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桜 好きな本『📖父が子に語る昭和史』続き

2021-02-10 11:27:13 | 日記
続き、

👧前置きが長かったな、
……で、
『📖父が子に語る昭和史』
(保坂正康 著 PHP文庫)で、
いちばん伝えたかった文章は
いったいどこなの?


👩うん、その文章を読んだとき、
ビビッときたんだ!
(人間は自分に関係ある好都合な部分しか
見ないし、聞こえないのかもしれませんが。)


(引用始め)
近年、『♪明日があるさ』とか、
『♪亜麻色の乙女』といった
当時の歌謡曲がリバイバルヒットするのも
同じような図式でしょう。


昭和30年代には、
ロカビリーやツイストの流行も
ありました。


❇️結局、現代につながる大衆社会と
その基礎があの時代にある。
❇️行き詰まりの時代には
❇️あそこに戻ってやり直さなければならないのでしょう。
❇️バイオテクノロジーで、
❇️農作物の品種改良を重ねていくと、
❇️やがて新しい病原体に対処する必要が生じてきます。
❇️その際には、一旦、
❇️原種に帰って、
❇️そのDNAから抗体を抽出、
❇️精製するしかありません。

❇️現代日本の『❇️原種』はおそらく、
❇️昭和30年代から
❇️40年代初頭にかけての社会の中にあったのです。
(引用終わり)


↑↑↑↑
👩この、たった7行ほどの文章に
わたしもつねづね感じていたことが
つづられている。

自分もそうではないかと思ってはいたが、
文筆家ではないので、
言葉にうまくあらわせなかった大切なことが
文章の光となって自分の目の前にあらわれたので
びっくりして、
そしてうれしかったのです。

「現代日本の『原種』はおそらく
昭和30年から40年初頭にかけての社会のなかにあったのです」
ということは、
その社会のなかで生きて過ごした人間についても同じことがいえて、
自分はまったくぴったりとその時代のなかで育ったのです。
その時代が自分の『原風景』だとも言えます。


👧歳がバレちゃうけど、
すごいことだよね。
お母さん、東京の下町で暮らしていたものね。
『🎥三丁目の夕陽』。
お母さんの子ども時代が現代日本の『原種』で、
日本が行き詰まったらそこに戻ってやり直さねばならないんだね。


バイオテクノロジーで農作物を品種改良すると、
新しい病原体に対処する必要が生じる。
病原体を駆逐する方法は、いったん原種に帰って、
そしてDNAから抗体を抽出、精製する。


人間においてもそれはいえるから、
❇️昭和30年代から40年代の初頭を
日本で過ごした人々は、
現代日本の『❇️原種』ということになる。


👧すごいって、えらいとか、立派だとか
言っているのではないよ。
「人間存在の根元から時代を撃(う)ち、
より良い社会を作ろうという意識を持ち、
たとえ革命を起こしても、
ぜったいに人を殺(あや)めてはいけないという
正気だけは失わなかった善(よ)き世代。」

👩それ、『📖父が子に語る昭和史』の受け売りじゃない?

👧引用です。

(引用始め)
文学の世界はどうなのかな?
昭和30年代の作家が挑戦したような、
人間存在の根元から時代を撃つ(つかむ・とらえる)
といった試みは、
いまも続けられているのだろうか。

ないですね。
(ごめんなさい、この
番外編 日本中が「プロジェクトX」していた頃
の文章は、

❇️保坂正康さんと、
❇️松本健一さんの対話形式です。
失敗と思ったらすぐ直す!)

(松本)ないですね。
戦争や占領、
貧困とか病苦、
身分的差別といった、
劇的なストーリィを
成立させるためのマイナス要因が
次第に少なくなっていく世の中で、
他者を意識する切実な物語が
作りにくくなっていることは
間違いありません。

(中略)

(保坂)読者を納得させるような構図が、
同時代(現代?)にはない。
だから、たとえば、車谷長吉さんのように、
時代を過去に持っていかざるをえないわけですね。
つらい時代だなぁ。

(中略)

(保坂)我々が歩んできたような、
同時代の重要なテーマに
真正面からぶつかりあうような小説は、
今の社会では成り立たない、と。


東大生も変わった

(保坂)松本さんが在籍した、
昭和40年代初頭の東大には、
まだ苦学生が多かったのではないですか。

(松本)私がその苦学生の典型かもしれませんが、
ちょうど様子が変わり始めた時期でしょう。
(👩東大のだよ)

(松本)貧乏な家に育ち、
勉強して、一発大逆転しようと夢見ている連中も
大勢いましたが、

その一方、
金持ちの子どもしか東大に入れないといわれる現在の状況の
萌芽(ほうが)始まりも、
そろそろあらわれていました。

(保坂)小学校時代からの私の同級生で
東大に入ったのは、
ほとんどが苦学生(親からの仕送りでなく、または仕送りはほんの少し、自分で働いたお金で大学生活を送った学生)です。

彼らは手持ちのマイナスカードを
プラスに変えようという意気込みで、
勉強ばっかりしている連中だった。

彼らのその意気込みのエネルギーは
ものすごかった。

私(保坂さん)は登校拒否のようなところが
あったから

なおさら彼らのそのエネルギーに感服したな。
東大が本格的に変質するのはおそらく
昭和40年代のなかばでしょう。

(松本)やはり昭和47年の
「連合赤軍事件」のあとですよ。
あそこで革命幻想が
完全に破綻する。こわれる。

革命イデオロギーによって世の中を
ひっくり返せるという夢が破れたと同時に、

教育によってマイナスを
プラスに転じるという
人生的筋書きも
意味を持たなくなった。

(保坂)いまでは、
プラスのカードを持った連中が、
プラスのカードを持ったままに
東大などの一流校に入っていく。
●彼らの目が、
かつて歌声喫茶に集まったような、
下積みの人々に
向けられることはまずありません。
(👩なぜなら自分たちは下積みの道を通って来なかったから。
または、下積みの友だちを持っていなくて
下積みの生活を知らないから、ですね?)

(松本)一流大学を卒業したあと、
アメリカでさらに経済を学び、
帰国して企業や大学で
有力なポストを得る、仕事で高い地位につく、
というのが現代の
エリートコースになりつつある。
(引用終わり)
(本書は、2004年4月19日 第1版画第1刷)


👧下積み生活をしながら勉強した人、
苦しい生活をした経験を持つ人は、
苦しむ人々の立場で考えることができて
きっと助言、アドバイスもできて、
共に歩む人として
ほんとうに頼りになると思いました。
合言葉は『共感』。