関連寺院に残されたもの(1)
今回の不動院展では、多くの関連寺院の皆様のご協力を
頂いております。
その中から、こちらで情報提供可能なものをいくつか
ご紹介させていただきます。
まず、北須賀山満願寺所蔵品をご紹介いたします。
満願寺は、天平12年(740)年、行基が法相宗として開山し、
弘仁2年(811)最澄が天台宗に改めたといい、
承久2年(1220)北条政子が鹿島神宮参詣の折に立ち寄り、
三浦義村に地蔵菩薩を奉納させ、供養料百貫文を奉納し
たという古刹です。
満願寺は、文禄4年(1595)、肥前名護屋城で朝鮮出兵
をひかえていた江戸崎城主・芦名盛重より、特に御祈祷
精誠であるにより、不動院法会において甘江院が荒廃し
ている間、第二席に座すことを許されています。
そうです、満願寺は、江戸崎不動院の末寺頭の第二席なん
です。
まず、開山の年代ですが、大変古い年代を挙げられる寺院
が多い中で、満願寺は寺の草創の時期よりも100年ほど古い
時代の仏像が存在しています。
それは、銅造如来立像(№119)です。
このお像は、茨城県最古の「白鳳期」(西暦600年代後半)
の制作とされ、茨城県指定文化財になっています。
火災の被害が痛々しいお顔は、上顎から下が焼け落ち、
上半身も熱を受け少し溶けて表面が荒れているようです、
それでも頭部のお団子のように高い肉髻(にくけい)、
アーモンド様のくりっと浮き出たおめめ
(宇宙人みたい!とのご意見もありました)、
下半身裏側の衣の稜線に連続して鏨(たがね)を打ち
込んだ模様、台座の返り花など、白鳳時代にさかのぼる
古い特徴を充分に鑑賞することができます。
実は、このお像、レプリカの展示は、当館の常設展で
いつでも見られますが、実物は、秘仏中の秘仏なので…
展示公開されるのは…
恐らく「48年振り!」のことなのです!!
今回、満願寺ご住職の特別のご配慮により、公開させて
頂いております!!
次は、いつ見られるか分かりませんので…是非、今回の
展示にご来館なさり、茨城最古の白鳳仏にお会いください!!
今回の不動院展では、多くの関連寺院の皆様のご協力を
頂いております。
その中から、こちらで情報提供可能なものをいくつか
ご紹介させていただきます。
まず、北須賀山満願寺所蔵品をご紹介いたします。
満願寺は、天平12年(740)年、行基が法相宗として開山し、
弘仁2年(811)最澄が天台宗に改めたといい、
承久2年(1220)北条政子が鹿島神宮参詣の折に立ち寄り、
三浦義村に地蔵菩薩を奉納させ、供養料百貫文を奉納し
たという古刹です。
満願寺は、文禄4年(1595)、肥前名護屋城で朝鮮出兵
をひかえていた江戸崎城主・芦名盛重より、特に御祈祷
精誠であるにより、不動院法会において甘江院が荒廃し
ている間、第二席に座すことを許されています。
そうです、満願寺は、江戸崎不動院の末寺頭の第二席なん
です。
まず、開山の年代ですが、大変古い年代を挙げられる寺院
が多い中で、満願寺は寺の草創の時期よりも100年ほど古い
時代の仏像が存在しています。
それは、銅造如来立像(№119)です。
このお像は、茨城県最古の「白鳳期」(西暦600年代後半)
の制作とされ、茨城県指定文化財になっています。
火災の被害が痛々しいお顔は、上顎から下が焼け落ち、
上半身も熱を受け少し溶けて表面が荒れているようです、
それでも頭部のお団子のように高い肉髻(にくけい)、
アーモンド様のくりっと浮き出たおめめ
(宇宙人みたい!とのご意見もありました)、
下半身裏側の衣の稜線に連続して鏨(たがね)を打ち
込んだ模様、台座の返り花など、白鳳時代にさかのぼる
古い特徴を充分に鑑賞することができます。
実は、このお像、レプリカの展示は、当館の常設展で
いつでも見られますが、実物は、秘仏中の秘仏なので…
展示公開されるのは…
恐らく「48年振り!」のことなのです!!
今回、満願寺ご住職の特別のご配慮により、公開させて
頂いております!!
次は、いつ見られるか分かりませんので…是非、今回の
展示にご来館なさり、茨城最古の白鳳仏にお会いください!!