広島市の南地区の古くからの高級住宅地を歩いて来ました。
原爆の爆風の被害も軽くは無かったと思われるが、昔の建物もまだ残っていました。
翠町には仕事でよく来ていたのですが、当時は気が付きませんでしたが洋館付き住宅も意外と沢山残されていました。
広大付属の校庭の南にまず洋館付き住宅が有りました。

洋館付き住宅№44.広島市南区翠1丁目4番。
茶色の平板瓦の切妻屋根と出窓の屋根の翠色の瓦の洋館部だが、破風などはモルタル塗りに改装されている。

母屋の方も入母屋の屋根ではないので、原爆の爆風で改装をしなければならないほどの被害が出たのか、
2階建てを増築したが洋館風だけは残したのだろう。

洋館付き住宅には、迎え松とシュロの木が必ずと言って良いほど植えてあるのでこの建物も本物の洋館付き住宅だと思う。


古くからの屋敷街の中には、蔦に覆われた廃屋があった。

玄関ホール部は吹き抜けだったのか2階の屋根が落ちて壁だけが立っていた。

翠町地区の洋館付き住宅は順次紹介していきます。
原爆の爆風の被害も軽くは無かったと思われるが、昔の建物もまだ残っていました。
翠町には仕事でよく来ていたのですが、当時は気が付きませんでしたが洋館付き住宅も意外と沢山残されていました。
広大付属の校庭の南にまず洋館付き住宅が有りました。

洋館付き住宅№44.広島市南区翠1丁目4番。
茶色の平板瓦の切妻屋根と出窓の屋根の翠色の瓦の洋館部だが、破風などはモルタル塗りに改装されている。

母屋の方も入母屋の屋根ではないので、原爆の爆風で改装をしなければならないほどの被害が出たのか、
2階建てを増築したが洋館風だけは残したのだろう。

洋館付き住宅には、迎え松とシュロの木が必ずと言って良いほど植えてあるのでこの建物も本物の洋館付き住宅だと思う。


古くからの屋敷街の中には、蔦に覆われた廃屋があった。

玄関ホール部は吹き抜けだったのか2階の屋根が落ちて壁だけが立っていた。

翠町地区の洋館付き住宅は順次紹介していきます。