山王アニマルクリニック

日々の診療、いろんな本や音楽などについて思い巡らしながら、潤いと温もりのバランスを取ってゆこうと思います。

数字のモノサシ3/糖尿病について

2014-11-05 20:05:41 | 医療の波打ち際

前回は、血液生化学検査などの医学的検査をたくさんやっても健康になるわけではない…という当たり前の話をしました。

検査をたくさんやれば病院は儲かっちゃうので、なかなか悩ましい話なのですが、時々いらっしゃるんですよね。喜んで食べるからといってジャーキーなどのジャンクなおやつや高カロリーで塩分の多い人の食べ物を日常的に与えているからメタボ体型になったりしているのに、「心配なので…検査お願いします…」と何度も検査だけを要求するような傾向の飼い主さん。

それで食生活を改善してくれるならいいんですけど…検査結果の数値などだけに一喜一憂し、かなり症状が出てどうしようもなくなるまでは、一切食生活が改善されないというケースですね(本人は改善の努力を最大限にしている的な物言いながら、何故か?ほとんど結果が伴っていないミステリー系もあります)。

まあ?人間って結局の所、切羽詰まらないと動かないことが多いんでしょう。私も何らかの意味でそういう所があるので人のことを言えた義理ではないです。そして、そんな人の不完全さが社会を動かしてゆく…と考えれば、良いことばかりじゃないけど~悪いことばかりでもない~(ブルーハーツのパクリです)ということでしょうか。

ある食堂で定食を食べていたら、少し離れた所に顔を真っ赤にした中年男性がいたんです。その方が大きな声で言っていました…

「医者には酒飲むなって言われてんだよ~ガハハハ~!」と言いながらお酒を飲んでいます。

「で、どうなの調子の方は…あんまり無理しない方がいいんじゃない?」と食堂のご主人は後ろめたさの入り交じる声色で聞いていました。

「大丈夫だって~医者はスゲ~こえ~顔で聞いてくるけど、”ぜんぜん飲んでません”ってバッチリ言うから、俺そういうの得意なんだよ~アッハッハ~」と、ちょっとお調子者そうな中年男性は、とっても楽しそうに高カロリーな揚げ物をつまみにしてお酒を飲んでいました。みなさん、この実話どう思います?

「医者のスゲ~こえ~顔」ということですが、どうして医師そして我々獣医師も、時に?そうなってしまうのでしょう?この謎を解くために、かなり前に新聞に載っていた糖尿病の人の話をからめて書いてみます。

糖尿病になってしまうと血糖値を下げるインスリンを自分で注射しなければならなくなってしまう人がいます。が、とても忙しい現代人は日々の生活に追われています。

その人は自分の家で何かのお店をやっています…みなさんも何らか働いた経験があるでしょうから言うまでもないと思いますが、お客さんは規則正しく予想通りに来店してくれません。動物病院でもそうですが「今日はヒマだな~」と思っていると、突然みんなで申し合わせたかのように一気に混雑したりすることがあります。

どうせ来るなら、どうして順番に来てくれないんだろう…と思ったことのない人いませんよね?

医師はインスリンを規則正しく注射することを求めるでしょう…が、特に働いたりしていれば、忙しさに追われ規則正しく注射することができなかったり、注射するのを忘れてしまったりすることもあるのです(働いてなかったとしても、人間ですから機械のように規則正しく完璧なんてありえません)。

きちんと指示通り注射できてなければ、血液検査の結果が悪くなってしまうのは当たり前です。

そこで命のことを真剣に考えている真面目な医師ほど「スゲ~こえ~顔」できちんと規則正しくインスリンを注射したのか聞いてしまったりするのです。

何せ自分の判断が人の生死を左右するのですから…このプレッシャーは実際に体験した人でないと想像以上に想像しにくいであろうと強く念を押しておきます。

 ここですれ違いが起こってしまいます。「スゲ~こえ~顔」の医師を見ると患者さんは「指示通りきちんと注射できてなかったことを言うと先生に怒られる」と思い違いをしてしまうのです。そして目を泳がせながら――時には逆ギレモードで――「ちゃんとやってます」と言ってしまうのです。

(新聞に載っていた人も、ちゃんと注射できていないのに、できていると悪気なく言ってしまったという話でした)

でも実際はきちんと注射できていないのだったら、「商売やってるから、忙しくてできなかったんですよ~」と素直に言った方がいいのです。

そうでないと、インスリンの注射量が増やされ、低血糖で死に至ってしまうことだってありうるのです(ワンちゃんやネコちゃんも一緒です)。私は怪しい感じがした時は、このようなエピソードをそのまま話し、ぶっちゃけやすい雰囲気を作ったりしています。

これはなかなか難しい問題で、患者さんの「きちんとやった」という自己申告そして科学的な数値通りに従っていれば、それで亡くなって裁判ということになっても負けない!みたいな?何かズレた方向に強気な思考回路へとつながってしまうのです。

この難しいすれ違いとも関係するかもしれないACCORDという論文が、人の方で出ています。それによると、血糖値の目標を理想に向けて低くしようと頑張る強化療法群(目標のヘモグロビンA1c値>6.0%)の方が、もうちょっとアバウトな標準療法群(目標のヘモグロビンA1c7.07.9%)よりも死亡率が高くなってしまうという結果が出たのです(N.Engl.J.Med.2011Mar3;364(9):818-28)。

獣医界でも、インスリンを注射している場合の血糖やフルクトースアミン、ヘモグロビンA1cの目標数値があるのですが、そこを目指し過ぎると低血糖発作を起こしやすくなるため、頻回に検査が必要だったり、本末転倒な結果になることもあると思います。

動物では人用のインスリンを転用することもあって、特にネコや小さなイヌでの用量調節が難しく、ほんの少しの調節で大きく血糖値が下がってしまったりします。

私の経験では、血糖測定器を購入して頻繁に血糖値を検査し、表までも作成してきた飼い主さんのネコちゃん(9歳)が、10ヶ月足らずで亡くなってしまったことが思い出されます(個人特定を避けるため、細部を変更しています)。

当院の飼い主さんで血糖測定器を購入された方は、現時点ではあまりいないので、それがいけないと言いたいのではありません。測定器を購入してうまくコントロールしている方もいるでしょう。が、インスリンが多過ぎることによる低血糖後、体を守るための偽りの高血糖(ソモギー効果)があったりするので、血糖値だけに振り回されて悪循環になってしまうことが我々でもあるのです。

 ネコちゃんに対する愛情という意味で信頼できる飼い主さんであったこと。そして自ら血糖測定器を購入し、ネットで色々調べて勉強されているようだったので、当然そうではなかった今までの子たちより大丈夫であろうと私も勝手に思い込んでいたような所があったように思います。

便利でわかりやすく正しそうなものだけにとらわれていると、このような気の緩みが生じやすいので注意が必要です。

糖尿病に関して、そんなに経験豊富なわけではありませんが、振り返ってみると、当院で長期維持できている子は、例外なく理想とされている血糖値よりも高めでした(ACCORDの存在を知って、その理由が腑に落ちました)。

食欲や体重、多飲多尿や低血糖の無気力発作などの症状だけを観察し、血糖値も目標値よりは明らかに高めだったのですが、13歳で発症してから4年近く生きたネコちゃんもいるのです(この子はフルクトースアミンも一回しかチェックしてません)。

以上のように私が経験した臨床的な手応えからも、人のデータとはいえ上述の論文からも、やはり理想の数値だけを目指し過ぎて、その子の活力やストレス状況など――数値化しにくく、実際に時を共にしていないと感知できないもの――を見失ってはいけないのだろう…と感じるのです。

また長くなってしまいそうなので、次回はこの数値化しにくいストレスというものをテーマに書いてみようと思います。

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数字のモノサシ2/生命現象の数値化はどの程度正確なのか?

2014-09-26 15:36:17 | 医療の波打ち際

  前回の続きですが、全体としてはつながっている生命の営みも、様々な科学的枠組みの発見によって次々と細分化されています。例えば血……大昔は血といえば私たちの身体が傷つくと流れる赤い液というくらいの認識だったでしょう。顕微鏡などが発明されると、血液の中にも赤血球と白血球があることがわかりました。さらに白血球もよく調べてみると、細菌と戦う多数派である好中球、免疫反応を担うリンパ球、アレルギーや寄生虫によって増える好酸球、食欲旺盛な単球、一番レアな存在の好塩基球が……という感じでどんどん細かく分類されていったのです。

 赤血球も白血球も、液体の中に光学顕微鏡で確認できるレベルの小さな粒として存在しているので、数えることができます。そして細かい縦横の線が書かれたスライドグラスという感じの血球計算盤が作られました。すべて数えるのはとても大変なので、血液を薄めた上で血球計算盤の上にたらし、小さく区切られた四角の中の血球の粒を実際に数えて(全部数えるのが理想ですが、大変なので5区画ほど)、全体の大きな四角の中の推定値を算出する……ここまでの説明は、かなり効率が悪く大変そうと感じてもらうために書いてみました。

 この方法は今でも用いられていますが、忙し過ぎる現代の臨床ではどの程度使っている先生がいるのでしょうか?おそらく学生時代の実習以来経験のない人も多い気がします。今は(高価ですが)血球計算機があれば、電気の力で効率良く測定してくれます。

 今までの経験上、血球計算機は特殊な例を除いて、そんなに誤差はなかったように思います。また特に赤血球数は、貧血がひどければ薄い血液となり、脱水がひどければ濃い血液となるので、重篤なケースでは肉眼的に色やとろみでなんとなく予想がつきます(薄口と濃口醤油の違いみたいな感じです)。それ以前に貧血がひどければ、西洋医学的にも可視粘膜(舌や口腔粘膜や目)を見て、健康なピンクか?それとも不健康に白っぽくなってないか?などを見てある程度は判断できます。

 そして西洋医学の場合は具体的に血球などを数値化するので、正常値と異常値を明確に数字で区別します。しかし検査機械全般に言えることですが、メーカーによって正常範囲が微妙に異なったりして、真面目な人がボーダーラインの数値に近かったりすると「正常なんですか?異常なんですか?」と戸惑うかもしれません(電気式の体温計なども機械によってノリが少し違いますよね→正常値というより基準値なんです)。

 ちなみに東洋医学(中医学)では血が少ないことを血虚といいますが、おもしろいことに血球計算機などの数値で赤血球数が正常範囲でも、中医学的には血虚ということがあります。中医学の場合は、脈診や舌診の他、毛のつやが悪い、筋肉のひきつりやこわばり、不安感などのような症状によっても血の不足を推定します。おそらく血の数量はどれくらいか?よりも、結果として血は有効に機能しているか?に重きを置くということでしょうか。

 問題は血液生化学検査です。まず、この検査の仕組みの一例をざっくりと説明してみます。血液成分にある試薬を混ぜると、青色に変化したとします。その青色の濃さがある検査項目の成分の濃度を反映しているので、その色の濃さを段階的に分け数値化する……という感じです(機械により吸光光度法や比色法があります)。

 色の濃さを機械が判断するので、

①     溶血:赤血球が破壊されヘモグロビンが放出されること(採血時、注射器を強く引き過ぎたりすると起こりやすい)により血漿が赤くなってしまうこと

②     高脂血症:血液中の脂肪成分が多くて、血漿が白っぽく濁ってしまうこと

③     黄疸:肝臓・胆道疾患などにより血液中の胆汁色素(ビリルビン)が増え、血漿が黄色くなってしまうこと。

※血漿/血液から有形成分(赤血球・白血球・血小板)を除いた液体成分のこと

 ①~③があると、それらの色が追加され、濃度が高いと判定されてしまったりします(検査項目によっては逆に薄く判定されることもあります)。

 この中で経験上、特に要注意なのは高脂血症です。血液検査前に、特に高脂肪なものを食べていると高脂血症になって測定誤差が生じやすくなってしまうのです。また、蛋白質の過剰摂取なども影響を与えるので特に健康診断の場合、血液検査前12時間は絶食した方がいいのです(常識と言えば常識ですが、以下のように日頃の食生活も要注意です)。

 特に肝臓機能の生化学検査(ALT、AST、胆汁酸、ALPなど)において、全く症状がないにもかかわらず、数値だけ高いために何度も検査をされ、薬を出され続けるので不審に思い……というようなケースを時々経験します。そんなケースの場合、飼い主さんの家庭の誰かが溺愛して高カロリーなおやつなどをたくさん与えて高脂血症になっていたりすることも多いような気が……そして食生活を改善できれば高脂血症も治り、肝機能の数値もやはり正常ということに……?(当院の生化学検査の機械は、検査ごとに溶血、高脂血症、黄疸のレベルを3段階評価で表示してくれますが、これらの表示のない機械もあります。数値だけ高めだが症状は全くない……そんな不安のある方はご相談下さい)

 しかし肝臓用の処方食を出されていたけれど、高脂血症があるから肝臓は大丈夫なんじゃないの~と高脂血症を改善する処方食に変えてみたら、調子が悪くなりやはり肝臓も悪かったのか?というケースも一例だけありました。一つの枠組みだけで考えるのではいけませんね。

 数値化すると目に見えにくいものでもある意味での可視化が可能となるのですが、わかりやすく見えるものがあると人はそれしか目に入らなくなってしまうのかもしれません。そして、人はそれぞれ自分が見たいものを、言い換えるとその時点の自分に都合が良いものしか見ないという傾向があるのでしょう。

 肝臓や腎臓の病気でもひどいケースでは典型的な症状があるのですが、ひどい貧血と比べると見た目だけで推定するのは難しいのです。それらの症状でなんとなく目星をつけた上で無駄なく必要な検査だけを行うのが理想です。しかし医学の教科書では、どんな病気でも様々な角度から客観的に評価するべきというような理想も書いてあります。ここで理想と理想がぶつかり合ってしまいます。間違いを防ぐために血液検査、超音波検査、レントゲン検査など様々な枠組みで捉えようとすればするほど、飼い主さんの経済的負担や動物たちの身体的負担は大きくなってしまうのです。最低限の検査を目指すことのメリットとデメリット、できるだけ多くの検査で間違いを最低限にすることのメリットとデメリット……さて?どちらの理想を優先すべきでしょうか? そして生命現象はどの程度正確に数値化できているのでしょうか?

 臨床現場の実感として個人的に一つのヒントになると思われる科学的事実は……腎機能検査として用いられている血中尿素窒素(BUN)とクレアチニン(Cre)は、腎機能が残り25%以下にならないと数値が上がってこないということです。腎機能が半分ダメになっていても正常値のままで、3/4以上がダメになった段階になると、やっと数値が上がってくるのです(腎機能が50%くらい低下すると、尿の濃さである尿比重が低下してきます)。腎機能を数値として一番正確に反映するのは糸球体ろ過率(GFR)らしいですが、そのように精度が高いと言われる検査は手間がかかったり、試薬が手に入りにくかったりするので大学病院のような所でないとほとんど行われていないでしょう。

 それに獣医学の専門書では、肝臓や腎臓に限らずだいたいの臓器での最終診断は数値よりも病理検査の方が正確な診断につながるという方向の記述です(数値などによる推定ではなく、実際に細胞を取り出して、どのようになっているか顕微鏡で見るわけですから当然なのですが)。そして最近の傾向としては、超音波診断装置で臓器を確かめながら、筒状の針のようなものを刺して、少量の組織をくり抜くのです(超音波ガイド生検)。組織を取るためにはそれなりの太さの針状のものを刺さなくてはなりません。動物の場合、局所麻酔では痛がって暴れ、大きな血管を傷つけてしまうかもしれません。

 最高レベルの機械を用いた最高レベルの先生ならば身体への負担が最低限になるように臓器から組織を採取してくれるのでしょうが、超音波ガイド生検だと、少量の組織しか取れず臓器全体の状態を反映している保証はないのです。また針を刺した所からの出血がひどいかどうか超音波で確認するのが難しいので、結局、お腹を切ってより多くの組織を取り、出血がひどくないかどうか直接確認する方が良い?みたいなことが書かれたりしています(中間的アプローチとして腹腔鏡を使った生検もあります)。しかし重症の子ほど麻酔と手術に耐えられない可能性も高くなり、診断はついても治療につながらなかったり、そのまま息を途絶えて…ということにも……このように精度が高いと言われる検査ほど、身体にも負担がかかったり、コストが高かったりするのです。

 例えるなら、CT(コンピューター断層撮影法)で早期の小さな腫瘍を発見しようとすればするほど、X線照射により身体を細かいレベルで輪切りにしていかなければならないので、被曝量も増える―その被曝によって逆に発ガン―と本末転倒になってしまうような可能性がなんとなくあるのです(PET検査とかはそこまで負担はないのかしれませんがコストは間違いなく高いでしょうし、結局CTとの組み合わせの検査になってしまうようですね)。

 救済のために生命を犠牲にするのか?生命のために救済を犠牲にするのか?(これはフランツ・カフカの「流刑地にて」の解説にあった言葉の応用です)

 想像してみると、訳がわからなくなってきませんか?でも多くの臨床家は、このような矛盾と毎日少なからず格闘しています。何だかイライラしている先生ほどヤヤコシイ病気の子を抱え、葛藤しているのかもしれません(ちょっと違う方向の葛藤を抱える猛者もいますが、何か様子がおかしい時は、よーく前後左右上下を観察してみて下さい)。逆にいつもニコニコして愛想が良かったり、自信満々で迷いなど微塵も感じられなかったりする先生ほど、実はこれらのことをあまり考えていないなんてことも?……まあ、これもバランスの問題で、どちらに偏り過ぎてもいけないのですが、よーく状況を観察すると裏と表が逆だったりします。

 話が複雑になってしまいましたが、以上のように様々な要因による測定誤差などから考えても、より謙虚に命と対峙してゆくためにも、生命現象の数値化は、特に簡単にできる検査では1/4くらいしか正確でないかも?と考えておいた方が良い気がします(あくまで個人的見解です)。

 病をなるべく早期に発見したい気持ちはわかります。でも、血液検査などをたくさん受けたら健康になるというわけではないのです。具体的な症状が全くない場合、簡単な血液検査などで早期発見できる可能性は、みなさんが期待しているよりはかなり低い……と思われます(みなさんの期待値によります)。逆に上記のような測定誤差などによって必要のない薬を……とならないための簡単な?方法は、また後日書こうと思います。

 数値が時代を動かす力は早く、目に見える説得力を持ちます。輝かしい現実的成果をあげることで、難解と感じている多くの人々だけでなく反発する人々の身体さえも動かしていきます。現実とのズレを感じつつも何だかわからないうちに、数値を使うのではなく、数値に翻弄され、意のままに動かされるロボットのようになって魂は置き去りに……なんて言葉は、ジャンボジェット機やスカイツリーなどの現実的成果の前では何の説得力もありません。

         さて我々はどうしたらよいのでしょう?

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数字のモノサシ1/数字と気持ちのビミョーな関係

2014-09-26 10:06:38 | 医療の波打ち際
数字のモノサシ
寄藤 文平
大和書房

  まず何から?と考えてみたのですが……現代医療というか?近代化という流れの大きな推進力となっているものに、何でも数値化しようとする傾向があると思います。

 様々なことを数値化し、ある意味での客観化が可能となったことで世の中がとても効率良く便利になりました。しかし、あまりにも便利なことがどんどん実用化され、それが絶対化され過ぎてしまうと、そこから抜け落ちてしまうものの存在も感じられるようになってきます。

 私は数学が苦手なので、どちらかというとそのデメリットを強調してしまう傾向があると思います。逆に得意な人はメリットを強調する傾向になってしまうのでしょう。それは足が細く長い人などはそれを生かすファッションを選び、そうでない人はそれを目立たなくしたり、その他の自信のある所を生かすファッションを選ぶことと同じです。

 気付かぬうちに誰もが何らかの偏りを持ってしまいます。しかし、そういった個人個人の不完全さがぶつかり合うことで社会は全体としてのバランスを保っているのではないでしょうか? そう考えてみると?ある偏りに対して個人的には納得できないことがあっても、大きな視点から見れば喜ばしいことなのだと思います。

 そして、なかなか難しいことなのかもしれませんが、自分の持つ偏りに対して少しでも自覚的であれば、ないよりも心の中に何かを受け入れるスペースが生まれます(申し訳ないことに、当ブログはバランスを大切にするため、世の中のバランスが取れる方向への偏りを持ってしまうものと思われます)。

 私は福山雅治さんが演じたガリレオのごとく複雑な数式を理解するほど優秀な頭脳を持ち合わせてはいません。でも?持っていたとしても、そういうことを理解できるのはごく一部の選ばれた方々なのですから、一般向けに解説する意味はなくなってしまいます。

 なぜなら、誰もが分かるようやさしく解説できるのなら難しい数式ではなくなってしまいますし、もともと優秀な方々はそんなやさしい解説などなくても理解できるのですから。

 そういうわけで私は、「素人は黙ってろ!」とか「勉強不足な奴には分からん!」というようなことをバカ丁寧な言い回しにして書くようなことはなるべく控え、難しい数式とは違った?生命現象というか?医療上の難しさそのものを、一般の人の身体に響くような言葉で少しでも表現できたらいいな?と思います。そして、そのヒントになるかもしれない本などを紹介していくつもりです。

 最初に紹介する「数字のモノサシ」という本は、数字が苦手な人たちにも身体的な感覚で理解できるように、ユーモアたっぷりのイラストを交えて表現した画期的な本です。当院には、発売された当初からこの本が置いてあります。

 でも、あまりこの本を手に取っている人はいないように思います。この本は「数字と気持ちのビミョーな関係」に関する本であって「数学」の本ではないんですけど、やはり「数」という字を見ただけで、数学=計算→苦手と拒絶反応を起こしてしまう人の方が多いみたいです。 

 本当にとてもおもしろい本なんですよ!個人的には、著者である寄藤さんの本の中では一番好きで、様々なヒントを頂きました!例えば、フレーミングモノサシ……コップに残った水を見て「もう半分しかないと思うか、まだ半分もあると思うか」という思考の違いを心理学でフレーミングというそうです。

 ある実験では「600人の死者を出す奇病が発生」し、その病気を撲滅する方法として「200人は助かる」Aの方法と「400人は死ぬ」Bの方法を提示すると、7割以上の人がAの方法を選んだそうです。

 冷静に考えればどちらも600人中400人死ぬ事実は同じですよね?でも「助かる」Aと、「死ぬ」Bという枠組みによって数字の判断が変わってしまう……ポジティブな物言いの方が好まれるということなのでしょう。

 動物病院でも「この子のガンは手術すれば6割助かる」と説明されたら、4割もダメな可能性があるにもかかわらず、手術に同意する人の方が多いかもしれません。

 実際、ある方から聞いた話ですが、親族の方が子宮ガンになり、医師に「手術すれば99%完治する」と言われらしいのです。しかし術後からどんどん調子が悪くなり、亡くなってしまったそうです。

 まあ悪性度にもよりますが、ガンを99%完治なんて、なかなか言える先生はいないと思います。そういう先生もうまくいった時はスーパードクターと呼ばれるのでしょう(動物病院に関するこういった話もたくさんあるのですが、なかなか難しい問題なので……来院して頂いた方には、治療方針を決めてゆくヒントとしてお話することもあります)。

 それ以外にも、数字を使った心理的なトリックの具体例などが笑えるイラストで表現されています。また、この本を読むと、「数字に関して頭ではわかっているように思ってたことも、ほとんど身体ではわかってなかったんだなぁ」と多くの人が実感できると思います(この説明でいまいちピンとこない方はぜひご購入下さい!けっこうみんな数字にダマされているかもしれませんよ?)。

 ところで、みなさんは、生命現象ってどの程度正確に数値化できていると思いますか?医療行為の中では肝臓や腎臓などいろんな臓器の状態を反映する数値が用いられています。

 次回はその辺りのことについて書いてみようと思います。

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