ノンフィクション作家の佐野眞一氏と取材班の表題の連載に抗議して、橋下市長は朝日系列のメディアの質問には答えないと言いだし、大問題になりました。
結局、橋下氏だけでなく、多方面からの批判を受けた週刊朝日の編集長が謝罪したうえで、この連載は異例の一回で打ち切りと言うことになりました。
週刊朝日編集長は2012年10月19日、
第1回の連載記事中で地区などに関する不適切な記述が複数あり、このまま連載の継続はできないとの最終判断に至 りました。橋下徹・大阪市長をはじめとした関係者の皆様に、改めて深くおわび申し上げます。不適切な記述を掲載した全責任は当編集部にあり、再発防止に努 めます。本連載の中止で、読者の皆様にもご迷惑をおかけすることをおわびします。
と全面的に謝罪し、週刊朝日の親会社である朝日新聞社も広報部が
当社は、差別や偏見などの人権侵害をなくす報道姿勢を貫いています。当社から2008年に分社化した朝日新聞出版が編集・発 行する「週刊朝日」が今回、連載記事の地区などに関する不適切な記述で橋下徹・大阪市長をはじめ、多くの方々にご迷惑をおかけしたことを深刻に受け止めています。
とコメントを発表し、佐野眞一氏は、朝日新聞出版を通じ
「記事は『週刊朝日』との共同作品であり、すべての対応は『週刊朝日』側に任せています」、「記事中で地区を特定したことなど、配慮を欠く部分があったことについては遺憾の意を表します」
というコメントを発表したそうです。
全く、せっかく支持率が低下してきた橋下維新の会と朝日新聞が裏で手を握って、維新の会に塩を送ったのかと思うような展開です。
ところで、私は、実はいま、Amazonで件の記事が載っている週刊朝日を頼んでいたところなのですが、まだ届きません。ところが、ネットでこの連載記事第一回を読めてしまいました。
で、ある意味、非常に困ったなあと思っているのですが、私にはこの記事が橋下市長の人権を侵害しているとは思えないんですね。
私がこの記事を読みたいと思ったのは、橋下市長がツイッターへの連続投稿でこう述べていたからです。
「朝日新聞はご存知の通り、君が代起立斉唱条例には反対、僕の組合に対する対応も問題視。まあこれは朝日新聞だけではないけど。僕を批判するのは権力チェックとして当然だけど、要するに普段、人権、人権と言っている人たちは、今回の記事が重大な人権違反だと言い切らなかった。」
「あれだけ君が代起立斉唱条例や組合問題について「人権違反だ!」と言っていた、朝日新聞や弁護士会、住田弁護士や大谷氏が、今回の週刊朝日の記事については「人権違反だ!」と言い切らなかったのは不思議でならない。権力に一言文句を言っておくというのが、自分の存在意義と感じているのかね。」
橋下氏がそういうものですから、君が代起立斉唱条例や、彼の職員組合に対する対応を『人権違反だ!!(と言う言葉は初めて聞いたけど)』と批判している私でも、今回は、「差別や人権侵害は許さない」ときっぱりけじめをつけて言い切りますよ、というところを見せようと、あえて普段は買わない雑誌を注文したのです。
私自身、何度も、橋下氏自身の責任ではない出自を問題にすべきではないと書いてきましたし。
ところが、今回の記事を読んでみると、これは橋下氏の人権を侵害していないばかりか、もちろん差別の意図が感じられるような記事ではなかったんですね。
問題なのは、佐野氏や編集長も認めている通り、橋下家が一時住んでいたある地域に被差別があると書いた部分だけでしょう。それは橋下氏自身の人権を侵害する部分ではなくて、他の方に迷惑をかける部分です。それ以外にも編集長は複数問題があるといっていますが、私にはほかには見当たりませんでした。
しかし、今はネット上でもリアルでも、橋下氏自身の人権侵害されたという論調で塗りつぶされているのでしょう?しかも、当事者たちが早々と白旗を掲げて「ごめんなさい」しているのに、記事に人権侵害がないといまさら私がいうのも、リスクだけあって益がない間抜けな話です。
しかも、ここのところ維新の会の支持率が下がって、袂を分かったはずのみんなの党はおろか、政策がまるで噛み合わない新党大地にまで接触するような悪あがきをしていた橋下氏が、ここぞとばかりにこの事件を利用して、自分の力の淵源であるテレビでの露出度を上げています。
ここは、嵐が通り過ぎるのを待つように黙っているのが、賢い大人の作法なのでしょうが、もともと飛ぶ鳥を落とす勢いだった橋下維新の会にずっと批判してきたような損な性分ですから、まあ、仕方がないかなとあきらめて、私の正直な感想を書こうと思います。
さて、橋下氏は人権侵害されたとおっしゃるのですが、彼のどんな人権が侵害された可能性があるのでしょうか。
考えられるのはプライバシー権や名誉権です。
しかし、彼が被差別地域の生れであるとか、お父さんたちがどういう人だったかと言うことは、2011年の大阪ダブル選挙直前から様々なメディアで取り上げられ、もはや周知の事実ですから、プライバシー性=秘匿性はかなり低いでしょう。
また、そのこと自体を書かれても、今更、彼の名誉=社会的評価を下げるというものでもありません。
橋下氏自身、お父さんたちのことは何十万人もいるフォロワーに向けて何度もツイートしていますし、週刊誌や月刊誌で一族のプライバシーが報道された直後に行った、知事辞任後初の街頭演説で1000人を超える聴衆の前で、こう叫んで報道されています。
「父親が正式な暴力団員だったって、週刊誌読んで初めて知ったんです。うわさでは暴力団“関係者”とは聞いてましたが…」「これはしょうがない。死んだ親父のことだから。しかし、今の権力構造を変えるには、坊ちゃんやお嬢ちゃんじゃできませんよ!!実の父が暴力団員?結構毛だらけだ!!実の父がガス自殺、結構毛だらけ!」
橋下徹氏は権力欲を満たすためには自身のお子さんまで利用する。「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」
さて、他方、もともと、橋下氏は大阪府知事・市長であり、今や国政上の政党である日本維新の会代表ですから、公的存在であり、彼に対する表現の自由は最大限保障されるところです。プライバシー権や名誉権という基本的人権も他者の人権との調整原理である「公共の福祉」により制約を受けますので、許される表現行為であれば、人権侵害にはならないのです。
橋下氏自身、
「(前略)僕は、生まれてから今に至るまでを丸裸にされるのは仕方がないと思っている。」
「それが権力チェックだ。どのように育てられ、育ちどのような人格形成になったのか、分析・評論されても当然だろう。友人関係などへの取材で全て明らかにされても仕方がない。まあ真面目にやってきたわけではないから、それも含めて有権者に判断してもらわなければならない。」
とツイートしているのですが、ある人物の評伝を書くのに、その人が生まれた後だけではなく、何世代か前から説き起こすのは、ノンフィクションでは当たり前の手法です。たとえば、安倍晋三という人について書くのに、祖父の岸信介氏のことを書いたら血脈重視でけしからん、ということにはなりません。
「生まれてから今に至るまで」を書くとは、どんな家庭に育ったのかを書くことであり、どんな家庭かとは、どんなルーツを持つ親がどんな地域で育てたかということなのです。彼の親の前科のことだとか、被差別出身であることを書いても、それ自体は差別にはならないのです。
また、佐野眞一氏はソフトバンクの孫正義会長のことを「あんぽん」という作品で描くときに、当然、孫会長が在日出身で在日の方々の家で育ったことを書いたそうですが、だからといって、それが孫氏の人権侵害や在日差別になりますか?
アフリカ系アメリカ人は確かに未だにアメリカで強烈な差別を受けていると思いますが、じゃあ、ハワイ生まれのオバマ大統領のルーツがケニアにもあることからオバマ氏の評伝が説き起こされたからと言って、誰もそれを差別だとは言わないわけです。
逆に、自叙伝でも自分の両親や祖父祖母のことから書き起こす人はいくらでもいます。
可哀想なのは巻き込まれる橋下氏のお子さんたちで、橋下氏もかなり気にしておられるのですが、プライバシーや名誉の問題が改めて問題になるわけではありませんし、公人の家族が公人自身についての報道で影響を受けるのは本人たちも想定済みのことです。
現に、2010年7月の大阪府知事時代に、ガンバ大阪の遠藤選手を知事室に招き入れ、ご自身のお子さん3人にだけ会わせ、遠藤選手と一緒に記念写真に収まったり、サインをもらったりしたことを「サインがほしいほかの子供と比べて不公平では?」と批判されると
「知事になると、子供を自由に連れていけない。これぐらいは府民に理解してもらえる」
「その子供のお父さんに知事になってもらい、(制限を受ける)苦しい親子関係に耐えてもらうしかない」
などとおっしゃっているのですから、親子ともどもの制限は覚悟の上のはずで、良いとこどりはズルいでしょう。
むしろ、橋下市長には、おじいちゃんだの、その祖先だのが被差別出身でも、お子さんたちは胸を張って生きていける当たり前の世の中を作るように努力すると、政治家として宣言してほしいものです。
さらば橋下徹大阪府知事 知事辞職・大阪市長ダブル選挙出馬表明は政治生命終わりの始まり
こう考えてみると、今回の週刊朝日の記事について、多くの人が一線を越えた差別的表現だと考えた理由は、まさに、被差別であることは言わないでいれば隠せることだが、それが暴露されてしまうこと自体が差別を受けることにつながるという、同和問題の強烈な差別性にあるのだと思います。
たとえば、アフリカ系であることはまさに今回問題になったキーワード「DNA」の問題であり、見た目で普通はわかりますから、そのこと自体は隠せない以上、隠すことでもないのです。
ところが、というのは単なる場所的要素であって、DNAの問題ではありません。江戸時代に幕府が民衆を支配するために、特定の職業の人などをそこに押し込め、貶めたという場所的関係に過ぎません。
そこで生まれた人が自動的に被差別出身という烙印を押されても、その人の持って生まれた資質とは何らかかわりのないものです。
また、名前や顔でわかるものではないし、そこで生まれても引っ越ししてしまえば分らないはずのことです。
にもかかわらず、もう何百年も差別し続け、され続けているわけですから、本当に根の深いひどい話だと思うのですが、とにかく差別に関しては隠し続けることで差別から免れることが多かったので、今回の事件で橋下氏のそのことを白日の下にさらす行為が、物凄い禁忌を犯したというように、一般市民には感じられたのではないでしょうか。
それが今回、橋下氏が朝日新聞グループを圧倒した理由だと思います。
今回の記事について、橋下氏は
「血脈主義は身分制度の根幹であり、悪い血脈というものを肯定するなら、優生思想、民族浄化思想にも繋がる極めて危険な思想だと僕は考えるが、朝日新聞はどうなのか。アメリカでの人種差別、ヨーロッパにおけるナチス思想に匹敵するくらいの危険な思想だと僕は考える。」
と書いていますが、今回の記事に、彼の親や祖父が出身だから、橋下氏の人格が悪いとか、能力がないとか、「悪い血脈」風なことを書いている部分は全くありません。橋下氏一流の誇張と言うか、はっきり言ってデマです。橋下氏を含めて、週刊朝日を批判している人も、記事の文章のどの部分が具体的に差別だ、人権侵害だなどと指摘することはできないでいます。
逆に、佐野氏はこの記事の意図をこう書いています。
「万が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない。」
このように、人物評伝としては、むしろ当たり前のことしか言っていないのです(ちなみに、橋下氏の「敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格」は、今回の事件で図らずも明らかになりました)。
また、政治家に対する人物評伝ですから、橋下氏の政策の是非を論じないからと言って非難されるべきではないでしょう。それこそ作家の勝手です。
さらに言えば、橋下市長は君が代条例や調査アンケートなどの人権侵害については司法の判断を仰ぐというのですから、今回の記事が人権侵害で違法だというなら、それこそ損害賠償を求めて裁判で争うべきですが、勝ち目はないのでやらないでしょう。
またも、世間は橋下マジックにひっかかったというべきでしょう。
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もっとも、週刊朝日の表紙には
「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶりだす」
とあり、目次の見出しには
「橋下徹本人も知らない本性をあぶりだすため、血脈をたどった!」
とありますが、DNAとか血脈というのは、出身の遺伝子のせいで悪い性格になったということを意味するのではなくて、家族などのことをたとえて表現したことはむしろ明らかだと思います。
もちろん、本文中にはそのような言葉は使っていません。見出しがこの程度にセンセーショナルなのは雑誌としては普通のことだと思います。品がよくないので私は好きではありませんが、穏当でないということと人権侵害と言うことは違います。
また、「ハシシタ」という表現も被差別を暗示していますが、橋下氏の家はもともと「はしした」さんだったのを読み方を変更したのです。
橋下氏はお父さんのことは記憶にもないそうですが、だからといって人格形成上の影響を受けていないかどうかはまさにご本人にもわからないところで、これからの連載で明らかになったかもしれないのです。
さらに、取材した相手が橋下氏のお父さんの出自が橋下氏の性格に関係あるようなことを言っている場面がありますが、取材した相手の言葉と佐野氏の意見とは明確に区別して記載されています。
たとえていえば、オバマ大統領に関して差別となるのは、「アフリカ系だから」大統領になる資格がない、「肌が黒いから」劣っている云々を言いだしたときです。橋下氏なら「出身の親から生まれたから遺伝で性格が悪くなった」と書いた時なのです。しかし、この記事はそんなことは書いていません。
さて、週刊文春なんかは酷い書きぶりだったようですが、新潮45+に掲載された「橋下徹 最も危険な政治家」は、とてもよい記事でした。この記事を書いた上原善広さんというノンフィクション作家は被差別であることをカミングアウトして、主に同和問題を題材にノンフィクションを書いている作家だそうで、大宅壮一賞も受賞しています。
その上原氏はご自身のブログの中で
「まず佐野氏の連載は、えげつないことは確かですが、いまもっとも話題の政治家・橋下氏の記事としては許される範囲でしょう。心配される路地()への偏見については、しっかりフォローすることも大事ですので、今後の佐野氏の書き方次第だと思います。しかし、こうして一般地区出身の作家が、路地について書くことは、とても重要な意味をもつ画期的なことです。」
「まず差別的にしろ、なんにしろ、ぼくは路地について書かれるのは全て良いことだと思っています。それがもし差別を助長させたとしても、やはり糾弾などで萎縮し、無意識化にもぐった差別意識をあぶりだすことにもなるからです。膿み出しみたいなものですね。それで表面に出たものを、批判していけば良いのです。大事なのは、影で噂されることではなく、表立って議論されることにあります。そうして初めて、同和問題というのは解決に向かいます。」
と書いておられますが、一般地区出身の私としても、これに同感です。
今回の事件は、もう一回いうと、被差別出身であるということがいかに隠さねばならない、日本における「秘め事」であるかを明らかにしました。
他方、同和問題に関する橋下氏の功績は、そういう隠さねばならないとされてきたことが明らかにされても、それを跳ね返して大阪ダブル選挙でも勝てることを証明し、あわよくば首相の地位も狙えるということを示したことでしょう。
また、今回の事件で、普段は人権侵害な書き込みばかりしているネットウヨクの人も含めて、差別は良くないんだと口々に叫んで確認できたのは素晴らしいことでした。
だからこそ、橋下氏がまた同和問題をタブーにさせるような圧力をメディアにかけたこと、それに朝日新聞グループが屈したことは、日本の差別問題にとって本当に不幸なことだと思います。これからしばらくは、同和問題を語ることさえますます難しくなるでしょう。
私が今回の記事を天邪鬼にも書いたのは、やはり、差別の問題を見えなくすることは、差別をなくす方向ではなく助長する方向に働くと考えたからです。書くのに勇気が要りましたが、勇気がいること自体がおかしいのではないでしょうか。
さて、今回の記事としては余談ですが、一時支持率が下がったとはいえ、私の表現で言うと「政治の天才」橋下徹恐るべし、を改めて実感しました。上原氏は別の記事で
「橋下氏は、路地()どころか、大変な困窮家庭から、想像を絶する苦労を強いられながら這い上がってきた男です。度胸もあり、頭もズバ抜けてかしこい。さらに仕事が早い。感性と理性の両方を兼ね備えたスーパースターです」
と表現されていますが、本当にその通りで、実に見事なもんだと感心しました。
去年、週刊朝日よりはるかに発行部数の多い週刊文春や週刊新潮がこぞって、橋下氏の「血脈」問題を取り上げたとき、橋下氏は今回のような過激な反応を示しませんでした。
その一つの理由は、これまで数々の名作を生み出してきた佐野眞一氏の追及がどのように展開するか、橋下氏でさえ恐れたということがあるでしょう。今回は第一回と言うことでお父さんのことばかりでしたが、それこそ橋下氏の知らないほかの親族の話も出てくる可能性も感じたでしょう。
そして根本的には、今回は、週刊「朝日」だったからこそ、親会社の朝日新聞を巻き込んで「質問を受けないぞ」と追いつめることができるからこそ、今回のような反応をしたのです。だって、橋下維新の会は目立って何ぼなんですから。週刊朝日の今回の記事は、支持率低下に苦しむ橋下維新の会にとって慈雨と見えたでしょう。
だって、本当に今回の記事が嫌で、違法だと思っているなら差し止め請求もできたのに、橋下市長はそれをしなかったのですから。
それに乗っかってここぞとばかりに朝日批判をしている人々は、橋下氏の掌の上でもてあそばれていることに気付かないのでしょうか。
また、週刊朝日の記事が気に入らないからと言って、朝日新聞の質問は受けないというのは全く不当で、大阪市長という公権力のあるものによる取材の自由に対する侵害ですから、マスメディア全社挙げて、橋下市長への取材をボイコットして抗議すべきでした。朝日新聞も他社も情けない限りです。
それにしても、橋下氏は、今回の記事について、僕も生身の人間ですというのですが、彼が人権侵害してきた相手もみな生身の人間です。おのれの欲せざることを人に施す、自分の痛みにしか気づかない人には政治家になってほしくないものです。
怨念の政治家 橋下徹大阪市長と安倍晋三元首相が日本を不幸にする
追伸
おまけに、今回の事件を利用して人権擁護法案にまで言及。結局、本音は言論統制でしかない。
ああ、損な性格の私に愛の手をw
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週刊朝日の連載中止 橋下氏巡る不適切な記述で
河畠大四・週刊朝日編集長がコメントを出して連載中止を発表するとともに、改めて謝罪した。河畠編集長は18日の談話でおわびをし、週刊朝日の次号に「おわび」を掲載する考えを表明していた。
また、筆者の佐野氏は19日、「今回の記事は『週刊朝日』との共同作品であり、すべての対応は『週刊朝日』側に任せています。記事中で地区を特定したことなど、配慮を欠く部分があったことについては遺憾の意を表します」とのコメントを出した。
橋下市長は18日の記者会見で、週刊朝日の連載記事について「僕の人格を否定する根拠として、先祖や縁戚、DNAを挙げて過去を暴き出していくのは公人としても認められない」と批判していた。
■週刊朝日編集長 改めて深くおわび
《河畠大四・週刊朝日編集長の話》 第1回の連載記事中で地区などに関する不適切な記述が複数あり、このまま連載の継続はできないとの最終判断に至 りました。橋下徹・大阪市長をはじめとした関係者の皆様に、改めて深くおわび申し上げます。不適切な記述を掲載した全責任は当編集部にあり、再発防止に努 めます。本連載の中止で、読者の皆様にもご迷惑をおかけすることをおわびします。
■朝日新聞社、深刻に受け止め
《朝日新聞社広報部の話》 当社は、差別や偏見などの人権侵害をなくす報道姿勢を貫いています。当社から2008年に分社化した朝日新聞出版が編集・発 行する「週刊朝日」が今回、連載記事の地区などに関する不適切な記述で橋下徹・大阪市長をはじめ、多くの方々にご迷惑をおかけしたことを深刻に受け止めています。
朝日新聞 2012年10月19日23時12分
毎日新聞 2012年10月19日 20時49分(最終更新 10月19日 23時22分)
橋下徹大阪市長の出自に関する週刊朝日の連載を巡り、橋下氏が朝日新聞の取材を拒否している問題で、同 誌を発行する朝日新聞出版(東京都中央区)は19日、連載を中止すると発表した。朝日新聞出版は「地区などに関する不適切な記述が複数あったことを深 刻に受け止めた」とし、連載を1回目で打ち切る異例の対応をとった。親会社の朝日新聞社も同日、「深刻に受け止めている」とのコメントを発表した。
週刊朝日の 河畠大四編集長はコメントを発表し、「連載の継続はできないとの最終判断に至りました。橋下市長をはじめとした関係者の皆様に、改めて深くおわび申し上げ ます」と謝罪、「全責任は当編集部にあり、再発防止に努めます」などと釈明した。朝日新聞社広報部も「当社から08年に分社化した朝日新聞出版が編集・出 版する『週刊朝日』が今回、連載記事の地区などに関する不適切な記述で橋下市長をはじめ、多くの方々にご迷惑をおかけしたことを深刻に受け止めています」とコメントした。
記事を執筆したノンフィクション作家の佐野眞一氏は、朝日新聞出版を通じコメントを発表。「記事は『週刊朝日』との共同作品であり、すべての対応は『週刊朝日』側に任せています」と説明し、「記事中で地区を特定したことなど、配慮を欠く部分があったことについては遺憾の意を表します」とした。
記事は同誌が10月26日号で連載を始めた「ハシシタ 奴の本性」。橋下氏は、特定地域を「被差別部 落」と名指しし、橋下氏の人格否定につなげていると問題視。19日には、同誌が次回11月2日号に掲載する「おわび」の内容を見て、朝日新聞への取材拒否 を解除するかどうか判断する考えを示している。【津久井達】
朝日新聞出版が「おわび」 週刊朝日の橋下市長連載で
記事中で、地区を特定するような表現など、不適切な記述が複数ありました。橋下徹・大阪市長をはじめ、多くのみなさまにご不快な思いをさせ、ご迷惑 をおかけしたことを深くおわびします。私どもは差別を是認したり、助長したりする意図は毛頭ありませんが、不適切な記述をしたことについて、深刻に受け止 めています。弊誌の次号で「おわび」を掲載いたします。
橋下氏に関する連載、週刊朝日が打ち切り発表
朝日新聞出版(東京都中央区築地)は19日夜、「週刊朝日」10月26日号で始まった橋下徹大阪市長に関する連載記事「ハシシタ 奴(やつ)の本性」について、2回目以降の掲載を打ち切ると発表した。
次号で「おわび」を掲載する。
連載打ち切りの理由を巡り、河畠大四・週刊朝日編集長名で、「記事中で地区などに関する不適切な記述が複数あり、このまま連載の継続はできな いとの最終判断に至りました。橋下市長をはじめとした関係者の皆様に、改めて深くおわび申し上げます。不適切な記述を掲載した全責任は当編集部にあり、再 発防止に努めます。連載の中止で、読者の皆様にもご迷惑をおかけすることをおわびします」とのコメントを出した。
これに先立ち、橋下市長は19日、市役所で記者団に、「次号の掲載内容を見ていきたい」と述べ、次号の「おわび」を踏まえて対応を決める考えを示 した。社としての見解が出るまで取材に応じないとしている朝日新聞については、「週刊朝日次号のおわびが、実質的に朝日新聞社グループとしての見解と受け 止める」と語った。
若輩者の意見ですが、一点気になることがあります。
雑誌等を写真でブログに出すことは問題がありませんか?私はかなり気をつけていますが著者権があるので、どこからだしたを書けばいいのか、どうなのか、判りません。
最近では読んだ本の(ネットにあるネット書店などの転写してもいいというものに関しては別ですが)それ以外は表紙も危ない気がして避けています。どこからがOKなのか難しいと弁護士に聞いてから異常なまでに注意をしてます。それが少し気になりました。
橋下市長が本当にお子さんを守りたいなら、ケンカの相手と仕方を間違っている
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/ccdef76ec9ac019f2118f5e482a7aa6f
週刊朝日のことを間違えて「鬼畜」と言っちゃった橋下市長の謝り方
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/7235beed09e12f99120bfe8b4f93d24b
私が橋下さんと性格違うなあと思うのは、私は自分と違う意見の方でも全然気にならないんですよね。
逆に今回も、私に賛同してくださるんだけれど品がない・人の気分を悪くしそうというものはいくつか削除させていただいています。
これから、日本はますます経済的には厳しい時代を迎えると思います。
そんなときだからこそ、お互いの許しと寛容が大切になってくると思っています。
橋下さんに私が批判的なのは、彼に、愛と寛容を感じないことなのです。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。
週刊朝日や佐野氏に問題がないなら次号以降も堂々と連載を続けて自分たちの意見を世に示していけば良かったんですよ。
それを途中でひっこめたということは朝日に問題があったからだ、としか一般人には見えません。
橋下徹 U+200F@t_ishin
週刊朝日からお詫び記事の週刊誌が市役所に送らてきた。さすが、週刊朝日。謝り方も僕の感覚とは違う。直接には来ないようだ。まあクローズで会っても仕方がないので、次の記者会見に来るかだね。おわび記事の中で、再発防止のために経緯を徹底検証しますとあった。
2012年10月22日 - 2:19
橋下徹 U+200F@t_ishin
【訂正・お詫び】連載第一回の週刊朝日を、週刊朝日サイドが実母に送り付けた事実は存しませんでした。現物は実妹が購入してきたものです。週刊朝日サイドから実母へ送ってきたのは連絡が欲しい旨のレタックスで、当該週刊朝日発売日前です。
橋下市長の感覚では直接お詫びするのが常識なんですよね?
橋下市長の感覚ではTwitterは直接お詫びするのと一緒なんですね(笑)
しかし、公務そっちのけでTwitter三昧とは…
市長って暇な仕事なんですね。
被差別を明示した文章を書くこと、現在の人格に遺伝的(血脈的)な要素があること、これらを書くことですね。
それは同意します。
今回の文章は、ほとんどの事実が初出ではないことという事実はあるものの、やはり以上の二点の禁忌をおかしてはいけないんだ、と。それは分かります。
しかし、その他の文章をとらえて、「スタンスが違う」みたいなことを報道者自身が言うことにはあまり賛同できません。スタンスを言えば、「いい報道」と「悪い報道」
という報道への区別、規制を招くことになります。
評価は読者にまかすべきです。
ただ、経過的に言うと、橋下氏は「鬼畜、犬猫以下」といった前日の発言とその根拠を全面的に否定する結果を招いています。
佐野氏の指摘が当たったような結果になる悲喜劇です。
このような危険な人格を持つ権力者をなかなか批判できないでいるジャーナリズムに疑問を感じます。
実は、佐野さんの文体はあまり好みませんが、権力者の批判を試みた意気込みは、会社ジャーナリストにないものだと思っています。
私が言うことでもありませんが、この議論、表面的には決着がつけにくいものですし、そろそろお開きにしませんか。
自論の根拠となる資料を現物確認なく、違法著作物や伝聞で行っている時点で、残念ながら説得力ゼロと思われます。
①結局週刊朝日が届かなかったという理由で、ネット上の記事の違法掲載を読んで判断
「ところで、私は、実はいま、Amazonで件の記事が載っている週刊朝日を頼んでいたところなのですが、まだ届きません。ところが、ネットでこの連載記事第一回を読めてしまいました。」
②佐野氏の書籍も自分が読んだわけでなく、伝聞により自論を展開
「また、佐野眞一氏はソフトバンクの孫正義会長のことを「あんぽん」という作品で描くときに、当然、孫会長が在日出身で在日の方々の家で育ったことを書いたそうですが、だからといって、それが孫氏の人権侵害や在日差別になりますか?」
貴方の主観ですね。
しかし当の週刊朝日が記事が
≪地区を特定するなど極めて不適切な記述を複数掲載してしまいました。タイトルも適切ではありませんでした。≫
≪橋下徹・大阪市長をはじめ、多くのみなさまにご不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを心よりおわびします。≫
≪差別を是認したり助長したりする意図はありませんでしたが、不適切な表現があり、ジャーナリズムにとって最も重視すべき人権に著しく配慮を欠くものになりました。≫としている以上そうなんでしょう。
第3者が人権侵害がないと強弁しても週刊朝日がそうだって言ってるんですから。なんたって書いた当事者が一番分かっているんじゃないでしょうか?
どこかの強力な圧力団体から猛攻撃を受けて朝日が
謝罪文を掲載せざるを得なくなったとしたら問題ありますけど。
最もそれはそれで朝日は腰抜けとなりますけどね。
嫌悪のあまり理念を見失っているとしか思えない。
今日の毎日新聞30面に「鬼畜集団」「佐野抹殺」という文字が大きく踊っている。市長の母親に今回の雑誌を直送し取材申し込みを依頼したという市長の怒りの背景を伝えず記載している。こういう報道を見ると一般の読者に過激な人という印象を与えたい為かと疑ってしまう。
橋下市長のツイッターは過激発言が多い。しかし自身のことも「異常人格者」と述べ平衡感覚に優れていると感じた。
「人に非寛容」ということだが、手続きはルールに則って行っており危険人物とは思っていない。市長の政策は右とか左とかで語れない。原発、竹島では左だ。その為、経済界からも嫌われているようだ。
橋下市長を非難する識者の言葉には、市長を支持する人を愚民、貧民と表現し、嘆く言葉が多い。次の選挙で躍進するかもしれないという危機感の表れなのか。
ここで議論を重ねても思想の違いといってもいいような隔たりがあり噛み合うことはないだろう。
何も橋下氏を支持している者ではない。
佐野真一氏は、人間としての品格が疑わしいと判断する。》<
問題点がしっかり要約されたコメントですね。
「言論の自由とは言え、人権侵害が疑わしい」<
その言論によって人権を侵害された・不当に損害を被った人は黙っている必要はないし、あるいは単に抗議するだけでいいはずがありません。正式に司法による判断を求め、告訴すればよいのです。 「法」は何よりも「人権」を守るためのものです。その判決・判例は同様の「被害」を受ける人々を救うことになります。「法曹家」の橋下氏は抗議に百万言を費やすと同時になぜ「告訴」に思い至らないのか? まさか「法」を無力と考えているわけでもないでしょう。
「橋下氏つぶしの意図が明白である。」<
「橋下氏支持・擁護」であれ「橋下氏つぶし」であれ、「言論」によって自身の意図を表すことは「言論の自由」として認められています。橋下氏もその自由の権利ををしっかり行使しています。「橋下つぶし」を言説の意図として持ってならないというのならそれは「思想・信条の自由」への抑圧です。
「佐野真一氏は、人間としての品格が疑わしいと判断する。」<
そう判断すること自体は自由ですし、そう言明することも間違った行為では決してありません。それであれば佐野氏が橋下氏について同様の判断をしそれを言明することも間違った行為ではありません。
???
謝罪した週刊朝日が影で「私は間違えていない」と言ったの?
今回の週刊朝日の一連の対応について第三者が「謝罪する必要は無い、いやある」「打ち切りにするのは間違っている、いや当然だ」等の意見を出すのはおこがましいのですか?
おっさんは、こんな話から始めた。
「橋下さんの父親はあがり(被差別出身)でそれに比べて母親の方は純粋な人やと思う。
これは私の持論なんやけど、一般的に子どもは
親父の精子が80%、、、、、、"
このようなどこの誰ともわからない、何の根拠もない話
を紹介するのは「大阪はこのような所であった方が面
白い」という偏見に満ちた文章であり大阪に住む者と
して吐き気を催す
その理屈はおかしいですよ。連載は中断してしまったのでどうとでも言えますし、もしそのような意見があるならテレビ中継の時に佐野氏なり編集者なりが来て反論すればいい。
更に言えば、書いた当人である週刊朝日が間違いを認めて謝罪してます。間違えていないなら堂々と連載を続け世論に訴えればいい。
それをしないで謝罪し、影で「私は間違えていない」などと言っても負け犬の遠吠えでしょう。まして第三者がそれを言うなどおこがましいとおもいますが?
連載の第1回目だったからね。今回出されていた話は、橋下氏の厄介な性格がいかに形成されたのかを探る過程の一描写(背景の一つ)に過ぎなかったわけで、それが原因だったとは書いてないでしょ?
逆にいうと、それが原因だったなんてことだったら、この回で話は終わりになってしまうわけで(以降の連載は必要ないということになる)。
連載が続いていれば生育過程での周囲からの影響(厄介な性格はいかにして形成されたのか)が描かれていた可能性が高いわけだけど、打ち切りになったからそこはわからなくなってしまったよね。
『あんぽん』しかり、「東電OL」しかり。
東電OLなどは被害者であるのに、このような(街角で殺される)女性がなぜ出現したか、その血と骨について探っている。気持ちの悪い手法だったが、それでも最終的には一般人で、なんらおもしろい話は出てこなかった。著作途中から佐野氏の関心も、女性ではなく被疑者の方に移っていく。
その点、孫正義は違っていた。佐野氏にとっても違っていたのだろう、スケールの大きい作品に仕上がっていた。
『ハシシタ』でも、これを狙ったのだろう。
「能狂言を観るやつなんて変質者ですよ」という暴論を吐くほどに文化を憎み、「変質者」などという差別発言をする人の「氏と育ち」は非常に気になるものであったし、いきなり自身の名前のみでの法律事務所(普通は、「橋下・○○・□□法律事務所」などの連名)を構える財力のあった背景などについては、大いに知りたかった。
偏見とまでは言いませんが、論点が「先祖~安部~岸・・」
あたりから違和感を感じます。
まあ、リベラルな立場でもないでしょうし、仕方のないことなのかもしれませんが、一方的な見方な感じを見受けられます。
昨今、ネットの発達により、情報伝達のスピードは飛躍的に早くなっていますが、誤解、事実でないニュースも見受けられます。(まあ、朝日新聞社は紙媒体でそれをやってのけてますが・・・・。)
もうちょっと冷静に物事を見た方が良いような気がします。
偉そうに言ってスイマセン。
私の考えを実によくわかりやすく表現してくださり感謝申し上げます。
そしてちょっぴり追加。
橋下氏のような人物が周りにいて、迷惑をかけられた経験がある人ならば、誰しもが「アイツ危険!」とレッドカードを出すでしょう。
私もその一人です。
文中遠藤選手と子供を同席させたシーンの記載がありますが、今回、私が真っ先に思い出したのがこの時のこと。
そうです、「父親が知事になれば・・・」と、実にくだらぬ屁理屈で取材記者を黙らせたのですよ。
彼の手法はいつもこれ。
要するに都合によって自分の立ち位置や考えをコロコロかえるんです、そう、自分が常にベースというか中心なんですよ、一見、みんなのことを考えてます、って顔しているんですが。
これに深く考えない大衆が乗っかって、橋下擁護にかかってしまう・・・
こういった大衆のみなさん、よくよく考えてみてください。
皆さんの応援で彼の存在(というか権力)が巨大化したとき、必ず彼から裏切られますよ。
そこで泣いて抗議したり反旗を翻しても遅いのです。
「自己責任」の一言で切り捨てられることでしょう。
私は彼がこれ以上の力を持たないことを切に切に祈っている次第です。
日本の未来のために。
……はぁ、貴方はまず勉強しなさい。
アイヌに対する差別はかなり酷いですよ。江戸末期まで書物が残ってます。
一例を挙げてもいいですが、不快になる方もいらっしゃると思うので(コメントも消されそうなので)
まず十勝の語源を調べなさい。元々アイヌの言葉で意味は「お前達も魚の皮が焦げるみたいにあぶられて、焼け焦げる運命になれ」
アイヌの方々の怨みがこもった言葉です。
日本は他国に比べれば保護されているが、まだまだ足りない場所があるのでは?
なら解るのですが……。どうも橋下氏が嫌いなせいか、基本的なことを疎かにしているかたが多いようで残念です。
分かり易く沖縄のレイプ事件を例にします。
午前4時に沖縄兵2人に女性がレイプ。
コレに対して「可哀想、米国兵ひどい!」
が普通の反応。
「午前4時に歩いている女に問題がある!」
これが変人の発想。
橋下氏の人権問題。
「橋下氏の祖父は下層民が住んでいた場所で、そんな場所で暮らしていた祖父を持っているから橋下はダメな政治家なんだ!」
「えっ?政治家って生まれで差別されるの?」
コレが普通の人。
「そんな事いわれるのは、普段の言動が間違えてるからだ!レイプ事件とは別だ!」
コレが誰か?
分かりますよね。
根は一緒です。
そこで差別の実態はどうなっているかを知るために、以下、差別の本質を扱った良書、川元祥一『差別の謎を解く キヨメとケガレ』(モナド新書/2009年)から引用する。
★(頁76/引用者注)現代の差別の実態について、ここでは1993年の政府意識調査から結婚差別の実態を示すデータを紹介します。古いデータに思えますが、問題での政府意識調査は20年に1度行えばよい方なので、これが最近のデータになります。(順番と○内の数字は整理のため筆者がつけた)
一、未婚の若者男女に民との結婚観を問いますと、①「絶対にしない」2.8%、②「反対があればしない」15.9%です。約19%の若者が差別観によって拒絶、もしくは消極的だということが表れています。
二、親として子への結婚観。自分の子が民と結婚しようとしたとき、③「絶対に結婚を認めない」5%、④「家族の者や親戚の反対があれば結婚を認めない」7.7%、⑤「親としては反対するが、子どもの意思が強ければしかたがない」41%。⑤は親として民との結婚に反対しているわけで、この数字には私も驚きました。③④⑤をあわせると53.7%の親が民との結婚に反対、もしくは消極的です。これは、差別の深刻さを示します。しかも、親や親戚、周りの反対があればそれに従うという人が大勢なのです。
三、一方「子どもの意思を尊重する。親が口出しすべきことではない」とする回答が⑥45.7%。較べると差別する親の方が多いわけです。まずこの現実を直視することが重要です。(引用終わり/引用者注)
私のもう亡くなっている両親も戦前の民族憎悪を煽った天皇教の洗脳を受けている世代なので、上記の調査では確実愚民の部類の方の数字にカウントされるはずである。よって今から20年ほど前の調査であるから、今はその世代の多くが退場し、この数字は今ではかなり下がるとも思われる。
私は橋下徹というお笑い馬鹿タレントは、たまたま被差別と関係があったとしか考えないが、それでも少なくとも関係がある以上、権力者としては思想的には野中広務程度で収まってくれないかという願望もある。しかし私以外の人間が、たまたま以上に少しだけ必然を感じたとしても、それはそれで人それぞれである。よって佐野真一は連載を本来は完結するべきである。「被差別を特定して記述したことが不適切」という指摘は、上記の意識調査を見れば一定の説得力を持ち、要するに愚民のなかの一定数は、それを利用して差別を増幅させるという事象を危惧するものであろう。しかしどこの世界でも一定数の馬鹿は存在し、反差別法でもあれば本来は存在し得ない「在特会」のような珍奇な犯罪集団も日本には存在するが、それはそれで別問題ではないかとも思う。またそれに関連しての差別される側の人権問題では、例のいじめ問題で中川翔子が述べた箴言を紹介するしかない――。要するに、差別する人間(愚民)が近くにいても、それをあなたがあなたにとっての全ての世界だった思っていても、それは大きな間違いで、違う世界が近くに絶対あるということだ。
★《いじめられている君へ》中川翔子さん
中川翔子さん
http://www.asahi.com/special/ijime/TKY201208140480.html
■逃げて まず自分が大事
無理して学校に行く必要なんかない。いじめなんてくだらなくて、立ち向かう意味すらないから。いじめから逃(に)げることは、本当の「逃げ」とは違う。まず、自分のことを大事に考えてほしい。
中学のころ、私はずっと「死にたい」と思ってた。無視(むし)されたり、陰口(かげぐち)を言われたりするのがつらくて、結局、卒業式も欠席した。1人で絵を描いていて、「キモい」って笑われた。「お前に言われる筋合(すじあ)いはない!」って言い返したかったけど、言葉が出なかった。今でも悔(くや)しいんだよ。
「学校だけが世界の全てじゃないよ」って励(はげ)まされたことがあった。「あなたに何が分かる!?」って、その時は思ったけど、いつしかそう考えられるようになった。だって、学校なんて周りに数十人しかいない小さな世界だから。無理に合わせても苦しいだけだよ。
いじめる子たちをよく見てると、仲間の中から順番に1人選び、その子を無視して喜んでた。心底(しんそこ)くだらないと思った。人の痛みが分からない人間だ。もし自分が死んでも、ダメージを受けるのはいじめてきた子たちじゃなくて、自分の家族だけなんだ。意味のないことはやめようと思った。
私は趣味(しゅみ)の世界に救われた。いくら「オタク」って言われても、絵を描いたり、漫画(まんが)を読んだり、ゲームをしたりするのが好き。今はインターネットで仲間を作ることができる。学校の外にすてきな出会いがたくさん待ってるんだから、何か一つでも、楽しいことを見つけてほしい。
人は、両親や祖父母、その先祖(せんぞ)らが出会って生まれた、いわば奇跡(きせき)のような存在。人生を邪魔(じゃま)する資格は、誰にもない。(なかがわ・しょうこ=タレント)
ケガレだとかキヨメだとかいう非科学を信じる馬鹿は科学の正しい理解がなされれば当然減っていくもので、例えば葬式でのキヨメの塩なども愚の骨頂としてすぐさま排斥されるべきものなのであるが、宗教がからむのでなかなかそうもいかないようだ。ヤマトでは平安時代にもちこまれた仏教が、死・出産・血液などが穢れているとするヒンズー教に影響を受けていて、ヤマト土着のケガレ観念とも相まってケガレ観念が広がったようだ。もちろん宗教にもいろいろあるが、神をいただく宗教でいえば、いうまでもなく神など妄想であり、よってケガレなき神も妄想である。
そうそうケガレなきものの最高には天皇という珍奇な存在もあり(笑)、それを讃える珍奇な歌(小石が膨張して巨石となるそうだ)=君が代を強制して喜んでいる橋下徹が「血脈」とかに反応している図を見ると、ある意味滑稽である(「血脈」としての天皇の存在を認めるが、市井の民については「血脈」を語るのは愚劣であるという市民の立場を私は認めない)。
ところでどうしても確認しておくべきこととして、琉球・アイヌにとって差別など無縁なことである。よってヤマト内部で差別を克服してもさえ、琉球・アイヌ・朝鮮民族の差別と共存できる場合さえあり、例えば運動が戦前の民族差別を煽った侵略戦争に荷担したとしても何ら不思議でもない。例えばイスラエルはホロコーストの被害を独占してパレスチナ人にユダヤ・ナチの蛮行を日常的に繰り返しているが、ホロコーストでさえ人間にその程度の倫理的感性しかもたらさなかったのである。またヨーロッパはユダヤ人問題には敏感でありながら、平気でロマを追放している。よって被差別と関係があるお笑い馬鹿タレント・橋下徹が民族憎悪を煽っても、性奴隷問題で戯言をほざいても、それ自体では不思議な事でもないわけである。
悪徳商工ローンの顧問弁護士こそが彼にはふさわしいのだが、日本低国にはテレビという化け物がお笑い馬鹿タレント(石原慎太郎なども含む)を権力者として生産する役目をも担っていて、彼が今大阪市長の座にあるのもテレビのおかげである。実はそのテレビの役割のもう一つに非科学の喧伝があり、細木だとか江原とかに愚民は熱狂するのである。結局のところ、差別を拡大再生産している愚劣なテレビからでた時代の寵児が差別問題を解決する契機とはなり得ないことなど自明のことなのだが、ただし、たまたま出てきた出自の問題が、「ヤマト民族」の遅れた意識を差別などないアイヌ民族・琉球民族並みの意識にすこしは近づけたかもしれないという記述が歴史的にはなされるかもしれない。
橋下氏つぶしの意図が明白である。
何も橋下氏を支持している者ではない。
佐野真一氏は、人間としての品格が疑わしいと判断する。
はっきりいって誰だか知らないもん。
差別は、義務教育で習うことです。出身って書いただけで、差別してると思う人は多いと思います。
それでも、差別してないというのであれば、あなたたちみたいに頭のいいひとには、凡人の気持ちは分からないってことですね・・・。
さて、「表現の自由」「思想信条の自由」という民主主義の根幹となる権利を含む基本的人権は、「公共の福祉」以外に制限を持たない。とりわけ公に対しての批判においてそうである。その対象が不当に損害・棄損を被ったなら、そのことについて正当に抗議し法的対応を求めることが認められている。その手間をいとわないことが「不断の努力によつて、これ(=自由および権利)を保持」することである。そしてその不断の努力によって、その対象の自由・権利が守られるのみならず、その結果は全国民の自由・権利をいっそう保障することにつながる。、1957年(昭和32年)の日本で、当時国立岡山療養所に入所していた朝日茂(あさひ しげる)氏が厚生大臣を相手取って日本国憲法第25条に規定する「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)と生活保護法の内容について争った行政訴訟である「朝日訴訟」がその裁判の影響により、生活保護基準の改善や社会保障制度の発展に大きく寄与したように。
法曹家出身の橋下氏がその手間を厭い、「人権擁護」を名目に安易に言論の自由を「抑制」しようとしている。自身「人権侵害」で訴えられている身ではあるが、今回の出来事において氏が為すべきことは「報道」等によって人権が侵害されたならどのように法的に救済・損害回復、時に名誉回復を求めればよいかを提示することである。
また、かれが抗議のため挙げている事例は記事批判の論拠としておよそ的外れであり、筋道が立っていない。「賢明なる」ブレーンたちは、もう少ししっかりした理屈を持たせてやればよかったのにというのが偽らざる感想である。
、《今回の記事について、橋下氏は「血脈主義は身分制度の根幹であり、悪い血脈というものを肯定するなら、優生思想、民族浄化思想にも繋がる極めて危険な思想だと僕は考えるが、朝日新聞はどうなのか。アメリカでの人種差別、ヨーロッパにおけるナチス思想に匹敵するくらいの危険な思想だと僕は考える。」と書いています》と当ブログ本文にあるが、
「血脈主義」という言葉は寡聞にしてこれまで聞いたことがないが、「血筋」・「血統」は、支配・被支配の関係―すなわち「身分制」を安定したものとすべく、実力によって左右できないものとして設定されたのであり、まず「血統」ありきではない。(「大日本帝国は万世一系の天皇、これを統治す。」)
「アメリカでの人種差別、ヨーロッパにおけるナチス思想」についても「人種差別」「民族差別」はアメリカだけの問題ではなく世界各地にある問題で日本においても存在し、やはり支配の固定化を図り「攻撃機制」の対象を作る方策であり、「ナチス」の「アーリア民族(そんなものは存在しないが)至上主義」はドイツ(Das dritte Reich)の一部党派の説であり、ヨーロッパ全体のものではない。(「独裁」を是とした氏が、悪しき思想の例として「ナチズム」を挙げているのは滑稽そのものだが)
佐野氏は橋下氏の「人種」「民族」を問題にしているのか? 問題を起こした子どもについて「どんな親や。顔が見たいわ」はよくいわれることであり、極端な例を挙げれば、刑事裁判の被告人に関し情状酌量のためその生育歴・育った環境について言及されることはしばしばある。 「記事中で、地区を特定するような表現」への謝罪があるが、本来あってはならぬことは、ある地区を「地区」と聞いて蔑み差別することの方である。
確かに「週刊朝日」は営業判断として謝罪し、連載の中止を決めた。
しかし、それが、橋下氏が正しい・かれのこれまでの言動が間違っていないという証明には決してならないことは銘記すべきである。
そして「週刊朝日」の謝罪が、言論界の自由な言論・表現の自己規制の表明にならないことも。
橋下氏は「日本維新の会」の宣布のための遊説を鹿児島・熊本においておこなったが、その演説の中で「僕はメディアに嫌われていると述べたが、かれに対する・人物論を含む批判が「かれが嫌いだから」為されていると考えているとすれば、かれとの間に議論・論争は成り立たないだろう。確かにかれはまっとうな議論を1度もしてはいない。一方的にまくしたて反論には居丈高にかつ貧弱な語彙での罵言を浴びせるだけである。
また上記の遊説中の「演説」で、「敵が何万、何十万、何千万人いようともやるべきことはやる」という発言は如何にも断固たる決意表明に聞こえるが、これは要するに人間を自分の「味方」か「敵」かに分類し、「敵」とみなした相手の言うことには耳を貸さないということの表明に他ならない。
さらの上記の演説では、「僕を独裁者や危険人物という人がいますが、こんな魅力的な独裁者がいますか。家では妻に叱られ台所で洗い物もするし」と述べていた。ユーモアのある人間だ・家庭的な人間だということをアピ―ルするつもりだということが見え透いている。
「こんな魅力的な独裁者がいますか」は確かに笑える。 自分のことを「魅力的」という、それこそ失笑を招く文言はさておいても、真の「独裁者」はカリスマ性・民衆に訴える「魅力」を持つ、あるいは魅力を演出された存在である。(同様の言い回しは以前にもしており、「こんなキュートな独裁者がいますか」というのがあるが)(また「台所での洗い物」は鳩山由紀夫元総理も言っていたが)
橋下氏の言い募る「メディアの自浄作用」とは「自己規制せよ」ということに他ならない。かれを使嗾する既存勢力は、かれの自己損傷忌避の感情が言論規制要求に向かうことを読んでいたかもしれない。同氏の性格が問題にされるのは、そうした傀儡性を多分に有している(砕いていえば「乗せられやすい」)危険が察知されていたからといえよう。
また昨日は《“謝罪文”は、河畠大四編集長名で見開き2ページにわたり掲載されることが判明したが、橋下市長は、23日発売の同誌を、週刊朝日側が何のコメントも付けずに大阪市役所に送りつけてきたことを“暴露”し、激怒。「もうね、朝日新聞出版と週刊朝日は鬼畜集団ですよ。こやつらの先祖はどれだけ立派なのかは知りませんが、謝り方の礼儀すら知らない。人間足り得るイロハのイの字も知らない。朝日新聞グループは、いったいどんな社員研修をやっているんだ?人の先祖を否定する前に、自分ところの社員を人間に育てろ!」と非難した。》(デイリー・スポーツ)
とか。
自身への「無礼」と捉えたことに対しては感情の赴くままここまで喚き散らせるお方なのだ。 ブレーンの方々、少しは説得力のある話し方を橋下氏に教えてあげては如何?
私は「同和政策」こそが今回、佐野氏が選んだテーマだったんだと思ってます。同和政策が人の人格をいかに歪ませるか。それを暴くことが「ハシシタ」のテーマだったではないでしょうか
・ヤクザだった実の父親はポン中で自殺。
・極貧の母子家庭で生活保護獲得目的に転居
・母親は夜の仕事で生計を立てる
・人権教育に熱心でやんちゃな生徒が揃った小中
・逆差別や優遇措置の不公平さ
・北野高校への進学とそこで味わう疎外感
上記のすべてに「同和問題」が絡んでいます。彼の思春期の周囲にこれだけ色濃く溢れている「」の影。これに一切触れずに、「敵対者を一切認めない狷介な性格」がどう形成されたかなんて、逆に描けるわけがないと思う。
出自はともかく、橋下自身は同和政策の対象者ではなかったはずです。しかし橋下が同和差別を身近に感じる場所で育っています。彼自身が居住地を理由に(誤解による)差別を受けることもあったでしょうし、一方で同じように貧乏なのに同和政策の対象者とは別の扱いを受けるという矛盾を味わっています。単なる出身者とは異なる複雑な「差別」を受けて育っているわけです。
この複雑な状況を生み出した関西の同和政策の矛盾をそのものより憎んでいても不思議はない。その想いが、橋下というモンスターを生み出した…。連載が続いていればこうしたことが描かれたのではないかと想像しています。
物心つく前に亡くなった実父の影響があるわけない、だから差別表現だ、みたいな短絡的な意見も散見されますが、橋下ほどの能力と自意識がある人間が、実父の出自や人物像に興味を持たないはずがない。おそらくいろいろなつてを辿って父親のことは調べていたと思います。弁護士時代には一般人以上に調べる手段も豊富だったでしょうし。それが彼の人格形成に一役かったのが想像に難くない。
そう考えると、佐野氏が連載の第1回で執拗にの影を匂わせたこと。ヤクザになるしかなかった実父の出自。あえて地区の名前を出したことあたりの理由も分かる気がします。
橋下氏は「の血筋」を暴かれるのを恐れたのではなく、彼の政治手法や狷介な性格の根底に「への私怨」があることを、数々の事実を持って最終的に暴かれるのを恐れたのではないか。「正義の政治家」という化けの皮が剥がれるのを恐れたからこそ橋下は必死で潰しに掛かったのではないかと思いました。
残念ながら同和問題は未だにある問題です。なぜそんなモノが温存され続けているのか、その現実を直視せず、NGワードを設定して「なかったこと」「自分には関係ないこと」にして安心していた人にとって、佐野氏の記事は劇薬過ぎたのかなと思います。連載中止はとても残念です。
それができずに退散した時点で、第三者が未完成の第一話のみで「そういう意図は読み取れない」などと考察することがそもそも滑稽。
というか、違法複製物への誘導リンクをうれしげに貼り付けてなにやってるんですかあなた。
DNAは関係ないとかいう意見が多いが、それは的外れな
見解だな。
犯罪者の遺伝子は犯罪者を生みやすい。それは間違い
ない。何故かって?俺も周りの犯罪者も皆そうだからさ。
いいか?学者のデータなんぞクソくらえだ。犯罪者をよく
知りもしねぇでDNAとは関係ねぇなどと言うんじゃねぇよ!
生き方次第で、確かに覆すことは出来る。しかしな、遺伝
つまりその人間の本性ってのは生まれた時から変わら
ねぇんだよ。変わんのは生きてく要領だけさ。
だから、図星つかれた橋下が激怒したんだろうが。
今回の問題でもっとも重視すべきなのは、被差別が特定され、あたかも被差別が悪の温床になっているかのような記述です。これは橋下氏の品格以前の問題。マスコミにとって自殺行為だと思います。
私は、どうしてこのような初歩的なミスを週刊朝日が犯したのかを問いたいと思います。何人ものチェックが入っているはずなのに素通りしてしまったのか。この点については橋下氏の「検証すべき」という主張を支持します。週刊朝日だけでなく、先の読売のips移植に関する誤報もしかり。初歩的なミスをどうして大マスコミが犯すのか。こんなことを繰り返していたらそれこそマスコミは死ぬ。朝日も佐野氏もきちんと釈明すべきだと思います。
それとは別に、この問題をきっかけに、私憤を晴らすかのように「敵対者を絶対に認めない非寛容な人格」を丸出しにして佐野氏の抹殺を図る石原氏やその小姓とも言うべき猪瀬氏の動きは警戒すべきだと思います。確かに池田大作氏に関する著作は盗作でしょうし、謝罪もしています。その件を再び持ち出して佐野氏の全人格を否定するのは、行き過ぎです。
猪瀬氏の目は橋下氏同様、「恐ろしく暗い目をした男」だと皆さんは思いませんか。あの鋭い目で相手をねじ伏せるディベートのプロです。猪瀬氏もまた「テレビがひり出した汚物」というのは失礼でしょうか。
社屋は同じだし記者も朝日新聞社からの転籍、出向ばかり
現社長も朝日新聞社出身
編集部が違うのだから編集方針が違うのは子会社どころか会社が同じでも当然
そんなのは分社化している一般企業でも共通の話
だからと言って一般の企業が子会社の不祥事やミスで「当社は無関係です」なんてのは通用しないし、これまで、マスコミは散々親会社も追いかけて叩いてきた
取材者の自由を縛ったら、原則的に取材拒否です。
まっ、朝日にも落ち度はありました。批判されるべきでしょう。しかし、それを利用して居丈高になる橋下の見苦しいこと。これは計算、芝居というよりも、性格なんでしょうな。
本性とは言うてませんよ。ブレーキが利かない。
どうしようもない人物だと思います。
「そんなに好きなら、○○(うちの子供の名)を橋下市長の子供さんのお嫁さんにしてもらったらいいじゃない。」
と冗談で言うと、
「そんなことはできない。」
と真顔になりました。
「親戚縁者に迷惑をかける。」
と言うのです。
どちらかと言うと、反橋下の私ですが、この主人の返事には絶句しました。
暗に、出身の方との縁組はできないということなのですが、長年の連れ合いが、まさか、そんな古い考え方を持っているなんてと驚きました。
そもそも、被差別など、歴史を少しでも理解できれば人間の尊重を踏みにじる、不合理なうすっぺらい考え方であると理解できるはずです。
21世紀にもなり、就職などについては、差別は払しょくされているものの、結婚などの縁組については、まだまだ差別は残っているのですね。
第一、一般日本人は人権なんてコンセプトはイマイチ分かっていない(むしろ橋下には)。日本人は批判するとか、罵倒するとかのことが「人権侵害」だと思っているのだろうか?
はっきり言って、橋下なんて海外では笑われて、叩かれまくって、オマエが言うなといわれて、おしまい。橋下なんて海外では笑われまくっているよ。。。なんで日本人はこんな人を支持するのかはよく分からない。
プライドが高いだけのあなたは醜悪です。
あなたが橋下氏だとして子供がいて、自身について
親がやくざでどうこうとか、と書かれてその印象づけ
から、自身がおぞましい政治家というイメージが持
たれてしまう。
(理性では本人とやくざの親は別と考えても、
どうしても、あの記事から
そういうイメージを持ってしまうのが人間でしよう。
あの記事はそんな効果を合法的?に狙ったものです。)
それが本人のみならず、子供にもどんな影響を
もたらすか、そんなことも想像できないのですか。
少し気になる点がございましたので二度目の書き込みとさせていただきます。
・私の高校2年時の担任の先生が
”八鹿高校事件”の被害者として裁判に関わられました。
事件の詳細については、偏見なくつぶさに時系列で
2時間きちんと講義を受けました。
この件と、八鹿高校事件の類似点はまったくないと断言いたします。
本書き込みの公開の否可は管理人様のおまかせいたしますが、本日、さすが目のつけどころが違う!
と思わせる記事がございましたので、ご紹介させてください。
このブログに訪れた方皆さんにも一読おすすめいたします。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33849
ブログ主さんにお願いした質問の回答がないので,いまだこのブログ主さんのお考えは分かりませんが,世間的には,ハシモトはとんでもない奴だ,どうしてそれが分からない,今叩かないでどうする!,という意見と,ハシモトがいかにとんでもなくても今回のはやり過ぎでしょ,という意見と,橋下マンセー(すみません略しすぎ)という意見に,大まかには三分されてきたような感じですね。
私は中間の意見です。そして,橋下氏に異論を唱える方が情けなくも露骨に採用するダブルスタンダードこそが,未来永劫祟るんじゃないかということを危惧しておるわけです。
橋下氏は,私はこれは逆に助かったとかろうじて思ってますが,更に過激な言い方を続けて自らの危険性を露呈し続けているようです。
情勢認識としては,現在は微妙と思います。
橋下氏バッシングに対する反感がそれほど燃え上がらないところを見ると,差別問題なんかどうでもよくむしろそれを利用して橋下をたたきつぶそうという層=国民の判断力をある意味最も蔑視している層=が案外力が強いのですかね?
でも,個人的見解としては,反橋下を標榜するブログ主さんほかの「進歩的」であるはずの人々の相当部分が,ダブルスタンダードを分かりつつ採用してしまった悲しむべき事例として,今回の件は永久に歴史に残ると思ってますので,全然気分は晴れません。
ダブルスタンダードはいずれ破綻します。その結果,自己の良心に反して基準をスライドさせてまで潰そうとした敵が,逆に力を得るのです。
そこから逃げて「本性」だの「血脈」だの・・・本っっっ当にくだらない。
>奥さんや子どもに我慢しろとは意味不明です。
貴方が言う筋合いのものじゃないですね。
ご家族に我慢していただきたいということについては単なる私の希望です。
私にそれについての強制する権利なんてもちろんありません。
しかしご家族はこの件について何もご発言されておられないので私のこの発言は失礼だったかもしれませんね。
もうとっくの前から我慢してるかもしれませんもの。
あらためてご家族にお詫び申し上げます。
>それと、橋下氏がどういう人間かなんてのと今回の記事が人権侵害かどうかとは無関係なんですけど、何故、絡めますか?
私はこの記事に関して人権侵害とは思ってないからです。
橋下という人間はどういう人間かということをルーツをたどって掘り下げ解明しようというそういう記事だと思ったからです。
>ましてや、橋下氏自身がヤクザではなくて父親がヤクザだった事が、何故、橋下氏自身の本性や政治に関係しますか?
彼の親がヤクザであったことが彼の本性に影響があったかどうかそれはわかりません。
私が興味があるのは橋下氏のあのなりふり構わない政治手法に非常に驚愕し畏怖しているのですが
そのような彼についてどういう生い立ちであのような性格形成がされたんだろうというのは知りたいことの一つです。
彼にとって地区出身であったその影響としては反骨精神だとか精神力の強さとかそういうところなのではないでしょうか。
上記の点はむしろ私自身見習いたいと感じております。
>ルーツを知りたいのは個人の欲求ですし、それは否定しません。
でも、ルーツを強引に文章という形で橋下氏本人の本性と結びつければ人権侵害と言わざるを得ません。
ルーツは私にもOK様にもあります。
お父さんやお母さん、おじいちゃんにおばあちゃん。親戚と、どこかあなたに似ていませんか?
でも決してすべてが似ているわけではありません。
橋下氏のお父様は暴力団員だった、というよりその性格とか振る舞いとか、その一部から彼との共通点を見出し
お父様のああいうところが彼と似ているなあと、そう納得するだけです。それの何処が人権侵害なのでしょう。
お父さんと似ていたら人権侵害されますか?
ハクツル愛飲者様
>論証不可能なDNAとか血とかを持ち出す必要があるのでしょうか。そういうのを差別というのではなかったですか。
おっしゃることよく解ります。
でも上のOK様にお答えしたように私は差別とは思いません。
論証不可能なものであるからこそその人間について確たる何かがあるのです。
私事で申し訳ないのですが、私はいわゆるヘタレな性格です。父親とか祖父にその傾向は少しあったと思います。
でも祖父はとても優しい人物でした。父も然り。
私といえばあまり優しくなく、優しさあふれる何不自由ない環境で育ったにも拘らず我儘な人間になってしまいました。
もちろんそれは私に99%ほどの責任はあります。親のせいだとか毛頭言うつもりはありません。
が、不自由の無い環境はある意味子供を甘やかす傾向はあると思うのです。
そういうわけで、私でちょっと変異を起こしましたがでも2代遡っても共通点を見出しえます。
その1%を探るというそういう意味がこの記事にはあったのだと思います。
又、国歌を歌う云々を人権侵害と言っているコメント者もいかがなものかと。歌わない自由?気持ち悪い。組織に入ってその手の自由を許すことって有益か有害かも解らないってのは・・・
報道の自由を侵害しないよう意識はしてるんだと思います。それでも、朝日新聞まで質問拒否するのは理解できませんが
質問があったので追加します
> 「横行してる」といえる事案が大阪であったのですか?
大阪でも卒業式の生徒へ「立たなくてもいい」と指導した事件がありした。
これを生徒への自由とみなすか、それとも教師という立場を利用した強制とみなすかは議論の分かれるところですが、後者の考え方を排除出来ないのでは?
そして、その卒業式では160人中1人だけが起立したそうです。
その1人だけ起立した生徒にとって、その卒業式が楽しい思い出になったかどうか、容易に想像出来ると思いますが。
> よくそんなことが言えますね。君が代斉唱を拒んだ教師を処分できる条例のどこが人権を守っているといえるのでしょうか。
最高裁では懲戒処分は合憲との判決が出ています。
ただし、その処分の内容については基準とかが無かったから、改めて基準を作っただけです。
他国の例を出すのは意味がありませんよ。
米国では毎朝国家への忠誠の誓いを行っている学校が数多くあります。
そして、生徒、教師への強制はありませんが、米国は簡単に解雇出来ますからね。
それは人権も尊重しますが学校側の権利も尊重されます。
学校が全クラスで宣誓を行うと決定したなら、宣誓を拒否する教師はクラスを持てませんしね。
ちなみに、米国で永住権申請には5つの条件があり、うち一つは、国旗に敬意を払い、国歌を歌い、戦没者に追悼の意を捧(ささ)げることを始めとしてアメリカの歴史と文化、そして政府の仕組みに関する知識を取得することです。
そして、最後に帰化申請をする外国人は母国に対する忠誠を放棄し、もし要請があれば武器を持って合衆国軍の一員として戦うことを誓うのです。
日本というのは、本当に人権を尊重している国だとは思いませんか?
「人権派」を批判することで支持を得てきた人なんですから、今回も少し前の遊説時のように「(ケンカ)上等」ではねのけるか、自身がこの世で一番恥ずかしい言葉だとしていた「人権」なんて、使わない矜持を持って欲しかったですね。
もし彼のルーツが被差別に無かったのなら、橋下氏はこのような抗議の仕方はできなかった(通用しなかった)でしょうし、朝日も謝罪などしなかったでしょう。
地区と無関係な人には、この「方法」は通用しません。
新潮などはいつも書き逃げです。
先の新潮の記事は上原氏に書かせることで、新潮はあらかじめ保険をかけたのでしょうね。
2012-10-22 14:59:05
八尾市住民としては今回の件橋下氏を頼もしく
感じたよ。だって佐野氏は一方的に八尾が犯罪
の温床であるかのような柄の悪い土地柄のように
書いて、書き逃げは許せない」
まったくその通り!「差別や人権侵害は許さない」と言いながら今回の記事は問題ないとされている方は単なる偽善者です。橋下市長が嫌いなだけでしょ!
むしろ橋下は今回の件をうまく利用していると思います。
これで支持率が上がってしまうような日本国民の民度ではないことを祈ります。
橋下は完全なダブルスタンダードですから、自らの人権侵害は棚に上げ、他者を執拗に攻撃します。この人格がどのように形成されたのか非常に興味がありますね。そしてこのような人間を権力の座につかせないように、今後のためにも学習しなくてはいけません。
佐野さんの記事には差別を助長するような表現は一切ありません。
見出しは週刊誌特有の過激なものになっていますが、それを真に受けている一般人の人の耐性のなさにあいた口が塞がりません。
お人よし日本人は、問題を口にするだけでも差別であるというような固定観念を植え付けられています。
(エセがカモに困らないのも頷けます。)
そもそも、おかしいんですよ。
普通に人物を評価するときに、血脈や出身地を気にするのは当たり前です。
特に、ノーベル賞を取った人物などは、親や親戚にこういった立派な人がいるとか、あの子は○親似で利発な子だったとか、教育熱心な街で育ったとか、平気に血脈や出自を根拠にして人格を決め付けています。
そんなことを普段から平気でやっているくせに、今回の橋下氏の主張に賛同してしまうのは何なんでしょうか?
そもそも、現代日本で「差別だ!人権侵害だ!」と声を張り上げる連中にロクな人間は居ないのはもう常識になっています。
今回の騒動は、この定説を補強する有名な実例として人々の胸に刻まれるべきでしょう。
あの雑誌は橋下さんの人権侵害ではなく
「同和差別をしています」という見解の紙面の筆者に
橋下さんが怒ったのではないの?
感じたよ。だって佐野氏は一方的に八尾が犯罪
の温床であるかのような柄の悪い土地柄のように
書いて、書き逃げは許せない
橋下氏が朝日本体までクレームを入れないと
週刊朝日にこの問題解決求めても無理なのは
分かってることだし
特に古いやくざ映画と被差別、犯罪そして
八尾を本文中で暗示的に結びつけたのは本当
に許せない
八尾市長には断固対応するようメールした
大阪府差別事象に係る調査等の規制等に
関する条例1985年施行
そもそも大阪では被差別の地名を調査し
特定する行為は違法なんです
東京出身の佐野氏は被差別の問題が
大阪ひいては西日本では非常にセンシティブな
問題なのにそれを皮膚感覚として理解していないん
だと思う
大体橋下をハシシタと呼ぶことの意味は大阪では
みんなわかってるし声を潜めて話すようなこと、、、
それを中吊り広告に出したんだから、みんなドン引き
「週刊朝日」は、何といっても私企業、利潤追求が目的、売り上げを伸ばすべくセンセーショナルな記事を載せることは充分あり得る。
しかし、なぜ即時「売り切れ」「完売」という状況が生じたのか。一部には覗き見趣味・興味本位ということもあるだろうが、やはり橋下氏のこれまでの言動から「橋下氏とはいったいどういう人物なのか」ということを、多くの人が知りたいと考えたからであろう。とりわけ著名人について「人物論」が書かれることは珍しいことではない。たとえば、政治評論家・作家の戸川 猪佐武氏(1923~ 1983年)には、そうした著述が多い。
W選挙前に出版社系の2週刊誌が同様に同氏の出自を扱った記事を載せ、やはりよく売れた。(その扱い方を問題にしたのは橋下氏よりむしろ一般市民である。選挙を控えもっと政策論議に重点を置けという投稿を朝日新聞で読んだ。) そして、とりわけ「日本維新の会」を結成し「国政進出」をうたう同氏について再び人物論が現れたことはごく当然のことである。しかし、表紙の見出しから予期される内容の記事を載せた週刊誌がよく売れたのは、橋下氏の言動に何か不安・危惧を抱かせるものがあるゆえではないか。その根源をかれの生育歴に求めることの可否は別として。(上記出版社のうちの一つは橋下氏の自説展開の本を出しているが)
今回の「週刊朝日」の記事を読んで「なるほどそうか」と思った人もいるだろうし、「なにもこんなこと書かなくても」と考えた人もいるだろう。解釈はそれこそ読者に任されている。もちろん虚偽・捏造によって個人の人格の毀損・業務の妨害をおこなった場合は、法によってそれに対応し処罰できる。いやたとえ「事実」であっても事と場合に拠り「名誉棄損」で訴えることができる。無論、橋下氏が感情として記事に憤激すること、記事の掲載に抗議することはあってもそれは当然であろう。
だが、問題は抗議・対応の仕方である。橋下氏は「言論の自由」「表現の自由」「思想・信条の自由」などの人権を尊重していないことは、これまでの施策・言動から明らかである。かれが「人権侵害」と声高に叫ぶのは自身が損傷を受けたからであり、自身の感情損傷を公論にすり替えているところに、それが通用しているところに問題がある。
このブログの本文には、《今回の記事について、橋下氏は「血脈主義は身分制度の根幹であり、悪い血脈というものを肯定するなら、優生思想、民族浄化思想にも繋がる極めて危険な思想だと僕は考えるが、朝日新聞はどうなのか。アメリカでの人種差別、ヨーロッパにおけるナチス思想に匹敵するくらいの危険な思想だと僕は考える。」と書いていますが、今回の記事に、彼の親や祖父が出身だから、橋下氏の人格が悪いとか、能力がないとか、「悪い血脈」風なことを書いている部分は全くありません。橋下氏一流の誇張と言うか、はっきり言ってデマです。橋下氏を含めて、週刊朝日を批判している人も、記事の文章のどの部分が具体的に差別だ、人権侵害だなどと指摘することはできないでいます。》とあるが、
橋下氏は、相手を、だれしもが悪いというであろう(しかし、本人はその内容をろくに知らない)「主義」の持ち主に擬し、自身をその被害者、そして、その「横暴」と断固戦う者を装おうとするのが今回の氏のスタンスである。「そんなことまで言うたらんでもええやんか」という素朴な同情論を当て込んでである。メディア・マスコミの言説・論調が常に正しいとは限らない。しかし、その内容の可否・真偽を判断するのは国民・市民であり、「公共の福祉に反する」か否かを判断するのは法であり、一部権力者の感情ではない。
国旗の引きずりおろしなどは問題があるでしょう。それは条例など制定しなくても処分できる事案です。それはそうと、「横行してる」といえる事案が大阪であったのですか?
しかし、教師が歌わない自由を認めないのはそれこそ人権侵害でしょう。なお先進国で国歌斉唱を強制しているのは日本だけです。アメリカでも行っていません。もちろん教師に対してもです。自由主義というのは、他人の権利を侵害しない限りの自由は認めなければならないという思想です。それは、歌いたい人を歌わせないのも、歌いたくない人を歌わせるのもダメです。
>橋下氏は学生、生徒の人権を守る為に動いているだけですね。
反対している教師が学生、生徒の人権を考えてないのは明らかです。
よくそんなことが言えますね。君が代斉唱を拒んだ教師を処分できる条例のどこが人権を守っているといえるのでしょうか。
もし君が代を奨励したいなら、拒否する権利も明記しなければなりません。
参考 https://t.co/u9DXVtWN
ミネソタ州法121A.11Subd. 3.(忠誠の宣誓)
(a) 全公立学校またはチャータースクール生徒は、週一回もしくはそれ以上、米国国旗に向かい忠誠の宣誓を暗誦しなければならない。
この暗誦は以下の通り行われねばならない。
(2) 校内の内線を使い、校長もしくは学校運営管理権をもつその他の人間によって指名された人間によって行われる。
公立学校またはチャータースクールの理事会は、毎年行われる多数決に従い、この義務を実行しないことも可能である。
(b) どの生徒または教師も、忠誠の宣誓暗誦への参加.を拒否することができる。
ま、日本を複数(2つか3つ、もしくはそれ以上)に分割すべきではないかなー と思うのです。
> つまり、歌う人が歌うのはかまわないが、歌わない自由も認めなさいと言うことです。
過去には国旗を無理やり引きずり降ろしたり、卒業式を妨害、つまり学生、生徒に対して歌わせない自由を認めろという行為も横行してました。
これは教師が人権侵害を行ってきたという事ですね。
また、学生、生徒には今でも歌わない自由は残ってます。
教師に職務命令を守れと言ってるだけです。
橋下氏は学生、生徒の人権を守る為に動いているだけですね。
反対している教師が学生、生徒の人権を考えてないのは明らかです。
アムネスティは右左関係ないという意味では、一番マトモに近いかもしれませんが、それでも、死刑は反対するのに戦争での殺人は反対しません。
また、ネオナチ等のヘイトスピーチも反対はしませんね。
ま、この話は本題からそれるので、私からはこのくらいにしておきます。
ここで問題なのは、「橋下への差別かどうか」ではなく、「橋下を攻撃するために、差別意識を利用・助長するような表現をすることが妥当かどうか」ってことだと思いますよ。
徳岡先生は孫正義氏についての評伝の例をあげていますが、おそらく孫氏の評伝は、孫氏に好意的か、少なくとも中立的なスタンスでしょう。だから、孫氏の生い立ちが在日朝鮮人であることに触れていようと、問題ではない。
これに対して、週刊朝日の記事は、一度で終わってしまったので不明ですが、朝日新聞グループのスタンスからいって、間違いなく橋下氏に対して否定的・批判的なものでしょう。その文脈の中で、橋下の「本性」が「DNA
」とか「血脈」に関係していると称するってことは、まさに特定の社会集団の血筋とか家柄への差別意識につながる恐れがあります。
さきほどの孫氏の例でいえば、仮に孫氏が、悪徳サラ金会社の社長で、高金利とか強引な取立で批判されるような人だったらどうでしょうか?
そういうのを批判する傾向の記事で、「このサラ金社長の本性は、在日としての生い立ちやDNAに関係がある」「サラ金社長自身も知らない本性を、血をさかのぼってあばく」なんていう記事や宣伝文句を出したらどうでしょうか?
コレ、橋下さんですよ。
今までさんざん人を差別しておいて、自分との利害関係でようやく「人権」なんて言葉を口にした。
差別を無くそうと運動してきた人を抑圧してきた張本人が金切声を上げて騒いでいるから、みんなシラケて無視しているんですよ。
○だから週刊朝日の連載企画は、殆ど無意味で、それに橋下の人間性は特異なものだから先祖を遡ったところで、アレと同じような人間を発見する事は出来なかっただろうと思うんですよ。
○又、地区を探して回ってもアレと同じような人間を発見する事は困難でしょうね。詰り橋下の人間性ととは無関係なんでしょう。
○只、不思議なのは、橋下が何故あんなにも知識人、文化人を敵視するかって事ですね。朝日新聞だってインテリの権化みたいに思われているからこそ、橋下はあんなにも執拗に批判した訳でしょう。まあ、公務員叩きと同様、大衆のウケ狙いと考える事もできますが、それにしても異常だと思います。研究の余地有りですかね。
>例えば、学校で日の丸や君が代に反対するなら朝鮮学校や韓国学校でも国旗や国歌を歌うなと主張すべきなのに、そんな事は絶対にしません。
日の丸、君が代の強制に反対しているだけです。つまり、歌う人が歌うのはかまわないが、歌わない自由も認めなさいと言うことです。
>従軍慰安婦は騒ぐのにチベットやウィグルの人たちの人権侵害やベトナム戦争時の韓国軍の婦女暴行虐殺にはダンマリですしね。
われわれは日本に住んでいるのだから、日本の問題に最優先で関わるのは当然のことで、諸外国の問題にまですべて取り組めというのは、タメにする批判です。
それと右派が他国の残虐行為を持ち出すのが、日本の残虐行為を相対化するという「不純な動機」としかいいようがないので、不快です。
ちなみに、アムネスティなどは国際組織ですから、こういったすべての国の人権侵害問題に取り組んでいます。
まず、議論の場においては発言者の立場・目上年上・血縁w・DNAによらず論立ての筋道と、反駁への誠実な態度が重要なので
投稿タイトルは、謙譲の意思から発したものとしても議論の場自体を否定しかねないものです
堂々となさっていてよろしいんですよ、誰も女風情が、選挙権も持たぬヒヨっこがなどといいません
もしいたらこのコメント欄の橋下市長応援派も否定派も、わけ隔てなくその人物を許さないでしょう
この度の騒動も、週刊朝日がそういった許されざる行為のひとつをマスコミという権力で押し通そうとしたのでは?
と橋下市長が感じ取ったことが発端です
看過しえぬ近代民主主義への挑戦を、記事や広告、アオリから感じ取ってしまったがゆえに
週刊朝日や著名wな作家w氏が社会通念と相容れぬ差別主義者ではないか、という危惧を持ってしまった
もしそのような連中やそれを容認するグループとニコニコ笑いながら一問一答していたら
それこそ、暴力団と関係があっただけで大臣の首が飛ぶ御時勢、反社会的集団となればなおさらです
ではありますが、マスコミの権力チェック機能に人一倍配慮する橋下市長は
=記事の差し止め、連載打ち切り=を求めることなく、事実関係の確認を要求したのみでした
取材拒否も風説というか悪質なデマであって、質問への対応を一時的に控えるといったのが事実ですし
会見場への入室も、録音も取材もいっさい拒否せず、質問があれば他社に頼み込んでみれば、という抜け穴までレクチャーしてあげるサービスっぷりです
ここで重要なのは貴女の持ち出した
>私が正しいのだと記者を、国民を説き伏せているようにみえました。
というご意見はピントがずれていて、先に貴女が恐縮する理由はない、と述べたのと同様に
近代民主主義国家の一員として誰もが見過ごしてはいけない差別主義的主張を、たまたま槍玉にあがった橋下市長以外誰も糾弾しなかったことが異常なのです
慌てたメディアやマスコミ、有識者、徳岡先生なども、この記事自体に差別的要素を見出したか否か、といった微々たる差異を乗り越えて
もし、差別を助長する意図から記事・連載を組んだのならば許しがたい、と結論付けました
これはこちらのコメント欄の識者も同じ意見だと信じています
橋下市長は自身の発行する雑誌や新聞、放映局にラジオ局等を持ちませんから
自身が使える発信源である会見とツイッターで、世間に先駆けてこの恐ろしい疑念を払拭してくれるよう訴えるしかなかった訳ですね
市政を預かり国政に関与せんとする大阪市長が、日本国の有識者なら己の立場からもの申すべき差別主義に対して
大阪市長の立場から大阪市の広報で意見を述べるのは当たり前、というかそれ以外の場所で発言したら筋違いも甚だしいでしょう
この由々しき問題を有権者にアピールした行為が、女子高生さんにアピールとして届いたというならそれはたいへん結構なことですね
差別への危機意識を、市長に指摘されて気づくような有権者に多少の頼りなさもありますが
橋下市長の、自分たちもこの問題について考えてみてくださいという裏のメッセージを受けて
橋下氏の手法を肯定する人も否定的な人達も自分たちでで考えたそれぞれの主張を述べ、議論しあっています
こういったやり口を橋下氏への人気取りへと利用されるのを危惧されるなら
大いに勉学に取り組み、研鑽を積んで、橋下氏が利用する前に自分が正当と思う手法で論を立てるようにしましょう
橋下氏に限らずどの道誰かが論の主導権をとるわけですから、橋下氏に取らせなければ万事OKではすみません
自分の望む方向へ議論を牽引できるよう、頑張って下さい
議論の場は、年齢も性別も関係ない実力勝負の世界ですよ
橋下氏今回の反応の背景については余り異論ありませんが,それとそもそもの週刊朝日・佐野の言説の不適当さは無関係です。
「めくじらたてるほどではない」という程度論が貴見の立場でしょうか。
私は違います。ものすごく嫌悪を感じますし,それを矮小化しようとする意見にも言いようのない抵抗感を感じます。
苦境から這い上がってきたゆえに他人に非寛容になるひとがあり得るのは,こんな異様な攻撃をしなくてもだれでも想像可能ですし,非寛容が問題ならそれ自体を批判すればよい。
論証不可能なDNAとか血とかを持ち出す必要があるのでしょうか。そういうのを差別というのではなかったですか。
それが多くの人に抵抗感を生じさせていることがどうして分からないのでしょう。
こういう意見が出れば出るほど,橋下氏に反対する言説は信用性を失っていくのですけど。
橋下夫人や子どもたちを気遣うなら,ポーズだけの同情をしても・・・あ,同情もしてませんね,あんな夫・父を持ったのだから我慢しろっていう意見でしたね・・・これ自体子供には選択不可能ですけどね。
まさに、同じ事を橋下氏もツイートしてました。
私も従前から差別を声高に言う人で本当に差別を無くそうと思ってる人は少数でl、殆どが自分の利害関係としてしか差別を扱ってないのではと思ってましたし、橋下氏も同様のツイートをしてました。
例えば、学校で日の丸や君が代に反対するなら朝鮮学校や韓国学校でも国旗や国歌を歌うなと主張すべきなのに、そんな事は絶対にしません。
従軍慰安婦は騒ぐのにチベットやウィグルの人たちの人権侵害やベトナム戦争時の韓国軍の婦女暴行虐殺にはダンマリですしね。
> tekatekaさん
奥さんや子どもに我慢しろとは意味不明です。
貴方が言う筋合いのものじゃないですね。
それと、橋下氏がどういう人間かなんてのと今回の記事が人権侵害かどうかとは無関係なんですけど、何故、絡めますか?
その理屈なら犯罪者は出所後も人権侵害が許されるとなってしまいませんか?
ましてや、橋下氏自身がヤクザではなくて父親がヤクザだった事が、何故、橋下氏自身の本性や政治に関係しますか?
あと、貴方の意見の推論は根拠が見えてきません。
他の過多の意見では、そのような推論は排除して文章だけを論理的に判断されてます。
新潮の件も文章を見比べれば何故声を上げなかったかは簡単です。
新潮は事実(らしきもの)の羅列までに留めておいた。
週朝は事実(らしきもの)と橋下氏の本性を強引に結びつけようとした。
この差は大きいです。
ルーツを知りたいのは個人の欲求ですし、それは否定しません。
でも、ルーツを強引に文章という形で橋下氏本人の本性と結びつければ人権侵害と言わざるを得ません。
ヤクザの子どもは本性がひん曲がるなんていうのが許されると思ってるのでしょうか?
今後、橋下氏の差別的発言にいちいち週朝発言との違いがつきまとうことになるでしょう。
ブログ主様に同意です。
私は橋下氏の佐野氏曰く「敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格」に前々から憂慮しておりました。
そういういわゆる世間的には嫌われるであろう人物が国を変えるぐらいの勢いで何故ここまで人々を魅了し支持されるのか?
この押しの強さ、心根の強靭さは一体何故なのか?
それを知りたいというのは佐野氏だけではないと思うのです。ジャーナリズムってこういうところから始まるのではないでしょうか?
当該朝日の記事を読みましたが私も何故こんなに大きく問題化されているのか疑問です。
表現方法に荒っぽい言葉は随所にありますが週刊誌として読み流せる範囲内だと感じます。
しかしテレビのコメンテーター、解説者でこの記事に賛同している意見はひとつもありません。
まあ、難しい繊細な問題なので立場的に無難な回答をしていればそれで済むということもあるのかもしれません。それも良く解ります。
でもいつもは過激な意見を言ってる輩であっても皆と同様な通り一遍な意見しか言わないのは気持ち悪いと言えば気持ち悪いです。
(意外だったのは勝谷誠彦氏が若干朝日、佐野氏に対し擁護的な発言をされていたことです)
今回の週刊朝日の佐野氏の記事はまだまださわりで部分で氏が書こうとしている本質はここから先のように感じました。
むしろ去年「新潮45」で掲載された上原善広氏の記事の方が橋下氏に関してもっと赤裸々に書かれております。
では何故橋下氏は新潮の時は叩かず朝日を叩いたのか。
推測ですが、最近の維新の会は橋下氏の「竹島共同管理発言」にて右側の人達の支持を急激に失っております。
ですからどちらかと言えば左側の彼らの嫌っている「朝日」を叩くことによってこれら右側の人達の支持を回復させ、
そして「人権」「差別」を持ち出してあわよくば左側の人間にも同情してもらえる、そう踏んでのことではないでしょうか。
新潮の時は上り調子の時でしたから「結構毛だらけ」と言う言葉で一笑に付して逆に圧倒的支持をつかみましたからこんな大事にはしませんでした。
何度も言うようですが上原氏の方がもっとはっきり書いておられますよ。
わざわざ地区を特定しなくても良いではないかと書かれている方がおられますが
お父様は暴力団だったということの理由、何故暴力団になったのかというのを説明するにも地区というのはある意味キーワードとなり必要なことだ思います。
まだまだ日本には地区出身というだけで結婚や就職等に差別を被ったりすることも残念ながら残っております。
だけでなく、在日朝鮮、韓国人の差別もネットの掲示板等をご覧になってたら一目瞭然でしょう。
そのような出身の人達はこの日本社会からあぶれその受け皿として暴力団的な団体に行かざる得ない、または地区内々でそうなる仕組みになってしまっている、
もちろん、ここの出身者全てではないのはもちろんのことですが、一般的な被差別地域でない出身の人よりは割合は多いのだと思います。
そういうことなので、橋下氏のお父様が暴力団員であったのは「出身が地区」というのはひとつの理由にもなり重要なことなのです。
ですから単に地区名だけでは意味ないのです。
というかこの件はご本人が認めていることですよね。
週刊朝日、新潮45の彼の生い立ちを読んで感じたことは、そのある意味底辺から這い上がってきた彼のしたたかな生きる力強さです。
これはソフトバンクの孫氏にも感じたところです。
しかし人間の弱さも強さも知っているであろう彼が逆に社会に非寛容的になってまるで復讐をしているような振る舞いは残念といわざるを得ません。
どうしてそうなってしまったのか?そんな彼が日本の権力者になろうかもしれないのです。そのルーツを知りたいと思うのは自然なことだと思うのですが…。
でもしかし心にひっかかるのは、やっぱり橋下氏のご家族のことですね。奥様やお子さんがどう思うか。
これは公人としては避け得ない事なのでしょうか。
一国を左右する最重要人物となってしまった夫、お父さんを持ってしまったご家族にはここはぐっと我慢をしていただきたいなと申し訳ないのですが思うのです。
佐野氏には別出版社から(朝日はもう謝罪しちゃったので無理だと思いますから)本でまとめて是非出版していただきたいと思います。
地域・名称を出した同和問題をDNAにまで置き換えて記事にしているのに、それこそお得意の子供たちに与える影響はとか、金切り声出して、廃刊運動・デモ行進を起こしてもおかしくないくらいの、大スキャンダルだと思うんです。
標的が橋下さんだからって、傍観してるんじゃ、教育の平等性も差別根絶教育も、何ひとつ真剣みを持った意識はないってことの表れな気がする。
国歌斉唱問題であれほど、橋下さんに噛み付いて置きながら、教育の最前線で最も怒るべき問題で、攻撃されたのが橋下さんだから傍観ってことなら、まさに差別教育って何?イジメ根絶って何?って、それこそ子供たちへの説明ができないのではないかと感じています。
橋下市長と朝日グループとの対立であっても、マスコミのこの件で教育関係者へのインタビュー記事を見かけないのが不思議なのです。
私の視点・論点がズレ過ぎてるのかな
私は思っていることを書いただけ、だからみんなも思ったことを書けばいい。私は書くだけだから、みなさんの意見に正面からはぶつかりませんけどね。
ということですか?
自身の人権侵害うんぬんはごくわずかでしょう。
佐野氏、週刊朝日の姿勢は糾弾されなければならないと思います。これを是とする社会はとても危険です。ブログ主はそう思わないのでしょうか?
なお、ホスト主は、荒らしや誹謗中傷や明らかに低レベルなコメント以外は全てのコメントを掲載すべきです。
でもこれは人権問題でしょう。
“もし万が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、(略)そのやっかいな性格の根にある橋下の本性である。そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない。”
精神鑑定とかなら正論なのかもしれませんが、我田引水過ぎないですかね。何にせよ、あの記事、特に文章構成は酷いと思いますよ。
前略~ピッキャンは八尾の安中の生まれやけど、子供時代から悪くて有名やったらしいねん」
橋下之峯の出身地の八尾市安中地区には被差別がある。
― ヤクザ組織には入っていたんですか。
「悪くて有名→被差別→ヤクザ」の流れですが…これは原文そのまま、連続して書かれてあります。
橋下市長憎しで書いたのでしょうが、これをいわゆる対象地区の方が見て、心を痛めるとかという配慮は無いのでしょうかね。
市長が問題なしと就任当時に言われた、だからOK。
そうですか?
市長に対して密室で個人的に言うならある意味OKでしょう。
でもそれを文章化して公共の目に触れさせたんですよね。
で、実際、地区出身の友人は、傷ついてましたよ。
いかにも、は、だからダメだと書かれたみたいだと。
…まぁ、紙面自体しりませんでしたし、多分友人が言わなかったら気付かない私も私ですが、橋下氏のみに対して人権問題云々と、それだけで切って捨てるにはどうかと。
言葉狩りや過剰反応とか言われるかもしれませんが、実際、友人が傷ついてます。
それが人権派の朝日発端ていうんですから失笑してますがw
記者及び編集者の人権感覚の無さが如実に暴露された事件だと思います。
やっぱこれは、人権問題ですよ。
そこから橋下さんの批判を行いたければ、行っていけばいいのです。佐野氏の論理は、例え、殺人犯に対してでさえ、許されざるものです。週刊朝日の表紙をみただけで、深い悪意を感じてとてつもない嫌悪感を抱きました。
ブログ主さんが表明に勇気が要る考えを素直に述べられたということですので,私もこんなはずはないという思いは捨てて,そのまま受け取ってコメントします。なお,次回以降は個人的感情に依拠した「後輩」等はやめますが,私であることは分かるように,仮に今後コメントするとしたら,「ハクツル愛飲者」と名乗ることとします。
また,「堂々と」,というのは,上記のような不適切なハンドルを用いた私以外のコメントされた方に対しては不適当と思っていますこと付言します。
さて,可能なら次の点についてお答え下さい。私の橋下氏に対する感情・反論・反感は,これに触れても誰からも共感は得られないので,今後一切除外することにします。戦略戦術的な浅はかな議論ももうしません。
1 橋下氏は公人である自分のプライバシーを調べられ明かされるのは甘受するというスタンスで一貫し,批判の焦点は「血脈主義」にあります。確かに佐野論考では,佐野自身が橋下氏が被差別の父の血統のせいで問題人格であると「直言」はしていませんが,記事全体からして,普通の言語感覚をもつ者であればそう言っているに等しいと受け止められると思いますが,ブログ主さんの意見は違いますか。あからさまに書いてないからいいのですか。
2 「ハシシタ」というのが橋下氏も自認するご自身の氏の旧読み方であったとして,それを変更したのはなぜなのでしょうか。旧呼称と変更の事実を本人が自認・公言していれば,公然摘示してよいのですか。記事表題,表紙,吊り公告にそう書かれることで,それを目にする人々にどのような印象を持たれると思いますか。
3 公人については広範な情報を可視的にすべきだとして,橋下氏の父が被差別の方であり,覚せい剤を使用していたとの不確実な証言があり,縁戚の人の血縁者に犯罪歴がある方が居たとして,この情報から有権者に有益な情報が何か得られることがあるのですか。無益なら明かしてもよいのですか。歴史的人物の評伝を記述するのに筆者の主観からのエピソードとして書くならまだしも,現存している人物に対する論評として適切ですか。抽象的でもいいですから,有権者の判断に資するようなケースを例示して下さい。ブログ主さんを含め,今回の週刊朝日・佐野の言説について否定方向でない論を公表しているいろんな言説を見ましたが,いまだこの点を説得的に述べている意見を見ません。
せいぜい連載は最後まで見ないと分からないという意見くらいしかなく,私の考えではこれは卑怯な論争回避です。「自分の考えでは例えばこういう見解が表明される可能性があり,いま佐野の口を封ずるのは卑怯だ」,と自信をもって言えないなら,それこそ卑怯と思います。
4 ブログ主さんは,例えば刑事被告人の性格立証として血脈的事実に言及されたら,弁護人として直ちにそれに抗議する方だと思います。橋下氏についてはそれが許容されるというのであれば,その理由は何ですか。公人だからですか。公人に対してだけ許容されるという基準があり得たとしても(名誉毀損の違法性阻却についてはあり得ますが,これは刑事責任・民事責任の賦課という,国家が表現者に強制力を発揮すべき否かというステージでの基準です。),国民意識のレベルでそれが無制限に拡張される危険性を感じませんか。いくら公人に関わるものであっても,許されない論法はないのでしょうか。
5 橋下氏が司法手続で今回の記事差し止めを求めたり,損害賠償請求をしたりした場合に,司法権が発動されるべき基準(それでも今回のはアウトと思いますが)と,報道機関としての自己に課すべき倫理は違いませんか(前問とダブってる?)。
6 コメントいただいた内容から判断すると,ブログ主さんが今後検討すべきと考えておられるのは橋下氏のお子さんの人権の点だけですか。今回この件が多くの人に衝撃的に捉えられたのは,ふつうどう考えても公言すべきでない血脈主義に基くとしか思えない言説が,それも朝日からされたからと私は思っていますが,ブログ主さんのご意見は,橋下氏のお子さん方の人権にかかわるという点だけですか。当該地域にお住まいの方,それ以外の地域でも差別に苦しんでおられる方には,今回の週刊朝日・佐野の言説は無関係なのでしょうか。
7 差別その他の問題について,殊更に議論が封殺されることがかえって差別を温存しているという見解には基本的に賛成ですが,今回のような言説が,そのタブー視されている被差別問題(というか差別温存的同和対策問題)の解決に資すると考えておられますか。私は,今回の記事がさすがにひどすぎるという見解が多く述べられたことに,まだしも一縷の望みを見出しました。
8 なお,橋下氏が反撃として取材拒否(正確には会見回答拒否)を朝日新聞にまで行ったことについての議論は別にあり得ると思います。しかしそのことと,そもそもの週刊朝日・佐野の言説の問題性は全く別です。
橋下がいかに問題人格者でも,差別主義者でも,今回の反撃が度を過ぎていても,そこに彼のキケンな人格が発露していても,そんなことは全部そもそもの週刊朝日・佐野の言説の正当化の理由にはならないと思いますが,ブログ主さんのご意見はいかがですか。
ブログ主さんのブログのコメント欄は承認制ですから,私の2回のコメントは不承認にしてくれてもよかったのです。
しかし,私の個人的感情を交えたコメントを承認した上,他のコメントをした方にも向くように「堂々と」=批判的コメントは堂々としていない=かのように言われる以上,このコメントだけは公開して,ちゃんとお答えを頂けるように願います。
私が見る限り,私の感情的コメント以外はほとんどがブログ主さんのお考え自体についての冷静な批判であると思いましたので。
私のこのスタンス自体に対するご批判は全て受け止めるつもりです。
しかし、地区と書き、DNAと書き、父親はやくざと書いたら「差別だ。人権侵害だ」と連結的に理解するのは、そんな意識が頭の中にあるし、橋下氏もうまく「被害」を言い立てた結果だと思います。
地区名を書いたらいけないのかどうかは論議があるところでしょうが、特に差別をあおる表現も使われていません。また、地区のこともすでに報道されていますから、特に秘密性はありません。その他のことは、冷静に読めば、人権侵害とは思えません。上品か下品かは論じられるかもしれませんが。
この文章を載せた朝日も当初はそう考えたのではないですか。ならば、下品だという批判に耐える覚悟があればよかったはずなのに、差別だの人権だのという言葉を持ち出して謝罪し、自分たちの商品と表現をきづっけ、あろうことか連載を打ち切った。
ジャーナリズムとしての覚悟がない、なさすぎると思います。
私は、このブログの持ち主の主張に結果として賛同します。
「人を不愉快にする・品が悪いもののみ承認しません。」
とありますのでそれに該当してしまったのでしょうね。
すみませんでした。
悪気はなかったのですが、
なんとか少しでも橋下氏の行動にストップをと
思ってコメントしましたが、
不適切な内容であったと認識いたしました。
すみませんでした。
「もっと堂々と生きたらいい」
は私への返答も含まれていると受け止めました。
今までありがとうございました。
それでは失礼いたします。
週刊朝日から橋下氏に不適切な文章があったと謝罪したのに、それもなかったことにするんですか?
弁護士が加害者と被害者双方が納得し、謝罪し、それを受け入れたのに「そんな事件はなかった~」と裁判所で叫ぶんですか?
私は正しいと思ったことを書いただけですよ。
とても難しくて微妙な問題ですから勇気は要りました。
しかし、あれだけ朝日がつるし上げられている状況で、まさかあの記事が人権侵害ではない、と書くことは大変です。そういうときだからこそ一石投じました。
市民が選挙以外のいろいろな場面でも政治に参加する参加民主主義という意味では、私はこのブログも広い意味での政治参加だと思いますが、別に、ここで政治的な駆け引きをしているわけではありません。
そんな計算をしていたら、趣味のブログなのに面白くなくなってしまうでしょう。
一時、維新の会の支持率が下がっていましたが、私は安心していませんでした。
今回、朝日問題と全国遊説で一時支持率が上がるでしょうが、そんなことに一喜一憂していてどうするんですか。
転載は、ガシェット通信さんが転載したいとおっしゃってくださったから応じただけです。自分の記事を多くの人に読んでいただきたいとは普通のことですものね。BLOGOSの時と同じです。
しかし、そんなことで橋下さんに物量作戦で勝てるわけがありませんし、そんな考えは毛頭ありません。
思想の自由市場と言いますが、いろいろな考え方にみんなが自由に接しられて、そこから取捨選択したり、ご自身の考え方を形成したらいいじゃないですか。橋下さんも本音かどうか知りませんがそうツイートしています。
いろんな意味で、思想が市場に出なくなるタブーは良くないんです。
また一時的にどう言えばどう有利になる不利になる、なんて、せせこましいこと考えてたら、人間が小さくまとまるだけですよ。
私は弁護士業でも駆け引きしませんよ。依頼者にも相手方にも裁判所にも、正直に接するのが結局一番うまくいくと思います。
正しいと思ったことを言い、良いと思ったことをしたらいいと思います。
後輩さんも本当に私の知り合いなのだったら、本名で投稿したらいいし、私だけに意見を言いたいのならホームページからメールをくださればいいんです。
橋下さんのお子さんの人権については大切な問題なので、これからさらに考えてまた書きたいと思います。
ご意見に自信があり,かつ,フェアかどうかは問わず,物量的プロパガンダでの政治的勝利を目指しておられると受け取りました。
前回の私のコメントも掲載されたので,反対コメントを封殺するほどには「独善」を潔しとしない姿勢をかろうじて維持していると思える先輩に最後に一言意見させていただきます。
これ以上先輩のことを知っている後輩(正直そんなに深く個人的おつきあいはないですが,これはホントです。今回の先輩の主張を偶々知って本当にショックだったので,信じないのは自由ですけど,もしかしたら危惧感だけでも伝わればと思って「後輩」とだけ明かしております。)からの発言といういいかたを自らを明かさず行うのはフェアじゃないと思うので,このハンドルでコメントするのはこれが最後とします。
コメントに寄せられた先輩の意見に批判的な意見こそ,我が国がようやく到達したある程度の人権意識を表していると思いますが,先輩はいかがですか?
橋下氏のその後のツイッター(特に週刊朝日でなく朝日新聞をターゲットにした戦略論など。どうせ後付けとは思ってますが,うまく言ったもんだ。これでますます崇拝者を増やせるでしょう。)をみるに,私はますます油断できない「敵」として橋下氏を認識しましたが,今回の論争では橋下氏完勝・週刊朝日佐野完敗との認識は全く変わりません。
先輩のこの記事もいまさら引っ込められないでしょうし,私が先輩の人柄に幻想を抱いているだけなのか,先輩自身それほどやらかしてしまった意識はないのかも知れませんが,もし今後橋下氏が政治的に力を得て何かやらかしたときには,今回このあまりに低レベルな橋下バッシングを擁護したことで逆に橋下を利したひと達に重責があるということだけは申し上げておきたい。
フェアかアンフェアか問わず幸いに橋下氏の支持を剥がせたなら結果オーライかもしれないが,おそらくそんなに甘くないと思いますよ。
徳岡さんがこれまでいろんな貴重な活動をされてこられたその関係者に,今回の件について意見をお伺いになられることを切望します。
それとご自分の内心を振り返って,橋下憎しや,同和問題の歪んだ構図(ただしこれは先輩ご自身の語られようから,そんなに濃い問題意識のある点であったとは受け止められません)への異論から,おぞましい血脈論への批判を忘れたのじゃないかとの批判に,はぐらかしでなく本気で反論できるか,どうかどうかよくご再考願います。
返答は無用です。本来はこの記事はコメントともども削除されたほうが将来のためと思いますが,時既に遅しですね。
出自の本人の力ではどうにもならない事に目くじらを立てる気はありません。佐野氏の文章は違和感を覚え、気持ちが悪いです。
別に橋下ファンではありませんが、彼を貶めようとするやりかたがあまりに酷いと逆に応援したくなります。
私も橋下氏の言動に危ないものを感じていますが、今回の「週刊朝日」はやはり問題ありだと思います。出自を〝暴く〟のは結構だけれども、出身-暴力団員であった父-橋下氏の凶暴性を短絡的に結びつけるのはいかがなものか。しかも、特定のを記載するなど報道機関としては致命的なミスを犯していると思います。こんな初歩的なミスを犯すから「マスコミは馬鹿ばっかり」と橋下氏に言われるのだと思います。朝日は、どうしてこのようなミスを防げなかったのか、きちんと原因を究明すべきだろうと思います。
もう一つ、強く感じたのは「」問題。どなたかも書かれていますが、私も「八鹿高校問題」を思い出しました。もう問題などないと思っていましたが、熾きのように深く我々の心の中にあり、何かの拍子に一気に火がつくことを思い知らされました。(「」を語って利権にありつこうとするエセもあぶりだすことが必要ではないかとも思います)
佐野眞一氏には優れた著作が多く、私の好きな作家の一人です。時として夜郎自大的な記述をされるのが気にはなるところですが、それが今回のミスにつながったようです。
しかし、「週刊朝日」が連載を中止したのであれば、自らが続きを書いていただきたいと思います。橋下氏のあの凶暴な性格がどうして形成されたのか、視聴率稼ぎのために下劣な人物をマスコミはどうしてちやほやするのかも含めて論じて欲しい。「だれが『本』を殺すのか」と同じように「だれが『メディア』を殺すのか」のタイトルでマスコミの恥部を暴けば爆発的にヒットするのではないでしょうか。
それにしても、具体的な被差別の住所を暴露するなんて、佐野氏も週刊朝日も人権感覚を疑わざるをえません。先の読売の誤報といい今回の週刊朝日。くるっとるとしかいいようがない。
取材するならば、実際に育てたり指導したりした人物本人に会い、どのような教育や指導をしたのかを尋ね、さらに橋下氏自身がそれをどのように消化したり、逆に反発したりして如何に考えているかを聞き出すべきでしょう。それが人を分析するという事でしょう。
要するに佐野氏の仕事は『駄目なもの』なんです。
これまでも来てくださっていた方々も含め、それぞれ、すばらしいコメントありがとうございます。
蕚 慶典さん、パーティ参加者のくだりなど非常に感心しました。
おっしゃるとおり、もっとの問題を勉強していかなければならないと思います。ありがとうございました。
一読させていただいての感想と意見です。
引用なさった朝日の表紙ですが、本性とDNAがおどっています。それをご覧になられて、①本性が遺伝形質によってきまる②したがって、祖父母や父母がどんな人間であったかでその人の在り様がかなり支配される、との2点が隠されたメッセージであると感じられませんか?
法律家であるあなたは「人権侵害」という概念規定をもちいられて朝日と佐野氏の記事を問題なしとされます。
どこまで差別の現在をご存じであるのかと疑問をもちます。人権なんて難しい概念に基づいて「ムラ」のとうちゃんかあちゃんは傷つきません。
まさしく、呪文のように「あのムラのもんやから」と、ささやかれ距離をおかれ気が付くと孤立しているという皮膚感覚です。
兵庫のどこの方かは知りませんが、たとえば但馬という地域をとりあげれば小数点在の被差別地域であって、大阪や京都、奈良のような強い運動団体をもたず、今でも上記のような経験を多かれ少なかれしています。
被差別が全て地区ではありませんし、全てに人権運動があるわけではありません、あたりまえのことですが。
そしてそこでは浄土真宗であることが民の記号として現在も機能しています。
上原さんの著作をどの程度読み込まれたかは知りませんが、彼がいうように「路地」と呼ぶ「ムラ」を事実として知ってもらうことを問題にするようではセンシティブすぐるでしょう。しかしそれはいくつかの内的葛藤や社会運動から生まれる認識、そして宗教的契機を含めて、一定乗り越えてきた(いる)人の立場でもあります。
その手前で足踏みをしているものをあなたは愚かであるとおもわれるのでしょうが、まさしく差別とは外的なバインドと内的なバインドの二重のしばりによって、その人から自由な発想とクリエイティブな生き方を奪うのです。
この朝日の記事には、支離滅裂な大阪のおっさん、という形容表現で維新の会のパーティー参加者が描かれています。
いろんな歪を抱えた人間がいる。それを裁く観点で描くのも自由です。けれども、佐野氏の表現はまともでない者が支持するもともでない人間として、橋下氏をとらえ、そしてそれらの起因として、出身の父や犯罪者の叔父、またヤクザの父を描きます。そして、DNAという用語を使う。
それらが人間を決定するような描き方ではありませんか? こういう思想を「血統主義」といいます。それをあなたが支持されるならともかく、記事自体に血統主義を感じないというのは読み取り能力を欠いていませんか?
書き下ろしで出版されるとの話もありますから、その時立ち読みでもされてはいかがですか。
差別に関する認識については、大きな相違があるようですので、ここで議論することはしません。
政治家になってからも、この人の言動に傷つけられた人は多い。(抗議しても、今回の件のように一般人の人権侵害はマスコミは取り上げない。)
いいだろう、それで。言動一致で素晴らしい。
それを貫いて生きていけ…。
なのに、自分の際には「人権違反」などと喚く。
卑怯だろ。お笑いだ。
彼の出自は他紙が既に暴いている。
なぜそっちは許せて今回のはダメなのか。
新潮は謝罪などしないから、騒ぐだけ無駄だと思ったのか。
橋下に対して、以前から朝日新聞本誌は好意的な論調だった。
ここは謝るだろうし、謝らせた場合に影響力が有ると踏んだのか。
こんなちゃらんぽらん(実は計算)な人間の抗議に、彼の言うところの人権派の知識人がコメントするわけないだろうよ。
「人権」なんて一番言っちゃいけない人間が騒いでいる、茶番だ。
橋下氏をあの当時の「糾弾者集団」の姿と重なって思い出した。
知らない人は調べてほしいし、記憶がある人は、再び「糾弾の場」を作らないように警戒してほしい。
ただのイチ記者なのに「自分は社の見解を述べる立場にない」と何度も言ってるのに執拗に責めたてる。
朝日新聞の見解を求めるならその立場にある人に問いただせばいいのでは。
頭のいい橋下さんがそのおかしさに気が付かないわけはなく、
自分の持っていきたい方向に、話を誘導する目的を感じました。
そしてその手法はどうやら通用してるようだ、という点に、恐ろしさを感じます。
同郷であり、私の母校の学部にて教鞭をとられたいた方のようですので、失礼ながら書き込みいたします。
昨年のW選挙前の新潮・文春記事も、今回の週間朝日の記事にも、相当な湾曲した悪意を感じて非常に不快な気分で記事を読みました。
確かに明らかに法的に問題なのは、地区が特定されるかのような表記の部分と、名誉毀損、そして亡くなられた方のプライバシーだけなのでしょう。
しかしながら、法に携わりそれを教え広めていく立場の方なら、”法律以前の問題”所謂”常識”やら”道徳”の観点を論ずべきかと思います。
あなたのお立場ならば”Noble Sturboness(綴り忘れました)”を発揮すべきは、週間朝日と佐野氏の品のない表現に対してであり、橋下氏の政治的パフォーマンスに対してではありません。
むしろ、ディベートの方法論として橋下市長の手法を解説し私の後輩に教え広めていただきたいものです。
あなたの文章からも、橋下氏への感情がみておれます。
↓法律の専門家ならこれくらいの解説をしていただきたく思います↓
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51817256.html
これに対する反応は、その人の本質を見る良い判断材料になると思います。
「橋本氏は好きではないが、今回の週刊朝日の記事はゆるせない!」
その人にとって譲れない物、根幹が”人権”にあり、その結果として反橋下の立場を取っているなら、こういった記事になったのでは?
宮武さんにとって、差別や人権の問題って、瑣末な枝葉に過ぎなかったのですね。
>H.KAWAIさん
精力的に反論コメントを寄せられているH.KAWAIさんについても、同様の見解を持っています。
っていうより、ご自身で仰ってますね。
その根幹にあるのは橋下氏に対する警戒感であり、今回の問題も「人権侵害」「差別」の観点からはご覧になっていませんね。
それでは話が噛み合わないかと。
「あんぽん」の後が「ハシシタ」で、佐野氏もちょっと安直だとは思ったけど、それこそ二番煎じなだけで、差別の意図はないでしょう。
これだって、私は「ハシモト」を本名だと思っていたので、「橋下」という字の時点で、出自を明らかにしている人なんだ、弁護士という職業上それも善しだなと、この人が世に出た当時から思っていました。
地区を特定って、ご本人が公表してるものを今さらどうしろと?
で、当の被差別地区の方々はどう思ってるのか。
とっくに本人から「あそこのの出身」と公言されて差別の眼差しに晒されているのに、その当人は今度は「(地区じゃなく)身内を貶めるな」と言い出してる。
どうせ訴えるのなら橋本さん、「被差別出身でも犯罪者になったのはウチの身内だけ。他の方はみんな真面目にやっている」と言うべきだったんじゃない?
とにかく、当の地域の人たちがどう思っているのか、そこへ取材が行けなくなったことが、この件の一番の問題ではないですか。
地域の人が嫌だなと思っているとしたら、「橋下親族の名が出ることで、これで被差別出身者はやはり犯罪者になるのだと思われること」ではないでしょうか。
橋下さんは血脈・DNAを「環境」にすり替えて差別だと怒っている訳ですが、それこそ一族の「血」に起因させ、堂々とするべきであったと思います。
>橋下氏は権力を乱用している。
うん、そうだね。で、週刊朝日と佐野氏は?
メディアと言う紙媒体を使って、本人の責任ではない血脈を一方的に否定するのは、メディアという権力を使うことになりませんか?
橋下氏は個人的には朝日の取材を断るが、政治や維新の党として取材は受けると言いました。
また、公人である以上。週刊朝日にまた好き勝手に書かれる密室での会談を断ったのは正解でしょう。
一般市民も観れるテレビで朝日をなじり、朝日新聞からの質問も回答してましたよ?
橋下氏に言いたいこと、その政治姿勢が気に喰わないなどあるなら、その時に本人に言えば良いじゃないですか?
つまり佐野氏はメディアという幼稚な権力を振りかざすことはできても、表だって反論もできない卑怯者ということじゃないですか?
橋下氏の政治姿勢は正直あまり好きになれませんが、佐野氏のミスを見てみぬフリをする貴方のような方をみると残念に思えます。
>橋下氏のルーツを探る取材をしていく中で、出身地区が明らかになっただけ。
>むしろ、今回の連載内容が問題である、書くべきではない、という意識の中に、”差別意識”が潜在的にあるのではないか、と思ってしまいます。
>潜在的な意識の中に”差別意識”をもっている人、
>ふだん、誰かを差別している人、そうした人たちが今回の記事に敏感に反応したのではないか。
>Unknown (おっぱま)さん
>佐野の意図はわかりませんが、私が書き手の立場であれば、既に周知の事実をわざわざ隠すのは、
>何となくいやらしい感じがしますね。タブーの構造に棹さすようでもあります。
>いったい、について「特別意識している」のはどちらなのか。
ですから、佐野氏はどういう意図を持ってわざわざの事に触れる必要があったのか
またあなたが佐野氏だったらどういう意図を持って触れる必要があると思うのですか?
周知の事実であってもそれをわざわざ特別に持ち出す意味はなんですか?
出身地で人を判断してるってことですか?
かでないかを特別意識していないのなら、
いちいち出身者が親族にいるとか幼少期の近くで暮らしてるなんて
記述する必要がありますか?
ただ調べて判った昔の住所を余計な枕詞は付けずに
普通の地名としてフラットに書き込めばいいだけじゃないでしょうか?
○○地区をやと称号で呼ぶのはその時点で差別ですよ。
本当に特別意識がなく、差別意識がないのなら、
橋下徹氏の父の出身や子供の頃過ごした場所などは、
他の地区と同じように、普通の地名のみでサラッと呼べばいい。
なんで普通に『幼少期大阪府大阪市の○○区で過ごした』
『父は○○区の出身だ』と事実をそのまま書くだけにしておかなかったのですかね?
問題の根源はそこですよ。
そして見出しに『DNAを辿り本性をあぶりだす』などど編集はつけてしまっているのですから
これは遺伝子と血脈を材料に人間を評定する意図を持った記事だ、と思われても仕方ないでしょう。
問題は橋下氏との事だけではないのです。
これは橋下氏とのみならず、この世のあらゆる人種差別問題や
別の人間に置き換えても同様に発生すれば問題となる記事です。
この記事をひとたび前例として認めてしまえば、パンドラの箱を開けたように
今後あらゆる人間とあらゆる事柄に対し、同様の記事を書く事が許される、
という事になってしまいます。
日本中のマスコミがこぞって著名人、芸能人、政治家、事件を起こした人間、
あらゆる人間の『遺伝子と血脈』を暴き、粗を探し、
恣意的に突いては叩き、引きづり降ろしたい人間をこき下ろす事が
いくらでもやりたい放題となってしまいます。
しかも報道の問題のみではありません。
報道でこういった事が許されるって事は、
『マスコミだってやってるんだから、俺だってやってもいいじゃないか』ってことを
全国民に手本として教え、植え付けるってことです。
あなたは今後、自分の家系や出生を
『あなたという人間の本性を炙りだすためのルーツだ』として勝手に調べられたり、
その事が理由で就職、転職、転居、寸借、学業、子供の人生と将来と進路、
縁談、出世や昇進、社会的チャンスに影響を与え
全て左右され、決められる世の中が来てもいいと、
そういう世の中を容認出来ると思うのですか?
朝日新聞もさすがにそれはマズい、と最低限解っているから
慌てて連載取りやめを決め、謝ったわけです。当然の事です。
橋下徹氏が公人だから、というのであれば
記事を書く人間にも社会的影響を及ぼす公人としての責任が同様に存在し
そしてそれを掲載するマスメディアにも公的存在としての責任と影響力が
橋下氏同様に存在しており、橋下氏が問題のあることを言えばバッシングされるように
マスコミとジャーナリストも問題のあることを言えばバッシングされる、それは当然の事です。
何となくいやらしい感じがしますね。タブーの構造に棹さすようでもあります。
なんといっても連載は始まったばかりで、佐野に意図があるとすればそれは今後明らかになる、はずでした。
連載全体の構成から見れば、枕もいいところ。本題に関しては、まずは事実や証言を並べている段階でしょう。
いま佐野に説明を求めるのは、いきなりネタばらしをしろ、と迫っているに等しい。
その段階で、明示的には書かれていない「差別」を読み取ってしまうのはなぜか?
それが前回の私のコメントのタイトルの意味です。
いったい、について「特別意識している」のはどちらなのか。
○それは何かと言えば、橋下は権力を濫用する僻があるという事です。
○今回の事で言えば、週刊朝日の記事に問題があったとしても、それに反撃する手段として朝日全体への取材拒否という不当な方法を用いています。
○差別だ、人権侵害だと言えば橋下に味方したくなる人が多いのは社会が健全である証拠かも知れないけれど、権力を監視する視点も忘れてはいけないと思うんですよ。
○これまでにも、橋下は市の職員に対して、思想調査や刺青の有無の調査を強権的なやり方で行なっています。刺青は問題だと考える人はいるでしょう。又、職員の政治活動を問題だと考える人もいるでしょう。だからと言ってこれらについて、処分による脅しを掛けて強制的に調査する事が許されるとは思えません。
○昨年の大阪W選の際に新潮や文春が橋下の出自を記事にした時、橋下は地方の首長でしかありませんでした。しかし今や橋下は国会議員9名を擁する政党の代表です。橋下の権力濫用は朝日で止まらないでしょう。NHKだって狙われるでしょう。いや、メディア全般が萎縮するようになると思います。
○「維新」が政府与党の一角を占め、橋下が権力を振るうようになった時の危険性を軽視すべきでないと思います。問題を「人権侵害」、「差別」に矮小化すべきでないと思いますよ。
確認したいのですが、野中さんの例で言えば、彼も与党幹事長、官房長官を歴任した権力者であり公人ですから、今回と同じ記事が出てもそれは人権侵害ではないんですよね?
野中氏も出身者なのは有名な話ですし、しかも政権中枢に居た大権力者ですから、橋下氏よりもより公共性は高いわけです。
野中氏について、今回と同じ記事が出ても貴方は人権侵害はないと言い切れるんですね?
橋下と野中は違うとか、仮定の質問には答えられないとか逃げずに、ハッキリ明確に答えていただきたい。
本当は書こうか書くまいか迷いましたが、どうしてもこの記事の不可解さ、というよりはただの「橋下徹という人物の人格否定」を品よく、しかし差別的で、この事が場合や人によっては「死刑」よりも酷い行為だと理解していない事に対して思うところがあったので書き込みさせていただきます。
まず私は橋下氏に関して、最近は竹島発言や維新の会などで疑問に思うところもある人間です。
しかし今回の件は別です。
人間として週刊朝日の掲載は許せないです。
言いたい事は簡単です。
あなたの先祖で、あなたが知らない重大な犯罪行為があったとして、第三者が世間にあなたのそのルーツを公表し、それがあなた以外の過去現在、そして未来にも知れ渡る大きな偏見と差別だとした場合、あなたは仕方ないんじゃない?と納得出来るのですか?
あなただけの批判じゃなく、あなたの血族、あなたが知らないあなたの子孫さえも批判している行為なんですよ。
その内容を含んだ記事に対して、あなたは「そういう見方もできるかもしれないけど、本来言いたかった事は・・・」などと書いているのです。
本来書きたかった事が別にあるにせよ、それを書籍として世間に出すという事は、未来永劫その家系の人間はDNAがそうなんだから、あなたのおっしゃる性格の悪い人間が生まれるはずだと書いているのです。
こういう記事をもし書き続けるなら、客観的に自分を置いて、そしてその本人の立場が自分だった場合、自分の事だけを考えるのではなく、自分の家族を巻き込まれた事を想定して書くべきです。
それでもあなた自身が自分の立場がこの状況になったとしても、佐野氏擁護派なら仕方のないことですが。
社会にでていない私には差別や血脈主義を実感したことはありません。
私が気になったのは市長の高圧的な態度です。
私が正しいのだと記者を、国民を説き伏せているようにみえました。
どうして公の、記者会見で争わなければならなかったのでしょうか。
市長御本人もおっしゃる通り今回は市長としてでなく、維新の会代表としてでもなく、橋下さんの人権問題です。
なぜ中継されなければいけなかったのでしょうか。
週刊朝日からも対談の機会をもちたいと申し出がありました。
なぜ受けなかったのでしょうか。
私は有権者に対するアピールにしかみえませんでした。
自分の意見を持とうとしない、自分で考えなくなってしまった有権者
を確保するために今回はあえて大騒動にしたてたように思えてなりません。
マスコミが報道することを自分で咀嚼できず、ただただ鵜呑みにしてしまう。
国民に問題があるのは事実。
でもそこにつけいる手法を認めていいのでしょうか。
学区が問題になり校区に入らない所に家を求める
土地自体も地価が安い
まだまだ差別は現実です生易しいものでは有りません。
巧妙に突いたも何も、なぜか多くの方が質問しても無視するのですけど
佐野氏が被差別という場所とその出身者や近隣に住んでいる人間に対して
マイナス印象や差別意識や偏見を持ってないのだとしたら
いったいどういう意図を持って出身の父がどうのとか
橋下氏が子供の頃が近い地域に住んでいた事があるとかまで
いちいち記事に書き込む必要があったのですかね?
そこをちゃんと説明して釈明しない限り、佐野眞一という人は
という場所とその出身者や近い環境に住んでいた人間に対し
特別意識している何かがあり、人物評の判断材料の一つとして
念頭に入れているってことですよね?
それは差別意識じゃないか、って疑われて当然だと思うのですが。
貴方の考え方は大変危険だと思います。しかも偏見に満ちていますね。ご自分やご自分のご家族も同じように書かれたら、どう思うのでしょうか??
こういうのが差別です!ということは、、、
"直接的な表現"が差別で、"間接的な表現"は差別には該当しないのでしょうか?
もしそうなら、ほとんどの問題は差別にはならないのカモ?
『野中のような出身者を日本の総理にはできないわなあ』
とおっしゃった。
そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。
君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんかできようはずがないんだ。
私は絶対に許さん!」
野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。
― 魚住昭『野中広務 差別と権力』
筆者の地区 差別問題について そういう見方があるのか と思いました
私自身身近ではありませんが 大津事件で地区の事を知った程度ですが
地区や差別問題に ついて 多くの人達が おおらかに思っていない事は 知っています
今回の記事は
地区、差別問題について賢明な見方はあるのでしょうか
佐野氏の地区、差別問題 の見方に
差別的意識(下に見る様な)があって
橋下さんを論じようと していないのでしょうか
表になるべく出されないようにしてきた
この同和問題は
あまり論じる事を
避けてると思います
タブー視すらするの問題を スキャンダラスに取り上げた記事という印象です
何故そうしたのか狙いがさっぱりわからない
出身の遺伝子のせいで
悪い性格になったということを意味するのではなくて、
家族などのことをたとえて表現したことは
むしろ明らかだと思います。
この箇所が決定的に世論と違いますね。
ですので、主さんも「・・・と思います。」
というあいまいな表記をしておられますが。
>いつの時代もポピュリズムは政治の敵だ。大衆は愚かだ。
>目の前に現れたことに反応するが、過去、現在、未来を一貫して洞察する力がない。
>橋下に群がる政治家も反省してほしい。まだ遅くはない。
たしかに大衆迎合は多数決主義の民主主義と資本主義社会の最大の欠点であり
過去日本もそれで大きな過ちを犯しているわけですが、
かといってこの週刊朝日と佐野眞一氏の言説が
大衆の世論を誘導するのに相応しいような立派で社会的価値と貢献のある記事でしょうか?
僕にはそうは思えません。
確かに僕も橋下氏の過激で急進的で暴走めいた言説には怖さを覚える事があるし
多くの方が賛否両論共感出来る事と違和感を覚える事と
相反する複雑な心証を同時に抱いていると思います。
しかしだからといって、今回の週刊朝日と佐野氏の立ち居振る舞いが
橋下氏のルーツを根拠にバッシング出来るような聖人君子の物でしょうか?
週刊誌というのは所詮は安っぽい大衆の読み物です。
それこそ、下品で、猥雑で、下卑た野次馬根性から来ているイエロージャーナリズムです。
大衆に媚び、ポピュリズムに傾倒しているのは週刊朝日と佐野氏の方ではないですか?
よりセンセーショナルな記事を書き、
過激で下品な読者の興味をそそるような攻撃的で幼稚な見出しを付け、
それで雑誌が売れればそれで良い、報道モラルは二の次だ、
というのが週刊誌であり、ひいては新聞社とマスメディアが根源的に抱えている体質です。
彼らはボランティアや社会貢献ではなく、金儲けで記事を書いているのですから。
それこそ大衆迎合に根ざしているに他なりません。
今回の件の原因の根本の一つは、今や一躍時の人物の一人である橋下氏に対する
芸能人の醜聞と同じような、大衆の下品な好奇心と興味を刺激するための
『売れる記事』を書くという意図があったのも事実でしょう。
しかしそれだって最低限やってはいけない事、書いてはいけない事、報道倫理があります。
橋下氏は確かに100%上品な人間とは言えないし、聖人君子でもなければ
公人として完全無欠ではありません。欠点も多いと思います。
しかしながら、下品な人間(橋下氏)の事を下品な人間(週刊朝日と佐野氏)が叩いても
何の説得力も生みません。
そんな事は、大衆だって簡単に見抜けるし、騙されないと思います。
>当該連載記事で私が読んだのは「人間・橋下之峯」であったが、それを「民・橋下之峯」と
>読んだ者は、「血」「ルーツ」「血脈」という表現に差別を感じるかもしれない。
>しかし、そのような読みは、それこそむしろ出自により個人の人格を無視する読みではないだろうか。
>「出身だから」という何らかの理由付けは、橋下徹に対しても、橋下之峯に対しても、本文のどこにもないのである。
では何故、佐野氏はわざわざ記事の本文に『』の話をわざわざ持ち出したのでしょうね?
橋下氏を論ずるのに関係ないのなら持ち出す必要のないはずの話を。
橋下氏本人の人格形成や現在の社会姿勢とという血筋や環境は直接関係がなく、
その父に対しても出身者だからどうのこうの言おうという意図がないのでしたら
何故わざわざ橋下氏が子供の頃住んでいた近くにがあった、とか
父親が出身だった、とかの話を持ち出す必要があったのでしょうか?
上にも書きましたが、そこが根本的な疑問であり、問題点です。
佐野氏が差別的な意図を持ってこの記事を書いたのではないとするのなら、
ではどういう意図を持ってが近くにある所に住んでいた、とか
父親は出身者の放蕩者だったといった話を持ち出したのか?
そもそも、佐野氏はという存在に対しどういう見解を持っていて、
それがある地域とそれがある地域に住んでいる人達に対し
どういう意識をお持ちなのか?
佐野氏も佐野氏を擁護されてる方も、この部分に対し納得の行く説明せねば
『差別ではない』と言っても誰も納得しない、と思います。
これは差別には当たらない、と佐野氏を擁護している方が多数おられますが
佐野氏はどう贔屓目に見ても、なぜかやたらと被差別の存在を特別意識している方であり、
しかも橋下氏の自伝を書くのに被差別の存在を
なぜか意識して持ち出していますよね。
さらに佐野氏には直接責任はないかも知れませんが、上の方もおっしゃられている通り
週刊朝日の見出しには『DNA』なる単語がはっきりと使われてしまっています。
DNAで本性をあぶりだすなどと言っているのですから、
遺伝子や血統で橋下氏に問題があるとか
人格や社会的に問題がある理由が先天的にあるといわんばかりだ、と受け取られても
無理もないと思います。
僕自身は橋下氏の全てが好きではないし、違和感や危険さを感じる部分は確かにありますが
それを生まれつきの物にルーツがあるといった書かれ方をする週刊誌の方が
どちらかと言えば橋下氏よりも危険な思想に感じるし、
下品で短絡的で無思慮であると思います。
図らずも、今回本当に人間としての本性と品性の低さが炙りだされてしまったのは
皮肉なことに佐野眞一氏の方だったのではないでしょうか。
仮面を被っていた下の本性は、実はこんなエリート主義者・純血差別主義者だったのか、と。
上でおっしゃられてる方がいる通り、ジャーナリストとして致命傷だと思います、今回の一件は。
思っていただけに最近の言動は残念ですね~
今回はブログ主のは橋下氏ではなく、朝日側を批判しないといけなかったんではないでしょうか?人権を尊重しているあなたが朝日側を擁護するとは情けないしいし、いい大人がカッコ悪いです。
これを言ったのが橋下氏だった場合ブログ主は同じ記事にしたでしょうか?
ブログ主はこの記事に関してはもう一度考え直した方がようのでは?それともこれも思想・信条の自由ですか?
一言でいえば、朝鮮「出身で、血筋も暴力が付きまというさんくさい、ようするに孫さんの中味をうんぬんするより生理的に嫌なんだ、です。今回の「ハシシタ」も
同じ論調です。本人の中味の議論はしない。生い立ちを描くと言明しています。おそらく佐野氏は「あんぽん」で孫さんが表立った反応をしなかったことで、調子にのって「ハシシタ」も書いたのではないでしょうか。孫さんは人間の器が違います。細かいことにいちいち反応する人ではありません。私は橋下市長の政治手法を支持する者ではありませんが、今回は橋下市長の言うことが正しいと思います。佐野氏にとっては作家として命とりになると思います。それこそ佐野氏自身の”本性”が出てしまっのですから。それにしても週刊朝日は情けないですね。今回の記事は表紙からわかるように明らかに確信犯です。橋下市長と議論もせずに、すんなりお詫びですか。おそらく親会社の朝日新聞から言われて、お詫びを出したのでしょうが、「人権」にことさらやかましく言っている新聞社の膝元でこんなことをやっているのですから、情けない話です。編集長の首が飛ぶのは避けられないでしょうが、しばらく週刊朝日自体を休刊して頭を冷やした方がいいと思います。私は30年来の朝日新聞の読者ですが、最近の朝日の記事は、目玉の「天声人語」からして品がなくなってきた印象があります。原発に関しても、不安を煽る記事ばかりでバランスを失っています。日本の代表格のメディアなんですから、もっとしっかりしてほしいです。
ただ、被差別出身で、その隣りの地域の組織に入っていた、ということは、別に被差別を持ち出す必要もなかったと言わざるを得ません(ただし、被差別出身であることを表現するのは差別ではないし、それがいけないということこそが差別)。
それにしても、橋下市長の器の小ささが垣間見えますね。親と子が似ているということすら言ってはいけないかのようなコメントでしたね。つまり、微妙な問題だな、と思いました。
(1)「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶりだす」
(2)「橋下徹本人も知らない本性をあぶりだすため、血脈をたどった!」
本文はともかくとして、この見出しはまずいでしょう。
「DNA=家族の比喩」で済む話ではありません。
よく考えてみてください。
まず、(1)。
ここでいう「本性」という単語は、明らかに否定的な意味で使われていますよね?
少なくとも良い意味や中立的なニュアンスではないことは、馬鹿でもわかりますよね?
要は、「悪しき本来の性質」ってことでしょ?
そして、「DNAをさかのぼる=親以前の代までさかのぼる」ってことですから、「橋下の悪しき性質は、親以前から引き継がれたものだ」ってことでしょ?
もちろん雑誌記事本文では、遺伝で悪性格が引き継がれるなどという主張はしていないとは思いますが、比喩としてそのような表現をすること自体が、イメージ面での差別意識の流布につながると思いませんか?
次に、(2)。
「橋下本人も知らない本性」=「橋下の意思によって獲得したのではない悪しき性質」ってことでしょう。
そこに「血脈」という単語がくっつくわけですから、「本人の意思と関係なしに、血脈によって悪しき性質が受け継がれる」ということです。
これはまさに「血・遺伝による差別」ということではありませんか。
これも比喩なのかも知れませんが、「比喩だから良い」のではなく、「差別につながるようなイメージを伴う比喩だから良くない」と考えるべきなのです。
ただ、これは「橋下氏個人に対する人権侵害」という視点ではなく、「血脈・遺伝・家柄等への差別意識の流布につながる不適切な比喩表現」という視点でみるべきでしょうね。
橋下氏の人権を侵害するから良くないのではなく、遺伝や血脈で悪性格が継承されるかのようなイメージをばらまくから良くないのです。
見出しなどを変えれば、記事本文はこれで別に良かったのかも知れません。
なお私は橋下氏のファンではなく、労組対応などでむしろ危惧している者です。
週刊朝日は、おっしゃるようにもっと理論武装してから連載すべきだった。出身だと言っている橋下氏が「同和問題」持ち出せば、感覚的に「問題」に負い目を感じている一般の人々(マスコミを含めて)はすぐに白旗を挙げます。橋下氏はこれも計算に入れていたのでしょうか。あなたのブログと佐野氏の原稿を読んで、「敵対者に非寛容であり、認めない」「ウソを平気でつく。うそを政治目的に利用する」と理解しました。これでは「プチヒトラー」です。
橋下氏は「血脈主義は身分制度の根幹であり、悪い血脈というものを肯定するなら、優生思想、民族浄化思想にも繋がる極めて危険な思想だと僕は考えるが、朝日新聞はどうなのか。アメリカでの人種差別、ヨーロッパにおけるナチス思想に匹敵するくらいの危険な思想だと僕は考える」と言っている。そして朝日新聞が謝罪したので「ノーサイド」とも言っている。目的を達成したから「ノーサイド」なのだろうか。
「ウソ」「デマゴギストで大衆への演説がうまい」「政治戦術がうまい」。どれもヒトラーが得意としたところである。ヒトラーが党首の「国家社会主義労働党(ナチス)」は1920年代後半、支持率3%にも満たない泡沫政党だった。しかしドイツ人の経済的な窮乏に乗っかって、1933年1月、合法的な選挙で首相になるや、1年間で独裁政権を敷いた。このことを歴史の教訓として決して忘れてはいけない。
このブログと佐野さんのブログを読んで、今まで今一つ理解できなかった橋下氏が鮮明になった。
いつの時代もポピュリズムは政治の敵だ。大衆は愚かだ。目の前に現れたことに反応するが、過去、現在、未来を一貫して洞察する力がない。橋下に群がる政治家も反省してほしい。まだ遅くはない。
しかもそれに対し特に肯定的な記述がなされているわけでもない。
当該連載記事で私が読んだのは「人間・橋下之峯」であったが、それを「民・橋下之峯」と
読んだ者は、「血」「ルーツ」「血脈」という表現に差別を感じるかもしれない。
しかし、そのような読みは、それこそむしろ出自により個人の人格を無視する読みではないだろうか。
「出身だから」という何らかの理由付けは、橋下徹に対しても、橋下之峯に対しても、本文のどこにもないのである。
いわよる思想論争です。
だから朝日新聞、週刊朝日は大慌てしたのです。
特に朝日新聞はその大前提のコンセプトをどこの報道機関よりも進めてきたのですから。
それを十分分かっている橋下市長が、だから週刊朝日ではなく朝日新聞を引きずり出して、勝てるケンカにしたてあげた、というのが今回の全体像です。
それよりもとても気になったのは、報道当初、多くの番組が、思想論争であることを気づかずに、個人のプライバシーや表現の自由を論点にしたことです。
我々の民主主義が成立する大前提の考え方を、当たり前すぎて見過ごしてしまうという、かえって橋下氏のような独善的な方を登場させてしまう社会の緩い雰囲気を、逆説的に認識して独り言ちてしまいました。
「平和なのか、個人個人の良識がここまで落ちたのか」と。
>親子ともどもの制限は覚悟の上のはずで、良いとこどりはズルいでしょう
ズルいですか・・?
有名人のサイン等の多少のオイシイ思いと引き換えに、被差別問題と向き合わなければならないなんて、小さいお子さんには酷でしょう。
その人に対して、韓国人の国民性や、韓国の歴史的な背景を踏まえながら「韓国の人ってこういう傾向があるよね」と語ることは何ら問題ありません。日常でもよくある光景です。
しかし、「韓国は過去にこういう汚点があるから、韓国人であるあなたも同罪だ!糾弾する!」となった瞬間に差別に様変わりします。
徳岡さんの論は、この前者と後者の決定的に異なる行為を混同し、前者がOKだから後者もOKという飛躍した結論を導いています。
話は非常にシンプルで、孫正義が在日朝鮮人であることを人物伝として書籍で書くことは何ら問題無いが、孫正義が在日朝鮮人であることを理由に明らかな人格否定につながる記事を、タイムリーな週刊誌で書くことはまさしく差別の助長であり、完全にアウトである、というただそれだけ。
そして、そのような差別的発言を否定することが「差別問題を見えなくすることにつながるから否定すべきでない」と擁護するのなら、あらゆる差別的行為は「問題を見えやすくするために」肯定しなければいけなくなります。
>やはり、差別の問題を見えなくすることは、差別をなくす方向ではなく助長する方向に働くと考えたからです。
今回の一件に対してこの理屈を適用すると「差別をタブー視しないためには差別は否定すべきじゃない」という無制限に差別を肯定する立場に立たざるを得なくなります。
恋は盲目といいますが、憎しみはさらに人を盲目にさせますね。徳岡さんのような人権意識の高い人でも、自分が憎い人間を否定するためなら無意識に差別の助長を肯定する論理をでっち上げてしまうんですから。
何か既得権益でも橋下市長に奪われるのでしょうか?
それに対して、
多くのコメントが、ノーマルなので、安心しました。
ちなみに、朝日新聞 マッチポンプと検索すると、いろいろと
でてくるようです。
これは、朝日新聞社の体質が、相手の挙げ足を取り、反応が大きくでて、世間が騒然とすると、よくやった!!という評価になっているのだと思います。
社会のための記事ではなく、1記者の評価のために、世間を、公人を、騒がせ、混乱させていることになってます。
このブログ?もそうですね。。
佐野眞一氏が差別的な意味を込めていないで今回の記事を書いたというのなら、
では今回の記事に
「橋下徹氏が幼少期を一時過ごした地域には地区があった」
等と、わざわざ書き込む必要があったのでしょうかね?
この記述をするという事は、筆者が地区という存在や、
その中や近くの地域で過ごした経験のある人間に対して、
特別視する意識がある、という事です。
でなければごく普通に「橋下徹氏は大阪府大阪市○○区で幼少期を過ごした」
といった素っ気ない記述に留めるだけで充分なはずですよね?
筆者には明らかにという地域に対し特別な意識が有り、
そして今回の記事、つまり橋下徹氏の出生や生育に関して
という名前を関連項目として出せば
筆者自身も無意識に持っているという地区に対する特別な意識が、
すなわち読者の橋下徹という人物に対する印象に特別な意識、
色眼鏡やフィルターとして混ざる、と思って書いたに他なりません。
というよりも、既に筆者本人がに対して持っている特別意識と、
橋下徹氏に対して持っている個人的印象とを結びつけて
色眼鏡をかけながら見て考えてしまっているのでしょう。
僕はこれはジャーナリスト失格である、と思います。
橋下徹氏もただの自分への政策批判、言動批判、
不倫などのプライベートのスキャンダルに対する批判、
政治資金の集め方が汚い、あいつは金に汚い人間だ、という記事の書かれ方だったら
何も言えなかったであろうし、反論する事も
いちいち怒って相手にする事もなかった、と思います。
今回橋下徹氏が反撃に出たのは100%佐野眞一氏側の落ち度です。
凡ミスです。ジャーナリスト失格です。隙があったというほかありません。
橋下徹氏が嫌いなら、批判したいなら橋下徹氏自身がおっしゃる通り
今現在の橋下徹氏の言動、プライベート、金集め、掲げてる政策、
大阪市政を丸投げで国政に打って出ようとする野心、
そういった物を正々堂々と正面から批判するべきだったのです。
要らない余計な記述を書いたばっかりに橋下氏に反論を許し、
決定的に利がある状況に立たせてしまったのですから。
そして何よりも痛いのは、今回のことで
佐野眞一氏が地区とその周辺を出自とする人間に対して
自覚の薄い特別意識を持っている、という事が暗に滲み出てしまった、
読者に露呈してしまった、という事です。
つまりこの人、人を評点したり、批評したり、ルーツを調べるのに
かでないのか、どんな地区や家に住んでどんな経済状態の階層で子供期を過ごしたのか、
もっと言えば血筋や家柄を無意識に頭の片隅で意識して、
それを個人の人物評や人を選ぶの判断材料の一つとして使っている人、ってことです。
僕はこれは人を収入や持ち物や役職やコネクションで評点して
付き合う付き合わないを判断する人間よりも最低の思考だ、と思います。
少なくとも、公のマスメディアで論説を載せたり記事を書いて良い人間の感覚ではありません。
ハシズムと毛嫌いし批判してる当の橋下徹本人から、
それは優性論であり、ナチズムであると返されてしまっても仕方ない危険な思考回路だと思います。
僕は佐野眞一氏は以前は結構好きだったのですが、
今回のマヌケぶりと正体見たりでかなりガッカリしたといいますか
ああ、こんな簡単なミスをするなんて歳を取られたのか、
耄碌してしまったんだなぁという印象です。
ジャーナリストとして巧妙に本音や本性も建前で隠せなくなってるんだなと。
あるいは橋下憎しのあまり、感情が先走って冷静な状態でなかったのかも知れませんね。
朝日の劣化ここに極まれり。もう購読やめよかな。それともホントに裏で橋下を支援する意図なのかと勘ぐりたくなるレベルです。
正体不明の取材対象の発言の形を借りてもあの記事が血脈主義的偏見を利用しようとしていることは明白であり,被差別の特定のみしか問題はなかったというのは,先輩本気で思ってますか?
ハシシタという表現自体もうだめでしょ。それが分からない先輩じゃないはず。
言葉狩りがだめならそのレベルまで突っ込んで展開しなければ無意味だし,そもそも橋下氏が育てられた記憶もないという(これ自体連載継続でウソだと暴くんですかね?)父親の何かが橋下氏の人格に影響しているとの論証が可能とは全く思えません。それでも影響すると論ずるのは自由です(まあ,性格傾向はむしろ遺伝する可能性もあるかも知れませんが,可能性に過ぎないし,それをもって人を断ずることはしちゃいかんことですよね。検事が冒頭陳述や論告でそう言ったら先輩許しますか?刑事事件と政治家のチェック言論では違いますか?)が,そういう血脈主義的分析も必要なのだというなら,そう公言すべきでしょうが,そんなことできるはずない。
橋下氏を批判したいあまり,この問題で週刊朝日・佐野眞一を擁護しては,ますます墓穴を掘ります。
この勝負,残念ながら橋下氏の完勝です。橋下氏を利してはならないと思うひとは,これ以上彼を利さないようにこの件はスルーするか,やはり問題な表現・報道姿勢を批判しておくべきです。
この先輩の記事自体が,橋下氏に反対する人・批判する人への信用性を落とし,さらに橋下氏を利してます。
ぜひご一考されることをお願いします。
○第二点。週刊朝日の記事が人権侵害に当たるかどうかは意見が分かれる所だと思いますが、私はその記事を読んでいないので判断は保留します。
○第三点。「地区を特定するような表現」を市長として問題視するのであれば、理解できない話ではないので、週刊朝日に対して市長として正式に抗議すればよいと考えます。
> 人権侵害については裁判を起こす以外認めない、それ以外反論は認めない、というのであれば裁判コストや裁判が結審するまでの時間差を利用して非常に多くの人権侵害がまかり通ってしまいます。
一般人の場合は、確かにそうだと思います。
ですが、橋下さんは公人です。
今回、橋下さんは「朝日新聞社グループに対する取材拒否」という手法を使って、連載中止を勝ち取りました。
ですが、一般人にはそんな手段は使えません。一般人が取材拒否なんかしても、メディアは痛くもかゆくもありません。
公人であり、権力者である橋下さんだから出来たことなのです。
もし、橋下さんが真に今回の記事を差別の問題として考えるのなら、後に続く一般人のためにも法廷で、どの表現が問題でどこまでなら許されるかという判例を作って欲しかったです。
差別問題をただの腫れ物扱いにしないためにも。
週刊朝日が問題点はいっぱいあるし、批判も受けるが、これこれこういうことだから(いわゆる差し止めなどがあるまで)やるんだ、みたいな考えなら、まだ理解できるが…
いくら周りが「これは差別記事ではない」といった所で
空疎な空論でしかないと思うんですが…。
例えば佐野氏の著書で孫正義のルーツを暴いたあんぽんというのがありますがだからといって
橋下に対しても無条件に、無制限に、ルーツは暴かれる事を甘受すべきだと正当化する理由にはなりません。
被差別という非常にセンシティブな問題が
絡んでいるのならなおさらです。
それに昔は「はしした」だったんだからとハシシタと呼んでいいという事にはならない。そういう差別がされるから
だからこそはしもとと読み方を変えたわけでしょう。
それを本当はハシシタだったと蒸し返して暴いたところで一体誰が得するというのでしょうか。
それこそ橋下の言う、DNAを暴いて被差別出身者は国政の場にでるべきではないという優生学的な批判
にしかならないと思います。橋下の言う通り批判をするなら政治的な言論、政策についての批判をするのがフェアなのでは?
○にも拘わらず、自分が気に入らない記事に対しては、「人権」を振りかざして批判するのですから、これはどうもダブスタの匂いがしますね。
○詰まる所、橋下は他人の人権には無頓着で、批判されたら「そんなもの人権じゃない。」って言う訳ですよね。だから、教員には君が代強制、職員には思想調査。些細な違反でも免職。
○あ、それから、橋下は血脈主義がどうとか言ってますが、天皇制はその最たるものだし、競走馬なんかは皆そうだし、そこまで行かなくても小泉元首相の次男の進次郎議員はイケメンの上に押しが強くて、やっぱりあの父親にしてあの息子って皆思ってますよね。これのどこが「恐ろしい思想」なんでしょうかね。不思議です。
失礼ながら、タイトルのような感想を持ちました。
橋下氏の政策が大阪市の職員の人権を侵害すると認識している方が、今回の佐野氏の記事が人権侵害に当たらないという論は何回読み返しても理解できませんでした。
ご自身もお書きの通り、ずっと橋下氏を批判してきた流れで、心情的に擁護したくないというのが透けて見えてしまうエントリーでした。
こういう感情的なエントリーは結果的に橋下氏を利することになると思います。
感情的に橋下氏批判を繰り返した平松氏が選挙で惨敗したことをお忘れですか。
アレが問題ないとすればその意見を橋下さん本人に直接言ってみてください。
私には貴方が反橋下意識に溺れて盲目になっているとしか思えません。
貴方自身が人権侵害を犯してしまう前に橋下さんに目を覚まさせて貰ってはいかがでしょう。
週刊朝日は謝罪するなら、DNAから暴き出すなどの煽情的な見出しの部分を謝るべきでしょう。
佐野氏のこれまでのルポの書き方(出自から丹念に追っていく)、(「東電OL殺人事件」などに見られる)編集部側で読者、或いは橋下市長に拡大解釈されてしまうような見出しの書き方を謝罪すべきでした。
佐野氏の書き方自体はいつも通りで、何ら人権侵害ではない。(※たまたま、今回の取材対象の父親『或いは母親も含めて、が次稿で読めたかも知れないですが点点』は地区や暴力組織の出身者だった) ここに世論が過剰に反応してしまった。。
以下は、週刊朝日に、世論の熱が冷めたら、改めて省みて、検証記事として掲載して頂きたい部分でした。
>>にもかかわらず、もう何百年も差別し続け、され続けているわけですから、本当に根の深いひどい話だと思うのですが、とにかく差別に関しては隠し続けることで差別から免れることが多かったので、今回の事件で橋下氏のそのことを白日の下にさらす行為が、物凄い禁忌を犯したというように、一般市民には感じられたのではないでしょうか。
>>それが今回、橋下氏が朝日新聞グループを圧倒した理由だと思います。
>>今回の記事について、橋下氏は
>>「血脈主義は身分制度の根幹であり、悪い血脈というものを肯定するなら、優生思想、民族浄化思想にも繋がる極めて危険な思想だと僕は考えるが、朝日新聞はどうなのか。アメリカでの人種差別、ヨーロッパにおけるナチス思想に匹敵するくらいの危険な思想だと僕は考える。」
>>と書いていますが、今回の記事に、彼の親や祖父が出身だから、橋下氏の人格が悪いとか、能力がないとか、「悪い血脈」風なことを書いている部分は全くありません。橋下氏一流の誇張と言うか、はっきり言ってデマです。橋下氏を含めて、週刊朝日を批判している人も、記事の文章のどの部分が具体的に差別だ、人権侵害だなどと指摘することはできないでいます。
>>逆に、佐野氏はこの記事の意図をこう書いています。
>>「万が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない。」
>>このように、人物評伝としては、むしろ当たり前のことしか言っていないのです(ちなみに、橋下氏の「敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格」は、今回の事件で図らずも明らかになりました)。
>>また、政治家に対する人物評伝ですから、橋下氏の政策の是非を論じないからと言って非難されるべきではないでしょう。それこそ作家の勝手です。
非常にポイントがずれた、稚拙なエントリーに見えます。
具体的にどこが人権侵害かについての争いはkmzkさんが上に書かれているコメントが良くまとまっています。また、各種報道でも多くの知識人・コメンテーターが人権侵害である、あるいはその疑いが強いとしています。
「橋下が個人として朝日に食ってかかるのはスジが通りませんね。」などというのは偏見でしかありません。
例えば、この記事の筆者に言わせれば、報道の自由はある人物(権力者や有名人)を指し「奴は実はホモだ」と勝手に公表しても良い理屈となる。同性愛者がある種の偏見・弾圧に晒されているのは現実で、それは良くない事であるが、本人ならぬ第三者が勝手にその事実を公表して良い訳がない。もっともらしい事を書いているが、これは詭弁。
○それを朝日全体への取材拒否という不当な手段に打って出たのは、法廷で争っても勝てないと判断したか、ウソでも詭弁でも使えるメディアでの戦いの方が有利と判断したかですね。
○そして先生も仰るように「地区を特定するような表現」で迷惑を被るのは、そこの住人であって橋下じゃありませんよね。
○ですから解放同盟等が朝日を批判するのなら理由があるとも言えますが、橋下が個人として朝日に食ってかかるのはスジが通りませんね。
○ただ難しいのは、この問題は語るだけでも「差別」と批判されることで、まして週刊誌などで大きく取り上げれば、正真正銘の「差別」と受け止められてしまうことなんですね。
○そして、こう言う形で問題がタブーとされる事で逆に差別が温存されかねないという問題もあるんですよね。
○そもそも理性的な議論自体が困難なのですが、「差別」が絡むと殆ど不可能になるんですね。ホント難しいです。
「というのは単なる場所的要素であって、DNAの問題ではありません。江戸時代に幕府が民衆を支配するために、特定の職業の人などをそこに押し込め、貶めたという場所的関係に過ぎません。」というのは無知としか言いようがありません。解放運動側を中心に、差別の起源は先住被征服民族差別だと捉えている人が少なくない。その真偽は別にしても、エタ差別が鎌倉時代には文献にも現れ、子孫の職業や所業が変われば消える差別とは異なる血の差別であったことは間違いないところでしょう。
それと、本当に記事を読んでいますか?
「今回の記事に、彼の親や祖父が出身だから、橋下氏の人格が悪いとか、能力がないとか、『悪い血脈』風なことを書いている部分は全くありません。」というけれども、記事は、地域出身の父親の所業の数々を書くだけでなく、「橋下がテレビで相手をめちゃめちゃ言うて負かしてしまうのは、ビッチャン(注・橋下徹の父親)の血や」と記載しています。
差別というのは、他の差別と同様、ある人をその人の言動・所業ではなく、の血であることを理由にしてふるいにかける・かけさせるということだけれども、中でも悪質なのは、世間の差別意識・偏見を利用して、ふるいにかけさせる方です。
記事には、「どんな家庭に育ったのかを書くことであり、どんな家庭かとは、どんなルーツを持つ親がどんな地域で育てたかということ」についての記載は離婚した母のもとで育てられた程度しかありません。一方、「彼の親の前科のことだとか、被差別出身であること」の記述は大量です。橋下徹はその父親の血だとしている本記事は、本人の言動とは関わらない事実で橋下徹を貶めようとするものであり、個人の尊厳に反する差別的なものになっています。
また、「自分に火の粉が掛かった時だけ」というのは違います。自らが公人である以上、出自の情報などが出ることは橋下市長も仕方ないと言っている。ただ、それを以て人格否定をすることは許されないと言っているだけです。また解放同盟や同和政策については一定の意義がある・あったものの組織や運用において問題があったからそこは改善すべきと言っています。矛盾はしていません。
要は、問題にせよ橋下批判にせよ、(仮にスタート地点が感情であっても)感情ではなくちゃんと論理的に根拠ある形でやらなければ公の場から排除されるという当たり前の日本人の良識が示されただけです。
橋下市長は怖い、だから感情的批判でも差別的表現でも受忍しろ というのは批判者からの「甘え」でしかありません。
橋下市長が問題にしているのは親族のプライバシーの侵害です。
知識などいくらあっても、心がないのでは意味がありません。
「地区の出身」と書き、そのことと橋下氏の本性云々と関係すると書くことは、親族のプライバシーを侵害することになりますし、
親が云々だから子も、というのは子供のいじめぐらい程度が低いもので、(自称頭の良いあなたが)程度の低さに気付かないのは恐ろしいことですね。
排除をしておきながら、Twitter上では朝日側との接触の経緯を書き、対応を批判。そして自己の主張を展開。まさに法廷戦術、さすが弁護士です。過去に悪評だった同和対策の補助金をカットしたそうですが、それ以外でこの人は何か行動したのでしょうか。
自分に火の粉が掛かった時だけ、差別や血脈主義などを口にし、感情的に他者を攻撃する。そして民衆も問題の本質を考えないまま、便乗して攻撃する。彼が過去に行ってきた暴言や他者への攻撃には目をつむって。
なんなんだろう、この強弁にのっかる風潮は。あの過剰に権力を振るって、他者に対応する橋下氏は、自分への批判に対しては、受け入れる義務があると思うのだか。今回の件で改めて、彼が権力者として総理大臣になったらと思うと、本当に恐ろしいです。
ここが全く「明らか」ではなく、反橋下派としてのバイアスで読んでいるようにしか思われません。日本人の大多数がどう感じたかというのはテレビを見てもネットを見ても明らかではないですか?
「意地の悪い見方をすれば、これは差別表現だ」ではなく「好意的に見れば、これは差別表現ではない」という見方ではお話にならないと思います。
入社試験で親が前科者か否か調べることが許されますか?
橋下さんの場合だけ許されるのですか?
瑣末なことですが、週刊誌が人権侵害など出来ないのでは?憲法の私人間効力をどのように考えてますか?
逆に、これを言ったのが橋下さんだった場合はどうだったのだろうか?
それでも、宮武さんは「問題なし!」と言えたのか?
例のごとく、「差別主義者橋下!」という見出しで
ブログで熱弁を振るわれてたのでは無いでしょうか?
> 。「ハシシタ」という表現も被差別を暗示していますが、橋下氏の家はもともと「はしした」さんだったのを読み方を変更したのです。
読み方を変更する必要は無かったと思います。
そこには、一定の悪意があると考えるのが妥当でしょう。
「DNA」という誤解されても仕方ない文字も不必要です。
「反・橋下」というスタンスでやっていらっしゃると思いますが
個人的には「親」も「反」も必要ないと思います。
なぜなら、、、
「親」は、その対象の全てを肯定し
「反」は、その対象の全てを否定する
からです。
「良いところは良い、悪いところは悪い」
というスタンスで物事を見ていくほうが良いかと思います。
後者ではないと捉えた人が多数いて、その人たちが人権侵害と判断した訳です。
出身もあるでしょうけど、それ以上に父親がヤクザだったから、その事が橋下氏の本性に影響しているというつもりで書いているとも読み取れます。
例えば、橋下氏の両親は離婚していて父親が死んだ事については本当かどうかは知りませんが噂でしか知らなかったと。
何故、離婚した後の父親の死因が橋下氏の本性に影響するのでしょうか?
また、孫氏や安倍氏は、その血脈を悪いたとえに使ってますか?
孫氏は貧困だった故に悪事を平気で働く性格になったと書いたのでしょうか?
安倍氏は祖父が戦犯だから犯罪をいつ犯してもおかしくないと書かれてますか?
「敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない。」何故、本性と両親やルーツが関係するのでしょうか?それこそ、完全に血脈主義では?
父親がヤクザというのは多分事実であり、そこまででは人権侵害とまでは言えないでしょう。
ところが、父親含めて「血脈」をたどり、それが、橋下氏の本性に関係していると思わせる文章を書けば、人権侵害になります。
ヤクザの子どもや孫は本性が歪むと言ってるのと同義です。
もし、そのつもりが無いなら、筆者は文筆業から身を洗うべきでしょうね。
また、新潮や文春は、事実かどうかは別にしても、橋下氏の本性と父親の関係について書かれてますか?
朝日だから噛みついたじゃなくて、一線を越えるか越えないかの違いです。
そして、朝日新聞と朝日新聞出版は100%子会社で記者の異動もあるし同じ家屋です。元々は同じ会社でしたしね。
これで無関係が通用するなら、これまで朝日新聞が子会社の不祥事で親会社を叩いたのは何だったのかです。