アラコキ奮闘記 安保法案について

2015-09-15 15:51:44 | 日記
前回は、反対集会・デモのお話だったよネ。

今回は、なんで反対かその一

1 間違った前提で、めちゃくちゃな理屈。もうちょっと、冷静に筋道たてて考えようヨ
 子どもに恥ずかしい! その一 砂川判決が集団的自衛権 合憲の根拠??????

●まず、自公すり合わせの責任者 高村のウソに驚きます。「違憲か合憲かの判断は、憲法学者がどう言おうが、最高裁判所による。」 そして、唯一、最高裁が憲法判断を下した砂川判決を根拠に、集団的自衛権は違憲ではない、と宣っておる。つい昨日(9/14)のニュースを見れば、この判決にかかわった、最高裁判事の一人のメモが見つかり、そのでたらめさが伝えられた。詳細は避けるが、体験で話す。
私は大学入ってすぐだったか、立川米軍基地に抵抗する砂川反戦塹壕に行って、地元民の援農をしながら話を聞いたことがある。
私はアラコキであり、お母ちゃんのおなかで終戦の詔勅を聞いた?わけであるから、まさに戦後70年が私の生きてきた道でもある。戦争体験はないが、戦争のにおいの数々を子ども期にかいでいたのだと思う。占領軍は進駐軍と呼んでいたと思うがかすかにしか記憶にない。朝鮮戦争の勃発―警察予備隊から自衛隊への歩みなども長じて知るようになった。
1964年東京オリンピックの年に大学生になり、関心を持ったテーマの一つが、それに先立つ1950年代後半には、米軍基地(または演習場)と地元民と支援者との闘いが盛んであったという事実だった。砂川だけでなく内灘・東富士なども米軍基地によって地元民の生活が侵されているおり、反米軍基地闘争に興味を持った。そういえば、相馬が原の米軍射撃訓練場では、薬きょう拾いに入った主婦が米軍兵士の流れ弾に当たって死んだという事件もあった。その後よく調べてみると、ジラードという兵隊が狙って射撃したのだということが分かり、世間を憤激させたということは、かすかに記憶ある。
 砂川―立川基地については、戦前からの日本軍基地をアメリカが接収した後、基地機能強化のため、滑走路延長工事の計画が出された。爆音が絶えない、広大な基地のおかげで立川市の道路は基地周辺にとりかこむようにいびつだ。そこにもってきて滑走路拡張なんて、とんでない、地元に反対同盟が結成された。リーダー格のMさんの家の敷地が、基地とフェンスだけで隣接というのか、滑走路の延長上に当たる。Mさんはこの辺りの名産ウドつくりの農家で、地下に室ムロがあって倉庫にしている。以前より基地反対のMさんは、その室を拡張して、支援者たちも泊まれるようにした。その地下室の上にこんもりと丘を盛り土し、さらに、✈が飛たつフェンスよりも高い十字架をたてていた。ゴルゴダの丘ですな。これを砂川反戦塹壕とよび、活動拠点にしていた。(マ、物理的効果は妨害というより、イヤガラセ、もしくはシンボルですな、これは。そういえば常駐者の一人は牧師さんだった)
 
 デ、拡張のための測量の日に、反対派がデモをやって、フェンスの合間からチョコッと基地側に入った。これは日米安全保障条約・地位協定違反だということで入ったデモ隊の数人が逮捕・起訴されたというのが砂川事件。第1審東京地裁では伊達さんという裁判長が「被告無罪」と言ったので、国は大慌て、米軍基地が存在すること自体が違憲だということになったら(今の沖縄の問題も存在しないのにネ)、これはイカン、なまればイケン、だということで跳躍上告(高裁をとばす)した。そりゃ、国はシタタカだから、米軍・最高裁長官とも、何かがあったんでしょうネ。そして、「条約のように国の高度な政治的判断に対して、たとえ最高裁といえども軽々に違憲立法審査権を使わない」とした。これを統治行為論とよぶらしいが、ともかく米軍基地の存在、自衛力の考え方(今でこそ個別的自衛権と言ってるが、当時は言葉そのものがない)を示しただけで、判断を逃げたのだ。まだよちよち歩きの自衛隊の状況を考慮に入れれば、米軍基地の存在を否定するわけにはいかないという現実?判断の判決ではあった。旧安保条約での基地を否定はできないということだけで、双務的な、つまり一定日本も汗をかく必要が生じた60年安保体制になってからの最高裁判決などありません。ましてや、当時、集団的自衛権ということが問題になるわけがない。安倍君や中谷君、判決文読むのは大変だけど、せめてネットでくらい読んどいてや。(13日のデモのシュプレヒコールの一つにこんなのもありました。「憲法読めない、首相はイラナイ」)
高村が絵を描いたとすれば(知りませんが)、とにかくイケシャーシャーと政府見解の公式版としたのだから、高村の責任は重い。しかも元弁護士だったとか・・
(PS、①皆さーん。上で上げた3つの米軍基地(演習場)は、すべて今では返還され、公園とか「平和」利用されてるそうです。このことは、米軍の戦略のたてかた一つで変わることを意味しているし、絶望する必要はないと思います。辺野古は普天間があろうがなかろうが、米軍戦略では2010年以前から計画されていたという情報もあります。だから政府が本当に普天間の危険を除去したいなら、それをなくした米軍基地のあり方を、政府は本気で迫ればいいのです。
② 世の中には鼾の激しい人もいるのですね。毎夜飛び立つ米軍機の音を聞きなれた反戦塹壕の常駐者も、ある日来た支援者の鼾に眠れなかった、という話を聞きました。1泊しましたが、もちろん私は逃げ帰ったのですが・・)

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