歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

船乗りだった叔父のこと

2024-08-26 07:58:40 | いろいろ

従軍カメラマンだった祖父の遺した、
太平洋戦争下から戦後日本の写真を孫がたどる。

孫のマリアンさんもカメラマン。
アメリカ出身で、現在はオランダで家族と暮らす。
調査のために来日したものの、祖父の軌跡に悩むばかり・・・

あるとき、かつての祖父がそうしたように、
皇居のお濠端でカメラを構えると・・・
トンボが一匹、すっとよぎっていく。

こんな偶然ってあるかしら、すばらしいことよ!」と、
マリアンさんは涙を浮かべる・・・

聞けば、トンボは亡き人の心を運ぶと言われるそうだ。
(うろ覚えなのだが・・・)

とにかく、トンボによって、祖父が励ましに来てくれた
そんな感覚を彼女は抱いたのだった。



トンボ・・・

現在80代の我が母も、かつて、毎年、似たようなことを言っていた。

時は昭和、もう何十年も前のこと・・・

母の妹である叔母の夫は、タンカーの船員さん。
見上げるような巨体ながら、いつもニコニコと穏やか、
幼い娘のことも、丁寧に「〇〇さん」と呼ぶような人だ。

叔父の留守中も、帰国後も、
我が家と叔母一家とは、しょっちゅう行き来した。

だからだろうか。
あの頃、「日東紅茶が」せいぜいの時代に、
ウチでは「ジャクソン」や「トワイニング」などを
ふんだんに楽しんだものだ。全て叔父の土産である。

姪のわたしにも、寄港先から、よく絵ハガキをくれた・・・

でも、「小公子」や「小公女」が大好きな少女に、
砂漠の絵はがきじゃね・・・💦
正直、ちっとも興味をもてず、お返事も書かなかった・・・


とはいえ、幼い私にですら「叔父ちゃんは大きくて怖そうだけれど
優しいなぁ、普段家族と離れているからかなぁ」と
感じられた。
決して、声を荒げない、そんな人だった。



時は流れ、わたしが十代の終わりの頃。

夏休みにぼんやりしていると、
母が私のもとに駆け込んできた。
「叔父さんが倒れた、もうダメなの!」と、泣きながら・・・

ワケがわからず、固まるわたし。
あんなに取り乱した母を見るのも初めてで、衝撃だった。


やんぬるかな。
叔父がシンガポールで倒れ、大病が見つかったとの知らせだ。
叔母が急ぎ迎えに行き、連れ帰ってきたものの即入院・・・
もう、なすすべもなかったという。

叔父は40代、従妹は上が中一、弟は小学校に上がったばかりだった。

それからは、まだ祖父母も元気だったので、
母の弟家族も含め、皆が一丸となって、
叔父叔母・子ども達のサポートをする。

先頭に立ったのは、長女夫婦、わたしの母と父だ
父は事務的な事柄に心を砕き、母は毎日の暮らしを細やかに気遣う・・・

やがて叔父は、病室で受洗し、
かねてからの望み通り、カトリック信者となる。
もう安心したのか、その夏のうちに天国へ旅立った。



それから・・・

毎年、お盆の前になと、母が言うのだ。
今年も叔父さんが来てくれた」と。

実家の前に母がいると、
立派なトンボ(オニヤンマ?)が飛んでくる。
トンボは、母のそばをグルグルとまわり、離れようとしない。

「あれは身体の立派だった叔父さんね・・・
わたしとお父さんが、<妹>一家の面倒を見ているから、お礼なのね。
これからもよろしくって、お願いもされているんだわ・・・」
と、母は言っていた。

わたしも、何度か居合わせたことがあるが・・・
なかなか見かけない、立派なトンボだった。

母は、そのトンボに
「大丈夫よ、これからも<妹>ちゃん一家のことは
ちゃ~んと助けていくから、安心して・・・」と声をかける。
すると、しばらく旋回して、トンボは去って行く・・・



その後、叔父は大変な苦労人だっと、母から聞かされる。

両親を広島の原爆で亡くしたのだそうだ

叔父と妹二人の子ども三人は、
市内におらず、無事だったものの・・・
両親は行方不明。

大人になってから、叔父は、八方手を尽くして調べたのだけれど、
両親のことは全く分からなかったという。

だから、あんなに家族を大事にし、
私にまで優しかったんだね・・・

いろいろなことに、うなずけるようになったのは、
叔父の何度目の記念式(仏教でいう法事)だったか・・・
幼い頃、絵はがきの返事を出さなかったこと悔やまれてならなかった。



叔父の葬儀では十代の私も、いまや立派なシニア。
中学生だった従妹だって、アラカンだ。

その後、叔母は、専業主婦から奮起、在宅ワーカーとして働き、
子ども二人を育て上げ、人並み以上の教育もしている。

けれど、頑張りすぎたからだろうか、認知症を発症、
早々に施設に移ってしまった。


今、叔母夫妻から、たまらなく話を聞きたい。
やっと、やっと、いろいろなことがわかる年齢になったのに・・・

**************

想い出話にエンエンと、おつきあいいただき、
どうもありがとうございます。

📷冒頭画像は、2022年秋、上越で撮影しました。
(今年は全然外に出ないので、画像がなくて・・・🙇)
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