先日、この様なご相談がありました。
(トップの言う事と、現場の上司の言うことが違うので、
どちらに従ったら良いか判らなくて板挟みになってるんです。)
それで、私の解答は、トップには、(はい、はい。)と応えつつ、
現場責任者に対しては、(実際にはそうですよね。)と言う感じで、
どちらにも、(はい、判りました。)と応えて、日頃は、
現場責任者に従い気味にする用に応えました。
ですが、トップが見ている真ん前では、トップの言う様にした方が良いですが。
と言うのは、いわゆるトップの責任者、例えば社長とか、
校長先生とか、師匠など地位の高い人の場合、
その立場上妥協した事が、どうしても言いにくいのです。
例えば、たまに警察官で悪いことをして捕まる、
その様な方がいますが、その時、県警のトップなどが、
(この度は地域住民の方に多大な迷惑をおかけして申し訳有りませんでした。
今後は、この様なことが二度と起きる事がないように、指導を徹底させます。
この度は、本当に申し訳有りませんでした。)などと謝罪したりしますが、
県警の警察官と言っても数万人から数十万人ぐらいの数がいると思われます。
その中で、サイコパスなど、生まれついて良心の呵責を持たない者も、
統計上1000人に一人はいると言われているので、当然警察官の中にも、
いくら採用試験を厳しくしても、何人、何十人かは入ってくるでしょう。
また、それら以外に、性格的に問題の有る警察官が事件を起こしてしまうことも、
十分に考えられますし、それらを完全に防ぐのは、極めて無理と思われます。
ですが、トップは、例えそれが困難で難しいことと判っていても、
立場上、建前でどうしてもその様に話さなければならないのだと、思われます。
今のは警察官の事件の例ですが、占い師の世界に例えると、
占いの世界の大先生が、弟子に向かって、
(ものすごい大占い師でも、何十物事柄を占ったら、
たまにはそりゃ外します。神様じゃ無いんですから。)
と、話しました。で、その話を、
弟子の占い師が、ものすごく占い好きのお客様に話しました。
で、後日、そのお客様が大先生の所に占いに行き、
(先生でも極たまには外すことも有るんですか。)と聞いたら、
大先生、(いいえ、私は当たります。外れることはありません。)
と、言われたと、弟子の占い師にお客様が報告して来たりもします。
この場合、師匠と弟子との関係においては、本音で話すことができますが、
大占い師とお客様と言う立場では、本音で話せない、
どうしても、建前で話さなければならないのだと、思われます。
その理由は、伝言ゲームと言うのがありますが、一端、
間接的に、(極たまには外れる。)と認めてしまうと、
その言葉が何人もの人を通じて伝わる間に、(極たまには外れる)=
(たまには外れる)=(結構外すことも有る)と言う感じで、
だんだんと拡大、悪い噂に変化して行く可能性が有るからだと、思われます。
当然、大占い師なら、その下には沢山の弟子などもいるでしょうし、
場合によっては、その弟子たちにも、悪い影響が及ぶかも知れません。
故に、トップだからこそ、お客様には、建前で話す結果となったのでしょう。
ですので、会社で、あるいは、それぞれの職場で、
トップと、現場上司の言う事が違う場合は、うまくたち振る舞うべきでしょう。
昔あった例だと、トップが、xさんに、
(職場で何か問題があったら、全部私に伝えてくださいね。)
と話したそうです。
それで、後日、現場でいろいろ問題があったので、
それをストレートに、そのトップに伝えたところ、急に激怒、
それから、嫌みや嫌がらせ的ことが始まったそうです。
つまり、(職場で何か問題があったら、全部私に伝えてくださいね。)
と言うのは、建前で言っていて、本当は、
(職場で何か問題があったら、少しぐらいは聞くので、話しても良いですよ。)
と言うのが本音だったんだと、私は思います。
でも、伝えた本人は、その言葉を真に受けて全部報告したので、
富士山の大噴火となってしまったのだと、思われます。
ですので、トップの話す言葉は建前で、
全部真に受けない用に、上手にフィルターをかけて、
翻訳する用にされたらと、私は思います。
今日は、その様なことを思った一日でありました。
(トップの言う事と、現場の上司の言うことが違うので、
どちらに従ったら良いか判らなくて板挟みになってるんです。)
それで、私の解答は、トップには、(はい、はい。)と応えつつ、
現場責任者に対しては、(実際にはそうですよね。)と言う感じで、
どちらにも、(はい、判りました。)と応えて、日頃は、
現場責任者に従い気味にする用に応えました。
ですが、トップが見ている真ん前では、トップの言う様にした方が良いですが。
と言うのは、いわゆるトップの責任者、例えば社長とか、
校長先生とか、師匠など地位の高い人の場合、
その立場上妥協した事が、どうしても言いにくいのです。
例えば、たまに警察官で悪いことをして捕まる、
その様な方がいますが、その時、県警のトップなどが、
(この度は地域住民の方に多大な迷惑をおかけして申し訳有りませんでした。
今後は、この様なことが二度と起きる事がないように、指導を徹底させます。
この度は、本当に申し訳有りませんでした。)などと謝罪したりしますが、
県警の警察官と言っても数万人から数十万人ぐらいの数がいると思われます。
その中で、サイコパスなど、生まれついて良心の呵責を持たない者も、
統計上1000人に一人はいると言われているので、当然警察官の中にも、
いくら採用試験を厳しくしても、何人、何十人かは入ってくるでしょう。
また、それら以外に、性格的に問題の有る警察官が事件を起こしてしまうことも、
十分に考えられますし、それらを完全に防ぐのは、極めて無理と思われます。
ですが、トップは、例えそれが困難で難しいことと判っていても、
立場上、建前でどうしてもその様に話さなければならないのだと、思われます。
今のは警察官の事件の例ですが、占い師の世界に例えると、
占いの世界の大先生が、弟子に向かって、
(ものすごい大占い師でも、何十物事柄を占ったら、
たまにはそりゃ外します。神様じゃ無いんですから。)
と、話しました。で、その話を、
弟子の占い師が、ものすごく占い好きのお客様に話しました。
で、後日、そのお客様が大先生の所に占いに行き、
(先生でも極たまには外すことも有るんですか。)と聞いたら、
大先生、(いいえ、私は当たります。外れることはありません。)
と、言われたと、弟子の占い師にお客様が報告して来たりもします。
この場合、師匠と弟子との関係においては、本音で話すことができますが、
大占い師とお客様と言う立場では、本音で話せない、
どうしても、建前で話さなければならないのだと、思われます。
その理由は、伝言ゲームと言うのがありますが、一端、
間接的に、(極たまには外れる。)と認めてしまうと、
その言葉が何人もの人を通じて伝わる間に、(極たまには外れる)=
(たまには外れる)=(結構外すことも有る)と言う感じで、
だんだんと拡大、悪い噂に変化して行く可能性が有るからだと、思われます。
当然、大占い師なら、その下には沢山の弟子などもいるでしょうし、
場合によっては、その弟子たちにも、悪い影響が及ぶかも知れません。
故に、トップだからこそ、お客様には、建前で話す結果となったのでしょう。
ですので、会社で、あるいは、それぞれの職場で、
トップと、現場上司の言う事が違う場合は、うまくたち振る舞うべきでしょう。
昔あった例だと、トップが、xさんに、
(職場で何か問題があったら、全部私に伝えてくださいね。)
と話したそうです。
それで、後日、現場でいろいろ問題があったので、
それをストレートに、そのトップに伝えたところ、急に激怒、
それから、嫌みや嫌がらせ的ことが始まったそうです。
つまり、(職場で何か問題があったら、全部私に伝えてくださいね。)
と言うのは、建前で言っていて、本当は、
(職場で何か問題があったら、少しぐらいは聞くので、話しても良いですよ。)
と言うのが本音だったんだと、私は思います。
でも、伝えた本人は、その言葉を真に受けて全部報告したので、
富士山の大噴火となってしまったのだと、思われます。
ですので、トップの話す言葉は建前で、
全部真に受けない用に、上手にフィルターをかけて、
翻訳する用にされたらと、私は思います。
今日は、その様なことを思った一日でありました。