今日は憲法記念日。
ところが、多くの既成政党が改憲案を発表し、大阪維新の会も改憲しないと実現しない首相公選制や参議院廃止を主張するなど、日本国憲法を取り巻く状況は近年になく厳しいといえるでしょう。
特に気になるのは、最近、橋下大阪市長の「民主主義至上主義」ともいうべき言説「決定できる民主主義」がまかり通っていることです。現在の国際的常識である立憲主義においては、自由主義が目的で民主主義はその手段。民主主義は自由と人権を守るための統治の技法に過ぎません。
つまり、橋下さんが言っていることは目的より手段を上位に置いた本末転倒な議論なのです。
日本国憲法の場合は、自由と人権保障がその存在の目的であることは次の条文が端的に示しています。
第12条1項 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
これを受けて、次の条文は日本国憲法の最高価値である「個人の尊厳」=個人主義を宣言しています。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
すべて国民はただ尊重される、のではなく、「個人として」尊重されるのです。個人個人の違いに着目し、「あなたはあなただから素晴らしい」という「世界に一つだけの花」的な発想が個人の尊厳です。橋下市長の競争至上主義的な教育観は子どもたちの個性に着目しようという姿勢に欠けており、こういう個人の尊厳を大切にする感覚が全くないことを感じさせます。
さて、日本国憲法には「最高法規」という章があるのですが、その最初の条文で、なぜ憲法があらゆる法規の中で最高なのかがわかるようになっています。
第10章 最高法規
【第10章 最高法規】
第99条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
などとしており、笑止千万です。民意が忠実に反映されるような選挙制度であれば、選挙で選ばれた国会議員は国民と同質で(治者と被治者の同質性)、真に国民の代表といえるから(「全国民の代表」43条1項)、国民の人権を制約することもありうる法律を作ることを国会だけが許されるのです。
第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
これは、国民と同質の代表者なら国民の人権を制約しすぎて侵害するところまで行ってしまうことはないだろうという想定の下の規定です。
第一に、選挙制度は忠実に民意を反映するものでないといけませんから、死票が大量に出る小選挙区制や定数不均衡で一票の価値が不平等な今の選挙では、前提を欠くといえます。
また、橋下大阪市長は、選挙で勝てば一種の白紙委任を受けたといえるなどと言っていますが、全くの誤りです。
〈橋下徹・大阪市長に聞く〉選挙、ある種の白紙委任
「弁護士は委任契約書に書いてあることだけしかやってはいけないけれど、政治家はそうじゃない。すべてをマニフェストに掲げて有権者に提起するのは無理です。あんなに政策を具体的に並べて政治家の裁量の範囲を狭くしたら、政治なんかできないですよ。選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」
代表者は民意を反映するからこそ代表者ですし、国会や地方自治体が法律や条例を作る権限を憲法から与えられたのは、選挙で選ばれない行政や裁判所よりも自由や人権を尊重するはずだからなのです。
もちろん、議会は討論と妥協の過程を十分経たうえで法律・条例を作らなければなりません。たとえば支持母体が労働組合でも、代表としては「全国民の代表」なのですから支持母体の労働組合の命令を受けるのではなく、全国民の利益を考えて自由に考え行動できければなりません。これを憲法学では命令委任ではなく自由委任といいます。
しかし、それは白紙委任ではありません。
民主主義の目的は自由と人権を守るためにありますから、民意をできるだけ反映するようにしなければなりません。これを社会学的代表(法的には拘束されないが事実上は民意を反映した代表)などといいます。だからこそ、議員定数不均衡などもってのほかですし、死票が大量に出る小選挙区制ではなく民意を忠実に反映する比例代表制を中心にすべきです。
消費税増税のために比例代表の議員定数を80削減したら、日本の民主主義は本当に終わってしまう!
代表者は、なにより立憲民主主義の目的である国民の自由と人権をできるだけ尊重するように努めなければなりません。
橋下市長は、大阪市職員に対する思想調査アンケートなどについて、政治活動への関与を問うアンケートの回答を強制された大阪市職員が市を提訴したことについて、橋下徹市長は2012年4月25日、報道陣に「裁判所で決まればいい。調査方法がやりすぎだったかどうかも、司法の判断が出る」と述べました。
しかし、まず、選挙で選ばれた代表者がなぜ権力を行使できるかというと国民と同質で人権侵害をしないだろうと期待されてのことなのです。人権侵害しても裁判所で決めればいい、のではなく、まず自分が過去の判例や学説にのっとり、人権侵害をしない義務があるのです。
裁判で不法行為に基づく損害賠償が認められれば、支払われるのは大阪市民の血税です。
自分勝手な考えで人権侵害してもいいと考え、そのせいで被害者が生まれ、そしてまた市民の税金が使われることに痛痒を感じない橋下市長は何重もの意味で民主主義を曲解しているといえるでしょう。
その思考はまさに独裁者的です。
橋下維新の会は「決められる民主主義」を標榜し、「首相公選制」や「一院制」を唱えていますが、たとえば首相公選制は世界でどの国も採用していません。
三権分立を中心とする権力分立の考え方は世界中でとられていますが、これは権力の濫用を防ぎ、もって自由と人権を守るためです。権力同士の抑制と均衡によって権力の暴走を防ごうとしているのです。
たとえば一院制は一見物事がスムーズに決まってよさそうですが、今の衆参両議院のねじれ現象によって、民主党政権がしたい消費税増税などが思うに任せず、野田民主党政権の暴走が防がれているのは悪いことばかりではありません。衆議院と参議院が存在して政府が慎重な決定を迫られるのは良いことであることが多いのです。
こういう権力の抑制と均衡のシステムを統治上の自由主義というのですが、民主主義の目的が自由と人権保障にあり、自由主義が上位にあることも知らない橋下市長がまかり間違えば一回の選挙で内閣総理大臣になりかねない首相公選制など、極めて危険であることは明白だといえるでしょう。
今、求められているのは、むしろ国民の自由と権利を守ることを目的とする「熟慮断行」のはずです。言うことが次々と変わる「コロコロ王子」は要りません。
追伸
ツイッターデモ斬新な発想ですね。憲法の「表現の自由」の新しい形態ですね。画期的な出来事になるかも!
→【Twitterデモのお知らせ】5月3日22時よりTwitterデモ開始!! 橋下大阪市長に物申す@t_ishin に返信して #橋下(゜⊿゜)イラネ つけましょう
http://twitter.com/#!/uskadg/status/196115117170114560
いよいよ政治ブロガー復活!
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上方落語と文楽という「衆人愛敬」の庶人文化の担い手は、日本国憲法の精神を守ることが大阪の真の発展になにより必要なことを訴えておられます。
「民都」大阪の文化はそうした底の深さ・厚みを持っています。「大阪維新の会」は憲法改正を唱えていますが、かれらの今進めている大阪文化の破壊・切り捨てはその布石だと言えないでしょうか。
雨宮処凜さんと語ろう
格差、原発、そして9条
日時:2012年6月9日(土)13:30開演(13:00開場)
会場:芦屋ルナ・ホール
生きること、暮らすこと、平和とは…
いま私たち一人一人は何ができ、
何をすべきなのでしょうか
トークイベントを通して
憲法9条と25条をもう一度考えてみませんか?
イベント終了後は雨宮さんと一緒に
芦屋市内をアピールウォークしましょう
雨宮処凜(あまみや かりん)さん(作家・社会運動家)
「プレカリアート」問題に積極的に発言し、行動している
『生きさせろ!難民化する若者たち』、新著『14歳からの原発問題』など著書多数
現在、「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、
厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員
対談者:中嶌聡さん(大阪青年ユニオン書記長)
コーディネーター:小橋かおるさん(神戸大学講師)
まつだたえこさんのオリジナル紙芝居
漫画家 「日本的一少女」など出版
参加協力費:500円(高校生以下無料)
託児あり(事前申込要) 手話通訳あり
*アピールウォークは、16:30から約1時間の予定
主催 芦屋「九条の会」
連絡先:片岡 ☎090-7118-2312
後援 芦屋市・芦屋市教育委員会
9条の会をやっておりますと、私などは、
「憲法は権力を縛るもの」
というのは常識になってしまい、今さら言わんでも、と思ってしまいがちになります。
それでは、いかん。
憲法の根本を全ての人々に理解して頂くために
不断(普段)の努力をして行かにゃならんのですな。
と云う事で、皆様、是非とも、御参加を。
反橋下の記事を書いてもネット上では逆風は弱まりつつあるのを実感しています。
リアルでもそうなるようにまだまだ頑張りましょうね。
ほんとうに言うことがコロコロ変わっていって、公約すら反古にしたりと、どこが民主主義なんだろうといつも疑問に思っています。市民が「今市長が何を主張しているのか」をあまりつかめない状態であれこれと変わっていく。そして、白紙委任といって、住民に都合の悪いことでもあまり説明なしに変えていく。これはやはり民主主義とは言えないと思います。選挙だけが民主主義を反映するんでしょうか?そうではないと思いますが。
最近、改憲論者が多いと思います。
憲法は古くなったとか言われてますが、そうなんでしょうか。
私はこの憲法、法律学的には全然分からないですが、個人の意見としてはとても新しいと思っています。憲法が目指したものを今達成できているなら古いですが、達成できてないのですからまだ新しい。(私個人の感想です)
60年以上前にできたこの憲法の新しさに、もっともっと学ばなければ、と思っているくらいです。
つまり、橋下さんが言っていることは目的より手段を上位に置いた本末転倒な議論なのです。”
とおっしゃるところ、徳岡さんの真意が本当に表れれているかな?と思いました。橋下の「民主主義至上主義」と言うと、どうしても、え? と思います。ヒトラーや橋下は、民主主義のアナを悪用して、民主主義を歪曲しています。ちょうど、橋下が法のアナを悪用するローン会社の弁護士だったように。そこでは、民主主義だったらいいだろう、という開き直りが感じられますから、徳岡さんのようにおっしゃるのもわかるのですが、おそらく、本来人類全体の課題として、自由と平等のバランスのある社会を達成するということがあって、それで民主主義と言うことになったのだと思うのです。徳岡さんの文章では、平等という観念が明瞭に感じられません。これは、おそらく、僭越に言わせていただくと、徳岡さんの真意ではないだろうと思いますが、どうでしょう?
また、自由ではなく、自由主義というと、ちょっと狭い概念になるように思うのですが。
そこでいつも思うのは、この人たちにどれぐらいの憲法の知識があるのかどうなのかという点です。
まずは改正論議よりも勉強しようととならないところが、悲しいと思いますっていうか
これはNGコトバであることはわかっているのですが、「この国の人たちはアホちゃうか!?」とすら思ってしまいます。
憲法を勉強している人たちが少ないという現状をまずは改善する必要があります。
改正論議はその後です。
とならないところが、「アホちゃうか!?」なのです
いずれにしても、あきらめの気持ちもあります。ハシモトのような危ない政治家に喝さいするこの国の国民の多くに絶望しそうになります(遠い目)
そう言えば、僕は朝日と読売を毎日読んでいますが、最近「赤旗」を取るようになりまして(爆) この新聞の論調がとても「新鮮」に思えちゃうところがなんだか笑っちゃうのです(アハハハハ)