今日は2月26日(金)
武田信玄公の生誕500年となる、2021年11月3日まで、あと250日!
2月26日は2(つ)2(つ)6(む)で、ラッピングの日でもあります。
でも、包まれるものは、なにも物だけではありません。
私たちもまた、衣服などに包まれて、、日々過ごしています。
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大河ドラマなどでも、時に話題になる武将たちの衣装。
着物のスタイルもいくつかあり、かっちりとした決まりは特になし。
でも、時代を動かした武士たちが好んだのは、身軽で動きやすい庶民派の発展系。
例えば、丸襟の水干が基となった「直垂」(ひたたれ)も、
江戸時代には裃(かみしも)として発展していく「肩衣」(かたぎぬ)も、庶民などの日常着を武家風にアレンジしたもの。
生地は、礼服には絹、そうでなければ麻だったとか。
肩衣の下に合わせたのは「小袖」と袴。
女性的なイメージの小袖ですが、こちらは、もともとはお公家さんの下着。素材はやっぱり絹。
それが、庶民の日常着となり、武士の表着に。
染色技術の向上もあり、絞り染めの「辻が花」など、美しい染や模様が施されていきます。
絹に麻。でも、なにか忘れていませんか。
・・・
そうなんです。
今の時代、シルクや麻よりも、一番身近な素材は綿、コットンかと。
綿の伝来は、記録上、平安時代。
漂着したインド人により、綿の種子と栽培法がもたらされます。が、根付かず。
よって、当時の日本では、綿と言えば輸入物で、高級生地として扱われました。
16世紀、中国や朝鮮からの種子が持ち込まれ、土地との相性も良かったのか、
日本での連続した栽培がいよいよ始まり、東北以外の全国各地に広まっていきます。
時代は戦国、綿の需要はどんどん高まって・・・
というのも、綿は衣服だけでなく、実は軍事用にも不可欠な素材になっていくのです。
身に付ければあたたかく、柔らかいのに破れにくい。だから、戦闘服にはうってつけ。
それ以外にも、陣幕!
旗指物にも!
さらには、火縄銃の火縄としても、優れた素材でした。
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武田氏館跡からも、炭化した「ワタ」の種子が出土しています。
天文年間、館は2度の火災(1533年、1543年)にみまわれていて、
いずれかの時に複数種の種子も焼け、廃棄されたものが出土しています。
種子の中には、綿も含まれていることから、武田氏の領内でも、自給的目的か商品作物としてか、
いずれにしても、綿がある程度、計画的に栽培されたと考えられています。
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1521年。500年前の今日、大井夫人、妊娠2カ月。
ご本人もご存じなかったかもしれないけれど、、
その後、無事に生まれ、「太郎」と名付けられた赤ちゃんも、
おくるみに包まれて大切に育てられたはず。
当時のおくるみって、どんな素材だったのでしょう。
やっぱり絹?それとも・・綿?
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