半世紀以上、熊本・鹿児島・新潟などの被害者を苦しめてきた水俣病問題。
その「最終解決」を明文で定めた水俣病被害者救済法に基づく救済策の申請が2012年7月31日、締め切られました。
熊本・新潟両県の被害者団体からは「潜在的被害者が取り残される」として期限見直しを求める声があがっていたのですが、その声は無視され、環境省は「国会の意思」として切り捨てを強行しました。
ここでも、悪しき口実としての民主主義が幅を利かせました。民主主義は人々の自由と人権を守るためにあるのに、国会の意思の名のもとに命と健康を切り捨てたのです。
水俣病は長らく公害健康被害補償法に基づく認定制度が補償の根幹を担ってきました。しかし基準は厳しく、多くの申請者がふるい落とされてきました。ところが、水俣病関西訴訟最高裁判決(2004年)で、国の認定基準よりも幅広い基準が採用されました。そこで、この判決を受けて、国の基準見直しを期待して認定申請する人たちが増え、その収拾策として2009年に救済特措法が議員立法で成立したのです。
水俣病救済特別措置法
水俣病の未認定患者救済を目指し、2009年7月に議員立法で成立した。水俣湾(熊本県、鹿児島県)や、阿賀野川(新潟県)でメチル水 銀に汚染された魚を大量に食べ、手足の感覚障害など一定の症状がある人を対象に、1人210万円の一時金を原因企業のチッソなどが支払う。
未認定患者への対応では、1995年の村山内閣当時に医療費や一時金を支給する救済策を実施。しかし、04年に幅広い救済を求める最高裁判決が出たことを受け、与野党が政治主導で特措法を制定した。
上記の特措法は、水俣病の症状がありながら国基準では患者と認められない被害者の「あたう限り(=できる限り)の救済」を掲げています。救済の中身としては手足の感覚障害などがある人に、一時金210万円や医療費などが支払われます。この6月末までの申請者は想定を上回る約5万8千人に達し、その後も増え続けました。
特措法は2012年4月末をめどに対象者を確定すると定めています。7月末はそこから逆算した「ぎりぎりの期限」と国は説明してきましたが、偏見を恐れて申請をためらう人が残ったわけです。
また救済策は原則として地域や年齢で対象者を限っているのですが、民間の集団検診では対象外の地域や年齢の人にも次々と症状が見つかっています。まさか自分が水俣病だとは思っていなかったという方も多数おられるのです。
申請が遅くなられる方々も、決して怠慢だったわけではないのです。
新潟県の泉田裕彦知事は8月1日の定例記者会見で、
「被害者が出たことで公害規制が強化され、今の時代に安全な環境で生活できる事実を踏まえれば国全体でサポートすべきだ。なぜ期限があるか納得できない」
「期限を切り線引きをするのは本当に罪深い」
と国を厳しく批判しています。
民主主義を根拠に打ち切りを正当化するのであれば、地元自治体の首長の声に耳を傾けるべきでしょう。
杓子行儀なことを言わずに、特措法の2013年4月をめどに解決するという部分を改正すればいいだけです。それまでに解決できないのは明らかなのですから。
もう少し、血の通った行政ができないものなのでしょうか。
それは将来必ず起こる福島原発事故の被害者救済にも大きく影響してくるのです。
水俣病救済策7月末打ち切りに抗議して被害者座り込み開始 水俣病で起こっていることは将来福島で必ず起こる
毎日新聞 2012年08月01日 00時33分
◇認定制度立て直しで救済を
「水俣病問題の最終解決」を掲げた水俣病被害者救済特別措置法(特措法)の救済措置申請が、7月末で締 め切られた。被害者は今後どこに救済を求めればいいのか。患者団体が主張するように、締め切りは「患者切り捨て」ではないのか。補償を求める被害者の声に 応えるには、特措法以前から水俣病補償の根幹を担ってきた認定制度を立て直すしかない。そのカギは、被害実態に合わせた補償内容の組み替えにあると考え る。
「『(特措法で支給される一時金の)210万円という餌があるから食べなさい。急がないと時間がないよ』。国は被害者にこう言っているのと同じだ。もう終わり、と被害者を脅してどうするのか」
熊本県水俣市に住む40~90代の男女5人が7月18日、水俣市役所で特措法ではなく公害健康被害補償法(公健法)に基づく被害認定を申請した。その記者会見で元小学校教諭の広瀬武さん(77)は特措法の申請期限設定をこう述べて批判した。
特措法は、水俣病関西訴訟最高裁判決での原告勝訴(04年)を受け、国の認定基準緩和を期待する新たな申請者が急増したことを背景に制定された。 「認定基準を満たさないものの救済を必要とする方々」を対象に、手足の感覚障害などが確認されれば一時金や医療費などが支給される。認定基準見直しには手 をつけず、認定制度の下に要件の緩やかな救済策をつくって被害者を誘導し、膨れあがった認定申請者を減らす狙いがあった。特措法で救済を求める申請者は熊 本、鹿児島、新潟の3県で6月末現在、5万7589人に上っている。
◇差別や偏見でためらいも
私が水俣に赴任して5年余り。特措法で一時金を受け取った被害者に対する「水俣病かどうか分からんのに カネをもらいやがって」という妬みの声を毎日のように聞く。そう話す人も「本当は自分も水俣病かもしれん」と小声で漏らす。水俣病への差別や偏見が残る中 「娘が嫁に行ったら」「仕事を定年になった後で」と、申請をためらう声も頻繁に聞いた。そもそも、水俣病は被害がどこまで広がり、患者が何人いるか今もよ く分かっていない。7月末で窓口を閉じる医学的な根拠はどこにもないのだ。
8月以降、新たに救済を求める被害者はどうすればいいのか。制度上は公健法に基づく認定申請か裁判しかない。しかし、新たな認定者は過去10年間で わずかに12人。特措法救済に手を挙げた5万人以上という数字と比べれば、今の認定制度が水俣病補償という点で機能不全に陥っていることは歴然だ。
◇症状に沿った補償制度必要
私が特に訴えたいのは、被害実態に合わない補償の問題だ。水俣病補償は73年にチッソと患者団体が結ん だ補償協定が土台になっている。一時金は1600万~1800万円。手足をばたばたと震わせて亡くなっていった発生当初の劇症患者も、その後の軽症患者も 同じで、40年近くたっても金額は変わらない。水俣病の症状には濃淡があるのに、今の認定制度は結果的に高額補償に該当する重症の被害者だけに給付を限定 する役目を負わされているのではないか。
問題の解決のためには、症状に沿った段階的な補償制度が必要だ。物価変動を考えれば重症の場合は増額されるケースもあるだろうし、逆に、軽症の場合は、一時金なしで医療費のみという補償スタイルも考えられる。
認定基準の在り方も、もちろん問題だ。感覚障害や運動失調など複数症状の組み合わせを求める国と、「医学的根拠がない」と反論する患者団体との間 で、今も最高裁を舞台に争いが続いている。しかし、現行基準でも、水銀汚染魚の摂取状況などを丁寧にみれば、複数の症状が出ていなくても「総合的検討」に よって認定できる余地がある。認定申請者は最高裁判決以降のピークだった10年7月の8282人から、現在はその4%弱に減っている。今なら認定基準と救済策について、被害者それぞれのケースを詳しく検討する余裕もあるはずだ。
水俣病問題に長く携わってきた丸山定巳熊本学園大教授(環境社会論)は「認定制度こそ水俣病補償の本筋 だ。実質的な救済につながるよう再構築すべきだ」と訴える。一方的に期限を決めて、被害者に申請を急がせる。こんな特措法救済の在り方を「最終解決」と呼 ぶことはできない。
水俣病は発生から半世紀余りの間、一時しのぎの救済策を繰り返してきた。
それと同じ轍(てつ)を踏むことで、今後、患者認定を受けるべき、多くの被害者救済の道を閉ざしてはならない。(水俣通信部)
毎日新聞 2012年07月29日 東京朝刊
水俣病の症状がありながら、国の基準では患者と認められなかった人を救済するための水俣病被害者救済特別措置法 (特措法)に基づく救済申請が今月末で締め切られる。なお多くの潜在被害者が残るとみられる中で、患者団体は「締め切りは患者切り捨てだ」と反発するが、 国は申請期限の延長や撤廃に応じない方針だ。「公害の原点」と言われる水俣病は1956年の公式確認から56年。国が掲げる「最終解決」は見えないまま、 期限を迎える。【西貴晴、藤野基文】
◇潜在被害者多く
「(申請を締め切れば)水俣病の終結はあり得ない」
今月18日、環境省。最大の患者団体「水俣病不知火(しらぬい)患者会」(熊本県水俣市、約6000人)の大石利生会長(72)は特措法による救済申請期限の撤廃を求める約10万人分の署名を提出した後に記者会見し、締め切りを見直さない国を批判した。
受け付け開始から2年2カ月で申請者は、5万7589人(6月末)に達し、既に環境省の想定の約3万人を大きく上回っている。
患者会と民間の医師団は6月、熊本、鹿児島両県で1396人を対象に集団検診を実施し87%にあたる 1213人に感覚障害を確認した。9割が初めての受診で検診に携わった藤野糺(ただし)医師(70)は「苦しんでいる被害者がまだ多くいる。国は水俣病問 題にふたをしようとしている」と批判する。
水俣病はいまだ被害実態がはっきりせず、救済に手を挙げていない潜在被害者がいるとみられる。水俣病への偏見や差別が今も残る中で申請をためらうケースも考えられるが、国は被害の全容を把握するための調査を実施していない。
今月20日環境省に申請期限撤廃を求める要望書を提出した新潟水俣病発生地、新潟県の泉田裕彦知事は「水俣病は個人と会社の損害賠償の問題にとどまらない。偏見や差別で地域に亀裂を生じさせた社会問題だ」と述べた。
対象の線引きによって救済から漏れる被害者が出ることも懸念されている。熊本、鹿児島両県の場合、「救済対象地域」は不知火海沿岸の9市町の全部または一部だ。地域外からでも申請はできるが、水銀に汚染された魚をたくさん食べていたことを証明しなければならない。
水俣市の対岸にあり、大半がエリアから外れている熊本県上天草市。元漁師(84)は「魚は海の中を動き回るのに、陸上に線を引くのはおかしい」と憤る。申請した知人30人のうち、救済されたのはまだ1人だけという。
年齢制限もある。チッソ水俣工場が水銀排出を止めた1968年の翌年の69年11月末までの出生者を原則、救済の対象としている。ただし、これ以降も排水の影響が完全になくなったとは限らない。
患者会などの6月の集団検診では69年12月生まれ以降の41人についても8割以上の35人に手足の感覚障害が確認された。藤野医師は「国が決めた救済年齢以外にも多くの被害者がいることを示している」と指摘する。
しかし、細野豪志環境相は今月20日の閣議後会見で「期限の中であたう(可能な)限りの救済を実現したい」と述べ、締め切りは変えない方針だ。8月以降も長く水俣病補償の根幹を担ってきた認定制度は続くが要件は厳しく、過去10年に12人しか認定されていない。
◇終結急ぐチッソと国
特措法の救済に申請期限が盛り込まれた背景には、患者に支払う一時金を負担する原因企業チッソ(東京)と国の思惑の一致がある。
95年に村山富市内閣(当時)が、相次ぐ水俣病訴訟を背景に1人260万円の一時金支払いなどの政治決 着を図った。チッソは救済を受けた約1万1000人のうち1万305人への一時金など317億円を負担した。関係者によると改めて特措法に基づく負担を求 める国に、チッソは「救済の終わり」を明確にするよう要求した。
さらに、チッソは同社を患者に補償する会社(親会社)と事業会社(子会社)に切り離す分社化も求めた。将来は子会社の株式売却益を補償に充てて、親会社は清算する。チッソは水俣病と直接関係ない会社に生まれ変わることになった。
国は公害問題の「汚染者負担の原則」を主張し、自らの責任を認めてこなかったが、04年の最高裁判決で熊本県とともに被害拡大防止を怠った賠償責任を認定された。このため、国はチッソの要求を受け入れてでも「解決」を図る必要に迫られた。
花田昌宣・熊本学園大水俣学研究センター長は「水俣病と離れたいチッソと、一定の『解決』を形作りたい国が折り合った結果が特措法。前文には『地域における紛争終結』が目的に盛り込まれ、被害者救済は二の次だった」と指摘する。
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◇水俣病救済を巡る主な動き◇
1956年 5月 水俣病公式確認
65年 5月 新潟水俣病公式確認
68年 9月 チッソ水俣工場の廃水中の有機水銀が原因とする政府見解
95年 9月 与党3党が未認定患者の救済策(政治決着)
2004年10月 水俣病関西訴訟最高裁判決。国の認定基準より幅広い基準を採用。認定申請者が急増
09年 7月 水俣病被害者救済特別措置法(特措法)成立
10年 5月 特措法の救済受け付け開始
11年 3月 チッソが子会社に事業譲渡、分社化
12年 2月 細野豪志環境相が7月末での救済申請締め切りを表明
12年 7月末 救済申請締め切り
13年 5月ごろ 救済対象者確定
水俣病救済、駆け込み申請者「ぎりぎりまで迷った」…熊本
水俣病被害者救済法の申請期限の7月31日、熊本県庁や水俣市などの窓口では駆け込みで申請する人の姿も多く見られた。
潜在的被害者の存在を背景に締め切りに反発の声も根強く、蒲島知事は記者団に対し、今後も被害者に向き合っていく姿勢を強調した。
この日、水俣市や天草市など不知火海沿岸の6市町の窓口には計150人以上が訪れ、申請手続きを行った。担当者によると「最後なので急いできた」「ぎりぎりまで申請するかどうか迷っていた」などの声があったという。
水俣市では市民から「夕方までに間に合わない」との相談が寄せられたことから、宮本勝彬市長の判断で急きょ、日付が変わる深夜まで担当職員を置くことを決定。他の市町も31日中であれば当直で受け付けるなど、業務終了時刻以降も柔軟に対応した。
県水俣病保健課の窓口は比較的静かで数人が申請手続きを行っただけ。午後5時15分を迎えると申請窓口の看板を田中義人課長らが撤去し、蒲島知事が設置を表明した「水俣病相談窓口」の看板を新たに取り付けた。
一方、締め切りを巡っては被害者団体の間で賛否の声が上がった。
昨年3月に原因企業チッソと紛争解決協定を結び、救済法でも会員約300人の大半が救済された「水俣病被害者芦北の会」(津奈木町)。村上喜治会長は「区切りを付けないと次のステップには進めない。これからは福祉を増進し、救済法に手を挙げられなかった人にも利用してもらえるようにしたい」と締め切りに理解を示した。
一方、水俣病不知火患者会の大石利生会長は県庁で記者会見して締め切りを批判。国を相手取り損害賠償訴訟を続けている「水俣病被害者互助会」(水俣市)の佐藤英樹会長は「水俣病の全容は解明されておらず、救済法を打ち切るのは間違い。私たちは裁判を続け、国や県、チッソに謝罪を要求する」と憤った。
水俣病不知火患者会などでつくる「ノーモア・ミナマタ被害者・弁護団全国連絡会議」は同日、「国は被害者を切り捨てることによって紛争を再燃させる愚行を繰り返そうとしている。打ち切りに断固抗議し、申請受け付けを再開するように国に求める」とする抗議声明を発表した。
(2012年8月1日 読売新聞)