⑤ ギリシャ ミコノス島 & アテネ
4/15(火) 朝から船内TV(そうTVもあるのです、この船専用で船の先頭デッキと船内ビデオ映画を流す)では、ジュディ・オングの「Wind is blowing from Asia」が流されていた。トルコからエーゲ海を南西?に突っ切り、ギリシャ最初の寄港地はミコノス島である。島の建造物全体がすべて白いことで有名で、デュロス島へのOP(オプショナルツアージャパングレース社によって様々なコースが用意されている)などもあるが、島内見学をしてから、自分らで独自にフェリーを使って行けるならデュロス島へも行こうという計画をたてOPは見送ったのだ。フェリーの乗り場を探し当てて得た情報では、一般客のフェリーはオフシーズンだからピースボートの特注以外は午前中の便はもうないとのこと。仕方なく、街に踏み入る。店・家の屋根が白一色で統一されているばかりか、迷路のようになった道も白く塗られている。規制がかかっているというより、これが観光資源だと認識し自主的に「白さ」を維持しているようだ。遊歩中に家の壁や道路を白く塗っている場面に3回も出くわしたのだから。道幅は3mくらいのところが多いが、やっと対向できるくらいのところもある。そこを車が通っていく。直線の道など無いに等しく見通しがつかない。ピースボートからバスで運ばれてきた千人ほどが、好き勝手に歩いているのだから、いたるところで遭遇しては、お互いにすれ違いながら、情報交換をする。
そうやって、ミコノス島のもう一つの目玉である風車小屋跡にたどり着いた。眼下の清澄なエーゲ海からきりたつ崖の上の一画に数軒の風車小屋が並ぶ。日本のそれと違って二重の円の枠に10本くらいロープが張ってある。「何だ、これは?」と訝ったが、そのロープに風をはらむ布を結びつけるのだ。穀物の臼ミルとして使っていたのだが、今は観光用のシンボルとしてしか機能しておらず、錠が下され布もはずされているのだ。街中を彷徨ううちに、妻が言った。「岩だけで、土がない」 そうなんですね。ペトラの砂岩、エフィソスも砂岩や石灰岩・大理石、そしてこの島、このあたりの文明は岩で築かれている(なんて言っちゃっていいのかな?)
エーゲ海でしておくべきは、ジエラート・ヨーグルトや、貝・お魚を食べること。先ほどの風車小屋跡を清澄な海の先に見ることのできるレストランで昼食をとった。コミニケーションがうまくいかなかったのか、辟易するくらいムール貝を食べ、腹ごなしに島中土産物屋かレストランの感のある細道をたどる。民俗博物館を訪問したがオフシーズンにつきお休みとのこと。それなら、帰りのバスの乗り場付近の博物館に寄ろうということにしたが、これが大正解。教科書にもよく出てくるギリシャ土器の復元したものや、彫像などが並べられている。私ら二人ともう一人英語を喋る女性の3人だけの入館者に、受付のおじさんが、多分かつての学芸員と思わせるような熱心さで説明してくれた。目の保養、話のタネになった。
デ、この日も爆睡。
翌16日の寄港地は、ミコノス島からギリシャ本土に向かい、アテネの外港として2500年の歴史を持つピレウスである。私は全く初めてなのでOPをとったが(11000円)、旅行経験のある妻は単独行動で博物館めぐりと、行動を別にした。このOPの参加者はバス5台分もいたが、単独行動なので、座席も一人でかけゆったりしていた。車窓からアテネ市内の至る所で神殿等の遺跡、モニュメント、人物の彫像等を見た。アテネ人のガイドさんはギリシャ神話を交えながら、要領よく説明してくれる。聞いた話で物知り顔に講釈するのが目的でないので、神話や名所案内は、例により省きます。ただ、アテネ神誕生のいきさつや、海神ポセイドンとの争いなどはおもしろかった。小高い丘の街を意味するアクロポリスにそびえるパルテノン神殿は、やはりとてつもなく巨大なものであった。僕が観光で感動するのは、人知を超えて圧倒する自然そのものか(私の中でのNO1はイグアスの滝と思う)か、それに立ち向かうかのような人工物だ(万里の長城は素直にスゴイと思っている)。古代から、人にはそのような巨大な物への畏怖、巨大なものを作りたいという願望は強くあったのではないか。僕もそういった意味では古代からの心性が宿っているのかもしれない。(ドバイや上海のように乱立すればやりすぎと思うが)。パルテノン神殿そのものもそうだが、登りきる途中で説明された眼下の街並みの中に見える神殿(名前は忘れた)のところではさすがに興奮した。その前のアゴラこそがかつてソクラテスもたむろしていた場所という。団体行動で残念ながら行く時間はなかったが、時空を超えて近接したという感動がある。20年間ほど「青年期の特徴」のあと「ギリシャ哲学」を教える際パラドックスで生徒たちを煙にまいた後、登場していただいたのがソクラテスだったわけで、いわば飯のタネの恩人の一人なのです。(ト、だんだん正体を自己暴露していきます)
その後、アテネ市内の繁華街プラカでお食事ということだったのですが、博物館を探しあぐねている妻とバッタリあったのはお互いにびっくり。文化の源流の一つに触れることが出来、僕なりに満足しました。でも、3日連続の観光地回り、やっぱり疲れます。
4/15(火) 朝から船内TV(そうTVもあるのです、この船専用で船の先頭デッキと船内ビデオ映画を流す)では、ジュディ・オングの「Wind is blowing from Asia」が流されていた。トルコからエーゲ海を南西?に突っ切り、ギリシャ最初の寄港地はミコノス島である。島の建造物全体がすべて白いことで有名で、デュロス島へのOP(オプショナルツアージャパングレース社によって様々なコースが用意されている)などもあるが、島内見学をしてから、自分らで独自にフェリーを使って行けるならデュロス島へも行こうという計画をたてOPは見送ったのだ。フェリーの乗り場を探し当てて得た情報では、一般客のフェリーはオフシーズンだからピースボートの特注以外は午前中の便はもうないとのこと。仕方なく、街に踏み入る。店・家の屋根が白一色で統一されているばかりか、迷路のようになった道も白く塗られている。規制がかかっているというより、これが観光資源だと認識し自主的に「白さ」を維持しているようだ。遊歩中に家の壁や道路を白く塗っている場面に3回も出くわしたのだから。道幅は3mくらいのところが多いが、やっと対向できるくらいのところもある。そこを車が通っていく。直線の道など無いに等しく見通しがつかない。ピースボートからバスで運ばれてきた千人ほどが、好き勝手に歩いているのだから、いたるところで遭遇しては、お互いにすれ違いながら、情報交換をする。
そうやって、ミコノス島のもう一つの目玉である風車小屋跡にたどり着いた。眼下の清澄なエーゲ海からきりたつ崖の上の一画に数軒の風車小屋が並ぶ。日本のそれと違って二重の円の枠に10本くらいロープが張ってある。「何だ、これは?」と訝ったが、そのロープに風をはらむ布を結びつけるのだ。穀物の臼ミルとして使っていたのだが、今は観光用のシンボルとしてしか機能しておらず、錠が下され布もはずされているのだ。街中を彷徨ううちに、妻が言った。「岩だけで、土がない」 そうなんですね。ペトラの砂岩、エフィソスも砂岩や石灰岩・大理石、そしてこの島、このあたりの文明は岩で築かれている(なんて言っちゃっていいのかな?)
エーゲ海でしておくべきは、ジエラート・ヨーグルトや、貝・お魚を食べること。先ほどの風車小屋跡を清澄な海の先に見ることのできるレストランで昼食をとった。コミニケーションがうまくいかなかったのか、辟易するくらいムール貝を食べ、腹ごなしに島中土産物屋かレストランの感のある細道をたどる。民俗博物館を訪問したがオフシーズンにつきお休みとのこと。それなら、帰りのバスの乗り場付近の博物館に寄ろうということにしたが、これが大正解。教科書にもよく出てくるギリシャ土器の復元したものや、彫像などが並べられている。私ら二人ともう一人英語を喋る女性の3人だけの入館者に、受付のおじさんが、多分かつての学芸員と思わせるような熱心さで説明してくれた。目の保養、話のタネになった。
デ、この日も爆睡。
翌16日の寄港地は、ミコノス島からギリシャ本土に向かい、アテネの外港として2500年の歴史を持つピレウスである。私は全く初めてなのでOPをとったが(11000円)、旅行経験のある妻は単独行動で博物館めぐりと、行動を別にした。このOPの参加者はバス5台分もいたが、単独行動なので、座席も一人でかけゆったりしていた。車窓からアテネ市内の至る所で神殿等の遺跡、モニュメント、人物の彫像等を見た。アテネ人のガイドさんはギリシャ神話を交えながら、要領よく説明してくれる。聞いた話で物知り顔に講釈するのが目的でないので、神話や名所案内は、例により省きます。ただ、アテネ神誕生のいきさつや、海神ポセイドンとの争いなどはおもしろかった。小高い丘の街を意味するアクロポリスにそびえるパルテノン神殿は、やはりとてつもなく巨大なものであった。僕が観光で感動するのは、人知を超えて圧倒する自然そのものか(私の中でのNO1はイグアスの滝と思う)か、それに立ち向かうかのような人工物だ(万里の長城は素直にスゴイと思っている)。古代から、人にはそのような巨大な物への畏怖、巨大なものを作りたいという願望は強くあったのではないか。僕もそういった意味では古代からの心性が宿っているのかもしれない。(ドバイや上海のように乱立すればやりすぎと思うが)。パルテノン神殿そのものもそうだが、登りきる途中で説明された眼下の街並みの中に見える神殿(名前は忘れた)のところではさすがに興奮した。その前のアゴラこそがかつてソクラテスもたむろしていた場所という。団体行動で残念ながら行く時間はなかったが、時空を超えて近接したという感動がある。20年間ほど「青年期の特徴」のあと「ギリシャ哲学」を教える際パラドックスで生徒たちを煙にまいた後、登場していただいたのがソクラテスだったわけで、いわば飯のタネの恩人の一人なのです。(ト、だんだん正体を自己暴露していきます)
その後、アテネ市内の繁華街プラカでお食事ということだったのですが、博物館を探しあぐねている妻とバッタリあったのはお互いにびっくり。文化の源流の一つに触れることが出来、僕なりに満足しました。でも、3日連続の観光地回り、やっぱり疲れます。
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