11月2日(日)
久々に石田三成祭に行って来た。
2010年の三成生誕450年祭以来の石田町。
→ 石田三成生誕450年祭(2010.11.6)
メインステージの会場は地面がぬかるんでいる・・
それでも何とかお天気崩れず持っている!
「三成公ふるさとウォーク」受付の行列。
供養塔では10時半からの三成公414回忌法要の準備が進んでいた。
石田会館へ。
三成公の像にご挨拶。
三献の茶で有名な秀吉との出会いの場、観音寺へ行こう。
その前に、たこ焼きで腹ごしらえ。
どれもこれも¥200が多くて儲ける気ないな。
無料シャトルバスで観音寺に到着。
前回行きそびれた「三成公水汲みの井戸」から。
「太閤ニ茶ヲ献スル時 石田三成水汲ノ池」
実際はどうか?出来過ぎな話ではあるが、三成公の人となりに合致しているからこそ広まった逸話なのだろう。
観音寺池の畔の紫陽花は赤く色づいていた。
三成がまだ佐吉だった頃、この辺りを走り回っていたんだろうな。
この時期は寺宝展を開催しているので拝観料を納めて中へ。
しばしの間、三成公の往時に心馳せてみた。
4km弱なので帰りは歩いたけれど、歩道が狭い・・
トンネルなんてもう、身の危険すら感じる。
戻ったら大垣西高校和太鼓部「炎舞隊」のステージ。
「三成公ゆかりのトークショー」
観音寺のご住職もご登壇。
三成公のご子孫の方々も参加。
話題は大河ドラマ「軍師官兵衛」で描かれた三成公・・
三成公の所業自体はその通りなのかも。
だとしても、人物像が余りにも恣意的な描かれ方では?
ストーリー上やむを得ないとしても、酷い。
おもてなし武将隊JAPANの三成公だ。
ファンを引き連れて屋台を巡っていたが凄い人気。
その三成公が登壇して「ふるさとウォーク」出陣の号令。
仁王の和心ライブ。
最近聴き慣れてきた?ハイトーンボイス結構好きかもw
甲冑隊の面々も一緒に盛り上げてくれた。
石田会館は三成公との記念撮影タイムだった。
半端ないね、こちらでの三成公の人気って。
伊吹高校書道部「墨人(すみんちゅ)」の機動展示。
ふるさとウォーキング、2回目の出発号令。
戦国キッズダンス「神桜舞」のライブ。
しまった、しゃぼん刀持って来るの忘れた!
そしてゴメン、「姉妹」ってことは弟じゃなかったのね・・
雨が心配で一部を中止、進行が45分ほど早め。
さくらゆきライブは14時45分開始となり、直前リハがあったけれどこれは有り難い!ピントと構図を合わせる準備が出来た。
《セットリスト》
1 関ヶ原(関ヶ原の戦いを描いた楽曲)
※東軍側の部分はMC
2 蓮(嶋左近公をイメージした楽曲)
3 七夜の星(藤堂高虎公を描いた楽曲)
4 返照(宇喜多秀家公を描いた楽曲)
5 夢陽炎(石田三成公と大谷吉継公をイメージした楽曲)
6 夢のあとさき(石田三成公を描いた楽曲)
初披露の「夢のあとさき」、ゆきさんが凄かった!
名曲「夢陽炎」でも三成公への想いを綴っていたし。
途中で感極まって詰まり気味になるも、終盤はもう「絶唱」って感じに声を絞り出して歌い上げた!
いつもはクールビューティーなさくらさんも入魂。
ニュートラルな歌い方のCDとは違い圧巻だった。
とにかくもう、「紅の雨」以降の感情表現が凄かった。
何とか天気が持ちそう。
「三成さん ふるさとクイズ」が復活したw
問題は「石田町には石田姓が多い?」などなど。
実は石田姓って石田町に一軒しか無いそうだ。
多いのは「一居」さんで、石田の文字を崩して再構成したらしい。
クイズを通じて石田姓を名乗れなかった時代があったことを知った。ネットや書籍で得る「知識」よりも地元の方の「言葉」は心に響いた。
今回も感じたけれど、このお祭りは手作り感満載。
お酒でいい気分になって?野次まがいの掛け声がライブ中にあったりもした。関ケ原や上田市などの洗練された大規模イベントと比べて劣る?
一瞬そう感じたけれど、地域のお祭りに我々がお邪魔をしているのだ。石田町の方々は飾らずに普段の暮らしの延長線上のイベントとして迎えてくれた。それに気付いたら「いいお祭りだ」と再確認できた。
閉会式で再び「夢のあとさき」を歌唱。
色々事情があったことは窺える・・
そして最後の「もちまき」で会場がヒートアップ。
途中パラパラと雨は降ったけれど、何とかお天気持った。
それだけでも奇跡的な一日だったよ。