自由に五七五

季語を意識して画像を1枚載せて楽しんで行くつもりです。
川柳もどきになるのはスタートが万流だったから。

岩亭坊うらの細径桑苺

2021年06月29日 | 写真俳句
 以前はどこにでもあった桑いちご、この頃桑畑そのものが無くなりました。

整地され工場や駐車場、邪魔と倒されて目印無くなった畑など。

一カ所だけ古い集会場裏に残っておりました。

道に落ちて一帯が甘い匂い。粒が大きいので近年の物でしょう。

小粒の昔からある古い樹も何処かには残っているのでしょう。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (鮎太)
2021-06-29 08:04:02
昔はよく食べたなあ。白いシャツ紫に染めておこられた。
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Unknown (kitaura)
2021-06-29 08:37:22
生家は養蚕をやっている家は本家だけ
だったような?桑苺を食べたく自転車
で遠くまで行った記憶あります。
嫁いで来て桑採りの最中桑苺や木苺食
べていました・・・それが楽しみでした。
只見町・・・平成?年金山町で俳句大会
があり日帰りも出来たのに宿泊しました
宿の方がここまで来たのだから田子倉ダム
を見て行きなさいと・・・それ以来1度も
行ったことはありませんが。
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Unknown (安のり)
2021-06-29 12:54:41
鮎太さん
 自然からのお八つでしたね。
バラ苺も間もなく出来ます。
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Unknown (秩父武甲)
2021-06-29 13:00:34
こんにちは

桑苺懐かしいですね。
子供の頃は「どどめ」と呼んで食べていました。
物がない時代、母がやっと作った白い半ズボンのポケットに入れて遊んでいて、紫に染めて母が涙を流して怒った事を思い出しました。、
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Unknown (安のり)
2021-06-29 13:00:37
kitauraさん
 養蚕は懐かしいです。
腹を空かしてたどり着くとちょうど良いところに来た
二階へ片付けろと上蔟手伝いました。
桑いちごは子供の頃少し食べました。
 奥会津はアマチュア無線でもホトンド通じません。
全市町村との交信が出来ると全福島賞がありました。
なので仲間内でその地を訪ね、お互い交信して居るグループもありました。私は本来の交信とは違うと
思い参加しませんでした。
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Unknown (たんと)
2021-06-29 15:36:30
珍しい貴重品になってきました♪
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Unknown (安のり)
2021-06-29 19:46:52
秩父武甲さん
 たしかにそういうこともありました。
口廻り、手が汚れ黙っていてもバレてました。
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Unknown (安のり)
2021-06-29 19:47:33
たんとさん
 今では本当にそうですね。
今の子は解らないと思います。
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