3月28日。
100キロビッグハイクの3日目になりました。
伊万里市の立花小学校から有田町(有田市ではないのです)の有田町文化体育館までの21.5kmを歩きます。
3日目の朝食は6時からです。
おむすび2つと卵焼き、竹輪の煮物、みそ汁。 最終日なので、頑張るぞコールも気合が入る。
7時過ぎスタート。 立花小学校の校門の所に、卒業記念?か伊万里焼の壺があった。
焼き物の町らしい。
今日は国道ではなく、車もいない田舎道。 江戸時代の史跡「大川内鍋島窯跡」の入口。
陶技の秘法を漏らさないよう、
大川内山の入口に関所を設け人の出入りを厳しく規制した。
橋の欄干に鍋島焼の壺や、手すりにも陶板が。 焼き物の町の家並。火の見櫓もある。
伊万里有田焼伝統産業会館で休憩。まで3.5km。
桜が満開だ。 大川内はどの道からも簡単に入れない所にあるので、
こちら側は峠越えで登りが続いた。
伊万里市から武雄市に入り、県道26号線を歩く。 旧山内町(武雄市山内町)のマンホール:町の花のサザンカ。
黒髪山登山口に向かう。そこの駐車場で12.1km。 とうとうゴールする町の有田町に入る。
泉山磁石場跡。15.7km。
日本磁器発祥の地。
17世紀初め、商戦人陶工・李参平が磁器の原料を
ここで発見して日本初の磁器が誕生した。 大公孫樹(おおいちょう)樹齢約千年。高さ40m、
幹回り11.6mの佐賀県一番。
トンバイ塀の有る道。陶器の道の雰囲気がいい。 李参平が故郷を思いながら月見をした?と言われる丘。
*トンバイとは登り窯を築いたり、壊したりするときにでてくる内壁用の耐火煉瓦。
李参平のお墓。有田に3つあるお墓の一つとの事。 陶器店が並ぶ通りじゃなく、有田の裏道を歩く。これも良かった
JR有田駅。 有田町のマンホール:大公孫樹の葉っぱのデザイン。
有田町文化体育館前のゴール。21.5km。 体育館内で解散式。そこで完歩賞を班代表が貰った。
完歩表彰状とお昼の弁当。ビールと水2本も。
体育館の外で満開の桜の下で班員と一緒にお互いの健闘を称えながら最後の弁当を食べる。
今回の100キロビッグハイクは皆と楽しく歩けました。
体育館で寝袋で寝ながら、100キロを歩いたわけですが、余り疲れも感じないで完歩出来ました。
それは、良く考えられたコース組みや、歩行時の安全対策などはさすが38回の伝統が引き継がれており、
また、バックアップ部隊がいてウォーカーの負担にならないように、気遣いが行きとどいていた事です。
西日本100キロビッグハイクの大会役員の方々とサポート隊の皆さんのお蔭で楽しく歩けました。
有り難うございました。
おまけ。
お弁当を25日の夕方から、26日3食、27日3食、28日2食と9食も続けて食べました。
生まれて初めてでしょう。
28日の夕食は、福岡市で博多もつ鍋「やま中」でした。
野菜いっぱいが嬉しかった。
100キロビッグハイクの3日目になりました。
伊万里市の立花小学校から有田町(有田市ではないのです)の有田町文化体育館までの21.5kmを歩きます。
3日目の朝食は6時からです。
おむすび2つと卵焼き、竹輪の煮物、みそ汁。 最終日なので、頑張るぞコールも気合が入る。
7時過ぎスタート。 立花小学校の校門の所に、卒業記念?か伊万里焼の壺があった。
焼き物の町らしい。
今日は国道ではなく、車もいない田舎道。 江戸時代の史跡「大川内鍋島窯跡」の入口。
陶技の秘法を漏らさないよう、
大川内山の入口に関所を設け人の出入りを厳しく規制した。
橋の欄干に鍋島焼の壺や、手すりにも陶板が。 焼き物の町の家並。火の見櫓もある。
伊万里有田焼伝統産業会館で休憩。まで3.5km。
桜が満開だ。 大川内はどの道からも簡単に入れない所にあるので、
こちら側は峠越えで登りが続いた。
伊万里市から武雄市に入り、県道26号線を歩く。 旧山内町(武雄市山内町)のマンホール:町の花のサザンカ。
黒髪山登山口に向かう。そこの駐車場で12.1km。 とうとうゴールする町の有田町に入る。
泉山磁石場跡。15.7km。
日本磁器発祥の地。
17世紀初め、商戦人陶工・李参平が磁器の原料を
ここで発見して日本初の磁器が誕生した。 大公孫樹(おおいちょう)樹齢約千年。高さ40m、
幹回り11.6mの佐賀県一番。
トンバイ塀の有る道。陶器の道の雰囲気がいい。 李参平が故郷を思いながら月見をした?と言われる丘。
*トンバイとは登り窯を築いたり、壊したりするときにでてくる内壁用の耐火煉瓦。
李参平のお墓。有田に3つあるお墓の一つとの事。 陶器店が並ぶ通りじゃなく、有田の裏道を歩く。これも良かった
JR有田駅。 有田町のマンホール:大公孫樹の葉っぱのデザイン。
有田町文化体育館前のゴール。21.5km。 体育館内で解散式。そこで完歩賞を班代表が貰った。
完歩表彰状とお昼の弁当。ビールと水2本も。
体育館の外で満開の桜の下で班員と一緒にお互いの健闘を称えながら最後の弁当を食べる。
今回の100キロビッグハイクは皆と楽しく歩けました。
体育館で寝袋で寝ながら、100キロを歩いたわけですが、余り疲れも感じないで完歩出来ました。
それは、良く考えられたコース組みや、歩行時の安全対策などはさすが38回の伝統が引き継がれており、
また、バックアップ部隊がいてウォーカーの負担にならないように、気遣いが行きとどいていた事です。
西日本100キロビッグハイクの大会役員の方々とサポート隊の皆さんのお蔭で楽しく歩けました。
有り難うございました。
おまけ。
お弁当を25日の夕方から、26日3食、27日3食、28日2食と9食も続けて食べました。
生まれて初めてでしょう。
28日の夕食は、福岡市で博多もつ鍋「やま中」でした。
野菜いっぱいが嬉しかった。