歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

先人のチカラ~「輪中の城めぐり」

2023-01-17 08:33:27 | 岐阜県
位置ゲーアプリ「ニッポン城めぐり」の
地域限定城めぐり「輪中の城」・・・

この中に、かつての美濃・高須藩の城も含まれていたのです。




高須藩といえば、高須四兄弟!↑
10代藩主・松平義建の息子四人を指します。

次男:尾張徳川家、第14代慶勝
五男:一橋徳川家 第10代当主茂栄
七男:会津松平家 第9代当主容保
八男:桑名松平久松家 第4代当主定敬

凄い面々です!
これは、ぜひとも行ってみたい、いや行かねば。
高須のお城へいざ!


(海津城を模したと思われる、海津市歴史民俗資料館)



・・・ところで、「輪中」って何?
と予習をしてみたら、驚愕。
現地に出かけ、木曽三川(キソサンセン)を目の当たりにして、
その迫力に、さらに驚愕しました。



本日は、「輪中って何?」編です。

「輪中」(ワジュウ)は、
低地で、洪水を防ぐため、集落ごとに巡らせた堤防のこと。
高須藩高須輪中も、その一つでした。

とにかく、木曽三川の画像をご覧下さい!

(木曽三川公園の展望タワーから)


これが木曽三川

この日、雨は降っていましたが、もちろん洪水ではありません。
これが普通の状態です。

木曽三川」と呼ばれる、揖斐川、長良川、木曽川
濃尾平野の一部、岐阜県の南端(海津市など)に集まります。

このあたりは、標高ゼロメートルの低地で、昔から洪水に悩まされ、
明治の中頃までは、80もの輪中があったとか。

現在は、その輪中を大きな堤防が囲っています。



今は全体を堤が囲む。中央のまっすぐな道路の奥の集落が高須輪中)


このあたりでは
四刻八刻十二刻(シトキハットキジュウニトキ)」と
言い伝えられてきました。

雨が降ると、西から、8時間(四刻)後に揖斐川
16時間(八刻)後に長良川が、24時間(十二刻)後に木曽川が増水、
悪くすると、洪水になるのです。


(川の向こうに、また川が・・・小さく緑の川の標識が見える。)


また、「十年に一作、稲が実れば御の字」との言葉も知りました。
(村木嵐『せきれいの詩』16頁)
田植えまでに、流れ込んだ泥を片付けられないし、
しょっちゅう洪水に襲われるし・・・ということで、です。

小説の引用ながら、これは取材による根拠のある言葉では
ないでしょうか。



輪中の中を車で走ると、
今でも民家が石垣の上に建っていることに気づきます。
言うまでもなく、洪水への備えです。

かつて、豊かな家では、庭に母屋よりも土台を1m以上高くした
「水屋」という建物もあったそうです。
これは輪中が洪水に襲われた時の避難用。
また「屋敷森」として、家の周りに木を植えたそうです。

水屋を持たない家は、
助命壇」という共同の避難所に逃げ込みます。

もっとも、今回は、屋敷森も、水屋も見かけませんでした。
今では必要がなくなったということなのでしょう。



といっても、個人や集落のできることは、限られています。
やっぱり頼みは大がかりな治水工事。

江戸時代には、薩摩藩が幕府に命じられ「宝暦治水工事」を行い
千本松原」こと「油島締切堤」(アブラジマシメキリテイ)を築きます。
(薩摩藩の工事については、いずれまた)


(「堀田」。かつての農業を伝えるため海津市歴史民俗資料館前にある)


明治時代には、政府が、木曽三川流域の大がかりな工事を行いました。
担当したのは、オランダ人の技師デ・レーケ
おかげで、大幅に洪水が減ったのです。

それでなのでしょう。
木曽三川公園に、風車のモチーフがあったり、
チューリップが植えられていたりしたのだと納得。
オランダ人、デ・レーケさんへの感謝の念なのでしょうね♪



このほか、木曽川長良川の堤防「背割堤」を造るなどした
分流工事は1900(明治33)年に終了、
流域一帯は、肥沃な土地が広がるようになりました。

ところが「天災は忘れた頃にやってくる」。
1959(昭和34)年の伊勢湾台風
1976(昭和51)年の台風17号による「安八洪水」・・・

この二つの洪水の後、さらに木曽三川の堤防の補強工事が
徹底的に行われ、以後、大きな洪水はないとか・・・



海津市付近は、川の上流から、たっぷりと栄養を含んだ土砂が
絶え間なく運ばれるため、肥えた土地です。
洪水で悩まされなくなれば、農業に適しています。

今ではトマトや甘長ピーマンなどの特産物が作られ、
ウナギやナマズの養殖が盛んとなっています。
またレガッタなどのレジャーも人気とのこと・・・

水害を乗り越えた先人の苦労が、今、実っているのですね・・・




木曽三川公園のタワーから眺めた景色は、
三つの川が、それはそれは大迫力で・・・
さらに令和の今も、かつての水害への備えが伺える土地柄に
人間の力って、すごいなぁ・・・
しっかり生きていこう、と励まされたのでありました。

全然知らなかった岐阜県・海津市
輪中」「高須藩」から、たまたま知っただけですが・・・
知らないことが、まだまだあって、旅も歴史も、本当に面白い!
ますます、のめり込んでおりますw

******************
最後まで、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。

本文は、以下の図書の他、
木曽三川公園センターの展示や現地の案内板なども参考にまとめています。
間違いや勘違いもあるかと存じますが、素人のこととお許し下さいませ。

◆参考
●監修・指導:千葉昇 文・写真:渡辺一夫
『低地の人びとのくらし』(「日本の国土とくらしー第1巻)ポプラ社
●松田之利ほか『岐阜県の歴史』山川出版社
●村木嵐『せきれいの詩』幻冬舎

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