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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

いじめ防止法 大津中2自殺の遺族全文「息子が命がけで作った法律」にするのはこれからの我々だ

2013年06月21日 | 子どもの権利

 

 これまでいじめで亡くなられてきた子どもたちのご冥福を心からお祈り申し上げ、ご遺族の方々のお気持ちを精一杯察し、今もいじめを受けている子どもたち、虐めが止まらない子どもたちに深く思いをいたしたいと思います。

与野党の議員立法によるいじめ防止対策推進法が、2013年6月21日の参院本会議で可決、成立しました。

 これはもちろん、2011年の大津市の中2男子自殺など、深刻ないじめの 状況を受けた措置です。

文科省がいじめ問題でできることはいじめ調査の基準つくり 政治家と官僚のパフォーマンスは要らない!

大津の中学生いじめ自殺事件で驚いた教育長の一言 そして教育者と司法は今まで何をやってきたのか


大津のご遺族が、記者会見で涙ながらに

「息子が今、生きている子供たちのために命がけでつくった法律。『日本の学校はあの時から変わった』と実感できるまで法律の運用を見守りたい」

とおっしゃった言葉の重さには、こちらの言葉を失いました。

 この法律にはたくさんの成果があります。同法は、いじめについて、同じ学校に通うなど一定の人間関係がある児童生徒による、心理的または物理的な影響を与える行為(インターネット含む)で、対象となった児童生徒が苦痛を感じているもの、と定義して、小中高校と高等専門学校を対象とし、いじめ防止と事態の調査・対応について、学校、自治体、国の責務を明記しました。さらに、適切な早期対応につなげるため、警察や児童相談所、法務局など関係機関との連携推進も盛りこみました。

 そのうえで、

(1)子供の生命や心身に深刻な被害が及ぶ重大事態については、学校は自治体の首長などに報告する責務を負い、自治体は必要に応じて調査機関を 設置する。

(2)国と学校に基本方針の作成を義務付け、各学校には教職員や心理・福祉の専門家などによる組織を常設する。

(3)公平性を確保するため、いじめ防止のための組織や調査委員会には、専門家などの第三者を入れる。

 また、いじめで自殺した子供の遺族らの要望も反映し、この日に先立つ衆参両院の各委員会では、いじめ防止のために設置する各組織や重大事案発生後の調査委員会などに、専門知識や経験を持つ第三者を参加させて公平性・中立性を担保する運用方針が、付帯決議で確認された。

 

 ただ、この調査委員会の公平性・中立性はこれからの重大な問題です。各地では、委員会を設置するだけで全く放置したり、中立の委員会のはずなのに学校側の人間が入っていたり、これまで、学校と教育委員会が被害者を拒絶し、事実を隠ぺいするために利用されてきたと言っても過言ではありません。

 大津の第三者委員会が大きな成果を上げたのはごく稀有の例なのです。

 この法律は、保護者については、子どもの教育に「第一義的責任を有する」とし、規範意識を養うための指導を求めましたが、こういういろんな人間に義務付けをしても役に立ちません。

 学校と警察や児童相談所、法務局など関係機関との連携推進をふくまれましたが、運用次第ではいじめる側の生徒にいじめない義務を課するだけで、問題は何も解消しません。いじめるべきではないことは百も承知でも、いじめは起こってきました。道徳教育などほとんど役に立ちません。むしろ、いじめる側にもいじめられる側にも、自由と人権、つまり人間の尊厳があることを教えるべきです。

また来た少年法の厳罰化では、非行もいじめも虐待もなにも解決しない 求められるのは愛と寛容と理解


 その意味で、大津の遺族の方々のコメントの最期は非常に大切で、見事で、忘れてはならないと思います。

 今日この日を境に、「いじめ」に遭って著しくその尊厳を奪い取られたり、命を落とすような子供が一人もいなくなるまで徹底してこの法律を見守り、運用上問題があるときは即座に見直しを行っていただくことを強く要望いたします。

  世界から見て、日本の学校は世界で一番子供たちの尊厳を守り、一人一人の個性を尊重し、親が安心して子供を送り出せる学校だといわれるまで、そんな世界に 誇れる学校をこの法律の下、作られるものと理解し、「日本の学校はあのときから変わった」と実感できるまで、私は息子や天国にいる多くの子供たちとこの法 律の行方を見守り続けていきたいと思います。

 大津市の遺族より

 

 

参考ブログ 

できることを、できる人が、できるかたちでさんより

遺族への学校・教育行政の「応答する責任」とは?―「第三者委員会のあり方」を考えるために―

 

下村文科相とか高市政調会長とか、義家政務官とか、教育に向いていない方ほど「教育熱心」なのが困ります。

その筆頭が安倍首相でしょう。

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大津市の遺族コメント全文 「いじめ見逃さぬ意識改革を」

2013.6.21 16:53 (1/3ページ)
参院本会議で「いじめ防止対策推進法」が成立し、記者会見する自殺した大津市中2男子生徒の父親=21日午前、文科省

参院本会議で「いじめ防止対策推進法」が成立し、記者会見する自殺した大津市中2男子生徒の父親=21日午前、文科省

 いじめを受けて自殺した大津市の中2男子=当時(13)=の父親は21日、いじめ防止対策推進法の成立を受けて会見し、コメントを読み上げた。全文は次の通り。

 この度、「いじめ防止対策推進法」を成立させて頂き、ご尽力いただきました国会議員の皆様、そしてこの法律が制定されるに至った道筋を作っていただきましたマスコミの方々に、息子に代わりましてお礼申し上げます。

 この法律が制定されるまでに亡くなられた多くの子供たちと、そのご遺族の皆様方に代わりまして一言申し上げさせていただきます。

  今回衆・参議員、与野党超党派での議員立法という形でこの法律の策定に当たって頂き、党派を超えたご議論の中で、初めてこの「いじめ」に対する法律が日本 で生まれたことにつきましては、偏った意見や偏った考え方に基づくものではなく、全国会議員、政府の責任の下に世に送り出されたものと捉えております。

  衆・参議員の文教科学委員会質疑においても、質問に立たれた国会議員の先生方がおっしゃられていましたように、この法律ができたからといってすぐに「いじ め問題」が解決されるわけではなく、この法律を礎にして地方自治体の首長、教育委員会、学校長を始めとする現場を預かる教師の方々がこの法律の運用に際し てよく考え、現場での更なる効力が発揮されるよう、条例制定を始めとし、教委での学校に対する指導の中での落とし込みをすることによって効果を発揮する法 律であると考えます。

 そして何よりも付帯決議にある当該児童に対する教師の「児童などを徹底して守り通す責務を有する」との観点から、どうすれば教育現場から「いじめ」 をなくすことができるのかを徹底して考え、現場での「いじめ」を見逃さない、「いじめ」から生徒を守るとの意識改革がとても重要だと考えます。そして文部 科学省がそれらの状況をいち早く吸い上げ、教育現場にフィードバックしていくPDCAサイクルを組織機能に持たせることも併せて重要なことだと考えます。

 先日、本法成立に際して具体的要件を盛り込んでいただくよう衆院議員の馳浩座長にお願い致しましたが、全てとはいえませんが考慮していただいたものと感じております。

  しかしながら、本法、ならびに付帯決議を含めまして、抽象的な表現に終わっている部分があることも事実です。下村博文文科相のご答弁でもありましたよう に、地方自治体にてこの法律の解釈による混乱が起きぬよう、早急にその運用の定義をガイドラインにて定めていただき、勝手で安易で都合の良い解釈でこの法 律の求める効果を減退させぬよう、改めて下村文科相にはお願いしたいと思います。

 現場ではいまだにいじめが発生し、そして若くして命を絶つ子供がいることは周知の事実です。そしていじめによってかけがえのない子供を亡くされ、今 も学校や教委の隠蔽や不適切な対応に二重の苦しみを与えられているご遺族がおられることも事実です。それらの問題にもこの法律が適用されることを希望し、 目の前の問題をまず解決に導くことが先決だと考えます。

 今日この日を境に、「いじめ」に遭って著しくその尊厳を奪い取られたり、命を落とすような子供が一人もいなくなるまで徹底してこの法律を見守り、運用上問題があるときは即座に見直しを行っていただくことを強く要望いたします。

  世界から見て、日本の学校は世界で一番子供たちの尊厳を守り、一人一人の個性を尊重し、親が安心して子供を送り出せる学校だといわれるまで、そんな世界に 誇れる学校をこの法律の下、作られるものと理解し、「日本の学校はあのときから変わった」と実感できるまで、私は息子や天国にいる多くの子供たちとこの法 律の行方を見守り続けていきたいと思います。

 大津市の遺族より

 

 

いじめ防止法案:大津遺族「息子が命がけでつくった法律」

毎日新聞 2013年06月21日 12時24分(最終更新 06月21日 13時47分)

いじめ防止対策推進法案が国会で可決・成立したことを受け、記者会見する大津市のいじめ自殺問題で亡くなった男子生徒の父親=文科省で2013年6月21日午前11時20分、矢頭智剛撮影
いじめ防止対策推進法案が国会で可決・成立したことを受け、記者会見する大津市のいじめ自殺問題で亡くなった男子生徒の父親=文科省で2013年6月21日午前11時20分、矢頭智剛撮影

 いじめ防止対策推進法の成立を受けて、大津市の中2男子自殺で息子を亡くした父親(47)が21日午 前、文部科学省で記者会見した。父親は時折、声を詰まらせ、ハンカチで涙をぬぐいながら「息子が今、生きている子供たちのために命がけでつくった法律。 『日本の学校はあの時から変わった』と実感できるまで法律の運用を見守りたい」と話した。

 一方、父親は、いじめが起きた時の対応に外部の専門家の参加を義務づけたり、被害者の保護者の「知る権 利」を担保したりすることを求めてきたが、具体的な文言は条文に盛り込まれなかった。「教師がいじめを発見できることが大前提となっている。教育現場から いじめをなくすことができるのかを徹底的に考え、現場でいじめを見逃さない、いじめから生徒を守るという意識改革が重要」と語った。【水戸健一】

 

 

いじめ防止法案:子供本人からの相談 少なく

毎日新聞 2013年06月21日 11時56分(最終更新 06月21日 17時55分)

 いじめ防止対策推進法成立のきっかけとなった大津市では、今年4月にいじめ防止条例が施行され、市長直轄の相談窓口「いじめ対策推進室」や、常設の第三者委員会を設置するなど独自のいじめ対策をスタートさせた。

 同推進室には4、5月で計53件のいじめ関連の相談が寄せられた。深刻な事例については第三者委が調 査・助言している。更に、いじめの疑いがある事案を把握して24時間以内に市教委に伝える「いじめ対策担当教員」を市内の小中学校53校に配置。4、5月 に計131件の報告を受けた。ある市立中の担当教員は「教員が1人で問題を抱え込むのではなく、校内で連携して解決しようというオープンな雰囲気ができ た。各教員の意識も高く、小さないじめの芽にもよく気付いてくれる」と話す。

 ただ、同推進室が把握するいじめや不登校などの相談のほぼ9割は保護者からで、子供本人からの相談はま だ少ないのが現状だ。15日に同市であった市民フォーラムでは、NPO法人マイペースプロジェクト(同市)の小梯泰明(こばし・ひろあき)理事長が「相談 さえできない多くの子をどう救うかが課題だ」と、子供との信頼関係を築く難しさを指摘した。

 ある市立中学校長は「法成立で、国民全体にいじめ防止の機運が高まるのはいいこと。ただ法の有無にかかわらず、私たちがすべきは子供を注意深く見守ることであるのは変わらない」と話している。【石川勝義、村松洋】

 

 

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11 コメント

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本当の危機は (jp)
2013-07-06 23:04:43
日本の教育の本当の危機は、現場の教職員が極限まで追いつめられていることにあります。

これを理解するためには、教育行政と学校現場を分けて考え、また、教職員の中でも、校長などの管理職と教壇で教えてる先生方を分けて考える必要があります。

まず、現在の日本では、行政にとっての最優先課題は、「責任回避」になってしまっていると言っても過言ではないでしょう。

どのような事件が起きても、教育行政側が、自分たちに対する批判が起きないよう、すべて学校現場のせいにしようと画策しているように見えます。

次に、学校現場の管理職は、一握りの良くできた校長などを除き、ほとんどの場合一般教職員の味方ではなく、完全に行政側と一体化しているように思えます。

つまり、どんな事件が起きても、何も言われなくても率先して「学校の責任です」と校長が記者会見で頭を下げ、行政に責任追及が及ばないようになっています。

みなさんはテレビでよくあるこのようなシーンを見て奇異に感じないのでしょうか。

例えばの話、学校の外で、しかも休日に、生徒がどこかで変なおじさんに声をかけられただけでも、校長が謝るような妙な対応があたりまえのように受け入れられています。

これでは、問題の原因が何なのかを考える前に「あー学校が悪いんだ」という世間の認識ができあがり、結局解決からはほど遠い方向に事態は流れていきます。

問題はその先です。

問題が起こると、行政は規則や法制度という形で様々な決まり事を作り現場に押しつけます。つまり、問題を受け止めてアクションを起こしているという形作りです。

ただでさえ過重な労働を強いられている学校現場に、実効性のない多くの規則が押しつけられ、現場では、それに伴う調査や会議がに追われる教員がさらなる過重労働に苛まれるわけです。

やる気のある優秀な教員も意欲とエネルギーを削がれます。また、管理職たちは、問題発生が無条件に謝罪会見に直結すると考え、現場の問題を認識したがらないのではないでしょうか。

つまり、行政や管理職が、問題解決に取り組んでいるというポーズとは裏腹に、解決するのではなく、問題がそもそも「ないこと」にしたいと願うあまり、現場の声を聞かなくなるわけです。

結局、そのつけを払わされるのは生徒たちです。つまり、行政の、責任回避を優先する姑息な態度が、我々国民全体に大きな損失をもたらすという事実は、教育行政についても同じであるということです。

現場の教員が本来持っている力を行政の形作りのために削がれている実態は、大きな危機だと思います。

これを解決するためには、教員の余計な負担を減らし、やるべきことにエネルギーを注げる環境を作るべきです。

教室や保健室の2人制を含め、政府が取り組むべきことはたくさんあると思います。
返信する
慚気に耐えません。 (とら猫イーチ)
2013-06-27 10:35:24
 兎角、この国では、具体的問題事象に対して、その根本的解決のために事案を徹底的に究明し、国家若しくは自治体が実際的対応をするよりも、「新法」なり「新条例」を制定し、対応済みとされる場合が多いのです。 具体的な行政の義務は「努力義務」で逃げながら、、。 それを称して具体的な対策とされるので諸種の法令が続々と制定されます(大笑)。 だって、歳出予算を組まなくて良いですから。
 最近の御笑い草は、「○○市町村安心安全条例」等と称するもので、この種の条例を制定すれば、その地域は、犯罪に悩まされることも無く、安心安全に生活が出来るのだそうです。 単なる作文を「条例」と称するのは、何か「詐欺」のようです。 「いじめ」もそうで、社会的な要因にまで遡って究明することなく、単なる対処について考える限りの手法を制定しても、それこそ、言葉遊びにすぎません。 何処かの神社の御札なみです。 法令集には、山ほど、この種のものが登載されていますが、実際に適用されたものが、どの程度あるのかを調査された方はおられますか。 
 ま。 国や自治体にしてみれば、法令の一つや二つ、増えたって、それで国民の気が鎮まるのであれば、安いもの、と云う程度の受け取り方でしょう。 実際に、年間で、この新法の適用例が幾らあったかを調査されると面白い、と思われます。 私も、幾らかこの種の「例規」を起案しましたので慚気に耐えませんが。
 
返信する
言論の自由 (某臨床心理士)
2013-06-25 12:23:36
先の書き込み、言葉足らずでした。上が押し付ければよいといっているように誤解されそうですね。生徒にも、きちんと言論の自由を与えて、できるだけ生徒も論理的に納得するように、すべてが話し合って運営されるべきだ、ということです。で、論理的、という中には、学校で行われることの主催者は学校側なのだからそれについては学校側が責任をもってやる、ということも含まれるということです。ともかく言葉と論理が必要だと思います。それをはずして、説明することもせず、教師が「自分で考えろ」と言ったり、質問すること自体が怒られるような雰囲気を持っていたり、有無を言わず、押し付けたり(「そう決まっているのだから」とか、単なる美意識から「○○学校生らしくしなさい」とか言って)すると、「上の立場っていいな」と思ったり、「自分勝手にふるまえるのが大人なのだ、偉いのだ」と思ったりして、教師にはさからえないまでも、生徒間の中でボスの位置をとろうとする競争関係、排除関係が生じていじめが生じるということにもなるのだと思います。学校や教師も、恣意的な規則、道徳、美意識を上位に置くのではなく、論理を上において、そのもとで生徒と互いに独立した個人として語りあうことが大切だと思います。そういう自由は十分あるべきだということです。
返信する
責任の主体の明確化と論理的な筋道と (某臨床心理士)
2013-06-25 01:46:52
いじめへとつながる組織上の問題ですが、「責任の主体をはっきりさせない。ひとつ下へ責任を負わせてしまう」のが一つの問題だと思います。

大人の例でいうと、私の地域では、例えば、職場において下(教員或いは社員)も上(管理職)ときちんと話し合いが出来て相互了解し、その上で具体的な指示を上が下した形で下が動くというふうになっていなくて、あまりに下に自由にやらせすぎる、というのが多いように思います。

「下の自主性を重んじる」というのがよくある名目ですが、上も本当にそれがいいと思ってもいるのかもしれませんが、他方、具体的な指示を出して失敗したのちの責任をとるよりは下の失敗の責任をかぶった太っ腹の上司として責任をとるほうがまだ見栄えがいい(ひどい場合は責任を下におしつける)、という保身の意図からの場合もあるのではと思われます(あとは具体的指示のアイデアがないからそうするしかできない、とか)。上と下のあまりの疎通性の無さは、たとえば、ある教員を指導するにおいて、校長は、自分が言うよりは教員同士でいわせたほうが角がたたないだろうとの判断のもと、他の教員にその教員の指導をまかせる、というのもあったりして、逆に、教員間がぎすぎすしていたりもします。基本的に上の者の責任逃れです。

同じことが、先生と生徒たちとのあいだでも起こりえると思います。生徒相互の自主性を重んじると言う名目のもと、本来、教員が主導すべきところをしないから、生徒相互がぎすぎすしてしまうということがあると思います。実際、私の近所では、他の部員を指導するのを生徒に任せそれが暴力行為にまで発展していたのに、顧問は傍観していたというのもありました。生徒たちの「自由」「自主性」という名目が上の者の責任逃れに使われているように思えます。

よくあるのは修学旅行での班決めも、生徒にまかせすぎるから、好きな子ばかり集まってひとり外される、ということです。じゃあ、修学旅行に行かない余地が残されているかというとあまりそうにも見えません。結局、基本、どうせ学校が決めていかなきゃいけない旅行であるならば、主催者側の責任として、班決めもそういうことが起きないように上が配慮し、多少とも強制的に平等に分ける、などすべきだと思うのです。そうしないこともいじめの大きな一因だと思います。

結局、いったん、就学義務によって(それが大人へ課した義務であろうと、子供に結局は登校が強制されるかたちになる)、集められた子に、「自主的にやってください」と言っても、それは矛盾しているのです。自分たちが集めておいて、自由にやってください、自主的にやってください、というのは変です。集めたものの責任として、集めた目的を伝え(なぜ学校があるのか、教育とは何か、なぜ規則があるのか、から。それはもちろん、できるだけ論理的に納得できるものである必要があるし、そうでない規則であれば排除すべきでしょう)、指示する理由をきちんと伝え、その上で指示する必要があると思います。美化、自己正当化もせず。「就学義務というマス教育は、人口多いから仕方ないのだ」、という赤裸々なところも、仕方ないな~というトーンにおいて、美化せず伝える必要もあると思います。そういう、ものの順序として当然で、論理的にあたりまえのことをきちんと伝え、責任の主体をはっきりさせる(基本、主催者、多くは担任。担任がやりたいことを生徒にやらせるおりに、学級委員を責任の主体にするのはもってのほか)、というようなごくあたりまえのことが担任と生徒のあいだで行われていないのがいじめの一因だと思うのです。担任が体罰や、罵声で指導せよ、生徒をしばれ、というのではありません。生徒ときちんと話し合い(聞かんでもわかるだろ。自分で考えろ!と言わず)、自分の責任をきちんと認識する必要があるのだと思います。責任の主体者がきちんと言葉で指示を出さず「空気を読んで動け、それが自主性だ」という姿勢で生徒に対して接してしまうと、空気を読むことが生徒相互においても重要なことになってしまって、私は空気を読めている人だということを確認するために、対立項として空気を読めない変な人、というのを設定することになってしまい、それが排除、いじめにも通じてくると思います。

ともかく学校側、教師側に、当然あるべき筋道、論理性があればいいと思うのです。特殊な方策を考える必要もないと思うのです(スクールポリスとか、体罰ではないゼロトレランスとかは必要だと思いますが。私の中ではこれは特殊と言うより、当然のことに思えているのですが)。

放射能が強くて除染のほぼ無理な地域があるのに、政府の責任としてきちんと「そこは住めませんので移住してください」と指示を出さないから、住民の側において移住希望側と帰還希望側に対立が生じてしまう、というのと同じことが、生徒相互にも起こっているのではないか、と思われるのです。

以上は、就学義務やクラス制度のある日本の学校の場合についての考えであり、就学義務がないとか、自由にどの科目に出るか授業を選べて最終的に全単位が満たされておけばいいとかの制度ならば、それなりに自主性の認め方なども違ったやりかたもあるのかも知れません。
返信する
学校での授業形態や体制,組織に改善できるところはないでしょうか(改) (mimosa)
2013-06-25 00:09:24
先に投稿した文によみにくいところがあったので,改訂版を投稿させて頂きます。
ray先生,,,お手数ですが,先の分を削除して下さいませんか。よろしくお願い致します。


単位制高校では,通常の高校よりイジメが少ないときいたことがあります。
おそらく単位制だと「授業ごとに構成メンバーが異なる」ので,固定メンバーによる固定クラスでずっと,という従来の日本の学校の体制よりは,大学の一般教養の授業に似ている(=各々が好きな授業を取り,自分の時間割を作る)からでしょう。もちろん,高校の場合は必修科目の関係で,単位制高校でも1年めはほぼ必修の授業で固められるので,固定クラスでの授業展開が可能かつ効率的であり,大学とは単純に比較できませんが。
 私の友人の子は米国の高校生ですが,米国の高校でも,やはり『生徒が先生の教室に行く』形態です。アメリカではイジメが日本より少ないか(またはないか)という質問を彼女にしたことはないのですが,固定クラスや担任制がないと,それはそれで問題点?が生じる可能性があるという話は,どこかで読みました。例えば,この授業形態により,周囲が個人には無関心になりがちで,休みが続いても気にしてもらえないことが起こりえるとか…(ある意味自己責任,個人主義が徹底している?)。ですから,全面的にその方式の方がいい,とは簡単には言えません。ただ高校の場合は,大学と違って『各授業が週一』ということはなく(週一の授業は,情報や保健くらい),多い科目だと4-5回はあるので…授業の定員が大学のように多すぎなければ,従来の固定クラス制でなくても,先生や同じ授業を取るメンバー同士が「名と顔が一致しない」ということは,起こらないと思います。
 まとめますと,実際に国際比較,あるいは日本国内での単位制学校とそうでない学校でのイジメの件数などを調査して比較し,分析結果に関する専門家の意見も聞いた上で,もし(単位制学校の環境がイジメを生みにくいと考えることが可能という)ウラが取れたら,
*学校内の授業形態などの体制や組織,大枠や取り組みの方法などについて,変えられるところから(従来の形を)変えて行く
というのは,無理なのでしょうか?
まあ,そういうことを調査したり提言したりする組織を作るところからまず始めないといけないかもしれませんね。
 農耕民族である日本人が…と考えると,長い歴史の重みも感じられ笑,改善に向けて具体的に何ができるかということが思いつきにくいので,現状に即する形で,「学校内部」の組織や体制にスポットを当てて考えてみました。皆様はどのように考えられるでしょうか?
○単位制のような『自分で自分の時間割を作る』方式でありつつ,でも周囲が生徒個々人に無関心になりすぎることのないよう,
○各クラスの規模があまり大人数にならないようにする。そして,授業以外のシステムについては,
○決まった先生がずっと見守って,生徒個々人の変化等に気づけるような体制(担任制や,一日の最初と最後に同じメンバーで顔を合わせる『SHR』のような単位,場)も残す
など,できるところから何とか手をつけられないものか…と考えます。
 でも…大学のように『移動制』で,でも従来の高校のような『(小さな)授業規模』で,ということになると,教室や教師,チューターなどのスタッフも数が必要です。つまり,やっぱり『(教育に)人手をかける』という一点で,何より教育予算のアップが必要だと思います。そこを↑せずに小手先だけ触っても,劇的には変わらないように個人的には思うのです。
例えば記事の中の「肝腎の生徒からの相談はまだ少ない」との記述ですが,イジメの相談に関しては,もしかすると,自分の家庭や生徒どうしの事情,成績や先生に関する悩みなどの細かい事を,相手に話す必要も出て来ます。それらを,学校事情を全く知らない『専門家』に話そうとする生徒が少ないのは,ある意味当たり前ではないでしょうか。せいぜい,家庭で子をよく見ている親が,(自分の子が)イジメに関わっているかもと気づいた場合に,「相談する相手が(隠蔽の可能性がない外部の)ー専門家なら信頼できる」ということで,そのあたりのフォローとして期待できるレベルではないかと思います。
返信する
Unknown (N.O.)
2013-06-23 19:16:25
大学の教育学の授業では、いじめ問題はどのように扱われているのでしょうか?
必修にして、いろいろな事例を学んだり、ロールプレイをしたりと、真剣に取り組んでもらえないものでしょうか?
教職に進まなくても、対人関係の上で役立つと思いますが?
返信する
眼には眼を(続) (とら猫イーチ)
2013-06-23 15:18:54
 「いじめ」現象は、農耕民族社会である日本において幅広く存在する現象であり、現存する社会制度が変革されない限りは、根絶することは不可能でしょう。 例えば、村社会における集団的絶好行為である「村八分」も法的には、多数の判例に明らかなように違法ですが、戦後においても後を絶ちません。 
 善悪を問わず、現代は、グローバル経済の下でこうした村社会の規範は綻び、個人主義的価値観が代替しつつあり、如何に農耕民族社会の日本でも、この先は、個人を尤も尊ぶ個人主義社会に移行せざるを得ません。
 ただし、個人主義の社会においては、現時点の日本よりも自己責任が貫徹した厳しい競争社会であり、日本的な「甘え」等とは無縁になりますが。 北欧や北米の如き世の中、と云えば想像が出来るかも。 
 私個人は、北欧のように厳しい自然の中で自立した個人が自己責任を貫徹した生き方をしながらも、弱者に対しての優しい目線を忘れない社会が好もしく思われます。 
返信する
姑息なやりかた (某臨床心理士)
2013-06-23 05:42:57
>この法律は、保護者については、子どもの教育に「第一義的責任を有する」とし、規範意識を養うための指導を求めましたが

なぜ、こういう余分なものを入れるのでしょう。これを入れたくてこの機会が利用されたのではとさえ思えてしまいます。そうだとしたら、この少年の命さえ利用した非常にきたないやりかた。

そもそも、第一義的責任とは何か? 曖昧な言葉を入れておいて、あとは解釈でどのようにでも好きな意味を入れ込んで、国が親にさまざまな責任を課して親をコントロールできるようにするための布石ではないか。

なぜ親に責任を課すか? 結局、いじめなり何か素行に問題がある人について、「それは親が悪いからであって、政府の教育政策の問題ではない」、として政府にクレームを言えなくするためではないか。子の立場からしても、政府の教育政策に不満があっても、それを言うと親に迷惑がかかるから(政府や世間に親が悪いからこんなクレームを上申する子ができた、といわれてしまう)と子供自身もクレームを政府にいいがたいようにさせるためではないか。会社で言えば中間管理職に部下についての責任を負わせて、そこでまるめこんで、社長には文句が言えないようにするしくみと同じ(中間管理職がいい人だと、部下にしても、まあ我慢するか、ともなってしまうし)。

規範意識? 結局今後自民の考える「公の秩序」を既成事実化し、憲法改正にもっていこうとする布石ではないか。

>一方、父親は、いじめが起きた時の対応に外部の専門家の参加を義務づけたり、被害者の保護者の「知る権 利」を担保したりすることを求めてきたが、具体的な文言は条文に盛り込まれなかった

これもひどい。やはり、関係する組織の保身の意図を感じさせる。
返信する
眼には眼を。 (とら猫イーチ)
2013-06-22 23:11:40
 「いじめ」は、日本社会の暗部であり、一遍の法律が制定されれば無くなる程度のものでは無い、と思います。
 それは、村社会に固有のよそ者を排除する思想に基づくもので、「いじめ」を受ける者自身がその責めを自覚しているとも云えるのです。 
 学校から、職場、地域等々、「いじめ」は現実に存在し、今では、国家を挙げて、経済的弱者に対する「いじめ」が現存します。 多衆に比較して多少とも相違すれば、「いじめ」を受けるのがこの社会の固有の習わしです。 
 「いじめ」を受けるのが嫌ならば、自身が多衆になれば良いのです。 私自身が、小学校で受けた「いじめ」に対して実力で抗した経験から云えることですが、実力には実力で抗さねば「いじめ」は無くなりません。 
 私の場合には、転居で引っ越した地方の学校で、同じく転居で地方に来た仲間を組織して、腕力で拮抗する勢力を組織して(笑)「いじめ」を克服しました。 その仲間とは今でも仲良しです。 単なる悪童仲間とも云えますが。
 ですので、「いじめ」の問題で相談を受ければ、私が稽古を受けた合気道の道場を紹介しています。 稽古に通えば、副産物として礼儀も良くなり、同じ道場に通う仲間も出来ます。 段位を重ねれば、「いじめ」等は眼中に無くなります。 女性も腕力では無く、気で相手を圧倒出来るのでお勧めです。 この忠告で、何度か感謝されました。
返信する
Unknown (N.O.)
2013-06-22 21:27:41
こう法律の条文はわかりにくく、普通の人間関係にもそのまま当てはまりそうな曖昧さを感じます。
それより、既存の法律をもっときちんと運用したほうがいいのではないでしょうか。
たとえ学校内でも暴行や傷害、恐喝、脅迫、名誉毀損は許さないということで・・・
生徒同士だけでなく、教師にもきちんと適用すれば、子供同士の関係も改善するのではないですか。「親しき仲にも礼儀あり」「困ったときはお互い様」ということで・・・
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さらにひどくなるかも? (うろこ)
2013-06-22 14:07:00
今回の防止法ですが、根本的な解決にならずにむしろ、深刻化する恐れがあるのでは?という懸念の声もあるようなのですが…
いずれにせよ、国のトップや政治家たちが「国籍いじめ」を嬉々としてやっている状況をみると…あまり期待できない気がしますが…
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