当館では、戦国大名武田氏館跡の発掘調査の成果をご紹介しています。
自然、展示されるものは、戦国の日常を紐解くものになりますが・・・
2021年より、信玄公の甲冑を再現したものが、展示品に加わりました。
再現の元となったのは、信玄公の弟・信廉が描いたとされる
「武田信玄画像」(山梨県立博物館所蔵)
甲冑の美しさは、兜だけに集約されているわけではありませんが、
どうしたって最初に目がいくのは兜、とりわけその前立物でしょうか。
それもそのはず、前立物は、平安中期ごろから、
大将の標識として用いられるようになったので、目立たなくては、意味がありません。
前立物は、当初から、その形ゆえに「鍬形」と呼ばれましたが、
昆虫のクワガタの顎が由来ではなく、「鍬形」→「クワガタ」だそうです。
「鍬」ということは、前立物「鍬形」の由来は農具なのかといえば、そうとも断言できず。
葉が鍬に似ている「クワイ」由来説もあり。
確かに、クワイは「芽が出る」→「目が出る」で、
縁起の良い食べ物としておせち料理の定番です。
火の形、鹿の角説もあるようです。
火、炎もエネルギーを感じますが、鹿はどうでしょう。
鹿×武士=狩り・・・!?
去年の大河ドラマ鎌倉殿の13人でも「富士の巻狩」のシーンがありましたが、
狩りは、武士たちの軍事訓練であるとともに、神意を問うもの。
鹿などの動物は、獲物である以上に、
神性・超越性を帯びた存在で、メッセンジャーでもありました。
また、鹿は「権力者の地位」を例えるのにも使われます。
そう考えると、前立物の起源が鹿角のデフォルメ、という説もありかもしれない!?
この鍬形、室町時代には、中央に剣形を立てた「三鍬形」となって流行。
室町末期になると、下克上の風潮の中、
本来は大将の印だった「鍬形」が一般化して、大将がいっぱいに💦
そして、戦に勝つため、小型化と軽量化が図られ、西洋の甲冑の影響をうけた
甲冑一式「当世具足」の誕生の頃、斬新奇抜な「変わり兜」が登場します。
・・・
話は、信玄公がお召になったかもしれない兜の話に戻ります。
今回、肖像画をもとに再現された兜は三鍬形兜↓
菊唐草の透かし彫りに、家紋である花菱紋の鋲があしらわれた鍬形台に、
「三鈷剣(さんこけん)」形式の前立てが中央にはめこまれています。
三鈷剣とは、柄に密教法具の「三鈷杵(さんこしょ)」をかたどった剣。
不動明王は、この三鈷剣で、魔を退散させ、
人々の煩悩や因縁を断ち切ると信仰されました。
生前、京より仏師を招いて、自らを不動明王として模させた信玄公。
武田氏館跡の絵図によれば、その北東・鬼門に不動堂が配置されており、
信玄公自ら、三鈷杵を持って不動明王に祈りをささげたのかもしれません。
自らの煩悩を破り、あらゆる苦しみに煩わされず、
生きとし生きるものを救い出す不動明王に・・・ならんとしたのでしょうか。
残念ながら信玄公の三鍬形兜は現存していません。
ただ、他の方の兜は残っていますので、雰囲気だけ。