姫の秘め事
姫井由美子議員(岡山県出身)が、議員に当選する以前に、高校教諭と6年間余の「秘め事」があったことが当選後にこの教諭から暴露され、話題となったが、そのいきさつを綴った「姫の告白」を出版した。
当時既に家庭もあり、そのようなことがあったとすれば、決して好ましい行為とは言えないところであり、民主党県連側は「姫のご乱心~ん」とばかりに、出版を取り止めるよう示唆するなどの動きがあったが、出版に際するサイン会には予想を上回る300人内外が集まり、多くの報道陣に囲まれ、上々の人気のようであった。多分男性のファンは興~味本意であろうが、女性の姿もあった。
従来、不倫はいわば男の専売特許であり、批判に晒されることが多いが、当然のことながら、不倫や不義は、普通男女があって成立するものであるので、女性側にもその様な願望や欲望があって不思議ではない。封建時代には、不義密通は重罪とされ、男性には寛容であった時代もあったが、女性にも一時の過ちがあっても不思議はない。
その種の過去のプライバシーは、問題にされても「別にっ」と言ってにこにこしていれば済むことであり、女性自ら告白本を出すこともないかも知れない。しかし、この問題を何時までも引きずっていても仕方がないことであるし、また、女性もそのような願望や一時の過ちを起こすこともあり、それを素直に表現し(当然脚色もあるだろうが)、反省をしつつ再起を図ることについて読者や有権者の判断に委ねることも勇気ある選択肢の一つと言える。
不倫は許されてよいものではなく、事実であれば、家族や有権者に謝罪し、今後身を正すべきであろう。しかし、公職に就く前にそのような過ちを起こすことは誰にでもあり得ることであり、女性は別だ、許されないとして退場を迫るようなことは、再起の機会を奪ってしまうことになる。サイン会に女性の姿があったのも、女性としての悩みや勇気に共鳴するところがあるからなのであろう。大切なことは、謝るべきことは謝り、家族や周辺の人になるべく迷惑を掛けないようにすることであり、後は反省し、胸にしまって置くことなのであろう。
不倫は男女同権などとは言わないが、男女双方に責任がある。相手側の男性は、真実を語っていないとして告訴するなどとしていると伝えられている。多分当時の手掛けていた店の経営の関する問題などがあるのかも知れないが、バツイチとは言え、高校教諭の立場にありながら「不倫」をした上、それをあたかも相手の責任であるかのように暴露していることは、教育者であった立場を顧みない軽薄・軽率な行為であり、大人気ない誹謗、或いは報酬や政治目的の中傷と受け取られても仕方がないのではないか。
他方、姫井議員もこんなことで人気取りをしないで、湧き上がる情熱を公務に傾注して欲しいものだ。
どうも最近、些細なことをあげつらって過剰な反応を示すことがあるようで、寛容さやバランス感覚を失って来ているようにも見える。横綱朝青龍バッシング問題もその一つであろう。また、新テロ特措法が参議院で否決された後、衆議院で自公による3分の2の多数で採択された際、民主党の小沢代表が直前に席を立ったことを問題視する向きもあるが、国連などの国際場裡においても、棄権や退席は「賛成ではない」との意思表示の方法として確立していることであり、敢えて殊更に問題とすることでもないのではなかろうか。それを問題とするならば、憲法上認められている制度とは言え、参議院で否決されたことを、与野党で合意点を十分に模索することなく、衆議院で再可決することは、参議院軽視、或いは参議院に託された民意を軽視することにもなり兼ねず、その意味するところの方が大きいのではないか。衆参両院とも等しく民意を反映している。
与野党で意見か割れ、衆参両院で意見が割れ、調整が付かない国民生活にとって重大な事項については、本来、民意が問われても良い。(M.K.)
Copy Right Reserved
姫井由美子議員(岡山県出身)が、議員に当選する以前に、高校教諭と6年間余の「秘め事」があったことが当選後にこの教諭から暴露され、話題となったが、そのいきさつを綴った「姫の告白」を出版した。
当時既に家庭もあり、そのようなことがあったとすれば、決して好ましい行為とは言えないところであり、民主党県連側は「姫のご乱心~ん」とばかりに、出版を取り止めるよう示唆するなどの動きがあったが、出版に際するサイン会には予想を上回る300人内外が集まり、多くの報道陣に囲まれ、上々の人気のようであった。多分男性のファンは興~味本意であろうが、女性の姿もあった。
従来、不倫はいわば男の専売特許であり、批判に晒されることが多いが、当然のことながら、不倫や不義は、普通男女があって成立するものであるので、女性側にもその様な願望や欲望があって不思議ではない。封建時代には、不義密通は重罪とされ、男性には寛容であった時代もあったが、女性にも一時の過ちがあっても不思議はない。
その種の過去のプライバシーは、問題にされても「別にっ」と言ってにこにこしていれば済むことであり、女性自ら告白本を出すこともないかも知れない。しかし、この問題を何時までも引きずっていても仕方がないことであるし、また、女性もそのような願望や一時の過ちを起こすこともあり、それを素直に表現し(当然脚色もあるだろうが)、反省をしつつ再起を図ることについて読者や有権者の判断に委ねることも勇気ある選択肢の一つと言える。
不倫は許されてよいものではなく、事実であれば、家族や有権者に謝罪し、今後身を正すべきであろう。しかし、公職に就く前にそのような過ちを起こすことは誰にでもあり得ることであり、女性は別だ、許されないとして退場を迫るようなことは、再起の機会を奪ってしまうことになる。サイン会に女性の姿があったのも、女性としての悩みや勇気に共鳴するところがあるからなのであろう。大切なことは、謝るべきことは謝り、家族や周辺の人になるべく迷惑を掛けないようにすることであり、後は反省し、胸にしまって置くことなのであろう。
不倫は男女同権などとは言わないが、男女双方に責任がある。相手側の男性は、真実を語っていないとして告訴するなどとしていると伝えられている。多分当時の手掛けていた店の経営の関する問題などがあるのかも知れないが、バツイチとは言え、高校教諭の立場にありながら「不倫」をした上、それをあたかも相手の責任であるかのように暴露していることは、教育者であった立場を顧みない軽薄・軽率な行為であり、大人気ない誹謗、或いは報酬や政治目的の中傷と受け取られても仕方がないのではないか。
他方、姫井議員もこんなことで人気取りをしないで、湧き上がる情熱を公務に傾注して欲しいものだ。
どうも最近、些細なことをあげつらって過剰な反応を示すことがあるようで、寛容さやバランス感覚を失って来ているようにも見える。横綱朝青龍バッシング問題もその一つであろう。また、新テロ特措法が参議院で否決された後、衆議院で自公による3分の2の多数で採択された際、民主党の小沢代表が直前に席を立ったことを問題視する向きもあるが、国連などの国際場裡においても、棄権や退席は「賛成ではない」との意思表示の方法として確立していることであり、敢えて殊更に問題とすることでもないのではなかろうか。それを問題とするならば、憲法上認められている制度とは言え、参議院で否決されたことを、与野党で合意点を十分に模索することなく、衆議院で再可決することは、参議院軽視、或いは参議院に託された民意を軽視することにもなり兼ねず、その意味するところの方が大きいのではないか。衆参両院とも等しく民意を反映している。
与野党で意見か割れ、衆参両院で意見が割れ、調整が付かない国民生活にとって重大な事項については、本来、民意が問われても良い。(M.K.)
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姫井由美子議員(岡山県出身)が、議員に当選する以前に、高校教諭と6年間余の「秘め事」があったことが当選後にこの教諭から暴露され、話題となったが、そのいきさつを綴った「姫の告白」を出版した。
当時既に家庭もあり、そのようなことがあったとすれば、決して好ましい行為とは言えないところであり、民主党県連側は「姫のご乱心~ん」とばかりに、出版を取り止めるよう示唆するなどの動きがあったが、出版に際するサイン会には予想を上回る300人内外が集まり、多くの報道陣に囲まれ、上々の人気のようであった。多分男性のファンは興~味本意であろうが、女性の姿もあった。
従来、不倫はいわば男の専売特許であり、批判に晒されることが多いが、当然のことながら、不倫や不義は、普通男女があって成立するものであるので、女性側にもその様な願望や欲望があって不思議ではない。封建時代には、不義密通は重罪とされ、男性には寛容であった時代もあったが、女性にも一時の過ちがあっても不思議はない。
その種の過去のプライバシーは、問題にされても「別にっ」と言ってにこにこしていれば済むことであり、女性自ら告白本を出すこともないかも知れない。しかし、この問題を何時までも引きずっていても仕方がないことであるし、また、女性もそのような願望や一時の過ちを起こすこともあり、それを素直に表現し(当然脚色もあるだろうが)、反省をしつつ再起を図ることについて読者や有権者の判断に委ねることも勇気ある選択肢の一つと言える。
不倫は許されてよいものではなく、事実であれば、家族や有権者に謝罪し、今後身を正すべきであろう。しかし、公職に就く前にそのような過ちを起こすことは誰にでもあり得ることであり、女性は別だ、許されないとして退場を迫るようなことは、再起の機会を奪ってしまうことになる。サイン会に女性の姿があったのも、女性としての悩みや勇気に共鳴するところがあるからなのであろう。大切なことは、謝るべきことは謝り、家族や周辺の人になるべく迷惑を掛けないようにすることであり、後は反省し、胸にしまって置くことなのであろう。
不倫は男女同権などとは言わないが、男女双方に責任がある。相手側の男性は、真実を語っていないとして告訴するなどとしていると伝えられている。多分当時の手掛けていた店の経営の関する問題などがあるのかも知れないが、バツイチとは言え、高校教諭の立場にありながら「不倫」をした上、それをあたかも相手の責任であるかのように暴露していることは、教育者であった立場を顧みない軽薄・軽率な行為であり、大人気ない誹謗、或いは報酬や政治目的の中傷と受け取られても仕方がないのではないか。
他方、姫井議員もこんなことで人気取りをしないで、湧き上がる情熱を公務に傾注して欲しいものだ。
どうも最近、些細なことをあげつらって過剰な反応を示すことがあるようで、寛容さやバランス感覚を失って来ているようにも見える。横綱朝青龍バッシング問題もその一つであろう。また、新テロ特措法が参議院で否決された後、衆議院で自公による3分の2の多数で採択された際、民主党の小沢代表が直前に席を立ったことを問題視する向きもあるが、国連などの国際場裡においても、棄権や退席は「賛成ではない」との意思表示の方法として確立していることであり、敢えて殊更に問題とすることでもないのではなかろうか。それを問題とするならば、憲法上認められている制度とは言え、参議院で否決されたことを、与野党で合意点を十分に模索することなく、衆議院で再可決することは、参議院軽視、或いは参議院に託された民意を軽視することにもなり兼ねず、その意味するところの方が大きいのではないか。衆参両院とも等しく民意を反映している。
与野党で意見か割れ、衆参両院で意見が割れ、調整が付かない国民生活にとって重大な事項については、本来、民意が問われても良い。(M.K.)
Copy Right Reserved
姫井由美子議員(岡山県出身)が、議員に当選する以前に、高校教諭と6年間余の「秘め事」があったことが当選後にこの教諭から暴露され、話題となったが、そのいきさつを綴った「姫の告白」を出版した。
当時既に家庭もあり、そのようなことがあったとすれば、決して好ましい行為とは言えないところであり、民主党県連側は「姫のご乱心~ん」とばかりに、出版を取り止めるよう示唆するなどの動きがあったが、出版に際するサイン会には予想を上回る300人内外が集まり、多くの報道陣に囲まれ、上々の人気のようであった。多分男性のファンは興~味本意であろうが、女性の姿もあった。
従来、不倫はいわば男の専売特許であり、批判に晒されることが多いが、当然のことながら、不倫や不義は、普通男女があって成立するものであるので、女性側にもその様な願望や欲望があって不思議ではない。封建時代には、不義密通は重罪とされ、男性には寛容であった時代もあったが、女性にも一時の過ちがあっても不思議はない。
その種の過去のプライバシーは、問題にされても「別にっ」と言ってにこにこしていれば済むことであり、女性自ら告白本を出すこともないかも知れない。しかし、この問題を何時までも引きずっていても仕方がないことであるし、また、女性もそのような願望や一時の過ちを起こすこともあり、それを素直に表現し(当然脚色もあるだろうが)、反省をしつつ再起を図ることについて読者や有権者の判断に委ねることも勇気ある選択肢の一つと言える。
不倫は許されてよいものではなく、事実であれば、家族や有権者に謝罪し、今後身を正すべきであろう。しかし、公職に就く前にそのような過ちを起こすことは誰にでもあり得ることであり、女性は別だ、許されないとして退場を迫るようなことは、再起の機会を奪ってしまうことになる。サイン会に女性の姿があったのも、女性としての悩みや勇気に共鳴するところがあるからなのであろう。大切なことは、謝るべきことは謝り、家族や周辺の人になるべく迷惑を掛けないようにすることであり、後は反省し、胸にしまって置くことなのであろう。
不倫は男女同権などとは言わないが、男女双方に責任がある。相手側の男性は、真実を語っていないとして告訴するなどとしていると伝えられている。多分当時の手掛けていた店の経営の関する問題などがあるのかも知れないが、バツイチとは言え、高校教諭の立場にありながら「不倫」をした上、それをあたかも相手の責任であるかのように暴露していることは、教育者であった立場を顧みない軽薄・軽率な行為であり、大人気ない誹謗、或いは報酬や政治目的の中傷と受け取られても仕方がないのではないか。
他方、姫井議員もこんなことで人気取りをしないで、湧き上がる情熱を公務に傾注して欲しいものだ。
どうも最近、些細なことをあげつらって過剰な反応を示すことがあるようで、寛容さやバランス感覚を失って来ているようにも見える。横綱朝青龍バッシング問題もその一つであろう。また、新テロ特措法が参議院で否決された後、衆議院で自公による3分の2の多数で採択された際、民主党の小沢代表が直前に席を立ったことを問題視する向きもあるが、国連などの国際場裡においても、棄権や退席は「賛成ではない」との意思表示の方法として確立していることであり、敢えて殊更に問題とすることでもないのではなかろうか。それを問題とするならば、憲法上認められている制度とは言え、参議院で否決されたことを、与野党で合意点を十分に模索することなく、衆議院で再可決することは、参議院軽視、或いは参議院に託された民意を軽視することにもなり兼ねず、その意味するところの方が大きいのではないか。衆参両院とも等しく民意を反映している。
与野党で意見か割れ、衆参両院で意見が割れ、調整が付かない国民生活にとって重大な事項については、本来、民意が問われても良い。(M.K.)
Copy Right Reserved