Four Season Colors

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それをやっちゃあ、おしめぇよ

2025-01-20 | 雑文
国が治まらないのは、人ではなく法制度に原
因があるという、どちらかといえば性悪説的
な考え方がある。

国というと話が大きくなるが、一般社会にお
けるモラルもまた、同じ考え方がされること
がある。

現状のルールが良かろうと悪かろうと、守っ
ている限りは、何ら問われるいわれはなく、
ルールを変えればよい、それから従うと。

決められた範囲内といえば、それはとても明
確で、他に議論の余地はないのだと簡単に主
張もできる。

モラルだとか、信仰だとか、気持ちだとか、
そういう曖昧な、決して明確ではないことを
簡単に排除できる。

自己の利益だけを見て、「それをやっちゃあ、
おしめぇよ」などという言葉は、何の足しに
もならないという。

社会はどんどん変わるから、最初どのような
目的だったとしても、そこから外れたルール
の運用がされることは、昔からよくある。

ルールの範囲内だけど、モラルが、信仰が、
気持ちが、「それをやっちゃあ、おしめぇよ」
と自分にいう。

これを善と悪と決めるのが適切でないなら、
この考え方の片方の極は、もう片方の極を鼻
で笑い、馬鹿にするだろう。

片方の極は、もう片方の極には見向きもせず、
ただ自己において、満足を得るだろう。

結果だけをみれば、自己の絶対的な善、他者
から見れば自己満足は、ただ損をする馬鹿な
のかもしれない。

しかし忘れてはならないのは、少なくとも現
代のこの国(日本)のルールは、信仰による、
つまり神の定めしルールではない。

だからこそ、皮肉にも、結果的に、ルールが
分かりやすい絶対となりがちでもあるが、ル
ール自体は論点にはなりえない。

つまりは、心の豊かさを何に求めるかで、ル
ールの範囲かどうかの話ではないのだけれど、
片方の極は、ルールのみを語るという話。


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