
朝刊を広げて驚いた人も多いだろう。大女優の有馬稲子(78)が、日経新聞朝刊に連載中の「私の履歴書」で、20代のときの映画監督との不倫、そして堕胎を赤裸々に告白している。50年以上前の話とはいえ、道ならぬ情事を当事者が明かすのは珍しい。
「楽しい記事になるよう、今ねじり鉢巻きで奮闘中です」(3月18日)。有馬は、連載前からホームページで報告するほど意気込んでいた。
不倫にふれたのは「燃え上がる17歳差の恋」と見出しが付いた12回目からの4回。紙面では匿名だが、有馬が東宝に入社した1953年に戯曲「華々しき一族」を原作にした映画「愛人」を監督したことや、15回目に《監督は2年前に亡くなり、告別式で岸惠子さんが捧げた弔辞は素晴らしいものだったと人から聞いた》とあり、2008年に亡くなった市川崑監督をさしているのは明らかだ。
映画評論家のおかむら良さんは「監督と女優の恋愛は珍しくないが、市川監督にこういう話があったのは驚き」と話す。
監督には48年に結婚した妻の脚本家、和田夏十(なっと)さん(故人)がいたが、有馬と監督は時を置かずただならぬ仲になっていた。《「妻とうまくいっていなくて別居している。きちんとしたら君と結婚したい、春までには…」、春の約束は、夏になり、秋を迎え、また春になり7年の月日がたつことになってしまった》
禁を破って自分から連絡を取ると、監督から子供が生まれたと聞かされて絶望。そのころ、中村錦之助、のちの萬屋錦之介からプロポーズされる。
有馬が結婚を決めると、監督は有馬に《「どうしても結婚するというなら仕方がない。その代わり、3月に1度でいいから、今までと同じように会うと約束してくれ」》と肉体関係に固執したり、《「どうしても別れたいなら、今まで君に注いできた愛情の責任を取れ。自分にも考えがある、明日の新聞を見ろ!」》と脅したりしたというドロドロぶりだ。
作風同様、ほがらかで人当たりの良かった監督だが、こと男女の仲では別だったのだろうか。
有馬は14回目の最後に、監督が手がけ、赤ちゃんに振り回される大人を描いた映画「私は二歳」と思われる作品に触れ、《かつて間違いなく私の体の中にいて、ついに愛情に祝福されることがなかった子供のことを思い出して涙が止まらなくなった》と、堕胎経験まで書き連ねている。
おかむらさんは、「市川監督の映画は、夫人の脚本ありきだった。鋭い夫人なら夫の不倫に気づいた上で、『監督は絶対に私と別れられない』と見切っていたと思う。若かった有馬さんはそれを見抜けなかった。品のいい話ばかりになる回顧録でドロドロの話を書くあたりは、さすが大女優。好感を持てる」と語る。