占い師横山順一ブログ。視覚障害者の占い師横山順一のブログです。昭和41年4月生まれ。

元道頓堀占い横町の占い師。
現在、神戸駅付近でうらうラコウベと言う占い点を経営。
数理学で有名な金澤葉香先生門下。

自分の弱さを克服することを考える。

2019年10月01日 | 人生いろいろその1
 私の少年時代は、ものすごく活発な子供でありました。
 小学校から家に帰ると、鞄を玄関に放り出して、
直ぐに自伝者で摩耶山まで行ったり、川の上流で遊んだり、
逆に、川の横を歩いて海まで探検したり、
神社でおもちゃの鉄砲でみんなで遊ぶとか、
クラスの生意気な女の子松井と互いに自転車で遭遇すると、
わざとぶつけてこかしてから取っ組み合いの喧嘩をしたり、
当時好きだった木村かよ子だったかの家まで行って、
ひたすら出てくるまで待って、現れたら急に隠れるとか、
まあ、それなりに楽しい小学生生活をしていました。
 まあ、当時は私はめがねをかけていたので、(メガネザル)とか、
男友達に消しゴムを投げられて、探すのに苦労したりもしていましたが、
今の私からは完全に想像できない様な、
めっちゃ友達が多く、悪い子供でした。
 ですが、10歳で右目の視力が0になり、
左目の視力も11歳で0となってからは、白杖で町を歩くのもやや苦労したり、
新しい場所に行く機会もやや減り、
少しずつ性格も慎重になった用です。
 例えば、盲学校で19歳ぐらいの時に、
マッサージの先生に、(横ちゃんは慎重やなあ。
白杖で歩いている時、いつも胸を張ってピンとした姿勢で歩いとるな。)
その用に言われたり、高等部普通かの時などは、
悩んで三日ぐらいずる休みをして、クラスメイトから電話で励まされ、
それで、心がしんどいながらも、学校に出てくると言うこともありました。
 それと、私はマッサージや、鍼灸の仕事をするのが嫌で、
16歳から高等部普通かに入ったのですが、記憶力などが悪く、
到底大学に進学する学力までは到達しませんでした。
 つまり、解りやすく解説すると、やはり、私の場合は、
目が全く見えなくなってから、率直に言うと、弱くなったんだと思います。
 その後、鍼灸マッサージ科を21歳で卒業してから、
東京に鍼治療の勉強に2年半の予定で行った物の、
結局、1年で挫折して、関西に帰ってきました。
 そんな弱い私に力と希望を与えてくれたのは、
28歳になって購入したNECのpc9801bx2と言う名前だったかのパソコン、
後、27歳に初めて知り合った占いのアイ先生との出会いでした。
 そこから、少しずつ、少しずつ、自分の夢を現実化して来たのですが、
例え、時間がかかっても、あきらめずに希望を掴んでいくのが、
人生には大切な要素の用にも思えます。
 世の中の強い人々には、このように体の弱い、
あるいは、立場の弱い人の気持ちはなかなか分かりません。
 (あいつは、根性がたりんのや。)とか、
(あいつは怠け者や。)とか、(役に立たんやつや。)
などなど、嫌みを言われたりする場合も、時に有るかも知れません。
 ですが、神様は必ず天からわれわれを見ています。
 また、やりたいように生きている、強引に事柄を進めていく様な、
パワハラ、セクハラ上司、周りの関係者などは、
それがずっと続くとは限りません。
 例えば、権力を振るう、浮気しまくる、
やりたい用に行きまくる方でも、以外に太く短い人生だったり、
調子に乗って進んでいても、先行きひっくり返る、
大しっぺ返しをくらう場合も、往々にしてあります。
 ですので、いじめられる、嫌みを言われる、
力で圧迫される、めっちゃ偉そうに言われて悔しい場合でも、
自分の人生に、何かしらの希望の火を見つけることが、
とても大切な用に、私は思います。
 今日は、その様なことを思った一日でありました。
PS=本日は、リピーターのお客様の、
大学受験に関するご相談がありました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする