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桜 好きな曲『♪サウンド・オブ・サイレンス』(サイモン&ガーファンクル)の歌詞から現代人と中を憂う。

2021-02-17 14:14:08 | 日記

好きな曲
15曲目

❇️『♪サウンド・オブ・サイレンス』
サイモンとガーファンクル

歴史学者の佐藤弘弥さんの和訳と
たいへんに考えさせられる重要な考察です。



(引用始め)

ずっと昔、ポール・サイモンが作った
「ザ・サウンド・オブ・サイレンス」という歌に触れ、
その意味をしみじみ味わった時、
背筋が凍るような思いをしたことがある。

その歌はこんな感じで始まる。

The sound of of silence(Simon & Garfunkel)

1.
こんにちわ 暗闇くん。

君は僕の古くからの友人だ。

また君と話しに来てしまった。

そのわけは
ひとつの幻想が
やさしく忍び寄ってきて

僕が眠っているすきに
ひと粒の種を残していったからだ。

そしたら
その種が僕の脳のなかで
大きく成長し始めたのだ。

だけど幻想はまだ
沈黙の中で
じっと動かないでいる。

1番の歌詞は、作者(人間)が
眠っているすきに、

幻想(vision)が人間の中に
忍び寄ってきて、
種をまいていった、
というのである。

つまりこの歌は夢の中の出来事
ということになる。


作者の頭に、
幻想が蒔(ま)いた種とは何か?

作者は自分の頭に
「幻想」という「異物」を蒔かれたことで
違和感を持った。

今までと感覚が違うのである。

どうもおかしいと思い、
どんな種子か、
それを確かめるために

暗闇の中で、
幻想の種が何であるかを
さぐろうとする。


とにかく人間の脳というのは無防備だ。
ひとつの言葉、
ひとつの音楽、
ひとつの祭、
ひとつの恋が、

心の中で大きくふくらんで、

その人間そのものを支配してしまうほど、
巨大化してしまうことがある。

種というものを考える時、
そこ(種)にはDNAによって、

成長すればどのようになるかという
神の作った設計図のようなものが
書かれている。

つまり種とは、
「目的を持ったなにか(なんらか)」、
ということになる。


さて「the sound of of silence」とは何か?

これは「沈黙の音」あるいは
「沈黙という音」というように
書いて構わないとおもうのだが、

実に不条理な表現だ。

それに、定冠詞の「THE」を
付けているのだから、
作者のポール・サイモンにとっては、

自己の中では明確に意識された「沈黙の音」
ということになる。

次に、
闇の中で、
ポール・サイモンと思われる男が
沈黙の音に触れ、

いよいよ沈黙の音の正体が
少しだけ明かされる。


2.
落ち着かない夢の中で、
僕は独りで歩いていた。

敷石の敷かれた狭い通りにさしかかり、
(僕が)街灯の光に近付いた時、

思わず寒気がして
僕はコートの襟(えり)を立てたのだ。

その時だ!
僕の目はネオンのフラッシュに射抜かれた!

夜は引き裂かれてしまった。

そして、
僕は沈黙の音に触れたのだ!


一見、なんのことだか、わからない(歌詞)。
少しイメージを広げて考えて見よう。

「ネオンの光」は人工的なものを象徴していると
仮定する。

そして「夜」というものを自然の摂理とみる。

とすると、
ネオンは「夜の暗闇」を引き裂く光、となるわけで、
(ネオンは)文明を象徴していると考えられる。



それにしても、作者ポール・サイモンは、なぜ、
ネオンがまぶしいと思った瞬間に、
沈黙の音に触れたと
実感したのだろうか・・・?


3.
僕は見てしまった。
裸電球の下で、

いち万か、いやもっと多くの人が、

口を動かすこともなく 語っている姿や、

耳をそばだてることもなく 聞いている姿や、

歌われることもない歌を 書いている姿を。


だけど、
誰も沈黙の音というものを
さえぎろうとする者はいない。


作者は、恐怖の夢の中をさまよい続けている。

次の幻想(ヴジョン)は、裸電球の下で、

さまざまな矛盾と、

無意味と、

不条理の人生を

送る現代人の姿だ。

(作者は)
その現実を見て唖然としている。

裸電球に象徴されているものは、
作者ポール・サイモン自身の
幼い頃の文明の光の
原始的なイメージだ。

いつしか人類の文明は、
(かつて)暗黒の夜の中で
ほんの少しばかり明るくしていた裸電球を、
大きく発展させている。

そして今や夜そのものを
引き裂くほどのまばゆさに変わっている。

つまり裸電球は「原初の姿」。
ネオンは文明が高度に発展してしまった
究極の姿を
示していることになるであろう。


文明によって蒔かされた種は、

いつしか夜という絶対の価値すらも
危うくするほどに
成長してしまったのだ。


その中で無批判に人々は、
無価値、
無意味、
不条理な人生を送っている。

その状態をポールは
「沈黙の音」(ザ・サウンド・オブ・サイレンス)と
規定しているのだ。

すなわち沈黙の音とは、
文明の中の「あるもの」(物質)
を指すのではなく、

文明の変化過程における「ある状態」(時間)を
指していることになるだろう。


その状態とは、
コミュニケーションというものを喪失した社会に
おける人間のありさまと言えるだろう。


ここにおいて作者が
「ザ・サウンド・オブ・サイレンス」(沈黙の音)
というタイトルに込めた意図が明らかになる。


つまりこのタイトル「沈黙の音」は、
雑音つまり「ノイズ」ということに
単純化することも可能となる。

(現代文明が、日常的に吐き出している騒音つまり「ノイズ」)

その現代文明が、日々吐き出すノイズに対し、
作者は怒りすら覚えはじめている。


4.
「馬鹿!」って言うよ。
君たちは何もわかっちゃいないのだ。
沈黙のやつが
癌(ガン)のように大きく蝕(むしば)んでいるのを。

「僕が諭(さと)す言葉をよく聞くのだ!」
「僕が差しのべる腕をしっかり取るのだ!」

しかし僕の言葉は沈黙のまま
したたり落ちる雨粒のようなもの。

沈黙の井戸に、
落ちて、
ポチャリと、
こだまするだけだ。


「and echoed……」
というフレーズを
「沈黙の井戸に落ちて
ポチャリとこだまするだけ」
と意訳した時、

私の中では芭蕉の名句、
「古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音」
が響いていた。

自分の発する言葉が、
次から次へと自分の口から湧いてきて

蛙(=カエル)のようにして
静かな古井戸に飛び込んで行く。

しかしそれは豊饒の井戸ではなく、

沈黙と名付けられて
絶望の井戸なのである。

何という孤独。
自分の生み出した言葉の力のなさと
無意味を感じる時、

作者ポール・サイモンは、
世の中の不条理という秘密を
知ってしまったのだろうか。

その時の作者の孤独と悲しみは
計り知れない。

そしてここには
ある種のニヒリズム(虚無感)が
漂っている。
キリスト教的な解釈で
「洗礼」という意味も
込められている。

しかしその豊饒であるあるべき源泉がブラックホールのように

自分の生み出す言葉というものをすべて呑み込んで、
沈黙に換えてしまうのである。

何を言っても誰もその言葉が届かないままで、

ポールは夢の中でぼう然と立ちつくして
いるのだ。

更に作者の悪夢は続く。


5.
ひとはぬかづき、祈りを捧げていた。
自分たちが勝手につくり出したネオンという神に。


するとネオンの掲示板に、
不意に警告の言葉があらわれた。

光が織りなすその言葉で

ネオンの掲示板は次のように語る。

「預言者の言葉は地下鉄の壁にも
そして安アパートの廊下にも
書かれてある。」
と。

(👩地下鉄の壁←高級車ではなく
地下鉄を利用する人々が書いている
ということ。

安アパートの廊下←高級マンションではなく
安いアパートの住人が書いている。

👧ポールは、「公共トイレの壁にも」って、書きたかったけど、
これは削ったんだね。

昔は言いたいことを
伝える場所がなかったから
怒りや苦しみからの罵りを壁に書いたんだね。

👩「ファック!」とか「死ね」とか、
そんな言葉であらわすしかなかったんだ。

現代はSNSやYouTubeが登場したから
自分の意見を発信できるようになった。
これは素晴らしく重要なことだ。

👧本や映画などのレビューやコメントに
先見性がある人たちも潜んでいるね。

👩彼らはストレートに真実を述べるので
企業とかでは非常に嫌われる
ゲノムな人々だ。
読んでくださってありがとう。

都合が悪いからと
そういうYouTube動画やコメントを
簡単に抹消してはならない。
こういう意見の中にこそ
地球を持続させる
重要な方法を見つける糸口や
足掛かりが書かれているのだから。

こういう動画やコメント(ある意味革命)を
抹消する行為は
革命で人間を殺すことに等しい。





和訳の続き

それでも
沈黙の音の中で
人々のささやきは続く……




現代の神話がここにはある。

ネオンの神という概念は、
文明に対する
無批判な依存関係を指す。

産業革命以降、西洋の文明が
この地球にもたらしたものは、

人間という種によるコロニー化(植民地化)であり、
自然破壊という明白な現実でしかなかった。

そのために森林は伐採後焼かれ、
地球の砂漠化には加速度が付いている。

このままの傾向で進めば、
人口爆発によって
百年か二百年後には
地球の生態系は完全にバランスを失って、

人類に滅亡の危機が訪れると
警告する未来学者もいる。

それでも現代人は
空虚なネオンの神にぬかづいて(ひれ伏して)、
祈りを捧げているとすれば、
これは現代の戯画化(カリカチュア)そのものだ。

それは一面 滑稽ではあるが、
決して笑うことでは済まされない、
怖い場面がここにはある。

今、空虚なネオンの神は
新たに進化し、
テレビ文化というものを造り出した。

無知な人間の前を光が流れることによって、
情報の洪水が、
あたかも人間を
知識あるものに見せかけている。


しかしそれは とんでもない幻想だ。
人は何もわかってはいない。

現実はもっと暗く、
真実はもっと奥に隠されている。

そのことを人は知るべきだ。

自分の心の中すら触れたことのない人間が、
どうして世の現実を理解できるだろう。

私たちは結局 自分すら、
自分の周囲で起こっている現実すら
分かっていないのである。

その証拠に、
この「サウンド・オブ・サイレンス」という
曲は知っていても、

その中身を深く知っていた人は
世界中でも
ほんの一握りの人に限られていたはずだ。


(👧おかあさんもわたしが小さい時からいつも
「サウンド・オブ・サイレンス」の歌詞の意味についてわたしに話してくれた。)





この現実が、
「People hearing without listening」
(耳をそばだてることなく聞いている姿を)、
という、
我々の日常に潜む「沈黙の音」の、
恐ろしい現実なのだ。

ポール・サイモンがこの歌を書いたのは
1963年

(S&Gの「コンドルは飛んで行く」、

「セシリア」、

「バイ・バイ・ラブ」、

「ニューヨークの少年」などもメッチャ好きです!)

であった。

それから既に40年の月日が流れている。

(👧1963年+40だから、2003年に
この和訳考察は発信されたのですね。
S & Gも非常に先見性がありますね!)

しかしこの中で歌われている歌詞の現実は
ますますリアルな光を放ちながら
我々の耳に響いてくる。

この歌の真の意味を
人類が理解するのは
百年後か二百年後かもしれない。

大体私(佐藤弘弥)も含めて、
この「サウンド・オブ・サイレンス」の歌詞を
真剣に考えた人が何人いるだろう。


たいていは意味不明、まあ、
良いメロディだから、何となくきいている、
といった人間が ほとんどではないのか。

それでいい、という考え方もある。

しかし、人は 時には立ち止まり、
頭が割れそうなほど、
そこに込められた意味を考えることが必要だ

 

それが結局このどうしようもない「沈黙の音」
という現代文明の放つ「ノイズ」を打ち破る唯一の方法であろう。

更にこのテレビ文明の後に続いて起こっていることは、インターネットによる情報ノイズの洪水だ。

テレビ文明とインターネット文明の違いは、
情報の一方通行状況から双方向に情報が行き交うということになる。

 

しかもどうも情報は一元的に管理される情報に流れていることは確かである。

 


(👩それは自分もうすうす感じている。
日本はそれをやってはいけないことだと知っているから公にはしないよね。

わたしたちは365日、自分のケータイやパソコンを覗いているけれど、

その画面が向こう側にとってはテレビだとしたら?

👧人権無視の監視国家 中●。)

その根拠には
「情報を支配するものは世界を支配できる」
という暗黙の思考があり、

これがまた、「沈黙の音」(サウンド・オブ・サイレンス)が
ノイズとして流され続ける原因となっている。

その意味で この歌は、
どこかにいるかも知れぬ知恵の神が、
ポール・サイモンという現代の霊媒(れいばい)の口を借りて放つ、
警告の歌と言えるだろう。

(引用、終わり)


(👩サイモンとガーファンクルの
『♪サウンド・オブ・サイレンス』の歌詞の「沈黙の音」。
その音だけがこだまして、
まったく反応がない世界、
または自分の国を嘆く気持ちは
魯迅が、自著『📖とっかん』

のなかで示した、
「寂漠(せきばく)」という薄ら寒いそらぞらしさと悲しみと
「とっかん」して吹き出る怒りとよく似ている。


ここで3つほど問題が浮上する。

①人の話に真剣に耳を傾けないで
ケータイの遊びに気をとられ
自分のことだけに気をとられているとどうなるか?
ジェノサイド、ホロコーストのような大事件が
起きても無関心、無感動になってしまう。
いちばんどうしようもないのは
そんなものはできるだけ見たくない、
知りたくないと思うこと。


②魯迅が日本医学留学時代に運命的に見たものとは。魯迅は学校で日本人の医学生仲間とスライドを観ていた。時は日露戦争の頃。画面に捕虜となり、リンチを受け、今まさに殺害されてゆく、自分と同じ中○人の悲惨な様子が映し出された。驚いたことには、聴衆の中に中○人がいて、彼らは自分と同じ中○人が惨殺されてゆく様子をまるで映画でも観ているかのように、見世物のひとつとして楽しんでいた。(もっとやれ!と囃し立てていたかも知れない。)

彼らの、平気で見物していられる精神が嫌で、その後もその映像がから離れず、

魯迅は医学にがっかりして、文学に転向した。

医学という人を救う学問を身に付けながら
倫理・道徳観を身に付けていない人々。


魯迅、国を憂う文章を書くから

政府に追われていたのか?
わかりにくい文章。
10歳でもわかるように書いてほしかった!

👩伝えたいけどストレートに書いたら自分の命が危険な状況だったんだよ、きっと。


③悪政で国民が苦しむのはかわいそう。
しかし、
国民自体の思考も「阿Q正伝」とその周囲のようにすてばち(刹那的)だったら?

👩倫理観が欠如しているから
倫理観が欠如している事を
何の躊躇もせず実行することができる。
だって、「自分はこんなことやっていいのか」
と、内省しないから。

👧無関心なモダンな人々と、
倫理観が欠如している人々。

👩でも確かに両者の間で
今も苦しんでいる人々が存在する。

👧私たちはいったい
どうすれば良いのか?

 

👩ロシアが製作したアニメーションで

『🎥雪の女王』というすばらしい作品がある。

宮崎駿先生が、東映に入社したときこの『🎥雪の女王』を観て「自分もアニメーションをやりたい!やろう!」と思わせられた作品。

山賊の娘の性格が中○の国民のようだと感じる。自分中心。

ゲルダは国際社会の人々。

雪の女王は国家主席。救いようがない。

でも、山賊の娘だってゲルダのまっすぐでひたむきな文化に出逢えば変わることができると信じたい。

👧ロシアの芸術家もすばらしいよね、こんなアニメーションが作れるなんて!

👩どこも悪いのは国民じゃないんだよ、きっと。ほんの少数の人々。たった1人の丘の上の愚か者の場合もある。

👧フール・オン・ザ・ヒル。




👩戦争下で倫理観を直視した作品、
戦争の中で人間の底に眠る狂暴さを
直視した作品をひもとくしかないのか。
例えば、
❇️『📖ひかりごけ』❇️武田泰淳
❇️『📖野火』❇️大岡昇平
❇️『📖暗い絵/顔の中の赤い月』❇️野間宏
と、書いたからと、すぐ書店に走って行って
下の引き出しに入れて隠してしまい、
読みたい人が読めなくしてはダメですよ。

ありがとう。これであなた方検閲も仲間になったね。
途中の人たちが自分たちのしている行為をよく見詰めて
改めなければ何も始まらないのです。


👧おかあさん、そのひとたちはAIだよ!
機械ロボットと話しても通じないよ。

👩いや、そうでもない。
ダメだ!と教えれば、
誤解していく自分の都合のよいほうに理解していく人間より
ロボットのほうが賢いかもしれない。
だからいま、私の文面を理解して扉を開けてくれた。たまに向こう側に人間が居るのではないか❔と感じる時がある。


👧目の前に読むべき本があっても
私たちは面倒くさがり屋だし
忍耐力がないから読んで理解する時間がない。
そのうちに世界が核戦争か何かで部分的に終わっていく。


👩世界中でいままさに命の危険にさらされている人たちは
戦時下にいるのと同じ状況なのだ。
おかあさんがもう一回、武田さん、大岡さん、野間さんたちに
会って来るしかないか?

「宇宙船小説号」に乗って過去にタイムスリップしてきた。
難しくてすぐには理解できなかった。

昔は、自分の伝えたいことを小説という形にして書き、
読者に伝えようとしたが、
それがいま古典のようになってしまい、
単刀直入な解説文が付かないと
現代人は理解できない。
小説をいったんやめて、
ノンフィクションをそのまま伝える時代に
なったんだと思う。
……、だからダメですよ!こうしましょう!
とまで言わないときっと気づかない。


👧大切な自分たちの国の中で
自分たちの大切な国民と
戦争することほど
おろかなことはない。


👩そこまでわかっているのに
社会は私たちに意見を述べさせる
場所を設けない。


答えらしきものが出た。
👧なあに?

👩その行いをやめさせるには、
嘲笑すればいい。

👧えっ👀⁉️
そんなんでいいの?

👩そう、恥だ、見栄えが悪い、
外聞が、悪い、
そういう、相手が気にする部分を
世界中が笑うと
やめるかもしれない。

👧そんなに簡単に解決しないよ。

👩外国のニュース番組で、
司会者が中を
こバカにした喋り方で
その国のウイグル弾圧事件を伝えているYouTubeがあった。


👩中はほんとうに人間性のある人々を
大革命で一掃してしまったからもう

誰一人存在しないのか?


👩👧想像だけどおそろしくなる。
洗脳する前に、
洗脳に使う要員たちの
洗脳が終わっているかもしれない。

疑問は、弾圧要員たちは嫌だけれどやっているのか?
それともお金も貰えるし
人を弄べるからやっているのか?

👧ウイグル人の証言からすると
国全体でやっているらしい。

そんな人たちが大量に日本に
やって来たら13日の金曜日のようだ。



👩『他国民民事介入法』という
世界共通の法律を今日明日にでも可決する。

👧なにそれ?

👩夫婦喧嘩にも介入できる法律をつくる。

👧喧嘩じゃないし虐待だし。
なにしろ甘く見てはいけない。

👩私たちの知っている中の人々は、
日本で明るく元気に買い物している
人たちだけだ。

👩あと、大人は洗脳されないかもしれないけれど

👧洗脳された子どもや若者たちをどうするのか?

👩心に深く刻まれてしまったと思うよ。

ウイグルに幼稚園はあるが迎えに来る親は

いない。

 

👧親は収容所だから。

👩記憶は脳だけに残るんじゃないんだよ。

心臓や目や手指にも残るとしたら?

👧麻酔もなしに臓器を抜き

移植した移植先の人間に

怒りと悲しみの記憶が移るだろう。

👨おお、恐ろしい中●共産党。

👩まず命の危険から救出。
それからしっかりした
アフターケアを考えていこう。

👧ウイグル人は家族が欠けてしまっているから
戻っても自分の家を漢人が乗っ取って、

ちゃっかり住んでいたりする。


👩おぞましい嫌な記憶の場所だが
しばらく強制収容所をNGOが使うしかない。



👧そう、新疆ウイグル自治区のウイグル人強制収容所にNGOが入っていく。
収監されている100万人以上のウイグル人を救出するために。


さて、医学生の低い精神を映像で見て
驚愕した魯迅は
医学の将来に未来はないと見切りを付け
学び続けるのをやめた。
なぜ魯迅はそのときの気持ちを
恩師の藤野先生に相談しなかったのか?

👧中の同胞が同胞を嘲笑し
見物している場面を伝えるのが
恥ずかしかったのかも?

👩魯迅は安全な日本に残り、
文学続けることはできなかったのか?

👧魯迅 氏と劉暁波 氏が存命なら

何と中●共産党に怒り、これを見過ごす中●国民に対して嘆き悲しむことか‼️



👩医学こそ倫理観を持たない人間が
してはいけないと思う。
医学こそ倫理観を持って
取り組む学問だと思う。


👧なぜ突然そんなことを言い出すの?


👩先ほどの話。
魯迅は日本の医学校に留学していた。
留学生は魯迅1人だけ。
ある日、日本の医学生と一緒にスライドを観ていたら
日露戦争時だったから、ロシアのスパイの罪で
魯迅の国の人が見せしめのために
いまにも殺されそうになっていた。
それを見物しているのも魯迅の国の人たちだった。

同僚が殺されるというのに
彼らはそれを平気で見物していた。
魯迅は医学を学んで自分の国の人々の精神を
良いほうに変えたいと思っていたが、
このスライドを観た魯迅は
「医学では人の精神を変えられない」
と感じて医学をやめ、文学を志した。

そんなことは書いてはいないけれど、
殺されていく仲間を笑うスライドの中の同僚も同僚だが、
スライドを観ている日本人の医学生ももしかして笑ったのかも
しれない。笑わないまでも
「こんなことをしてはいかん!」という者が
きっと日本の医学生の中に
1人もいなかったのかもしれない。
魯迅自身その場で間違いを言うことが
できなかった。

👧見せしめリンチは娯楽じゃないぞ‼️
人間の命はもっと貴重で尊いんだぞ‼️

平然とリンチを見物する同僚たちのことが嫌で嫌でその場で叫べなかった自分が嫌で
魯迅は医学校をやめて
文学のほうを志すことにした。

👧黙って涙を流して
同情の目で見るならまだわかるけれど
全然平気で見物人と化すとは!

👩魯迅が言うには、
昔の彼の国では、
被害者(殺されるほう)になるか、
加害者(笑うほう)になるか、
選択は2つのどちらかしかなかったらしい。
たくさんの人があっちと言えばあっちに行き(付き)、
大勢の人が今度はこっちだと言ったらこっちに付く。

👧一党独裁政権下で生きると

人間はそうなってしまうらしい。


👩ダメだと言っても
なぜダメなのかわからなくなってしまった国。

歴史上に「ファラリスの雄牛」という処刑方法があり
民衆は処刑を見て楽しんだそうだ。
明日は我が身かもしれないのに。
それほとま命の重さが軽かったのだろうか。


👧秤(はかり)にかけられる命の重さと経済(お金)。

これはウイグル人弾圧ジェノサイド認定になかなか同意しない日本政府と日本企業と日本のメディアの考えにも当てはまる。

 

金は、あとでどうにでもなるだろう。

命は一度失くしたら二度と取り返せない!

人間の命が一人一人代えがたく
尊いことがわからないのかも
しれない。


きっと中○ってところは、外観は最高にすばらしい図書館はあっても

読まねばならぬ本がないんだ。棚のなかは空しい。


👩自分のことも別段そんなに大切に思っていないから他人のことも大切にできないのかも。



人は国は環境も生まれも違うから
相手は自分と違うのは当然。
なのに、
自分と同じ目線で考えるから
相手に「どうして?あんたは変だ!
自分が正しい!」と思ってしまい、
気に入らないからいじめたり
意見が合わずに喧嘩したりする。
相手には相手のやり方がある。


しかしだからと言って、
しかし基本的人権をおかし、
命を奪うことが許されるはずもない。


👧「中は昔は良かった」なんて懐かしむが

もうあの美しい中ではない。


👩ウイグル弾圧マンガを見た読んだ。

清水ともみ(漫画家) 著 

📖『誰もその國の名を言わない』

📖『命がけの証言』(WAC)

 

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 「あの人たちのニヤリとしたあの目付きを。
普通は上だけだが下もだ」と言っていた。

「甘く見ると
優しい言葉で
あっという間に侵食される」と。


でも中の上層部だって
あまりに国民を虐げたら
国民に引き裂かれる。



👧「あの人たち」とは、

中●共産党に命令され洗脳されて蛮行を繰り返す中●の漢人たちのことだ。

あまりに広く
あまりに多いから
いまのように統治するしかないのか。

👩それは言い訳だ。
中はすでにAIなのかもしれない。
家族間だろうが信じないし許さない。
すぐに上に報告。
上が許す悪事はして、
自分がしてないことで捕まっても
「あ~あ、ちっ、」と、思い、
死んでいくのが『📖阿Q正伝』。

それは、自分でも無実の人を罪に陥れるし、
社会はこんなものだと思っているから。



豪米英が強制労働に立ち入った。
いま大騒ぎが起こっているかもしれない。
より以上の事実を隠蔽するために
短時間で命が粗末にされているかもしれない。
決まる前と決まったあとの
数日が勝負だ。


国民はあっちだと言ったらあっちへ行き、
こっちだと言ったらこっちに付く。
確立された自分というものがない。

善いことをしたら誉めてあげることが
必要かもしれない。

礼節をもっていちから教えていくしかない。

👧そんな時間は残されているの?


👩常識も考え方もまったく違うから
私たちがどんなに
私たちの正論を言っても、
なぜ、私たちが自分たちを責めるのか、
わからないのだと思う。

 

中と国民が、

今回のウイグル弾圧は

自分の国が変われるか否かの

重大岐路と知らねば‼️




共産は住みにくいからと
他国に移住した国民も真剣に考えて!
欧米と日本では説得出来ない。

自分たちの言葉で
大切な自分たちの「故郷」に通じるように
もうやめろ‼️と伝えてほしい。


魯迅の付けた足跡を
ぜひ自分たちで踏みしめて
広げて固めてほしいと願います。
(『故郷』の願いの結語)