で候補者を立てているが、野党の票を喰う結果となっているので、野党の発展を阻害する結果となっていることも否めない。共産党の存在は、保守政党にとっては都合の良い存在となっているのが現実であり、同党がイデオロギー信奉を離れ、国民政党となることが問われているのではないだろうか。いずれにしても、野党同士が食い合う状況を解消することが課題だろう。
 なお、公明党は、政党交付金を受けているが、会費収入や機関誌発行などの自助努力で129億円規模の第3位の収入を図っている。もっとも公明党は、宗教団体である創価学会メンバーのいわば下部組織であり、宗教的信仰を基礎とするものであるので、他の政党の参考にはならないだろう。
 いずれにしても、何時までも税金を財源とする政党交付金に依存し続けているのでは、民主主義政党としては努力が足りないと言えるだろう。政党交付金は廃止し一定の基準を設け、候補者個人への公職選挙支援助成金に転換すべき時期ではなかろうか。(2020.12.1.)
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