今年も1月6日の武田信虎公誕生の日となりました。
以前もご紹介していますが、信虎公の誕生年は二つの説があり、
ひとつ目が明応3年(1494年)。
こちらは、『甲陽軍鑑』などを基にしていますが、信虎公の菩提寺である
大泉寺(甲府市)の過去帳や位牌に記された没年から逆算したもので、
定説的になってきました。
ふたつ目が明応7年(1498年)。
駒井高白斎が記したとされる『甲陽日記』などの記述を支持したものです。
近年では、戦国期に成立した記録の方がより正しい事実を伝えているのでは、
ということで、明応7年説が有力視されています。
逆算すると、信虎公は今年で525歳になるでしょうか。
当館でも解説は明応7年説を採用しています。
明応7年といえば、明応の東海地震があった年で、
旧暦の8月25日に発生し、太平洋側で大きな被害が出ました。
山梨市の窪八幡神社普賢寺に伝わった『王代記』は、
甲斐国内の各所で土砂崩れがあり、
金山も各所で被害が出たことを伝えています。
当時の甲斐国内は、信虎公の父で守護の信縄と
その実弟の信恵との間で守護の座をめぐる激しい争いが続いていましたが、
この地震の被害を受けて休戦したほどでした。
戦争と災害を乗り越えてたくましく成長し、
やがて甲斐国を統一した信虎公。
信玄公の飛躍の礎を築いた武将の誕生日が本日でした。
東海地震は、歴史で記録されているサイクルから行くと、
もう、いつ発生してもおかしくない状況です。
2022年が世界的に動乱や戦争、政治家や著名人が亡くなるなど
波乱の年でしたので、地震のことは忘れられがちですが、
日頃から災害への備えは怠りなくしておきたいものです。
特別展示室で配布中の御城印も
信虎公生誕を記念した寅朱印の信虎公バージョンに変わっています。
今回の配布は、1月9日(月・祝)までとなっていますので、
御城印を集められている方は、この機会にぜひ。