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12月に奈良を旅したおり、
ちょこっとだけ平城宮跡を歩きました。
その「歴タビ」記事の前に、まずは、ちょこっと長屋王について
備忘録を兼ね、まとめておきたいと思います。
【長屋王事件】
奈良・平城京で起こった長屋王事件。
長屋王(ナガヤオウ)が、聖武天皇の皇太子・基皇子(モトイノミコ)を呪詛し、
死に至らしめたと嫌疑をかけられ・・・
結果、神亀6(729)年2月12日、
聖武天皇から死を命じられ、自死した事件です。
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(建部門<東院南門>平城宮跡歴史公園)
【長屋王事件のゆくえ】
基皇子は、聖武天皇と妻・光明子との間に、ようやく誕生した男子。
聖武天皇は、この子を、わずか生後30日で
皇太子に立てたほど喜んだだけに・・・
1歳足らずで亡くなったことは、どれほど衝撃だったか・・・
しかも、それが呪詛による死と聞けば、
頭に血が上るのも無理なからず。
天皇とはいえ、まだ27歳の若い父親ですから・・・
呪詛の密告を受け、2日後には、長屋王を自死させてしまったのです。
どう考えても、もう少し調べておくべきだったはず・・・
案の定、
数年後、長屋王は無罪とわかります。
当時、この事件が冤罪だったことは、公然の秘密となったのでした。
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(朱雀門を眺める。平城宮跡歴史公園)
【「大化の改新」の影響】
ここで少し、時代をさかのぼり・・・
皇極天皇4年(645年)の「大化の改新」。
立役者は、中大兄皇子、大海人皇子、中臣鎌足、
それぞれ、後の天智天皇、天武天皇、藤原鎌足です。
わたしたちにとっては、遠い遠い昔のできごとですが、
長屋王の事件があった頃からいえば、80余年程前のこと。
令和のわたしたちが終戦の頃を思うのと同じくらいでしょう。
(平城京の頃と、今は平均寿命が違いますがw)
長屋王の時代は、「大化の改新」の曾孫の世代、
まだまだ、その関係者には生々しかったはず・・・
大化の改新からあと、藤原京・平城京の時代は、
兄・天智天皇系が皇位を継いでいました。
(ご参考までに、下の系図をご覧下さい)
天智の娘・元明天皇、孫・元正天皇、
どちらも曾孫の聖武天皇が即位するまでの
「中継ぎ」的な女性天皇でした。
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(遠山美都男『天平の三皇女』33頁より)
【長屋王の血統】
一方の長屋王は弟・天武天皇の孫ですが・・・
妻は元正天皇の妹・吉備内親王、天智天皇の孫です。
つまり、二人の子どもである、膳夫(カシワデ)ら4人の男子は、
天武の曾孫であるだけでなく、天智の曾孫なのです。
聖武天皇の子である基皇子は、天智の系統ではありますが、
母は臣下の藤原氏出身の光明子。
そもそも、聖武天皇自身も、母親は、同じく藤原氏の宮子なのです。
血統的には、息子や妻も含め、
長屋王が皇位を継承してもおかしくありません。
そのことが、藤原氏に長屋王を危険視させた・・・
長屋王自身が息子の皇位継承を願った・・・
などなど、あれこれ想像をかきたてられ・・・
1300年後の今も、フィクションが誕生するのでございます♫
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【「長屋王事件」を扱ったフィクション】
わたしが読んだフィクションは、
里中満智子『長屋王残照記』(講談社)と葉室麟『緋の天空』(集英社)。
里中版の長屋王は、あくまでもクリーン。
高潔な人物です。
自分の血筋を意識すればこそ「皇室の藩屏(ハンペイ=護る人・立場)」として
まっすぐに生きようとします。
一方で葉室版では、高潔な人柄は長屋王の息子・膳夫に凝縮され、
父の長屋王は、息子の膳夫に皇位を継承させようと
腹黒い企みすら実行します。
といっても、私利私欲からではなく、台頭する藤原氏を抑えるためです。
もっとも、この「皇室の藩屏」の意識は
長屋王に邪心がなくとも、一方で不遜と誤解を与えかねないこと
だったと指摘されることでもありました。(瀧浪72頁)
結果として、それが「長屋王の変」につながったのでしょう。
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【プロローグ!?】
えんえんと、ここで長屋王について語ったのは・・・
これからアップしたい記事、平城京めぐりのプロローグなのです。
葉室麟『緋の天空』に刺激を受けまして・・・
記事を更新した暁には、またお訪ねいただけると嬉しいです。
まずは、本日も、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。
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本記事は、以下の図書を参考にまとめましたが、
わたしの勘違いや思い違いもあるかと存じます。
素人のこととお許し下さいませ。
◆参考
●瀧浪貞子『光明皇后』中公新書
●遠山美都男『天平の三皇女ー聖武の娘達の栄光と悲劇』河出文庫
●里中満智子『長屋王残照記』講談社コミッククリエイト
●葉室麟『緋の天空』集英社文庫