今朝は久しぶりに午前6時過ぎも明るくて、天候がよさそうな夜明けでした。
朝のお月さまはこんな感じ。
課長からメールが来ました。
1か月に1回は、状況確認のメールをいただきます。
同じくがんで闘病中だった前課長のことを案じていたのですが、
お休みなさってから1年6か月の今月で「退職されるそうです」との報告でした。
復職されるだろうとうかがっていたので、体調が回復されていないのかなと
思いましたが、そうではない様子で、大学で講師をなさるとかで、講演会も
決まっていらっしゃるとのこと。ちょうど60歳になられたばかりですから、
また、新たな人生を歩かれるのだろうと思います。
「60歳定年」は、父のこと、母のこと、兄のことを身近に見てはいましたが、
時代も違い、60歳まで重ねた人生も違うそれぞれ異なる「通過点」だったなと
思い返します。
私はフリーで続けていた元職の環境が時代に合わせて一変。ある意味では
手に職をつけていた状況でしたので、「仕事がなくなる」ということは
考えていませんでしたが、「激変」して、続けることができなくなり、
試行錯誤の上での全く畑違いの企業に60歳で新入社員になるなんて、
考えてもいませんでした。
こんなことならと、選択ミスしてしまったことを「後悔」しても、何の
足しにもなりません(笑) これでドラマなら、「選択」の「岐路」にまで
戻って、もう一度、「やり直し」OKだったりするわけですが、
現実はそんなことはできないのが、本当に残念。
ただ、いつでも本当に懸命に歩いていたことだけはたしかなので、それで、
この結果ということに対しては責任は持てます(笑)
決断は迷いに迷うことが多くありますが、最後は「えいやっ」と決めて、
結果がどうであれ、そこでやれることはやるという覚悟がありますが、
最も迷ったのは、母の介護だった気がします。
母の介護をすること自体の迷いではなく、介護中に起きるさまざまなことに
どう対処するかを決めるとき、認知症という病気で母には判断ができないから、
代わりに判断しなければなりませんが、「お母さんはどう思うのだろう?
どうしたいと願うのだろう」という壁にぶつかってしまっていました。
母に答えを求めても、母にはもう何も判断できない。
だれかに相談したとしても、答えは私にゆだねられる。
一番、迷ったのは、胃ろうにするかどうかという選択でした。
「母に口から食べさせてあげたい」というのは、当然、私の願い。
料理を仕事にして来た母。母とは違うカタチですが、料理を仕事の一部と
して来た私にとって、いつまでも私の作った料理で母の健康を支え、
母に食べる楽しみを与えてあげたい。
そう思っていても、嚥下という機能がどんどん低下して行って、
ひとさじを飲み込むことに膨大な時間がかかる。そして、むせる。
むせない食事、料理は取れなくても栄養豊富な食事内容を考えて母に
与えても、限界があります。十分に食べさせようとすると、一食に
4時間もかかっていて、一日中、母に食べさせているといった状態に
なっても、十分に栄養が採り切れていないということにもなり、
行き詰まりを覚えることも多くなり。
胃ろうは直接、胃に栄養を運ぶことができる延命措置ではあるわけですが、
自然に口から食べられなくなったことを終末期ととらえ、自然に亡くなることを
選択するという考え方もあります。
そのころの母はもう、ほとんど周囲のこともわからず、会話もできず、
口に運べば、自然に口を動かしますが、「食べている」ことを楽しみにしている
とか、そういった状況ではなくなっていました。
だからと言って、母の終末期ととらえることは私にはとてもできそうにありません。
会話ができなくても、何ひとつできなくても、母は生きている。
私だったらどうするだろう? 私には家族もいませんので、もしも、
そんなお世話をどなたかにかけるとすれば、終末期として、延命措置はして
もらいたくない。今もがんの闘病中ですが、もしものときは、延命措置は
行っていただかないようにお願いしているくらい。
母も私と同様に「もういい」と思うかもしれません。
胃ろうは母に負担をかけるだけなのでは? ただ、生かすだけで、母には
人生を楽しむことも感じることもできないのに、それは私のエゴでは?
とても迷いました。出ない答えなのかもしれませんが、迷い続けました。
一応、介護にはかかわっていない兄にも相談はしてみましたが、兄はもちろん、
そんな選択を判断できるほど、介護については答えは出せません。
決断をしても、自分が何かをするつもりがないのに意見が出せるわけはないと
思ったのだろうと、私は推察しました。
そして、私は思ったのです。お母さんはきっと、私に介護は一任してくれている。
私の判断で、私の思いで決断することを許してくれるだろうと。
私は母に一日でも長く生きていて欲しい。それに伴って私の介護生活も長引くし、
自分の暮らしも成り立たせるのも難しくなるのは目に見えているけれど、
私は私の決断に責任を持とうと。私の思いが母の決断であると信じようと。
そして、胃ろうに踏み切ったのでした。
こちらは母がまだ、食べられていたときの母用の食事。
①ひじき煮と卵入り雑炊
②大根おろし
③手作りシュウマイ
④手作りのお漬物
⑤いかとキャベツ焼き
⑥かぼちゃ煮
⑦野菜ジュース
朝のお月さまはこんな感じ。
課長からメールが来ました。
1か月に1回は、状況確認のメールをいただきます。
同じくがんで闘病中だった前課長のことを案じていたのですが、
お休みなさってから1年6か月の今月で「退職されるそうです」との報告でした。
復職されるだろうとうかがっていたので、体調が回復されていないのかなと
思いましたが、そうではない様子で、大学で講師をなさるとかで、講演会も
決まっていらっしゃるとのこと。ちょうど60歳になられたばかりですから、
また、新たな人生を歩かれるのだろうと思います。
「60歳定年」は、父のこと、母のこと、兄のことを身近に見てはいましたが、
時代も違い、60歳まで重ねた人生も違うそれぞれ異なる「通過点」だったなと
思い返します。
私はフリーで続けていた元職の環境が時代に合わせて一変。ある意味では
手に職をつけていた状況でしたので、「仕事がなくなる」ということは
考えていませんでしたが、「激変」して、続けることができなくなり、
試行錯誤の上での全く畑違いの企業に60歳で新入社員になるなんて、
考えてもいませんでした。
こんなことならと、選択ミスしてしまったことを「後悔」しても、何の
足しにもなりません(笑) これでドラマなら、「選択」の「岐路」にまで
戻って、もう一度、「やり直し」OKだったりするわけですが、
現実はそんなことはできないのが、本当に残念。
ただ、いつでも本当に懸命に歩いていたことだけはたしかなので、それで、
この結果ということに対しては責任は持てます(笑)
決断は迷いに迷うことが多くありますが、最後は「えいやっ」と決めて、
結果がどうであれ、そこでやれることはやるという覚悟がありますが、
最も迷ったのは、母の介護だった気がします。
母の介護をすること自体の迷いではなく、介護中に起きるさまざまなことに
どう対処するかを決めるとき、認知症という病気で母には判断ができないから、
代わりに判断しなければなりませんが、「お母さんはどう思うのだろう?
どうしたいと願うのだろう」という壁にぶつかってしまっていました。
母に答えを求めても、母にはもう何も判断できない。
だれかに相談したとしても、答えは私にゆだねられる。
一番、迷ったのは、胃ろうにするかどうかという選択でした。
「母に口から食べさせてあげたい」というのは、当然、私の願い。
料理を仕事にして来た母。母とは違うカタチですが、料理を仕事の一部と
して来た私にとって、いつまでも私の作った料理で母の健康を支え、
母に食べる楽しみを与えてあげたい。
そう思っていても、嚥下という機能がどんどん低下して行って、
ひとさじを飲み込むことに膨大な時間がかかる。そして、むせる。
むせない食事、料理は取れなくても栄養豊富な食事内容を考えて母に
与えても、限界があります。十分に食べさせようとすると、一食に
4時間もかかっていて、一日中、母に食べさせているといった状態に
なっても、十分に栄養が採り切れていないということにもなり、
行き詰まりを覚えることも多くなり。
胃ろうは直接、胃に栄養を運ぶことができる延命措置ではあるわけですが、
自然に口から食べられなくなったことを終末期ととらえ、自然に亡くなることを
選択するという考え方もあります。
そのころの母はもう、ほとんど周囲のこともわからず、会話もできず、
口に運べば、自然に口を動かしますが、「食べている」ことを楽しみにしている
とか、そういった状況ではなくなっていました。
だからと言って、母の終末期ととらえることは私にはとてもできそうにありません。
会話ができなくても、何ひとつできなくても、母は生きている。
私だったらどうするだろう? 私には家族もいませんので、もしも、
そんなお世話をどなたかにかけるとすれば、終末期として、延命措置はして
もらいたくない。今もがんの闘病中ですが、もしものときは、延命措置は
行っていただかないようにお願いしているくらい。
母も私と同様に「もういい」と思うかもしれません。
胃ろうは母に負担をかけるだけなのでは? ただ、生かすだけで、母には
人生を楽しむことも感じることもできないのに、それは私のエゴでは?
とても迷いました。出ない答えなのかもしれませんが、迷い続けました。
一応、介護にはかかわっていない兄にも相談はしてみましたが、兄はもちろん、
そんな選択を判断できるほど、介護については答えは出せません。
決断をしても、自分が何かをするつもりがないのに意見が出せるわけはないと
思ったのだろうと、私は推察しました。
そして、私は思ったのです。お母さんはきっと、私に介護は一任してくれている。
私の判断で、私の思いで決断することを許してくれるだろうと。
私は母に一日でも長く生きていて欲しい。それに伴って私の介護生活も長引くし、
自分の暮らしも成り立たせるのも難しくなるのは目に見えているけれど、
私は私の決断に責任を持とうと。私の思いが母の決断であると信じようと。
そして、胃ろうに踏み切ったのでした。
こちらは母がまだ、食べられていたときの母用の食事。
①ひじき煮と卵入り雑炊
②大根おろし
③手作りシュウマイ
④手作りのお漬物
⑤いかとキャベツ焼き
⑥かぼちゃ煮
⑦野菜ジュース