大阪ニコンサロンアンコール写真展中止通告に対する緊急抗議写真展
■期 間:10月11日(木)~16日(水)11:00~19:00(最終日17:00)【入場無料】
■会 場:ピルゼンギャラリー
(大阪市中央区心斎橋筋1-3-15大阪心斎橋アーケードビル大丸百貨店側)
以下の画像は同写真展より
「従軍慰安婦」とは、1932年の第一次上海事変から1945年の敗戦までの期間に、日本、植民地、占領地から、日本陸海軍がつくった慰安所(買売春施設)に集められ、軍人・軍属の性の相手をさせられた(未成年者を含む)女性の方々のことです。
1991年まで日本政府は軍と慰安婦の関係を「民間業者が連れ歩いた」「関与していない」と国会で答弁し、軍との関係や責任を否認してきました。しかし、1991年に韓国の元慰安婦の女性が戦後50年近くに渡る沈黙を破って名乗り出て、補償と謝罪の要求を提起したたことで「慰安婦」問題は広く知れ渡るようになりました。
1992年1月に軍の関与を立証する史料が発見(93年までに230点以上の新史料が発見)されると、政府は当時の史料の調査や元慰安婦の方々への聞き取り調査などを行い、それを踏まえ1993年には軍の関与と強制性を認め、後述のようにいわゆる河野談話を発表し、元「慰安婦」の方々に謝罪しました。
この慰安所は「日本軍のあるところ慰安所あり」と言った状況で700か所以上あったことが確認されており、旧日本軍の「慰安婦」とされた方々には、日本人、朝鮮人、台湾人、中国人、フィリピン人、インドネシア人、タイ人、ベトナム人などのアジア人に加え、オランダ人などまでいました。
なお、近年は、日本国内では「慰安婦」と括弧を付けて表現されることが多く、国際社会では直訳のcomfort womanまたは実態としてsex slave(性奴隷)という表記が一般的です。
「従軍慰安婦」は「慰安婦」ではなく、まさに「強制的な性的奴隷(enforced sex slaves)」だ
ところで、戦争中は旧日本海軍の主計官だった中曽根康弘元首相は『終りなき海軍』という本の中で
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。」(同書第一刷九八頁)
と書くなど慰安所建設をしたことを認めています。さらに、戦時中の1942年に、中曽根氏がインドネシア人女性を性奴隷として集めた慰安所設置に積極的に関わっていた資料が、防衛省の公開している文書「海軍航空基地第2設営班資料」の中から見つかっています。
当時の第2施設隊(矢部部隊)工営長の宮地米三氏(海軍技師)の自筆を含めた資料をもとに1962年に防衛庁がまとめたもので、第2設営班の主計長が中曽根氏です。
資料には
「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」(原文のママ)と書いており、バリクパパン上陸前の地図と上陸後、民家を接収し垣やトイレをつくり慰安所にした地図もあります。
この中曽根氏の例ひとつをとっても、旧日本軍が主体となって「従軍慰安婦」を集め、慰安所を作ったことは明らかです。
佐藤栄作 中曽根康弘 小泉純一郎 石原慎太郎 橋下徹 悪政無答責・逃げ切りの系譜を断とう
なお、「慰安婦」強制連行を伝えた1992年の朝日新聞の「誤報」が今の「慰安婦問題」が国際化した原因だなどと言う人がいますが、真っ赤なウソです。だいたい、国際社会が日本の一新聞の20年も前の報道にいつまでも踊らされるわけがないでしょう。国連や国際社会を甘く見てはいけません。
「慰安婦」をはじめとする性暴力や人身売買の問題は今でも世界各地で解決できずにいる問題として常に議論されており、1996年には国連人権委員会に有名なクマラスワミ報告書が提出されました。
1998年には、戦時における女性に対する暴力に関する特別報告者マクドゥーガル氏の報告書『奴隷制の現代的形態』が国連人権委員会差別防止・保護小委員会に提出され、採択されました。この報告は、旧日本軍の「慰安婦」制度を
「レイプ・センターでの性奴隷制」
ととらえ
「当時ですら、奴隷制を禁じた慣習的国際法に明らかに違反していた」
としています。これがこの問題での国際社会の到達点なのです。
2000年の国連安保理決議でも「性暴力を含む戦争犯罪の責任者への不処罰を断ち切り、訴追する責任がある」ことが強調されています。
また、後述のように、「狭義の強制性」なるものを否定しようとした2006年の安倍発言には、米国など国際社会から批判が噴出し、米下院は2007年、
「日本政府による軍事的強制売春である『慰安婦』システムは、その残酷さと規模の大きさで前例のないもの」
との非難決議をあげました。その他、日本の「慰安婦」に関する国連人権委員会の審議・報告書などだけでこれだけ、国連人権促進委員会だけでこれだけ、国連労働委員会(ILO)だけでこれだけあります。
たとえば、最近では2008年に、国連の自由権規約(市民的政治的権利に関する国際規約)委員会の最終所見が
「委員会は、当該締約国が第二次世界大戦中の「慰安婦」制度の責任をいまだ受け入れていないこと、加害者が訴追されていないこと、被害者に提 供された補償は公的資金ではなく私的な寄付によってまかなわれており不十分であること、「慰安婦」問題に関する記述を含む歴史教科書がほとんどないこと、 そして幾人かの政治家およびマスメディアが被害者の名誉を傷つけあるいはこの事件を否定し続けていることに、懸念をもって注目する。(第7、8条)
当該締約国は「慰安婦」制度について法的責任を受け入れ、大半の被害者に受け入れられかつ尊厳を回復するような方法で無条件に謝罪し、存命の加害者を訴追し、すべての生存者(survivors)に権利の問題として十分な補償をするための迅速かつ効果的な立法・行政上の措置をとり、この問題について生徒 および一般公衆を教育し、被害者の名誉を傷つけあるいはこの事件を否定するいかなる企てをも反駁し制裁すべきである」
と勧告しています。
大日本帝国と旧日本軍がした侵略戦争や植民地支配、残虐な殺戮や人権侵害行為をどうしても認めることができない、心の弱い人たちは、我々の国が犯した最も恥ずかしいことの一つである「従軍慰安婦」強制問題を否定したくてしょうがないようですが、そんな妄想の中で暮らすことは、我々が今生きているこの国際社会では無理なのです。
過去の事実は事実として受け止め、反省し、謝罪し、明日からの日本を作っていくしかありません。
さて、このような「慰安婦問題」について、1993年8月4日に、当時の宮沢内閣の河野洋平内閣官房長官が発表した談話は一般に「河野談話」として知られています。
この談話の中で、日本政府は
1 慰安所の設置は日本軍が要請し、直接・間接に関与したこと
2 慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったこと
3 慰安所の生活は強制的な状況の下で痛ましいものであったこと
を認めました。これまで日本がおこなった戦争に対する反省の弁としては最も優れたものの一つと言えます。
河野氏によると
「出所や中身は公表しないとの約束で16人の慰安婦から 直接聴取した結果、日本の軍人が威嚇して女性を連れていった、工場の下働きの仕事だとだまされた、日によっては20人を超す兵隊の相手をさせられた、敗走時は置き去りにされたといった、痛ましい体験が語られた」
とのことです。
この談話について、当時、内閣官房副長官を務めていた石原信雄氏は「文章で強制を立証するものは出てこなかった」が
「明らかに彼女たちは自分の過去について真実を話した」
「本人の意に反した強制があったと確信が得られた」
と後に述べています。
この方は7代の内閣で官房副長官を務め上げ、勲一等旭日大綬章を受賞された官僚中の官僚ですから、情に流されるような人ではなく、その言葉には重みがあります。
ところが、「心の弱い」安倍晋三自民党総裁がこの河野談話をひっくり返すと言いだしました。安倍総裁は自民党総裁選挙中の9月14日の共同記者会見で、河野洋平官房長官談話について、
「強制連行を事実上証明する資料はなかった。子孫の代に不名誉を背負わせるわけにはいかない。新たな談話を出すべきだ」
と強調したのです。
安倍晋三自民党新総裁誕生 暗黒の騎士(岸)再び
実は、安倍氏がこのような試みをしたのは初めてではありません。そもそも、安倍内閣発足直後の2006年10月5日、当時の安倍晋三首相は、河野談話を「私の内閣で変更するものではない」とし、踏襲し引き継いでいくことを明言していました。
ところが、安倍首相は2007年3月5日の参議院予算委員会で、河野談話をこれからも継承していくとしながらも、
「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性、狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」
などと答弁し、河野談話の強制性について修正が必要との考えを示したのです。日本の官憲や軍隊が直接家に乗り込んで行って人さらいをしないと強制とは言わないとでもいわんばかりの、間抜けを通り越した妄言でした。
これに対して、アメリカの各メディアがこの発言は日本としての責任をあいまいにしようとするものであるとして次々批判し、ワシントン・ポストが
「拉致で国際的支援を求めるならば、日本の犯した罪を率直に認めるべきだ」
と批判し、ニューヨーク・タイムズも
「首相は日本の国際的な名声を修復するよりも、かの恥ずべき行為が、民間の営利活動だったとする自民党の右派にすり寄っている」
と非難しました。
安倍首相は、これらの批判に対して2007年4月に国会答弁で「同情とおわび」に言及し、米ニューズウィーク等の取材に答えて、従軍慰安婦問題について
「人間として心から同情する。首相として大変申し訳なく思っている」「彼女たちが慰安婦として存在しなければならなかった状況につき、我々は責任がある」
CNNテレビのインタビューでは
「20世紀は数々の人権侵害が行われた時代で、日本も無関係ではなかった。慰安婦の方々に大変申し訳ないと思っている」
4月26日の訪米時にはブッシュ大統領や議会有力者との会談で
「慰安婦の方々にとって非常に困難な状況の中、辛酸をなめられたことに対し、人間として首相として心から同情している。そういう状況に置かれたことに申し訳ない思いだ」
と謝り倒す羽目に陥り、この後も慰安婦問題に関する謝罪と釈明をたびたび行うこととなったのです。
前回の首相辞任の経緯にもかかわらず自民党総裁になった件と言い、この謝罪に次ぐ謝罪の経験があるにもかかわらず同じようなことを言いだした件と言い、安倍氏はタフと言うか、自己の恥には健忘症なんでしょうか。
なぜ安倍総理は辞めたのか、および、ネットウヨクによる安倍自民党総裁押しが気色悪い件
さて、そのような経緯も知らないのか、橋下大阪市長は2012年8月24日、旧日本軍の「従軍慰安婦問題」めぐり「心からのおわびと反省」を表明した1993年の河野洋平官房長官談話について、
「慰安所を軍が管理していた話と、無理やり慰安婦を連れて来たのかどうかという話と二つに分けて、今は前者にしか証拠はない」
「そこをあいまいに書いたのが河野談話」
「何の事実を認めたのか、どの部分について謝ったのかをうやむやにしたような形の河野談話は最悪だ」
「日韓関係をこじれさせている最大の元凶だ」
として李大統領の竹島訪問 など韓国側の強硬姿勢には河野談話が影響していると述べました。
橋下市長は9月21日にも、
「強制連行があったかどうかの確たる証拠はなかったというのが日本の考え方」
「(強制を示す証拠があるなら)韓国の皆さんに出してもらいたいと思っている」
「河野談話はそのまま本当に踏襲するのか、やっぱり問題があったんだったらあったとはっきり言わなきゃいけない」
と述べていますが、全くの事実誤認を犯しています。
いつも逃げる橋下市長 大阪市の慰安婦写真展「行かない」 2012.10.11 13:51 産経新聞
大阪市の橋下徹市長は10日、慰安婦を題材にした写真展を11~16日に市内で開く韓国人写真家、安世鴻さん(41)=名古屋市在住=から市長宛ての招待状が届いていることについて「慰安婦の論点は文献で十分認識しているので写真展には行きません」と述べた。橋下市長は「慰安婦の存在は否定しないが、日本の官憲が暴行脅迫して強制連行した証拠はない」との見解を表明。写真展に「そういう写真があるのならおうかがいする」と述べた。写真展は大阪市中央区の「ピルゼンギャラリー」で開催される。
河野洋平官房長官の談話は、「慰安婦の募集」について、朝鮮半島は当時日本の統治下にあったと述べた上で、
「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」
「更に、官憲等が直接これに加担した」
「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反しておこなわれた」
と明確に「慰安婦」制度の強制性について認定しています。あいまいなところなどなにもありません。「本人たちの意思に反して集められた」というのは、まさに人身売買で、強制以外の何ものでもないのです。
アジア太平洋地域では、「慰安婦」を拉致する「奴隷狩り」が旧日本軍によって行われたことが知られています。朝鮮や台湾という日本の植民地では奴隷狩りのようなことは必要なかったようですが、民間業者に無理に「強圧」されて連れてこられた人は多数います。また、業者に「甘言」に騙されて連れていかれても自由意志ではありませんから、「強制」です。
そして、「慰安婦」の方々が連れてこられてから、本人の意志に反して監禁され、性奉仕させられたことは完全に「強制」売春です。強制性は「連行」の場面だけで問題になるのではありません。前述の河野氏が述べたような彼女らが置かれた地獄を直視すれば、まさに、性奴隷ではないですか。
そして、彼女らを性奴隷状態に置く強制を、旧日本軍が利用することはあっても、強制するなと止めたことなどないのです。
まさに、「慰安婦」の方々に性奉仕を強制をしているのは、少なくとも旧日本軍が慰安所管理を委託した「奴隷商人」=業者なのであり、慰安所は日本軍の付属施設と化しているのです。なにより慰安所は日本軍のためだけにあって、軍だけが慰安所を利用し、日本兵だけが「慰安婦」の方々の強制的な性奉仕を享受しているのですから、軍と業者が「慰安婦」強制の、少なくとも「共同正犯」であることは明らかです。
さらに言えば、旧陸軍将校の親睦団体偕行社が編纂した『南京戦史資料集』に収録された当時の参謀の日記には、彼らが慰安所の設置を計画したことが記されています。中曽根氏の例でみるように太平洋地域の海軍にしても、大陸の陸軍にしても、慰安所は旧日本軍が主導して設置したものですから、業者が従犯で、軍は共同正犯というよりも正犯と言った方がいいでしょう。
また、慰安所の合法性について、橋下市長は
「当時の時代背景において、慰安婦制度というものがどういうものだったのかということを真正面から議論しなきゃいけない」
などと、「慰安婦」制度が当時の法秩序では許された行為であるかのように発言しています。しかし、だいたい、本人の意志に反してセックスを強要すれば戦前も戦後も刑法上の強姦です。このような強制については、「慰安婦」の方々の証言が最も証拠価値があり、そういう証言は前述した石原副官房長官も述べるように数多くあります。
そして、前述のように、国連人権委員会差別防止と少数者保護小委員会は「慰安婦」は事実上の奴隷であり、
「当時ですら、奴隷制を禁じた慣習的国際法に明らかに違反していた」
としているのです。
また、日本は戦前、「婦女売買禁止を求める国際条約」に加入(1925年)し、ILOの「強制労働に関する条約」第29号に批准(1932年)しており、当時においても、国際法上も国内法においても、「慰安婦」制度が違法行為であったことは明白です。
現在、「従軍慰安婦」の問題は、国際社会では、女性への性暴力と人権侵害という普遍的な問題であると認識されています。
強制か強制でないかなどと言う議論は強制に決まっていますからとっくに乗り越えられており、今、国際社会で論議されているのは、被害を名乗り出た女性たちの尊厳の回復や補償の問題、慰安所において性的行為を強制された体験からくるPTSDの治療の問題などです。
国連の自由権規約委員会の「被害者の名誉を傷つけあるいはこの事件を否定するいかなる企てをも反駁し制裁すべきである」という勧告に従えば、日本政府は安倍氏や橋下氏を制裁しなければなりません。
そんなことも学ぼうとしない時代錯誤な安倍氏が性懲りもなく内閣総理大臣になったり、普通の人権感覚もなく勉強も不足している橋下氏が国政に影響を与えるなど、日本の恥でしかないのです。
怨念の政治家 橋下徹大阪市長と安倍晋三元首相が日本を不幸にする
以上、参考資料
デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金内の慰安婦関連歴史資料
[戦争犯罪][戦時性暴力]慰安婦・慰安所に関してオンラインで閲覧できる一次史料(追記あり)
これでまたネットウヨクがウヨウヨ来て、サンプルがいっぱい集まってしまう(笑)
よろしかったら上下ともクリックしてくださると大変うれしいです。
「土人女を集め慰安所開設」
中曽根元首相関与示す資料
高知の団体発表
中曽根康弘元首相が、戦時中に慰安所設置に積極的に関わっていた資料が防衛省の公開している文書の中から見つかったと、高知市の平和団体が27日、高知市内で発表しました。
明らかにしたのは、高知県内の戦争遺跡の調査や保存に取り組んでいる民間団体「平和資料館・草の家」の岡村正弘館長や馴田正満研究員(63)ら。
今回見つけたのは「海軍航空基地第2設営班資料」。当時の第2施設隊(矢部部隊)工営長の宮地米三氏(海軍技師)の自筆を含めた資料をもとに1962年に防衛省(当時庁)がまとめたものです(26ページ)。第2設営班の主計長が中曽根氏です。
資料には班の編成や装備、活動内容とともにバリクパパン(インドネシア・ボルネオ島)で飛行場整備が終わり、「氣荒くなり日本人同志けんか等起 る」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」(原文のママ)と書いています。バリクパパン上陸前の地図と上陸後、民家 を接収し垣やトイレをつくり慰安所にした地図もあります。
中曽根氏は『終りなき海軍』の本で「私は苦心して、慰安所をつくってやった」と書くなど慰安所建設は認めていました。しかし、外国特派員協会の記 者会見でも「慰安所は軍人らが碁を打つなど休息所の目的で設置した」と、いわゆる「慰安婦」を置く慰安所設置は否定していました。
研究員は資料で(1)中曽根氏が慰安所建設に積極的にかかわった(2)インドネシア人女性を集めて慰安所をつくった(3)42年3月11日に海軍 基地内に慰安所が開設されたなど具体的な記述がある(4)慰安所内の配置図が明らかになった―と説明。「防衛省の所蔵文書で確証は高い。中曽根氏が慰安所 設置に能動的に動いたことが分かる。中曽根氏自ら真実を明らかにするとともに、政府はさらなる調査をすべきだ」とのべました。
慰安婦問題の第一人者である吉見教授、安倍首相の発言に苦言 - 東京
- 2007年03月11日 21:01 発信地:東京
【東京 11日 AFP】慰安婦問題に旧日本軍が組織的に関与していたことを示す資料を発見した、中央大学の吉見義明教授は、この問題についての安倍晋三首相の発言、明らかに1993年の河野洋平官房長官による謝罪を修正するような発言に、危機感を募らせている。
15年前、吉見教授により、資料が発見公表されたことにより、日本政府は関係する韓国人女性数千人に対して、画期的な謝罪を行った。
しかし、安倍首相は最近、「旧日本軍が従軍慰安婦への強制性を裏付ける証言はない」と述べ、旧日本軍の組織的に関与を否定した。これに対して吉見教授 は、「わたしは、政治の現状に不安を抱いている。首相と主要な閣僚はこの問題の根本的な事実を否定しているように思える」とは話す。
■1991年12月、事実を示す資料の発見
1991年12月、元従軍慰安婦だったという複数の韓国人女性が名乗り出て、過去を語り始めたのをきっかけに、吉見教授は、この問題に関係することと なった。教授は、防衛庁(現防衛省)の図書館に足を運び、2日間の調査で日本政府による従軍慰安婦問題への直接関与を示す証拠の書類を発見した。
吉見教授によれば、旧日本軍が前線部隊のために慰安所を設置する命令を下した関係書類を、偶然、発見したのは1980年だったと語る。
書類には、中国北部を占領する旧日本軍の参謀が、慰安所の設置を求める内容が記されてた。旧日本軍兵士が、中国女性に性的暴行を加え、現地住民の怒りを買うことを避けることが目的だったという。
一部の歴史家によれば、終戦までに約20万人の女性がアジア各地の慰安所で慰安婦として働かせられていたとも言われる。
「わたしにとって大きな驚きだったのは、それが日本の当局による直接関与を初めて明らかにする公式書類の一つだったからです」と吉見教授はAFPの取材に対し述べる。「その重要性を十分認識していたので、資料は金庫に厳重に保管していました」と教授は話す。
吉見教授の従軍慰安婦に関する研究は、1992年1月11日付の朝日新聞に掲載された。そして、その翌日には政府が、この問題の調査に乗り出すことを約束した。
そして1993年、当時、官房長官であった河野洋平氏 は、旧日本軍が直接、あるいは間接に、慰安所の設置と管理、および慰安婦の移送に関与したことを認め、慰安婦問題で謝罪と反省を表明した。いわゆる河野談 話で、「心から」の「お詫びと反省」を内外の関係者に示し、旧日本軍が従軍慰安婦問題に、「直接あるいは間接に」関与した過去を認めた。
■従軍慰安婦問題に対する米下院の決議案に、否定的な安倍政権
安倍政権は、従軍慰安婦問題をめぐり日本政府に明確な謝罪を求める米下院の決議案に対し、否定的な姿勢を強めている。同決議案は、民主党が1月の中間選 挙で勝利したことで採択される可能性が強まったが、日本政府に対し、事実関係を完全に認めることと、当時の慰安婦らへの謝罪を求める内容となっている。
保守的な歴史観で知られる安倍首相は今月、「(旧日本軍による)強制性を裏付けるものはなかった」、「強制性を裏付ける証言はない」と発言。首相は一方 で、「そのときの経済状況もあった」「間に入った業者が事実上強制していたケースもあった。広義の解釈では強制性があった」と述べ、河野談話の継承も明言 している。
また、安倍首相は与党主導の従軍慰安婦問題再調査への協力を約束したが、一部には、これは1996年の河野談話の修正への第一歩と見る向きもある。
吉見教授は、日本の保守派の指導者はしばしば歴史問題で論戦を繰り返す中国に比べ、米国からの批判を受けた場合により柔軟に対応するだろうと話し、自らも決議案支持の請願書に署名をした。
「わたしは、米議会での決議案採択が、現在、日本に広がりつつある保守化傾向への歯止めとなることを期待しています。安倍首相にとって、重要な同盟国である米国の忠告を拒絶することは恐らく不可能でしょう」と分析する。
■吉見教授は、過去の過ちを認めること拒否する流れを懸念
60歳を迎え、白髪の吉見教授は、書籍が所狭しと並ぶ研究室で、この問題に対する安倍首相の発言を静かに批判する。
「慰安婦の募集にあたり、女性への強制があったのは明らかであり、慰安所の設置を決定したのは日本政府だったのです」と、発見した資料の写真を手に取 り、吉見教授は話す。「日本政府こそが首謀者であり、請け負った業者や中間業者は、政府の手先として働いただけ。しかし、その反対は絶対にあり得ない」 と。
吉見教授はさらに、柔らかい語り口調で、脅迫電話や脅迫の手紙をいくつも受け取ったと話す。教授が資料を発見、公表したことに腹を立てた人物が、教授に「死ね」という書面を送りつけてきたこともあるという。
政府が1993年の河野談話の立場を継承したとしても、この見解に反発する動きが。既に国内に広がっている。現在、中学生の教科書で、従軍慰安婦問題を取り上げたものは存在しない、とも、吉見教授は語る。
「悪行を認めることを拒絶する感情はいつの世も存在しますが、とりわけ1990年代のバブル崩壊以降は、独自の文化を無理やり主張することが、一つの流れとなっているように思えます」と同教授は分析している。
写真は8日、研究室で話をする吉見教授。(c)AFP
河野氏の反撃…「慰安婦談話を破棄すれば日本の信用を失いかねない」
2012年10月09日08時40分[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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河野洋平元日本官房長官(75)。 |
当時の談話で、日本政府は「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与し、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあった」と認めた後、謝罪した。
河野氏は8日付の読売新聞の連載物「時代の証言者」に掲載されたインタビューで、「河野談話は日韓だけでなく米国の国立公文書館などの資料も慎重に検討し、宮沢内閣の責任で決めた『内閣の意志』」と規定した。
また「河野談話を閣議決定はしていないが、その後のすべての自民党政権も民主党政権も踏襲してきた」とし「にもかかわらず、紙の証拠 がないからといって戦後半世紀を超えて今も苦しむ女性の存在や戦争中の悲劇までなかったと言わんばかりの主張には、悲しみさえ覚える」と指摘した。さらに 「アジアのみならず、欧米諸国からも日本の人権意識を疑われ、国家の信用を失いかねない」と警告した。
河野氏は慰安婦動員の強制性関連部分が談話に含まれた経緯も詳しく説明した。「出所や中身は公表しないとの約束で16人の慰安婦から 直接聴取した結果、日本の軍人が威嚇して女性を連れていった、工場の下働きの仕事だとだまされた、日によっては20人を超す兵隊の相手をさせられた、敗走 時は置き去りにされたといった、痛ましい体験が語られた」と明らかにした。続いて「(慰安婦が)軍には逆らえない状況下で、総じて『強制性』を認めるべき 内容だと判断した」とし「慰安婦の証言を読んだ宮沢首相は衝撃を受けた」と回顧した。
8月の李明博(イ・ミョンバク)大統領の独島(ドクト、日本名・竹島)訪問をきっかけに、日本政界で河野談話破棄・修正論が提起され た後、河野氏が立場を明らかにしたのは今回が初めてとなる。「強制連行の証拠がない」として談話の破棄を主張する右翼政治家に向けた“河野の反撃”だ。
現在、河野談話の破棄や修正に最も積極的な人物は、先月末に自民党総裁に選出された安倍晋三元首相だ。安倍総裁は総裁選中、「強制連 行を事実上証明する資料はなかった。子孫の代に不名誉を背負わせるわけにはいかない」とし、河野談話の破棄を代表的な政策課題に掲げた。自民党の支持率が 民主党を圧倒する現状況で、次期総選挙の後、安倍総裁が首相に就任すれば、河野談話の破棄が日本政府の公式的な立場になる可能性もある。
野田佳彦現首相、“妄言製造機”として知られる80歳の石原慎太郎東京都知事、さらに日本政治の次世代期待株とされる43歳の橋下徹大阪市長が年齢帯を問わず、慰安婦妄言隊列で足並みをそろえている。
橋下・大阪市長の「慰安婦」暴言
「河野談話」も国連報告書も「強制」認定
安倍発言の蒸し返し「従軍慰安婦」問題に関し「強制連行というものの事実があったのかどうなのか、確たる証拠はなかった」という橋下徹大阪市長の発言は、自民党の安倍晋三元首相の発言を蒸し返したもので、すでに破綻した議論です。
強制の核心
1993年の慰安婦問題に関する河野洋平官房長官の談話は、「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」と明確に認定しています。
「慰安婦の募集」についても、朝鮮半島は当時日本の統治下にあったと述べ、「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反しておこなわれた」と断定。「更に、官憲等が直接これに加担した」としています。
「本人たちの意思に反して集められた」というのは、まさに強制以外の何ものでもありません。
強制性の核心である慰安所における生活についても、「河野談話」は「強制的な状況の下での痛ましいものであった」と述べています。こうした事実を裏付ける材料は無数にあります。
橋下氏は「日本政府も日本国民に対して、しっかり従軍慰安婦問題についてもっと明確に見解を示さなければいけない」と言う前に「河野談話」をきちんと読むべきでしょう。
安倍首相(当時)はこの「河野談話」を「継承している」(2006年10月、衆院予算委員会)と述べざるを得なかったものの、何とか旧日本軍の犯 罪行為を免罪しようと、「狭義の強制性」として、「家に乗り込んでいって強引に連れて行った」行為しか強制と認めないという理屈を持ち出しました。しか し、強制性を否定した安倍発言は、米国など国際社会から批判が噴出。米下院は2007年、「日本政府による軍事的強制売春である『慰安婦』システムは、そ の残酷さと規模の大きさで前例のないもの」との批判決議をあげました。
当時も違法
橋下氏はまた、「当時の時代背景において、慰安婦制度というものがどういうものだったのかということを真正面から議論しなきゃいけない」などと、当時では許された行為であるかのように発言しています。
しかし、この問題についても国連人権委員会差別防止と少数者保護小委員会は1998年、慰安婦は事実上の奴隷であり、「当時ですら、奴隷制を禁じた慣習的国際法に明らかに違反していた」との報告書を採択しています。これがこの問題での国際社会の到達点です。
橋下氏と「大阪維新の会」は国政進出への野望を強めていますが、橋下氏の発言は国政について論じる資格そのものが問われるものです。 (入沢隆文)
橋下徹大阪市長は24日、戦時中の従軍慰安婦問題で、旧日本軍の強制性を認めた1993年の河野洋平官房長官談 話に関し「あいまいな表現で、日韓関係をこじらせている最大の元凶だ」と批判、安倍晋三内閣が2007年に閣議決定した答弁書を重視する考えを表明した。 市役所で記者団に述べた。
安倍内閣の答弁書は「政府が発見した資料には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」としている。
ただ安倍氏は答弁書や、これに先立つ自身の発言をめぐり中韓両国や米国の批判を受け「誤解され伝わったのは遺憾だ」と釈明、河野談話を継承する立場を強調しており、橋下氏の認識とは食い違いもみられる。
慰安婦問題について語ろうとするときに、「慰安婦とその協力者たちが物語を創作している」という信念の呪縛というか洗脳状態を解くことができない人たちがいます。あるいは、そこまでいかなくても、比較的良心的と思われる人の中にも、「従軍慰安婦(の少なくとも一部)は嘘を言っている」などと思うところから話を始める人たちもいます。インターネット上のいろいろなところで、そのような人たちを私は悲しみとともに見てきました。
しかし、入門書を一冊でも読んでみれば、史料は「慰安婦の証言」だけではないという単純な事実に気がつくはずです。
たとえば、値段的にも手ごろでコンパクトな吉見義明「従軍慰安婦」(岩波新書)ですが、引用・言及されている史料としては、
慰安婦自身の証言はもちろん、
日本政府の公文書、
日本軍の公文書、
日本軍人の証言、従軍日誌類
などがあるのです。
慰安婦にまつわる史実の全体像は、たとえばこのような史料を比較検証して明らかにされてきました。学問的検証や国際世論のふるいにかけられた調査や研究はすべてそういう厳密な検討を経ていることを世の中の一人でも多くの人に知ってほしいというのが私の切実な願いです。
たとえ、入門書を一冊も読まない人でも、このことは理解してほしいと思います。
そして、安倍と橋下(あるいは他の者たち)が河野談話すら破棄するなら、日本は国際社会での地位がさらにはっきりと下がります。そのことが理解されることも心から願います。
不都合な真実でも受け入れる勇気を持てるかどうかですよね。
元「慰安婦」の方々のお話に嘘がないという意味では、証言を直に聞くか、ビデオを見るなりされれば、誰にでも感得できると思います。
それをなさった、本文中でも引用した石原信雄氏のお話を是非読んでいただきたいですね。
全文は
http://www.awf.or.jp/pdf/k0003.pdf
現地調査をしよう、日本の政府が任命した調査官がソウルへ行って慰安婦の人たちにお会いして、その人たちの話から状況判断、心証をえて、強制的に行かされたかどうかを最終的に判断しようということにしたわけです。・・・各省から何人か、3人ぐらいでしたか、慰安婦の人たち16人にお会いしたんですよ。・・・その報告の内容から、明らかに本人の意に反して連れて行かれた人、それはだまされた人、普通の女子労働者で募集があって行ったところが慰安所に連れて行かれたという人、それからいやだったんだが、朝鮮総督府の巡査が来て、どうしても何人か出してくれと割り当てがあったというので、そういう脅しというか、圧力があって、断れなかったというような人がいた。何人かそういう人がいたので、総合判断として、これは明らかにその意に反して慰安婦とされた人たちが16人のなかにいることは間違いありませんという報告を調査団の諸君から受けたわけです。・・・結局私どもは通達とか指令とかという文書的なもの、強制性を立証するような物的証拠は結局見つけられなかったのですが、実際に慰安婦とされた人たち16人のヒヤリングの結果は、どう考えても、これは作り話じゃない、本人がその意に反して慰安婦にされたことは間違いないということになりましたので、そういうことを念頭において、あの「河野談話」になったわけです。そこのところは結局調査団の報告をベースにして政府として強制性があったと認定したわけです。(アジア女性基金オーラルヒストリー・プロジェクトの聞き取りより、2006年3月7日)
弊ブログに全文転載させて頂いていいでしょうか?
ただ、日本のことばかりが書かれていますが、世界的にはどうなのでしょうか?
聞くところでは、第二次世界大戦のころはソ連軍が一番凶暴だと恐れられていたそうです。というのは、戦争とは非常時であり人間の精神を凶器に導くものであり、兵士は常に戦う恐怖と隣り合わせで最低限の衣食住を確保しなければならない。また血気盛んな若者です。性的な処理も必要になります。そこで世界的にはどこでも大なり小なり慰安婦は見て見ぬふりをしていて、必要悪として認めていた。
しかし、ソ連などは現地調達つまり、侵略した先の婦女子を片っ端から暴行、強姦していった。また、韓国軍がベトナム戦争に兵士を出した際のベトナム人に対する非道の限りは、今でもベトナム社会では公然と韓国敵視の状況です。
もう一つ、当時慰安婦として働いていた人は韓国人だけなのでしょうか?それといくらぐらい稼いでいたのでしょうか?
どうも無理やり連れて行かれてただ働きさせられたかのイメージを持ってしまいますがどうなのでしょうか?
現在の売春婦輸出世界一の韓国の状況を見ると、なんとも判断つきません。
今回のブログのような精緻な論評で、再度私の疑問を払拭してほしいです。楽しみにしております。
「何々ちゃんもやってる!」
と反論したら、
「他の子は関係ないでしょ?!」
と叱ろうと思います。
ttp://www.dailymotion.com/video/xtu1k0_2012-9-23-nyy-yyyyyyyyy-yyyyyyyy-yy-2_news#from=embediframe
*すぐ削除されるかもです。
この動画の40:50~で櫻井よしこ氏が主張している内容の事実関係はどうなんでしょう。
1、16人の話に対して質問はできなかった。
2、話しの内容は、今も公開されていない。
3、16人の名誉のために強制性を認めれば、経済的な補償を求めない。慰安婦の問題を今後取り上げないということだった。
以上 石原官房長官の話とのことです。
動画の続きはー
ttp://www.dailymotion.com/video/xtu1tw_2012-9-23-nyy-yyyyyyyyy-yyyyyyyy-yy-3_news
謝罪を繰り返し民間とはいえ基金もつくられました。資料に乏しいので、今後も人によって認識は違うだろうなと思います。その度にリセットされて、うなだれる所から始めないといけないんでしょうか。
この動画の韓国側の意見である共通認識が大事だとなると、日韓で再度この問題について確かめ合う必要があるのかなと思います。
でも、慰安婦は韓国人だけだったのでしようか?
日本人は?その他の国の人間はいなかったのでしょうか?
いたのであればその人たちのことも取り上げなければ偏っていることになると思います。
それとソ連軍などの例をみても、侵攻した先で民間人を襲わないための一つの方法とは考えられないでしょうか?
歴史はいつまでさかのぼる必要があるのでしょうか?
罪刑法定主義的な考えにはなりませんか?今と当時では考え方も違うでしょうし、慰安婦といわれる人たちは対価を得ていたのであり、一般国民の何倍もの稼ぎがあったとも言われています。
良い悪いは後になればいくらでも言えると思いますが、
批判するのであれば、当時の事情と数字的な比較等も必要だと思います。
罪刑法定主義云々ですが、当時の法制度からしてもさまざまに違法だという話も書きました。
よろしくお願いします。
戦時性暴力をしないために慰安所が必要だ云々は非科学的かつ反道徳的です。
もう一度書きます。
たとえば、値段的にも手ごろでコンパクトな吉見義明「従軍慰安婦」(岩波新書)ですが、引用・言及されている史料としては、
慰安婦自身の証言はもちろん、
日本政府の公文書、
日本軍の公文書、
日本軍人の証言、従軍日誌類
などがあるのです。
慰安婦にまつわる史実の全体像は、たとえばこのような史料を比較検証して明らかにされてきました。学問的検証や国際世論のふるいにかけられた調査や研究はすべてそういう厳密な検討を経ていることを世の中の一人でも多くの人に知ってほしいというのが私の切実な願いです。
そういう意味で言うなら、慰安婦の訴えを否定しようとする人たちの持ち出す論点はすべて学術的にも国際政治的にも「終わった」ものばかりですし、自分で史実に向かい合っている人はその中にはほとんどいません。
たとえば、一つだけ例を出すなら、私自身の勉強も兼ねて、こういう記事を作りました。
彼女たちが慰安婦にされた年齢と手段 (「Stiffmuscleの日記」から)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3086.html
未成年の女性に自由意思を認めない管理売春をさせることが当時の法律で認められていたと言うのであれば、当時の法律をお示しくださいね。