戦の時、信玄公が懐中に忍ばせた烏天狗・飯縄権現。
先ずは烏天狗のことが知りたくて、
カラスと天狗のイメージを眺めてみると、どちらも太陽や炎と関係が深く、
天(あの世)と地(この世)をつなぎ、神さまの案内役も務めるなど、
いくつか共通点が浮かび上がってきて・・・
烏天狗=山という異界に棲む、炎のように輝く黒鳥の擬人化という印象です。
烏天狗など、天狗と言えば山伏の装束を着ているイメージですが、
奥深い山の中=異界に住むと言われる天狗と、
全貌が見えないながらも、峰中で厳しい修行に挑む山伏の姿、オーバーラップしなくもありません。
実際、修行を終えて山から下りてきた修験者の様子は、
尊いような恐ろしいような、まさに天狗さながらだったという話も各地に残るようで、
人々は、山籠もりから帰ってきた修験者に、天狗という山神を見ていたとも言えます。
一方、当の修験者が目指したものは、まさに天狗の境地!?
というのも、修験者の究極の目的は、柱源(はしらもと)の境界を得ること。
つまり、天と地を結ぶ境地を得ることであり、それほどまでに意識レベルを高めることだとか。
でも、これって、カラスや天狗の得意分野。
修験者にとって、烏天狗は修験の道を究め神の域まで達した姿の象徴だったのかもしれません。
・・・
飯縄権現は、戦国武将たちが篤く信仰した戦勝の神ですが、
古くから山岳信仰の霊山であり、修験の場として栄えた飯綱山を発祥とします。
※飯縄山は、長野県北部の1900mを越える山です。
一般に飯縄権現は、白狐に乗り、剣と索を持った烏天狗で表されますが、
山伏の装束は身につけない一方で、さまざまな神仏の要素も合わせ持つ、
実はとっても欲張りな😉 お姿で表される神さま。
信玄公が懐に忍ばせたと伝承される飯縄権現像が、
具体的にどのようなものだったのか、わかってはおりませんが、
例えば、高尾山薬王院のご本尊飯縄大権現(江戸時代)は、
不動明王、迦楼羅天、歓喜天、ダキニ天、宇賀天、弁財天の五相合体!
飯縄権現は烏天狗の力を持ち、且つさまざまな神通力を合わせ持つ神さま。
領土を守り、拡大する宿命を背負った戦国武将たちにとって、
その力によるご加護は、とても素通りなんかできるものではなかった・・のではないでしょうか。
信玄公ゆかりと伝承される刀八毘沙門天と、
飯縄権現の授ける飯縄法の本地仏・勝軍地蔵尊(円光院(甲府市)所蔵)
・・・
戦国時代、さまざまな神仏が同時に信仰されたのは、
信玄公の拠点、躑躅が崎館の城下町に移転、建立された神社仏閣からも理解されるところ。
また、躑躅が崎館のプライベートエリアにも、「不動堂」、「毘沙門堂」、
そして「飯縄堂」といった祈りの場があったのではないかと言われています。
信玄公の飯縄権現像は、普段はこの「飯縄堂」に安置されていたのかもしれません。
「信玄公屋形之図」(一部)(江戸時代)より
こちらは、大泉寺(甲府市)所蔵の「武田信玄画像」
もしかして、その懐に飯縄権現像!?
そう思って観ると、新たな信玄公像が見えてくるかも!?
ただ今、当館特別展示室では、信玄公生誕500年を記念して、「遺産から語る武田信玄」を通年で開催中。
5月1日からは、大泉寺所蔵の「武田信玄画像」をご覧いただいております。
よろしければ、お立ち寄りください。お待ちしております。
最後までお読みいただき、ありがとうございました🙇💦💦💦
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