火災から立ち上がった信玄公

2021-01-22 13:50:20 | イベント
信玄公が父信虎公を駿河へ追放した2年後、
天文12年(1543)のことです。
1月3日に大風が吹き、
信玄公の屋敷(躑躅が崎館)が家臣屋敷からの出火により類焼します。
さらに、2月24日にも別の家臣屋敷からの出火により影響を受けます。
信玄公は、火事の後、しばらく直近の家臣の邸宅に移っていましたが、
新しい居館を造らせ、3月20日に「常の間(つねのま=居間)」の御柱を
立て、4月6日には上棟式(お建て前)を行ったようです。
2回の火災以降、信玄公は戦国城下町甲府の整備を本格的に進めました。
(参考文献『甲陽日記(高白斎記)』)

<補足>
1月26日は「文化財防火デー」です。
昭和24年1月26日、現存する世界最古の木造建造物である
奈良・法隆寺の金堂が炎上し、壁画が焼損したことに基づいています。
昭和30年以降、毎年1月26日を中心に全国で
文化財防火運動を展開しています。


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