歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

横須賀さんぽ~プロローグ

2023-09-22 16:40:38 | 神奈川県
先日、イベントで横須賀へ出かけた。

同じ神奈川県内とは言え、ヨコヨコ道路(横浜横須賀道路)を
車で走るならまだしも、電車に揺られて、横須賀へ行くのは
やっぱり遠いなぁと感じた。

京浜急行の特急や快特はバンバンぶっ飛ばすので、
時間にすれば大したことはないのだけれど、
めちゃくちゃ揺れて、座れないと悲惨。

そんな電車で、かつて父は横須賀へ通勤していた。

横須賀へ向かう車内で、父は大変だっただろうなぁと
今更ながら思う。

もう半世紀近く前の話。
横須賀にゆかりの山口百恵さんが大活躍していた頃のことだ。




父は、横須賀市追浜(おっぱま↑)の職場に中間管理職として赴任した後、
転勤、その数年後、トップとして戻ることとなった。

とても珍しい例だそうで、
つきあいのあったお客様が、それはそれは歓迎して迎えてくれたという。


その頃、わたしは父と夕飯をとった記憶が無い。
毎晩のように飲んで帰ってきて、ご機嫌で夜更けにチャイムを鳴らす。
タクシーで乗り付けることも、しょっちゅうだった。

ある日、母が、小学生の弟を連れて、
父の職場へ出かけると、弟が言ったそうだ。

「お母さん、隣りにバー〇〇ってあるよ。
お父さんは、いつも、ここで飲んでいるんだね」と。

今でも、母が嬉しそうに語る笑い話だ。



酒好きというよりは、みんなでにぎやかに過ごすのが好きだった父。
そんな父にとって、当時の追浜は魅力的な街だったはずだ。

残念ながら、追浜に、かつての勢いはないようだが・・・
今だって日産やオカムラ、住友の造船所がある。

また、市内にはアメリカ軍が寄港し、防衛大学校だってある。

父は、酔って機嫌が良くなると、よく私に言ったものだ。
「防衛大学校のヤツと結婚しろ。探してやるぞ。
戦争になったって、エラいヤツは戦場に行かないから安心なんだ」と。


太平洋戦争中、軍国少年だったであろう父なりの感覚だったのかも知れない。
当時は、そういうことを言う父が、
生意気盛りの娘には、嫌で嫌でたまらなかったけれど。


追浜だけでなく、当時は、サラリーマンにとっても
良い時代であったのだろう。
そして、父のサラリーマン生活の中でも、
1番幸せだった頃なのだと思う。

身びいきのそしりを受けるかも知れないが
父は人が良く、義侠心に厚く、誰からも好かれる人だった。

父が、彼の地から転勤になっても、長く元部下との良い関係は続き、
毎年のように、父は、母を伴っての食事会に招かれていたほどだ。

それだけではない。
父亡き後も、かつて部下だった女性グループが
母を招いて食事会を続け、
なんと、母の今の住まいにまで訪ねてきてくれたという。

皆さんに、父がどれだけ慕われていたかと思うと、
ありがたくて胸が熱くなる。



横須賀といえば、私と同世代以上の方なら
先にも述べたように、山口百恵さんだろう。
大ヒット曲「横須賀ストーリー」で知られるが、
彼女自身も、小学生からデビューまでを、この地で過ごしたという。

横須賀という土地の独特な響き(イメージ)。

彼女がデビューしたとき、陰があるだの大人びているだのと
言われていたが、少し年下の私は「だって横須賀だもん」
などと感じていたものだ。

おそらく両親や大人の話から、
【山口百恵=横須賀】のイメージを作り上げていたのだろう。



横須賀・・・

幕末のペリー来航に咸臨丸のアメリカへの出航、
そして海軍鎮守府。
戦後はアメリカ軍の寄港地・・・

何となく知っている気になっていたけれど、
実は追浜はもちろん、横須賀は数えられるほどしか
出かけたことがない。

最初に述べたように、車で行くならまだしも、
電車で行くには遠いからが大きい。
都内に出かけた方が、よっぽど楽だし近い。


でも、ずっと、横須賀を、ゆっくりと歩いてみたかった。

私の大好きな歴史の中でも、1番好きな時代。
幕末から近代にかけての日本の重要な一面を担った土地なのだから。

この度のイベントは、追浜でのウォーキングツアだった。
知らないことばかりで、ご案内に感嘆の連続。
帰ってきて、「軍港都市」をテーマにした本を開いてみれば
わたしの知識なんて、本当にお粗末だったことに愕然とさせられてもいる。


本当はウォーキングツアーを中心に
記憶が鮮明なうちに「歴タビ」をまとめておきたいのだが、
横須賀について知らなすぎて、それどころではない。

けれど、いつか、まとめたい。

今日は、まず、サラリーマンとして横須賀の日々を謳歌した父のことを、
書いておきたかった。

父の17回忌も、もう済ませた。
生意気な娘で、父とはケンカばかりしていたけれど、
それだけに父を想うと、自責の念に駆られ、
今も涙が止まらなくなっている。

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何とも中途半端な記事に、おつきあいいただいた皆さま、
どうもありがとうございます。

ウォーキングツアーで追浜の戦争遺跡を案内していただきました。
もう少し、わたしの情報や知識が整理できたら必ずまとめるつもりです。
どうぞ、その暁には、またお立ち寄り下さいませ。

◆参考(今読んでいる本)
高村聰史『〈軍港都市〉横須賀 軍隊と共生する街』吉川弘文館

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