(ベトナム編の写真がヘンテコな具合になり、申し訳ございません。近々に手を入れる予定です。)
さて、久々の一人旅。写真の全くない変なブログですが、よろしく
① 浜松編 鰻
2017年11月29日(水)、年に一度のボヤキ会が、浜松で開かれた。K大学陸上部昭和43年(1968年)卒(=71~73歳)の18名が年に一度、顔合わせをするOB会に16名が集まった。現役時代の競技生活の成績などは全く関係なく、旧交を温め、互いの現況を確認しあっている。卒業当初、まったく異なる道に進んだ者同士が、慣れぬ会社文化の愚痴をこぼしあう場として、互いの情報を交換するパンフをつくり、一応の名前として「ボヤキ」と名付けたことから、この名をもって会合名もしている。当然職場も住居も散在することになるが、大きくは関西組と、首都圏に大別されるので、幹事を交替してやっている。昨年は関西で奈良、今年は東京担当だが、割合中間点に近い浜松でやろうということになった。ちょうどNHK太河ドラマで評判にもなっているし・・
デ、両方面から集まれる昼前に集合したのは、Nというウナギの評判店である。浜松に来てウナギ抜きはあり得ない。71~73歳の気心の知れたじいさん(昔は女性部員などいなかったのです😭)の集まりであるから、遠慮なくため口をたたきあう。学生時代に語学の天才みたいな男がおり、次々とあだ名をつけまくって、卒業後もそのあだ名がいきている。恒例の近況報告が順番に始まった。体・健康のこと、いまだ顧問や相談役のような形で働いている人からはその仕事の話、リタイア後の余暇の使い方についてー運動・ゴルフや旅行の話が多い、等々であるが、女性と違う所は家族員の話はほとんど出ないところであろう。その中でもみんなの垂涎の的は、退職後、豊富な旅行・宿泊情報を収集し、夏は涼しい北海道等、冬は温い沖縄等での長期ステイ、合間に外国旅行を夫婦で楽しんでいるF君のスピーチであった。幹事は一応5分「程度」と指定したにもかかわらず例年通りの好き勝手な放言が続き、ために2時間かかった。未だ同じ話を繰り返し、ニンチの兆しが見られる同輩がいなかったことは良かった。
さて料理である。最後に見事な「うな重」がでてきて満足を覚えたが、コースの刺身が海と湖にしては物足りなかったのは私一人であろうか?お酒は飲み放題セット付きであったが、断酒が一人、アルコール敬遠が一人とこの年代にしてはこんなものか? 「飲み放題付き」が続けられるのはこの先いつまでかという思いを多くの人も持ったのではないか!
閉会後、店前で記念写真を撮り、散会となったが、6名が直帰、10名が腹ごなしもかねて浜松城見物とあいなった。2時間飲んだ後だから、結構足取りが重いし、予想よりは遠い。
城そのものは家康ゆかりのものだし、関西組にとっては、「ソウナノ」という程度であったが、天守閣から富士山の一部が垣間見えたのがウレシイ。駅までの帰りは三々五々となったが、一人H君が石に腰掛けうずくまるような姿勢を見せたので心配になった。タクシーに乗せようとしたが、見えず。「大丈夫」というのですぐのところにバス停がありにへたり込んだ。駅まで少しと踏んでいたのだが、渋滞があったようでやっと来た満員のバス。やむなく乗り込み、駅に着いた時には、東京方面に帰るI君の予定発車時刻を超えていたのであった・・
みんな浜松を離れ、泊はM君と私だけ。私の場合は大阪―浜松くらいは日帰りと考えていたのであったが、前日、妻が「高い電車賃払うのなら、泊まって楽しんできたらいいやないの」と背中を押され、急遽ネットで調べたホテルを予約していた。「じゃらん」で探したら5300円、朝食付とは書いてないが、ホテルレストランのバイキングは無料とのこと。なにしろ昼の宴会であまり腹はへっていないので、チェックイン後、とりあえず風呂に入り休養していると、M君から電話「晩飯一緒にしよう」 ホテルのフロントでで聞いた店に行くことにしよう。まちあわせて、駅前の「たんと」という店に行ったが満員、ほとんどが若い会社帰りのグループかカップルと思われる。片隅の二人席で、名物らしい「浜松餃子」とホルモン焼き、新鮮とメニューに大書してある「初鰹」と「シラス」等を注文。もちろんビールもと! とココデ、M君はホッピーをオーダー。なんでも東京あたりで今人気になっているビールテイスト飲料の一種だそうで焼酎で割って飲むらしい。ワタシは知らなかった。M君もいろいろ人生を楽しんでおるのだなあ!と感心。食べ始めるとまさに別腹、お魚は新鮮で満足。浜松に来たかいがありました。ついでにイカの何とか焼き等も注文。その煮汁がおいしくて、M君はご飯まで注文しておりました。もちろん割り勘ですが、お愛想してもらったところ、飲食の際の会計のベテランの私の予想を超えました。やはり大阪より割高で「たんと」取られたところでグッドバイ。
② 大井川鉄道 紅葉
下着と、浜松周辺の情報以外、何の準備もしてこなかったので、翌日の遊び場所を考えねばならぬ。いっそ、浜松を飛び越えてしまおうか、そういえば私の次男の一家が「トーマスの機関車」に乗れる大井川鉄道に行き、楽しかったと話していたことを思い出した。紅葉狩りを気取るのも、またオシャレか、とホテル*(朝食バイキングもそれなりのもので、パンがおいしいのに感心した)を飛び出し、駅のインフォメーションへ。しかし、開室は9時からで閉まったまま。ならばママよとJRの切符自販機へ。出がけにホテルのフロントで聞いたら「掛川」からということであったので500円の切符を買い、念のため駅員に聞くとその二つ先の「金谷 カナヤと読む」が正解。何とエエカゲンなこと。マ、何の情報も持たずに出かける私のほうがさらにエエカゲンなのだが・・・携帯はガラケーのまま、それも泊まることまで想定せずに飛び出したので、途中で充電切れ。帰ったらスマホに替えるゾ!
とにかく、金谷に着きましたが、次の列車まで1時間以上ある。親切な売店のおばちゃんが「次の新金谷駅まで行ったら、10:18にSL急行がある。この道を歩いて行っても半時間で着く」と教えてくれた。言われた道を歩き始めると、金谷とは江戸時代本陣を持つ宿場町であることが分かり、史跡案内を読みながら行く(といっても○○跡だけれど)。そのうち到着した新金谷駅で駅員に聞くと、「次のSL急行は800円急行料金がかかる、その半時間後くらいに出る通常の各停と所用時間はあまり変わらない」とのこと、どういうこと??。観光バスが何台もとまり続々と人が降りてくる。ワタシヤ、鉄男君では決してないし、800円も上積みしてでもSL列車に乗りたい、という情熱もない。しかし、あまりにも便が少ない。さらに半時間待つなんてようしない。ここまで来たからには、SLに乗っちゃえ! 勢いだけで急行券も買い乗り込みました。
駅周辺もホームも、もちろん車内もカメラを抱えた人で一杯。ガラケーの充電状況はあとわずか。ヤッパ スマホにしよう。7号車まであり、後ろは団体客で一杯。でも指定された座席は一般客用の6号車でガラガラ、10人強しかいない。すぐ近くにはお祖母さん連れの夫婦と幼児がいる。汽笛を鳴らしSLが動き出す。あまり記憶もないので郷愁の念などわかない。終戦の年に生まれた私は、物心ついたころにはSLでの旅など縁がなかったし、第一、乗り物と言えば京阪電車しか知らなかった。社内風景など別に物珍しいものでもない。しかし車掌の服装をした女性ガイドが放送案内をしたかと思うと、いろんなお土産販売をして回っているので退屈はしない。この列車内でしか買えないお土産として、SLの汽笛の音を目覚ましに使っている時計には苦笑した。例の家族はSL号の動くおもちゃを2歳くらいの幼児のために買っていた。そうかと思うと、鉄道員の帽子をかぶらせて記念写真を勧める人も回ってくる。写真を撮るのは無料、撮った写真は有料という商売である。件の家族も幼児に帽子をかぶらせてもらって撮ろうとしたが、帽子が大きすぎて口のあたりまですっぽり入り、ためにむずがって泣き出した。お祖母さんと同時に後方の席にいた私も思わず「ハハハ」と笑ってしまった。終点まで私の発した言葉はこの「ハハハ」だけであった。
さすがに天下に名をとどろかす大井川、河川敷が本当に広い。そういえば「箱根八里は馬でもこすが、越すに越せない大井川」と謳われたのもむべなるかなと思わせる。しかし渇水時期なのか流れは急峻なようにも見えない。鉄道と大井川とが絡まりあうように伸びている。ためにいくつもの鉄橋を渡り、14かいくつかのトンネルを潜り抜け進んでいく。途中から、緑の中に紅葉を認められる山々を遠望しつつ、里村の木々の見事な赤にも感心し、はじめ、「来て良かった」と実感する。茶畑も多いので緑との対比が美しい。「家山」という駅一つだけに止まり、80分ほどで終点千頭(センズ)に着く。列車の向きを変える転てつ機の奥にはトーマス号が止まっている。その横は?エーット、パーシーだったかな?ゴードンだったかな? 孫に一生懸命教えてもらったのだが、もう忘れている。このトーマスの機関車は土日のイベント期間に運航され、子どもに大人気という。
SLとしては千頭が終点だが、さらに山間に伸びる井川線の発駅にもなっている。また、金キロウ事件で有名になった寸又峡温泉へはバスで40分くらいという。いくらなんでも、そこまで行けばもう1泊ということになりかねず、金もなければそこまで若くはないのである。
駅前インフォメーションに立ち寄り、そぞろ歩きの地図と昼めしの店を推奨してもらった。終わってみればほぼ1時間のミニ・ハイキングであったが、二つの吊り橋、茶どころだから急須に擬した展望台(休憩所)、それを受ける高さ2mくらいのデッカイ湯呑、大井川の河川敷の景観、随所で足をとめさす紅葉など、楽しめたのでありました。駅前に戻ると1時間以上も余裕があり、教えてもらった蕎麦屋へ行く。昼を大幅に過ぎていたのですいていたが、後からの来店者も数人いた。ミニコミ紙の紹介されているようで、あたたかい「とろろそば」を注文したんだが、そばもさることながら、お出汁がうまくて完食!(店の名は「丹味」)
道の駅がすぐそこにあると聞いた。たしかにあった。小さいながら地元野菜や手作りの菓子・工芸品などのいかにも道の駅である。土産を何一つ買っていなかったのでわらび餅を贖った。ここは道の駅よりも隣接する「音戯の郷」(ココデ問題! 何と読みますか?答えはこの段落の最後)の幟のほうが多く立っている。音体験施設とあるので入口まで行ったが、入場料が500円もするので、回れ右をして、外に吊るしてあるパイプ・金管(鉄道レールが原材料らしい)を鳴らして帰った。ミ~シはいいんだけれど、ドとレは半音以上低くて興ざめだった。(答え オトギノサト)
まだ時間がある。最初この駅に着いたときに入ったインフォメーションでだべっていた近所の大将が、私より一歩先に入っていった先がお茶の店だった。店先に「お茶のアイスクリーム」と出ていたのを思い出し、この店に入る。果たして予想通りだった。このカミさんが北海道まで働きに行っており、アイスクリームを作っているのだそうナ。店内の囲炉裏のある休息所で食した。たしかに、320円のカップ・アイスクリームはおいしかった。お茶も進めてくれた店主と話し合う。「今日は穏やかだが、台風21号22号の時は、川は満水状態だった」という話には驚かされた。この広い河川敷に水が溢れるさまなどちょっと想像が及ばない。一瞬、東北大震災の光景が頭をよぎる。
駅に戻れば、帰りのSLの出発時間だった。20分あまり待てば普通車が出るので、今度はSLを見送る側にたった。あまり所要時間が変わらないという謎はすぐ解けた。千頭―金谷間は19駅あるのだが、多くは無人駅のため、2両ある車両から降車するには、先頭のドアにいる運転手に検札してもらわなければいけない。しかも、乗降者が一人もいない駅もたくさんあり、ドアが開いて、ひと呼吸おいてすぐ閉まるような駅では多分1分も停車していない。くれ始めて暗くなっていく山々にも飽き、意識がおぼつかなくなると、もうそこは金谷駅だった。
さて、久々の一人旅。写真の全くない変なブログですが、よろしく
① 浜松編 鰻
2017年11月29日(水)、年に一度のボヤキ会が、浜松で開かれた。K大学陸上部昭和43年(1968年)卒(=71~73歳)の18名が年に一度、顔合わせをするOB会に16名が集まった。現役時代の競技生活の成績などは全く関係なく、旧交を温め、互いの現況を確認しあっている。卒業当初、まったく異なる道に進んだ者同士が、慣れぬ会社文化の愚痴をこぼしあう場として、互いの情報を交換するパンフをつくり、一応の名前として「ボヤキ」と名付けたことから、この名をもって会合名もしている。当然職場も住居も散在することになるが、大きくは関西組と、首都圏に大別されるので、幹事を交替してやっている。昨年は関西で奈良、今年は東京担当だが、割合中間点に近い浜松でやろうということになった。ちょうどNHK太河ドラマで評判にもなっているし・・
デ、両方面から集まれる昼前に集合したのは、Nというウナギの評判店である。浜松に来てウナギ抜きはあり得ない。71~73歳の気心の知れたじいさん(昔は女性部員などいなかったのです😭)の集まりであるから、遠慮なくため口をたたきあう。学生時代に語学の天才みたいな男がおり、次々とあだ名をつけまくって、卒業後もそのあだ名がいきている。恒例の近況報告が順番に始まった。体・健康のこと、いまだ顧問や相談役のような形で働いている人からはその仕事の話、リタイア後の余暇の使い方についてー運動・ゴルフや旅行の話が多い、等々であるが、女性と違う所は家族員の話はほとんど出ないところであろう。その中でもみんなの垂涎の的は、退職後、豊富な旅行・宿泊情報を収集し、夏は涼しい北海道等、冬は温い沖縄等での長期ステイ、合間に外国旅行を夫婦で楽しんでいるF君のスピーチであった。幹事は一応5分「程度」と指定したにもかかわらず例年通りの好き勝手な放言が続き、ために2時間かかった。未だ同じ話を繰り返し、ニンチの兆しが見られる同輩がいなかったことは良かった。
さて料理である。最後に見事な「うな重」がでてきて満足を覚えたが、コースの刺身が海と湖にしては物足りなかったのは私一人であろうか?お酒は飲み放題セット付きであったが、断酒が一人、アルコール敬遠が一人とこの年代にしてはこんなものか? 「飲み放題付き」が続けられるのはこの先いつまでかという思いを多くの人も持ったのではないか!
閉会後、店前で記念写真を撮り、散会となったが、6名が直帰、10名が腹ごなしもかねて浜松城見物とあいなった。2時間飲んだ後だから、結構足取りが重いし、予想よりは遠い。
城そのものは家康ゆかりのものだし、関西組にとっては、「ソウナノ」という程度であったが、天守閣から富士山の一部が垣間見えたのがウレシイ。駅までの帰りは三々五々となったが、一人H君が石に腰掛けうずくまるような姿勢を見せたので心配になった。タクシーに乗せようとしたが、見えず。「大丈夫」というのですぐのところにバス停がありにへたり込んだ。駅まで少しと踏んでいたのだが、渋滞があったようでやっと来た満員のバス。やむなく乗り込み、駅に着いた時には、東京方面に帰るI君の予定発車時刻を超えていたのであった・・
みんな浜松を離れ、泊はM君と私だけ。私の場合は大阪―浜松くらいは日帰りと考えていたのであったが、前日、妻が「高い電車賃払うのなら、泊まって楽しんできたらいいやないの」と背中を押され、急遽ネットで調べたホテルを予約していた。「じゃらん」で探したら5300円、朝食付とは書いてないが、ホテルレストランのバイキングは無料とのこと。なにしろ昼の宴会であまり腹はへっていないので、チェックイン後、とりあえず風呂に入り休養していると、M君から電話「晩飯一緒にしよう」 ホテルのフロントでで聞いた店に行くことにしよう。まちあわせて、駅前の「たんと」という店に行ったが満員、ほとんどが若い会社帰りのグループかカップルと思われる。片隅の二人席で、名物らしい「浜松餃子」とホルモン焼き、新鮮とメニューに大書してある「初鰹」と「シラス」等を注文。もちろんビールもと! とココデ、M君はホッピーをオーダー。なんでも東京あたりで今人気になっているビールテイスト飲料の一種だそうで焼酎で割って飲むらしい。ワタシは知らなかった。M君もいろいろ人生を楽しんでおるのだなあ!と感心。食べ始めるとまさに別腹、お魚は新鮮で満足。浜松に来たかいがありました。ついでにイカの何とか焼き等も注文。その煮汁がおいしくて、M君はご飯まで注文しておりました。もちろん割り勘ですが、お愛想してもらったところ、飲食の際の会計のベテランの私の予想を超えました。やはり大阪より割高で「たんと」取られたところでグッドバイ。
② 大井川鉄道 紅葉
下着と、浜松周辺の情報以外、何の準備もしてこなかったので、翌日の遊び場所を考えねばならぬ。いっそ、浜松を飛び越えてしまおうか、そういえば私の次男の一家が「トーマスの機関車」に乗れる大井川鉄道に行き、楽しかったと話していたことを思い出した。紅葉狩りを気取るのも、またオシャレか、とホテル*(朝食バイキングもそれなりのもので、パンがおいしいのに感心した)を飛び出し、駅のインフォメーションへ。しかし、開室は9時からで閉まったまま。ならばママよとJRの切符自販機へ。出がけにホテルのフロントで聞いたら「掛川」からということであったので500円の切符を買い、念のため駅員に聞くとその二つ先の「金谷 カナヤと読む」が正解。何とエエカゲンなこと。マ、何の情報も持たずに出かける私のほうがさらにエエカゲンなのだが・・・携帯はガラケーのまま、それも泊まることまで想定せずに飛び出したので、途中で充電切れ。帰ったらスマホに替えるゾ!
とにかく、金谷に着きましたが、次の列車まで1時間以上ある。親切な売店のおばちゃんが「次の新金谷駅まで行ったら、10:18にSL急行がある。この道を歩いて行っても半時間で着く」と教えてくれた。言われた道を歩き始めると、金谷とは江戸時代本陣を持つ宿場町であることが分かり、史跡案内を読みながら行く(といっても○○跡だけれど)。そのうち到着した新金谷駅で駅員に聞くと、「次のSL急行は800円急行料金がかかる、その半時間後くらいに出る通常の各停と所用時間はあまり変わらない」とのこと、どういうこと??。観光バスが何台もとまり続々と人が降りてくる。ワタシヤ、鉄男君では決してないし、800円も上積みしてでもSL列車に乗りたい、という情熱もない。しかし、あまりにも便が少ない。さらに半時間待つなんてようしない。ここまで来たからには、SLに乗っちゃえ! 勢いだけで急行券も買い乗り込みました。
駅周辺もホームも、もちろん車内もカメラを抱えた人で一杯。ガラケーの充電状況はあとわずか。ヤッパ スマホにしよう。7号車まであり、後ろは団体客で一杯。でも指定された座席は一般客用の6号車でガラガラ、10人強しかいない。すぐ近くにはお祖母さん連れの夫婦と幼児がいる。汽笛を鳴らしSLが動き出す。あまり記憶もないので郷愁の念などわかない。終戦の年に生まれた私は、物心ついたころにはSLでの旅など縁がなかったし、第一、乗り物と言えば京阪電車しか知らなかった。社内風景など別に物珍しいものでもない。しかし車掌の服装をした女性ガイドが放送案内をしたかと思うと、いろんなお土産販売をして回っているので退屈はしない。この列車内でしか買えないお土産として、SLの汽笛の音を目覚ましに使っている時計には苦笑した。例の家族はSL号の動くおもちゃを2歳くらいの幼児のために買っていた。そうかと思うと、鉄道員の帽子をかぶらせて記念写真を勧める人も回ってくる。写真を撮るのは無料、撮った写真は有料という商売である。件の家族も幼児に帽子をかぶらせてもらって撮ろうとしたが、帽子が大きすぎて口のあたりまですっぽり入り、ためにむずがって泣き出した。お祖母さんと同時に後方の席にいた私も思わず「ハハハ」と笑ってしまった。終点まで私の発した言葉はこの「ハハハ」だけであった。
さすがに天下に名をとどろかす大井川、河川敷が本当に広い。そういえば「箱根八里は馬でもこすが、越すに越せない大井川」と謳われたのもむべなるかなと思わせる。しかし渇水時期なのか流れは急峻なようにも見えない。鉄道と大井川とが絡まりあうように伸びている。ためにいくつもの鉄橋を渡り、14かいくつかのトンネルを潜り抜け進んでいく。途中から、緑の中に紅葉を認められる山々を遠望しつつ、里村の木々の見事な赤にも感心し、はじめ、「来て良かった」と実感する。茶畑も多いので緑との対比が美しい。「家山」という駅一つだけに止まり、80分ほどで終点千頭(センズ)に着く。列車の向きを変える転てつ機の奥にはトーマス号が止まっている。その横は?エーット、パーシーだったかな?ゴードンだったかな? 孫に一生懸命教えてもらったのだが、もう忘れている。このトーマスの機関車は土日のイベント期間に運航され、子どもに大人気という。
SLとしては千頭が終点だが、さらに山間に伸びる井川線の発駅にもなっている。また、金キロウ事件で有名になった寸又峡温泉へはバスで40分くらいという。いくらなんでも、そこまで行けばもう1泊ということになりかねず、金もなければそこまで若くはないのである。
駅前インフォメーションに立ち寄り、そぞろ歩きの地図と昼めしの店を推奨してもらった。終わってみればほぼ1時間のミニ・ハイキングであったが、二つの吊り橋、茶どころだから急須に擬した展望台(休憩所)、それを受ける高さ2mくらいのデッカイ湯呑、大井川の河川敷の景観、随所で足をとめさす紅葉など、楽しめたのでありました。駅前に戻ると1時間以上も余裕があり、教えてもらった蕎麦屋へ行く。昼を大幅に過ぎていたのですいていたが、後からの来店者も数人いた。ミニコミ紙の紹介されているようで、あたたかい「とろろそば」を注文したんだが、そばもさることながら、お出汁がうまくて完食!(店の名は「丹味」)
道の駅がすぐそこにあると聞いた。たしかにあった。小さいながら地元野菜や手作りの菓子・工芸品などのいかにも道の駅である。土産を何一つ買っていなかったのでわらび餅を贖った。ここは道の駅よりも隣接する「音戯の郷」(ココデ問題! 何と読みますか?答えはこの段落の最後)の幟のほうが多く立っている。音体験施設とあるので入口まで行ったが、入場料が500円もするので、回れ右をして、外に吊るしてあるパイプ・金管(鉄道レールが原材料らしい)を鳴らして帰った。ミ~シはいいんだけれど、ドとレは半音以上低くて興ざめだった。(答え オトギノサト)
まだ時間がある。最初この駅に着いたときに入ったインフォメーションでだべっていた近所の大将が、私より一歩先に入っていった先がお茶の店だった。店先に「お茶のアイスクリーム」と出ていたのを思い出し、この店に入る。果たして予想通りだった。このカミさんが北海道まで働きに行っており、アイスクリームを作っているのだそうナ。店内の囲炉裏のある休息所で食した。たしかに、320円のカップ・アイスクリームはおいしかった。お茶も進めてくれた店主と話し合う。「今日は穏やかだが、台風21号22号の時は、川は満水状態だった」という話には驚かされた。この広い河川敷に水が溢れるさまなどちょっと想像が及ばない。一瞬、東北大震災の光景が頭をよぎる。
駅に戻れば、帰りのSLの出発時間だった。20分あまり待てば普通車が出るので、今度はSLを見送る側にたった。あまり所要時間が変わらないという謎はすぐ解けた。千頭―金谷間は19駅あるのだが、多くは無人駅のため、2両ある車両から降車するには、先頭のドアにいる運転手に検札してもらわなければいけない。しかも、乗降者が一人もいない駅もたくさんあり、ドアが開いて、ひと呼吸おいてすぐ閉まるような駅では多分1分も停車していない。くれ始めて暗くなっていく山々にも飽き、意識がおぼつかなくなると、もうそこは金谷駅だった。
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