リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

371. 雲蝶を訪ねて2泊3日の旅(6)曹源寺と秋葉三尺坊奥の院

2024年12月05日 | 旅行

▶石川雲蝶の旅3日目、最終編です。 



曹源寺の黄葉と紅葉のコントラスト

 

▶曹源寺の欄間には雲蝶の彫刻が2点、小林源太郎と言われる彫刻が8点あるそうです。

 貴渡神社を出たのは11時前でしたが、その後少し栃堀区事務所で区長の武士俣さんとお話をし、曹源寺についたのは11時35分頃。さほど遠くないところに曹源寺はありました。

 こちらにも大きな庭があり、美しい紅葉が楽しめました。広間も大変大きかったのが印象的なお寺でした。
 その大広間の廊下には合計8枚の欄間彫刻があります。内部も見せていただきましたが、この欄間彫刻に関心が向いていてあまり他の印象が残っていません。その中にきっともう2点の源太郎作品があったのではないかと思います。
 
住職のお連れ合いが東京の方で色々と話に花が咲き、奥の地蔵尊までご案内いただいたのはよく覚えています。「今度写真展をするときには連絡してください」と言われて大変嬉しく思いました。

 以下に豪華な2人の欄間彫刻を載せておきます。個人のお名前が写っていたり、余白に壁が大きく写る写真はその分を切り取りましたので、大きさはまちまちです。



三国志(唐人馬上の図) 雲蝶作


新田義貞公 雲蝶作



鶴に松の図 源太郎作


山鳥に松の図(雄雌) 源太郎作




新田義貞公 源太郎作








波に亀二匹の図 源太郎作


日本武尊命 源太郎作
 

  
延命地蔵菩薩



▶秋葉三尺坊奥の院

 曹源寺を出て秋葉三尺坊奥の院に午後1時頃到着。秋葉公園内ということで大きな駐車場があり、安心して車を停められました。奥の院もすぐそばに見えるのですが、人づてに聞いていたように周りを鉄の網でがっちり囲まれているため、撮影は大変難しい場所です。とくに私のように身長の低い人間には腕を精一杯伸ばして背中を反らせての大変な作業でした。辛うじて網の目からカメラを覗き、何とか写せたのが以下の写真です。ここは雲蝶と源太郎の共同制作だったとのことですが、看板の文章を頼りにご覧ください。



こちらが鉄の網に囲まれた秋葉三尺坊奥の院です。こぢんまりした建物でした。



















▶石川雲蝶の旅は終わりました。

 この日も曇り空で結構冷えていたので、すぐそばの食事処に入って鍋焼きうどんとラーメンを頼み、身体を暖めました。あとは帰路につくのみ。関越自動車道の途中で見えたこの山並みは何という名前なのか、ご存じの方は教えてください。湯沢インターの少し手前です。

 大変疲れましたが、見どころ満載の良い旅となりました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

370. 雲蝶を訪ねて2泊3日の旅(5)貴渡神社 その2

2024年12月04日 | 旅行

▶石川雲蝶の旅3日目 貴渡(たかのり)神社の続きです。

 


貴渡神社の十二支の一つ まるで仲良くお喋りをしているような猿と蛇ですね。

 

▶今回も貴渡神社です。蟇股(かえるまた)に彫られた十二支の写真を紹介します。

 十二支がバラバラに組み合わされているようで、現地で見ただけでは十二支とはわかりませんでしたが、家に戻って拡大してようやくわかってきました。どんな考えでこの組み合わせにしたのか興味が湧きますね。人物像では激しく闘う場面も多く彫っている雲蝶ですが、動物には優しい眼差しを感じてしまいます。私の思い込みかもしれませんが。



貴渡神社の蟇股 


貴渡神社の蟇股 酉(とり)と未(ひつじ)
 


貴渡神社の蟇股 亥(いのしし)と戌(いぬ)
 


貴渡神社の蟇股 側面 


貴渡神社の蟇股 申(さる)と巳(み)


貴渡神社の蟇股 残っているのは辰(たつ)なのですが、それは前号に載せた大きな彫刻でしょう。これは何でしょうね?


貴渡神社の蟇股 寅(とら)と午(うま)
 


貴渡神社の蟇股 丑(うし)と卯(うさぎ)と子(ねずみ) 最後の2枚は左右連続の写真がありませんでした。 

 

▶以上で貴渡神社は終わり、次回は曹源寺と秋葉三尺坊奥の院に移ります。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

369. 雲蝶を訪ねて2泊3日の旅(4)貴渡神社 その1

2024年12月03日 | 旅行

▶石川雲蝶の旅3日目は貴渡(たかのり)神社から

 


この日のメインは貴渡神社でした。中でも気に入った1枚がこの繭を煮る女性像です。


貴渡神社ー私たちのために門が開けられています。感謝!

 

▶心配だったのは、貴渡神社がナビに入れられなかったことでした。

 貴渡神社を訪ねるには連絡が必要とのことで、ホテルルートイン見附を出るときにまず栃堀区にあるという事務所に電話をかけました。すると拝観許可を快くいただくことができました。Googleマップにもナビにも貴渡神社は出てきません。ただ、ナビに住所を入れたところ、およその目的地が出たので、大体の方角はわかりました。近くに道の駅R290とちおがあることがわかったので、まずはそこを目的地としました。

 ちょうど9時過ぎにホテルを出発。道の駅R290とちおには10時前に着いたと思います。入口にインフォメーションがあったので地域の細かな地図をいただき、貴渡神社のそばに郵便局があると聞いて更に南下すること10分ぐらいだったでしょうか。その郵便局の表示が見えてきました。ここで車を停めて郵便局員さんに貴渡神社の場所を聞いたところ、歩いてすぐだとのこと。それなら車はここに置いて見に行けると胸をなで下ろしました。さらに、郵便局のすぐ隣に今朝電話をした事務所があったのです。ここが本に書かれている駐車場だったのでした。

 いよいよ貴渡神社の彫刻を見にいきます。神社らしき建物が見えてきましたが、ドアが開いていません。よく見たら名前が違うのです。変だなぁと探しながら郵便局方向に戻ると、何やら物置のような建物が見えてきました。近づくと門が開いていて、中がその貴渡神社だったのです。裏から通ったために全然気が付きませんでした。

 

▶写真を選ぶのに困りました。

 ようやくたどり着いた貴渡神社。既に『越後の名匠 石川雲蝶』(木原尚、新潟日報事業社)で素晴らしい彫刻が見られることはわかっていたのですが、いざ中に入ると本当に圧倒されました。今まで何度も見てきた獅子の彫刻も、ここではより一層躍動感にあふれていました。そのため、ここに載せる写真を選ぶのには大変苦労しました。結局ほとんどの彫刻を載せることになりそうです。


上2枚:正面向拝左右の獅子と獏 中:向拝中央の龍のアップ 下:正面全体


▶貴渡神社の彫刻の内容を簡単に説明しておきます。

 この内容は『越後の名匠 石川雲蝶』からいただいた知識です。拝観当時、まだこの本を読んでいなかった私は全体の繋がりはよくわかりませんでしたが、一つ一つの人物がとても穏やかで気持ちがなごみました。
 本によると、栃尾区で養蚕を推奨し、絹織物を始めた庄屋植村角左衛門貴渡を栃尾郷織物の祖神として霊を祀ったのがこの貴渡神社なのだそうです。知識のない私でも棚に並べられたのが繭だとはわかりましたが、最初に載せた女性像は繭玉を煮ているとはわかりませんでした。
 後から訪ねた栃尾区事務所では栃尾区長の武士俣幸村さんとお話を交わすことができました。
 武士俣さんのお話しによると、この貴渡神社の彫刻を、雲蝶は中国の人物像で彫ったので服装も日本人と違うこと、日本では繭玉は四角い籠に入れていたけれど、敢えて中国の丸い籠を彫ったことなどを伺い、更に理解が深まりました。

 このあと載せていく写真は羽目板の彫刻「蚕の飼育」と「機織り」の場面、脇障子の「繭煮」と「山桑摘み」の場面、そして最後が「戯れる十二支」となります。まずこの地域で盛んになったという栃尾郷の絹織物にまつわる場面を載せておきます。機織りの童子の後ろにある部屋の奥行きを感じさせる1枚は、雲蝶の力量に感銘を受けて載せました。十二支は次回に。

 

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

368. 雲蝶を訪ねて2泊3日の旅(3)本成寺と塔頭、そして五十嵐神社

2024年12月01日 | 旅行

▶石川雲蝶の旅2日目 本成寺と塔頭、五十嵐神社




この日のメインは本成寺とその塔頭でした。写真上:本成寺 下:その中庭の紅葉

 

▶石川雲蝶の旅2日目はガッカリしたり感動したり…。

 まずは民宿の萬代から十日町市博物館へ。ここには国宝の火炎形土器が無傷のまま展示されていて、全部で14点あるとか。5000年前にこの地に住んだ人々が遺した土器などがザクザク出たというのですから、十日町は当時大きな文化都市だったと言えるのかもしれません。

 三条市まで移動して本成寺に着いたときに困ったのは、細い道路をくねくねと曲がりながら進まなければならなかったことです。ようやく駐車場にたどり着いたときはホッとしました。そして庭の紅葉と黄葉の見事なこと。ご高齢の方々が手入れをしているようでした。
 ところが、事務所に入ろうとすると、この日は行事のために雲蝶は見られませんと書かれているのです。雲蝶の赤牛は火災の難を免れた本成寺唯一の彫刻だというのですが、三津夫はもっとたくさんあったはずだとガッカリしていました。年上のライバルでもある小林源太郎の白牛もあるようですが、いずれにせよ堂内に入ることはできませんでした。
 仕方なく、庭や墓地を回って最後に雲蝶のお墓を見つけ、ようやく溜飲を下げることができたのでした。

▶本成寺の塔頭を回って、なかなかの収穫を得ることができました。

 その後は周りを囲んでいる塔頭へ。最初の蓮如院で、中に入るには許可がいるため電話をしました。「今どこですか?」と聞かれ、「実は門の前まできているのですが…」というと笑い出し、「はい、わかりました。」との返事。ホッとしました。しばらくしてガラス戸を開けてくださった住職さんは、簡単に説明をしてから廊下で作業を続けていらっしゃいました。私たちは火災の際に信徒さんたちが持ち出して難を免れたという雲蝶の猿の彫刻と、位牌をゆっくり拝観しました。雲蝶の位牌が蓮如院にあることは、よく読むと本に書かれていたのですが、そのときは頭に入っていなかったため、望外の喜びでした。これだけでも手応え十分です。

 その後は外回りの彫刻がほとんどで、一軒だけ要住院は彫刻が出品中で拝観は叶いませんでした。

 以下にお寺の名前と作品写真を載せておきます。


蓮如院:雲蝶の猿の彫刻と位牌

 


静明院:魚と波が今にも動き出しそうですね。

 


久成院:ここでは亀が何匹か彫刻されていました。

 

▶本成寺から五十嵐神社に回りました。

 本成寺の塔頭で見られる作品は全部見て回り、五十嵐神社に向けて出発しました。途中少し休憩を入れて約1時間後に到着。
 ただ、ここの駐車場の位置がよくわからず、裏手の保育園らしき駐車場に車を留めさせていただき、裏山から細いつづら折りの坂道を登りました。石があるものの滑りやすく、行きは三津夫が、帰りは私が足を滑らせてヒヤッとする場面がありました。ぐるっと回ると結構歩くようにも見えたのですが、皆さまもここを登るときにはお気を付けください。
 


五十嵐神社:下から鳳凰、獅子、一番上はわかりませんでした。

 

▶最後はホテルルートイン見附まで一気に走りました。

 この日は大変寒く、朝、民宿を出た時にはみぞれが降っていましたので、上衣もしっかり着込んでの旅でした。

 ホテルルートイン見附に着くと、女性も男性も1階に人工ラドンの温泉がありました。女性はキーカードを渡され、その番号がないと中には入れないというので、安全面にも配慮されているようです。私は体が冷えていたため、温めたくて温泉に行ってみると、他には誰もいません。本当にゆっくり入浴することができました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

367. 雲蝶を訪ねて2泊3日の旅(2)西福寺・龍谷寺

2024年11月30日 | 旅行

▶石川雲蝶の旅1日目 西福寺の向拝彫刻です。

 


初日2番目に訪ねた西福寺の向拝・右 木目がえくぼのようにも見えます。

 


西福寺の向拝・左 



向拝・全体像



西福寺の向拝・中央アップ 烏天狗の目に迫力があります。


西福寺の向拝・烏天狗の上に見える彫刻アップ 暗いところでも目につくギヤマン 白い鳥は極楽鳥でしょうか。


西福寺の向拝・烏天狗の下にはこんなストーリーも彫られていました。


西福寺の向拝・左の側面 右側面はよく写せませんでした。

 

▶西福寺の内部については連れ合いのブログに詳しいのでご覧ください。

〔749〕1日目の続き、西福寺・龍谷寺を巡りました。〈雲蝶の旅 その3〉 - 後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

〔749〕1日目の続き、西福寺・龍谷寺を巡りました。〈雲蝶の旅 その3〉 - 後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

雲蝶観光の最大の目玉はなんと言っても西福寺です。永林寺からの車移動は容易かったです。赤や黄色の紅葉を楽しみながら車を走らせました。信号が少なく、車もまばらなので...

goo blog

 

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

366. 雲蝶を訪ねて2泊3日の旅(1)

2024年11月28日 | 旅行

▶石川雲蝶の彫刻を見に新潟へ行ってきました。



初日2番目に訪れた西福寺


▶石川雲蝶の彫刻について

 ブログ361号に書いたのですが、「越後のミケランジェロ」と言われている石川雲蝶という彫刻家がいます。
 写真展の初日に来てくださった方の中に雲蝶の彫刻を見てきた、感動したという方が2人もおられたのですが、ちょうど連れ合いがしばらく前から見たがっていたこの彫刻家の作品を私たちも見にいく旅を計画していました。写真展が終わって2週間経たないうちに出発したのですが、やはり噂に違わず雲蝶の彫刻も大変見応えのあるものでした。詳細は連れ合いが数歩先んじて書いていますので、そちらをご覧ください。


▶石川雲蝶の旅の日程

 以下に自分自身の記憶を留めるためにまとめた日程表を載せておきます。

 私たちが一番苦労したのは、ナビに目的地を入れることでした。なにしろ本をあちこち開いてまずは電話番号を入れるとほとんどのお寺や神社はすぐ出てくるのですが、中には出てこない神社もあり、あれこれさがしてようやく入力できたことがあったからです。もう一度訪ねたいとき、あるいはどなたか雲蝶の作品を見てみたいと思われた方がいたときに、せっかくメモした内容を捨ててしまうと勿体ないと思ったのです。私たちも取り損ねた写真を写しにもう一度ぐらいは行きたいと思っていますので、ここに載せておくことにしました。


**************************************
◆雲 蝶 の 旅◆
 2024年11月18日~20日

11月18日(月曜日)
  清瀬を7:08出発→ 途中で休憩を一度取る→堀之内ICで高速を下りる。 

(1)永林寺 魚沼市  10:55着
  
・演奏する天女像が有名
  ・欄間には鳥や様々な物語が描かれ、合計25点の絵画・彫刻がある。
  ・作品番号が実際の位置とバラバラで見つけにくかったのが残念。
  ・
蛙と牛の置物だけは撫でることができる。
  
・内部撮影一切禁止(販売用冊子あり)
  
・拝観客は最初私たちだけだったが後から二組ほど来た。
   〒949-7403 魚沼市根小屋1765 
   
☎025-794-2266 拝観・見学可

(2)西福寺 魚沼市 12:20着

  ・館内には女声のアナウンスが常に流れている。
  
・開山堂の天井には道元の物語彫刻があり、龍も彫られていた。
  ・開山堂の入口に大きな仁王像が一対立っている。
  ・内部撮影禁止(冊子あり)
  ・観光客がバスで大勢来ていた。
   〒946-0033 魚沼市大浦174 
   ☎025-792-3032  拝観・見学可

(3)龍谷寺 南魚沼市 14:16着  
  ・欄間彫刻2枚と障子を見る。
  
・内部撮影禁止
   〒949-7251 南魚沼市大﨑3455 
   ☎025-779-2020 拝観・見学可

  ◇この後、魚沼から十日町の越後妻有農家民宿 萬代へ行き、1泊
      〒949-8615 十日町市中条甲1369 
   ☎090-3145-0106 FAX025-757-1524

        *食事が美味しい! 特にご飯が美味しかった。


11月19日(火曜日)
(1)十日町市博物館
  ・国宝の火炎形土器40数点あり。
  ・展示に工夫がされていて見応えがある。

(2)本成寺  三条市
  ・雲蝶が住み込みで彫刻をしていた寺だが、焼けた後残ったのは赤牛のみ。
        (小林源太郎の白牛もある。)
  
・赤牛は行事のため拝観できず。雲蝶のお墓は見ることができた。
   〒946-0033 三条市西本成寺1-1-20 
   ☎0256ー32-0008 
拝観・見学要連絡(団体のみ受付) 

(3)本成寺の塔頭(外観はどこも可能 内部拝観に要連絡のものだけ☎)
  
・蓮如院:猿の置物 雲蝶の位牌  ☎0256-32-5203
  
・要住院(ようじゅういん):作品出張中   ☎0256-33-1886
  
・静明院(じょうみょういん):軒の上と両脇に彫刻ー獅子、本を読む老人など  
      ☎0256-33-3103
     ・久成院: 門に獅子、亀の彫刻    ☎0256-32-4866
     ・本照院  門に獅子、飛龍の彫刻   ☎0256-32-5220
     ・青蓮華院は見つからず   ☎0256-34-2688

(4)五十嵐神社  15:05着
  
・3枚の欄間彫刻:獅子と鳳凰はわかるが、あと一つはわからない。
   『越後の名匠 石川雲蝶』(木原尚)の37頁とは違う作品があった。
   〒955-0107 三条市飯田  
   ☎0256-46-4007

  ◇この後、ホテルルートイン見附 -中之島見附インター で1泊
   
〒954ー0112 新潟県見附市上新田町160−1 
   ☎0258ー61-5585 
   *お風呂が清潔で、ゆっくり入ることができて良かった。


11月20日(水曜日)
(1)貴渡(たかのり)神社 長岡市  10:18着
  
・栃尾郷織物発祥の神様を祀る神社:織物ができるまでの様子を彫っている。
  ・人物の表情がとてもよく彫られていて温かみがある。
  ・栃堀区事務所に駐車する。そのすぐ近くにある。
   〒940-0145 長岡市栃堀4344 
   ☎0258-52-3521 

(2)曹源寺  長岡市  11:35着
    ・上記貴渡神社から32分で着く。
    ・広い畳敷きの間に欄間が8箇所?:そのうち2箇所は雲蝶作、他は小林源太郎作。
          作者不明も多数あり。

    ・住職のお連れ合いが東京の方
    ・欄間彫刻を撮影(撮影OK)
    ・彼女の案内で奥の大きな地蔵尊のある一角へ。
     〒940-0241 長岡市北荷頃769甲  
          ☎0258-52-2791

(3)秋葉三尺坊奥ノ院 長岡市 12:58着
  
・雲蝶は烏天狗の3枚、源太郎が他の彫刻を担当した共同制作らしい。
  
・周囲を金網で囲っているため撮影には大変不向き。一眼レフなら編み目を通して撮影
   できたかもしれない。三脚を持ってもう一度訪ねたい神社 可能なら連絡をして門を開
   けていただきたいものだが…。 

          〒940-0227 長岡市谷内2(秋葉公園内)  
          ☎0258-52-2318(常安寺)

    ◇近くの食堂で昼食をとり、午後7時頃帰宅

**************************************

 次回からそれぞれのお寺や神社の様子を載せていきます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

365. 福田緑写真展No.3 「リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」終了!

2024年11月10日 | 日記

▶写真展は無事終了いたしました。

 


この彫刻は聖バルバラのレプリカで、留学時代にヴュルツブルクで購入してきました。
 菩提樹で作られていて、その手触りを味わっていただくために会場に置いています。中には「嬉しい!」と抱きかかえる方もいました。


▶写真展でお迎えしたゲストは210名となりました。

 途中で雨模様の日があり、さすがに来場者が10名という日もあったのですが、平均すると1日当たり約19名。少ない日は少ないなりにゆっくりとお話を交わすこともできましたし、充実感のある写真展となりました。おいでいただいた皆さまに感謝いたします。

 その中で連れ合いが西洋美術館でリーメンシュナイダー没後500年展をできないかなと言いはじめて「夢物語じゃないのかな?」と内心思っていたのですが、もし巡回展でも計画していただければ過去4回のリーメンシュナイダー作品が来日していることを思うと可能かもしれないと思えるようになりました。もしそれができれば、私は私で81歳にもなるため近場の大きめの会場で今まで撮りためて展示してきたリーメンシュナイダーのパネルを全部まとめて出展したいと思うようになりました。さらに、最近訪ね始めたロマネスク彫刻の逸品も展示できるかもしれません。夢は膨らみつつあります。連れ合いのブログもどうぞご覧になってみてください。
(雨避けのビニールをかけた私のポスターはよく見えないので恥ずかしいのですが、どなたかポスターなどをA1サイズでコーティングしてもらえる店をご存じの方は教えてくださいませ。)

〔742〕第3回福田緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」を終え、「没後500年・リーメンシュナイダー展」開催の夢へ邁進します。 - 後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

〔742〕第3回福田緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」を終え、「没後500年・リーメンシュナイダー展」開催の夢へ邁進します。 - 後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

2024年10月26日(土)から11月6日(水)まで、第3回福田緑写真展「祈りの彫刻リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」が、西武池袋線秋津駅徒歩1分のカフェギャラリー縁(えん...

goo blog

 

 

▶心に残る愛のエピソード(その2)

 連れ合いも受付の友人たちも深く感銘を受けた一人のお客様がいます。

 その方は11月4日にいらして、その後は最終日まで毎日ギャラリーに見えたのでした。しかも4日になんと写真集4巻まとめてご購入! 背中のリュックに3冊、手許に1冊お持ち帰りになりました。その理由が入院中のお連れ合いに見せてあげたいとのこと。お連れ合いは現在気官切開・胃瘻で寝たきりだそうですが、若い頃から絵を描き、結婚前に一人でヨーロッパを回った時には感想を度々彼にハガキで送ってきたとのこと。そのハガキをコピーしてお持ちになっていて三津夫と私に「よかったら読んでください」とおっしゃいます。そのお連れ合いが町や美術館を訪ねては心弾ませている様子が細かな文字でビッシリ書かれていて、それをご丁寧にワープロかパソコンで打ち直し、両方とも見せてくださいました。幸いあまりお客様が見えなかった時間帯でしたのでじっくり拝見し、その文面は、入院して絵筆を取れなくなったお連れ合いの若かりし頃を想像させてくれる内容で深い感銘を受けました。しかも、そのお連れ合いと一緒に私の写真集を見て楽しみたいという思いが伝わってきて、ご夫妻の愛情の深さを感じ取ったのでした。ありがとうございます。

 

▶遠方から見えた方トップ3のご紹介。

 一番遠方は東広島市に住んでいる若いご夫婦。彼らとは清瀬にいた頃に一緒に様々な会合に集ってきた仲間です。ときどき二人は上京し、年に1~2回会うこともあるのですが、この写真展に合わせて二人で来てくれるとは思っていなかったので殊の外嬉しく思いました。

 お次は愛知県に住む若い友人、光江さん。彼女とはドイツ、シュヴェービッシュ・ハルのゲーテ・インスティテュートで同じ時期に留学していて友人となりました。何しろ塩見の強いドイツ料理があまり口に合わず、懐かしく思える日本食を彼女と一緒に作ってはこのあと紹介する松本さんもご一緒に食べながら様々なお喋りをするのが息抜きとなっていました。ドイツから帰国するときには部屋まで荷物の詰め込みなども手伝いに来てくれて、最終日に見送りにも来てくれた光江さん。今回もお嬢さんと実家のある東京まで来て一人で訪ねてきてくれたそうです。朝一番に彼女が来たときにはびっくりしました。

 3番目に遠いのが浜松から来てくださった松本さん。彼とは寮でご一緒で、ドイツ語は私よりずっと先を行かれているため、時々宿題を教えていただいたりした準先生のような方です。写真に関しても大先輩で、私が知らないリーメンシュナイダー作品を写して送ってくださったり、『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』では最後の作品一覧に載せたライプツィヒの写真を提供してくださいました。

 ありがとう!!

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

364. 福田緑写真展No.3 「リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」はあと2日

2024年11月05日 | 日記

▶写真展もあと二日です。



このマリア祭壇「マリア被昇天礼拝」のパネルが今回のメインの一つです。

 

▶毎日たくさんの再会があり、笑顔が弾けます。

 10月26日から今までの8日間で、数え切れないほどの再会がありました。前回2022年のコロナ禍でasacocoの記事を見て来てくださったリーメンシュナイダーのファンの方々とは2年半ぶりの再会となります。中には2019年の練馬にあるギャラリー古藤で開催した写真展でお目にかかり、国分寺「司画廊」にも今回のカフェギャラリー縁にも来てくださった方がいらっしゃいました。3回来てくださった方には次回のご案内も必ずお送りしようと思っていますが、お顔とお名前が一致する方が少なく、お顔は見たことがあるけれどお名前がパッとは出てこない、あるいは名簿に入力した覚えはあるけれどお顔とは一致しないのが申し訳ない思いです。

 同じ市内に住んでいながらなかなか会えない友人と「ようこそいらっしゃいました」なんて初めてお目にかかるような挨拶をしてから「あら~~~、〇〇さん!」なんて笑顔が弾ける再会もあります。まず、マスクでお顔が半分隠れていること。そしてしばらく見ない間に美しい白髪になっている方など。

 そして、写真集の編集では毎日のようにメールでやり取りしていた丸善プラネットの校正担当者だった公文さん、グラフィックデザイナーの石井さんとお目にかかったときは、1~2分「どなただったかな???」と思案したりして、大変失礼いたしました。一旦相手の方の名前と顔が一致すると、今までの思いがドッとあふれてきます。あの節は大変なお仕事を嫌な顔一つせずに成し遂げていただきました。本当にありがとうございました。

 遠くまでお訪ねいただいた皆さまに、心から感謝しています。


▶心に残る愛のエピソード(その1)

 市内に住むある方が「一度お宅に伺って写真集を買わせていただきました」とおっしゃったのですが、心当たりがありません。「私も家にいたでしょうか?」と伺うと「いえ、ご主人がいらして」とのこと。三津夫も「あれ?」と首をかしげています。でも連絡は私にメールでとられていたとか。こんな身近な方でそういう方がいらしたということに驚きました。すっかり失念していて申し訳ないことでした。

 その理由は、銅版画をなさっているお連れ合いがきっと喜びそうだと、お誕生日にそっとプレゼントするために内緒で写真集を購入したかったとのこと。贈られたお連れ合いは、その写真集を大変喜ばれたそうです。そのお連れ合いも既に亡くなられたとのことでした。お嬢さんと二人で来てくださいました。ニュルンベルクのデューラーハウスではあまりにも銅版印刷の現場でのめり込むように見ているお連れ合いに、版画を実演している方が困った様子だったので、彼女が「この人も銅版画をしているんです」とことばを添えたところ、「ではやってみますか?」と印刷させてくださったとか。希有な体験ができたと嬉しそうに話してくださいました。そうしたご夫婦のやり取りを伺って、私の写真集がお二人の結びつきの一つになったことを感謝しつつ、お連れ合いのご冥福を祈っています。

愛のエピソード(その2)はまた次回に。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

363. 福田緑写真展No.3 「リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」のお忘れ物

2024年11月03日 | 日記

▶毎日たくさんの方とリーメンシュナイダートークを交わしています。



この帽子は11月1日のお忘れ物です。→ ご本人が見えました。帽子があったと喜んでおられました。

 

▶半世紀以上のつきあいだった教え子

 10月30日にはかつての教え子、カツベーも群馬から訪ねてきてくれました。私が教職について2年目の教え子で、彼女はそのとき7歳だったはず。今年で還暦だと言っていましたから53年のおつきあいになるということでしょうか??? 数えてみるとすごいことですよね。

 カツベーが1年生の時は私の学年主任だった鈴木孝雄先生のクラスで、孝雄先生は学校で山羊も鶏も飼っていたのです。「山羊の世話、どうだった?」と聞いて見ると臭くて乱暴で、しょっちゅうつつかれてすごくいやだったとのこと(^_^;)(^_^;)。それでも命を預かる体験はきっとカツベーの中に様々な思いやりの心を育ててくれたのではないかなと感じています。この日も受付の仲間たちと仲良くお喋りをし、ゆっくり本を開いて読み、夕方帰っていきました。遠くから高速バスに乗ってきてくれたカツベー、本当にありがとう!
 

▶途中のお休みをはさんで一気にお客様が増えました。

 以前「第22回自費出版文化賞グラフィック部門特別賞」の会場でたまたまお隣に座った瀧沢敬三さんが「ドイツ研究会」のお仲間とドイツ文学者の方と合計8人で来てくれたからでした。リーメンシュナイダーに関する質問や、2031年のリーメンシュナイダー没後500年の写真展の話しなど盛りだくさんで「あなたがリーメンシュナイダー学会を作らなくては」と檄を飛ばされてタジタジとする場面もありました。私は「リーメンシュナイダーの追いかけ人」ではあっても研究者ではないので、とても学会は…と冷や汗が流れましたが、活発なやりとりに元気をいただきました。皆さま、様々なアドバイスをありがとうございます。


「ドイツ研究会」の皆さまと

 この日は合計35名のお客様を迎えることができました。

 

▶お忘れ物が気になっています。

 会場の受付をしてくれている松井さんが、椅子の上に一つの帽子が残されているのに気が付きました。心当たりの方に連絡を取ってみましたが、その方の帽子ではないとのこと。となると電話連絡のできないどなたかのお忘れ物のようです。どこにでもある帽子ではないので大事なものではないかと気になって、ここに写真を載せました。もしお心当たりのある方はギャラリー縁(042-493-0002)にご連絡いただくか、このブログにコメントをお寄せくださいませ。

 ★トップ写真の下に書きましたが、帽子は無事に持ち主の手に戻りましたのでご報告しておきます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

362. 福田緑写真展No.3 「リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」中間報告です。

2024年10月29日 | 彫刻

▶今日は写真展4日目になります。



これは3日目の朝、開場前の様子です。左奥に立つのはドイツから持って帰った聖バルバラのレプリカです。

 

▶毎日楽しい会話があちらこちらで花開きます。

 3日目、連れ合いの大学時代の友人、米山さんが来てくれました。苦楽をともにしたバドミントンの話に始まり、隠居後の農作業の話まで延々と…。他にお客様がいないときは彼の独演会で、皆ゲラゲラ笑いっぱなし。大きな口を開けて笑う私を見ては「あんたの歯並びは昔とちっとも変わらないねぇ」と言われ、また大笑い。受付をやってくれている友人の山田さんが「米山さんは歯医者さんなんですか?」と驚くと、連れ合いが「小学校の校長先生をやっていたんですよ」とフォロー。こんな校長先生ならきっと楽しい学校だったのではないでしょうか。

 トップ写真は朝のまだ一人もお客様のいない状態ですが、この天井の梁が良い空間を作ってくれています。オーナーの藤澤瑩子さんの拘りで大きなテーブルにもなるビリヤード台、梁のある天井、グランドピアノを入れたそうです。ここでコンサートを開いたバイオリニストが「天井が高いので音の響きが良い」と喜んでくれたとのこと。国分寺のIさん(第2回写真展の開催を中心になって導いてくれた友人です)のご家族にチェンバロ奏者の中川岳さんがいます。岳さんも都内の小さな会場で古楽器の仲間たちと演奏会を開いていますが、この会場の造りにどんな感想を持つのだろうと、来場を楽しみに待っているところです。

 

▶嬉しかったことばと出会い

 朝一番に来てくださった女性。大きな荷物をお持ちでした。椅子の上にその荷物を置いて静かにゆっくりご覧になっています。他に誰もいないので話しかけてみたところ、娘の福田奈々子がパートナーと共に開催している金継ぎ教室の生徒さんだということがわかったのです。「今日、このあとで教室に行くんです。」というので、大荷物の理由も納得です。きっと重たい金継ぎ途中の陶器や道具が入っているのでしょう。ありがとうございます。

 その若い女性がじっくりと私の写真を見て、「写真を写す人の心が伝わってくる」(この通りのことばだったかどうか自信がありませんが)というので心の底がジーンとしました。私が「このアングルがとても素敵よ」と思いながらシャッターを押す瞬間、「マリア様が天に召されていく場面をこんなに楽しそうに見送っているのね」と思いながら写した聖女たちの写真。「そうか、私の心が躍ったり感動したりしていることが画像になって表れていると感じてくださっているんだ」と私の方が感動させていただきました。

 毎日の来館者数は今までの写真展よりずっと少ないのですが、こうした心に残る会話が「写真展を開いて良かった!!」と思わせてくれます。
 また、本当に様々な履歴をお持ちの日本彫刻を愛して止まない塚本純久(いとく)さんとの出会いも圧巻でした。彼が履歴を語る間中私は動くこともできず圧倒されたまま。こんなすごい人が来てくれているのかと改めて今後の行方が楽しみになりました。きっとまたこのブログで少しずつ塚本さんの偉業をお伝えできることでしょう。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

361. 福田緑写真展No.3 「リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」が始まりました。

2024年10月27日 | 彫刻

▶ようやく写真展開催初日を迎えることができました。



会場はカフェギャラリー縁の階段を上がって2階になります。

 

▶この開催前に大変なことが起きていて…

 それは通信手段の要となっているスマホが突然立ち上がらなくなってしまったのです。色々な友人、お客様とのやり取りに必要なスマホが壊れたときには真っ青になりました。すぐにdocomoショップに電話で予約を入れ、今までの不具合も解決するために機種だけではなく契約会社も変更したため、各種手続きと新しい機種の操作に慣れるために合計3回ショップに行きました。その都度聞かれるのは住所、電話番号、生年月日、IDとパスワードです。以前のものと新しいものとがゴチャゴチャになって何度冷や汗を掻きながら書類を探しまくったことか。もうこのあと機種交換など決してしたくないと心底思いましたが、機械はいつか突然壊れてしまうものだということも何度も体験しています。そこに頼りすぎている現代生活をもっと簡素化していかなければならないのだろうなとため息をつきながらここ数日を過ごしました。

 

▶準備日2024年10月25日(金曜日)

 今までの写真展では、ギャラリー古藤では経験豊かなオーナーの手助けがあり、工芸家の娘の手を借りることもできました。司画廊では掲示作業の経験豊かな男性にアルバイトをお願いしてきましたが、今回は友人と連れ合いと私の4人で2階への階段を上り下りしながら荷物を運び込み、掲示をするので夕方遅くまでかかるかと思っていました。ギャラリーのオーナー、藤澤瑩子さんが「画鋲も釘も打って良いわよ」とおっしゃっていたので、安心してだるまピンを木槌で打ち込みながらガイドラインも引いて作業を始めました。けれども、やはり専門家のピシッとした掲示のようにはできませんでした。後から写真を写しても斜めになっているなぁと反省。
 でも今回はこれでがまんです。取りあえず、掲示したいパネル合計41枚は壁に打ち留めることができました。キャプションが少し足りなかったのは夜に作り足すとして、いくつか不足品をメモ。何だかんだと動き回ったので皆疲れて、夕方4時前には1階のカフェで美味しい珈琲とケーキで取りあえず準備終了のお茶とおしゃべりを楽しんで解散しました。

 

▶さて初日10月26日の反応は??

 世の中はアメリカ大リーグで活躍する大谷翔平選手属するドジャース対ヤンキースのワールドシリーズ開幕。連れ合いも出かけるギリギリまでテレビでその行方を追いかけていましたし、受付を担当してくれる仲間の一人は将棋のスーパーヒーロー藤井聡太さんの竜王戦第3局を見守りつつ初日の受付が始まりました。そんな状況もあってか、なかなかすぐにはお客様の足音が上がってきません。ようやく階段を上ってくる足音が聞こえ、ドイツ語レッスンを一緒に受けている成田さんがお客様第一号で来てくれました。このギャラリーの良いところは中央に大きなテーブル(実際はビリヤード台)があることです。回りに椅子を置き、優に10人は座ってゆっくり資料を読んだり、お喋りを交わしたりすることができます。成田さんにも会場をガイドしながら清瀬市民まつりに提出する写真集と写真やらそのキャプションを渡して預かっていただきました。ちょうど写真展の真っ最中の11月2日、3日に市民まつりがあり、ドイツ語のシュロスクラブも出展して、ドイツ語サークルがあることをアピールしようということになっているのです。体は参加できませんが、写真集と写真は出張します。



午後の会場の様子です。

 その後、お昼を前後して次第にお客様が増え始め、一時は10人ぐらい見てくださっていました。asacocoを見てツヴェットル祭壇を見に来たかったとか、雲蝶という彫刻家の大ファンで彫刻に興味があるという方も2人いらして、「私たちも雲蝶を見に新潟までいこうと思っているんです」と、話が大盛り上がり。お一人はヒマラヤで植物や山を撮影して様々な冒険譚をお持ちの方もいらして、そのお話を驚きながら伺いました。
 さらに夕方には私が2校目の小学校勤務の時に学級代表としてサポートしてくれたギャラリーKOHの和田香澄さんも来てくれました。彼女は息子が1歳のときに学級行事があり、その間息子を抱っこしてくれていたというお付き合い歴48年! 他にお客様がいらっしゃらないことを幸い、ゆっくり来し方のお喋りを楽しむことができました。こうしたゆったり感は私が理想としていたものです。

 合計15名のご参観、心から感謝します。
 あと何人のお客様とこうした会話をやり取りできるのか、楽しみにお待ちしています。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

360. チラシをほとんどの市内公共施設で置くことができました。

2024年10月21日 | 日記

▶ブログ357号も修正しなければなりません。



少し前に咲いてい我が家の彼岸花

 

▶このところ文章の修正が続いて心苦しく思っています。

 ブログ357号では、清瀬市の公共施設に写真展のチラシを置くことが断られたショックで戻ってきたことを書きました。その後連れ合いと再度挑戦してみたところ、チラシを受け取ってくれたことをブログ359号で書きました。

 その他の2施設も全部(閉館中を除いて)回りました。結果的には、完全に受け取り拒否の場所は市役所(総務部)のみです。ここは受け取っていると多くなりすぎて置ききれなくなってしまうからとのことで、市役所と連携しているものだけを置くのだそうです。そして、全く問題なく受け取ってくれる施設がほとんどとなりました。はじめの一歩でくじけた私がどんなに愚かだったか身に染みました。リーメンシュナイダーの彫刻を見るためには、真冬で閉館中の美術館をも開けていただくほどの勇気と押しの強さを持つのに、何で日本ではこんなに意気地が無いのだろうと、この年齢になって深く反省しています。

 関係者の方々、大変失礼いたしました。

 

▶ここへきていろいろなことが重なり、めげています。

 その最たるものがスマホの故障です。もうすぐ写真展が始まるので準備を詰めているところなのに、10月20日(日曜日)の朝には普通に使えたスマホがお昼にはまっ暗で全く立ち上がらなくなってしまいました。心臓がバクバクしました。朝の段階で充電が必要であればメッセージが出ますから、電池切れではなかったはず。念のため充電器に繋いでみましたが、全く反応がありません。あわててドコモショップに電話を入れ、午後の予約を取ってもらいました。

 担当者がスマホのまっ暗画面を見てから何かじっとしているなと思ったら、立ち上がり画面が出てきたのです。ショック療法を使ったけど、もう一度同じ状態になったときにこのやり方が効くかどうかはわからないとのこと。立ち上がり画面が出てきても、今まで普通に使えていたメールすら見られません。何も契約がないと書かれていました。どこかが壊れたのは確かでした。このまま写真展を迎えられないと思った私はやむを得ず新しいスマホに変えることにしました。
 ところがこの日は日曜日。機種変更のためには電話番号をそのまま持ち歩けるナンバーが必要です。でも相手のオペレーターが日曜日で出ないのです。オンラインで申し込むこともできるというのですが、「あのパスワードは?」「このIDは?」と聞かれる度に冷や汗です。そんな覚えていられませんもの。メモを見てもどのことかわからず、あれかな、これかなと入力してようやく少し先に進みましたが、最後は疲れ切り、力尽きて、翌日出直すことにしました。

 
そして今日。予約していた時間に今までの書類も全部持って行きました。今までスマホ操作がわからなくなる度にこのドコモショップに来ていましたが、私がスマホで使っている契約会社が子会社系列のため、ドコモのdカードを予約の機械が受け付けてくれなかったのです。今後も度々相談しないとなかなか様々なアプリを使えるまでにならないので、使用していたモバイル会社を正規のdocomoに変更することにしたのでした。そのため、あれもこれもとすごく時間がかかりました。担当者も根気よく作業を続けてくださって、できる範囲の最低限のデータ移動を終えてから次回続きをすることにしてショップを後にしたのでした。この間3時間半。その間に何度住所・電話番号・生年月日を聞かれたことでしょう。あと何年かして同じように機種変更をするとなったら今のようにすらすらと答えられるのでしょうか? いくつもあるIDやパスワードを見つけられるのでしょうか。ため息が出ました。でも機械の故障や紛失はいつでも起こりえます。願わくばもっと簡単に同じように操作できるスマホができますように。



こちらは実家に咲いた彼岸花

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

359. リーメンシュナイダー「マリア祭壇」に関する写真展がasacocoに紹介されました。

2024年10月17日 | 旅行

▶2024年10月17日号のasacocoに福田緑写真展No.3の記事が掲載されました。



会場の「カフェギャラリー縁(えん)」は秋津駅北口から歩いて1~2分です。皆さまのお越しをお待ちしています。

 

▶ありがたい asacoco の取材でした。

 こうした紙面に写真展の記事が掲載されるというのは本当にありがたいことです。今回は連れ合いと友人たちの支えで何から何まで進めている写真展なので、どれだけの方に見ていただけるのだろうと考えると気が重くなることもあるのですが、それでもおいでいただけた方とはたくさんお話を交わしたいと思っています。

 そんな状況下で今回の写真展をasacocoさんが取り上げてくださったことには心から感謝しています。以下、この新聞社のウェブサイトからコピーさせていただきました。

「asacocoは、多摩東部・西部・南部朝日会のご協力で毎月第1と第3木曜日に朝日新聞に折り込まれて、約25万世帯に配布されている多摩の地域新聞です。 創刊は2010年10月14日。」

 今朝も24万世帯に配布され、関心のある方は中を開いて記事をご覧になっているのかと思うと胸が躍ります。

 

◆追記:asacocoのウェブサイトからバックナンバーで記事がクリアに見られます。

 連れ合いが教えてくれましたので紹介しておきます。

 http://asacoco.jp/backnumber/

から286号を選び、画面上でPDFを開くと、記事も写真もクリアに出てきます。
 ただ、彼のブログに書かれたリンクを直接開こうとしたらうまく開けませんでしたので、以下の画像を参考にして直接上記のウェブサイトを開いていただき、PDFをクリックすると、記事も写真もきれいに見られますのでお試しください(下の画像からは開けません)。

 

▶私と連れ合いの願い

 今回展示する予定のパネルは約40枚の内34枚が2023年に写してきた写真です。中でも私が力を入れたのは、2023年8月15日、夕刻5時からマリア祭壇上にうつろう光をおいかけた写真12枚です。なかなかクレークリンゲンまで行かれない方にも、また行けたとしてもこの時期に合わせて行くのが難しかった方にも、その雰囲気を少しでも味わっていただけたらというのが私の一番の願いです。

 もう一つは、連れ合いの三津夫の願いです。
 
リーメンシュナイダーと同時代、ヨーロッパの様々な地域で、他にも素晴らしい祭壇や彫刻を残した彫刻家がいるということを日本でお伝えしたいとかねてからずっと言ってきた連れ合いです。
 国分寺での2回目の写真展に故・植田重雄先生のご子息が見えていたことが受付名簿からわかりました。書かれていたメールアドレスから連絡を取らせていただき、お目にかかることができたのでした。その後、先生がご自宅に残された本を整理されていた息子さんから数冊のご本を譲り受けることができたのも嬉しいことでした。そのうちの一冊が『DER SCHNITZALTAR』(Herbert Schindler, 1978, Verlag Friedlich Pustet)という本なのです。訳すと『彫刻祭壇』。その中に今回展示するアダモフ(チェコ)のツヴェットル祭壇(註)もマウアー(オーストリア)のゴシック祭壇も会場にも持っていきますので手に取ってご覧ください。

 ただ、全部のパネルをかけられるかどうかはまだ不確定で、もしかしたらあまりにもキツキツになって数枚はカットせざるを得ないということもあるかもしれません。その節はご容赦ください。

 

▶清瀬市に写真展チラシを置ける公共施設がありました。

 このブログの記事357で、清瀬市の公共施設にチラシが置けなくなったと書きました。最初に訪れたところでそう言われて私は大ショックを受け、すごすごと帰ってきてしまったのですが、数日後に別の施設で連れ合いが数枚のチラシを持ち帰りました。それは市外にある音楽ホールなどで行われる有料で開催されるコンサートのチラシでした。それならなんで私の写真展のチラシが置けないのかということになります。「もう一度回ってみよう」と連れ合い。

 前回は打たれ弱い私一人でそのことばにショックを受けて帰ってきてしまったのですが、今回は二人一緒で回ることにしました。その結果、前回チラシを断られた施設にも他地域の美術館のチラシが置かれているのがわかり、私がこの前と同じように断られたところでいざ連れ合いの出番。「どうしてこちらは良くて」とその美術館のチラシを持ちながら「こんな政治色もない、しかもドイツと友好的な関係を持っている福田緑の写真展チラシはダメなんですか」とやんわり話し始めたところ、係の人も困った様子。次第に連れ合いの口調も厳しくなり、「やはりおかしいですよね」と受け取ってくれることになりました。

 その後、他の施設を回っても最初からあっさり受け取ってくれたところが4箇所、「預かって相談してみます」と受け取ったところが1箇所ありました。時間切れだったところには今日行ってくる予定ですが、結果的には相当な割合でチラシを置けたということになりそうです。

 私の打たれ弱さを反省しつつ、「写真展のチラシが置けなくなってしまった清瀬市」というタイトルについて、事実は違っていたことをここにお詫びし、訂正させていただきます。最終結果はまた後ほどご報告したいと思います。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

358. ごめんなさい、修正させていただきます。

2024年10月05日 | 日記

▶352号の記事に書いた内容に修正しなければならない箇所がありました。

 


 秋津駅北口から見えるとまず見えるのはこの大きな茶色の建物でした。


▶申し訳ありません。

 352号の記事には以下のように書きました。

第1回写真展でいらしてくださった皆さんとあれこれお話しできたのは私にとって大変貴重な時間でした。
 今はコロナもまたピークを迎えているようですが、開催は10月末。涼しくなって患者数も減っていることを祈りつつ、このカフェギャラリー縁でもゆっくりお茶や珈琲を飲みながらリーメンシュナイダー談義を交わしたいと願っています。ギャラリートークは今回は予定しておりません。

 場所は西武池袋線秋津駅の北口から1~2分です。人によっては1分では足りないかもしれないと思って160mと書いておきましたが気持ちとしては駅を出て右方向を見ればすぐです。

ところが、先日その様子を写真に撮って掲載しようと思いましたら、マンションの奥にギャラリーの屋根が少し見えるだけでした。従って「駅を出て右方向を見ればすぐです。」というのは違っていて、「すぐに大きなマンションが見え、その奥にある建物です」と修正させていただきます。

 そして部屋の壁面サイズを測りに2階の展示会場に入りましたら(以前来たときには気が付かなかったのですが)、奥の方に「会場内での飲食はできません(正式な文言は忘れました)」と書かれた注意書きがありました。従って「お茶や珈琲を飲みながらリーメンシュナイダー談議を交わせる」のは1階のカフェでということになります。どの位の参観者が来てくださるのかわかりませんが、あまり混んでいなければカフェでゆっくりお話ができるかと思います。ただ、私が思い描いていた”写真を見ながらのお喋り”はできそうになく、ちょっと残念です。お知らせしておきます。


 こちらが「カフェギャラリー縁(えん)」の建物です。
 皆さまにお送りしたチラシは拡大してもマリア様のお顔が良く見えなかったのです。どうしようかと思いましたが、引き延ばした別のマリア像
 の写真とチラシの情報部分を貼り合わせて作ったポスターを貼ってきました。


※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

357. 写真展のチラシが置けなくなってしまった清瀬市

2024年09月26日 | 旅行

▶驚きました…。



これは今も変わらず咲き続けてくれるペンタスの花

 

▶夢にも疑わないことが起こりました。

 台風16号が近づいているという天気予報で、今日、9月26日の内に清瀬市内の公共施設に写真展のチラシを置いてもらいに回ることにしました。写真展までちょうど一ヶ月なのです。
 写真展は今回が3回目ですが、今まで一度もチラシを拒否されたことはなく、20枚、30枚と置いてくることができました。受け取った事務の方が「わぁ、きれい!」と叫んでくださったこともありました。ここ清瀬市は、緑が多く、自然にめぐまれており、こうした温かな人柄に触れることも度々でしたので、引っ越してきて良かったと思っていました。住み始めてもう43年目になります。

 ところが最初の地域市民センターで受け付けにいた女性は私の写真展チラシを手に取ると困った顔で同僚の所に持っていって相談し始めました。「あら、どうしたんだろう?」と思っていますと上司らしき方が来て「個人のこうした催し物のチラシは置けなくなったんですよ」と言います。驚いてしまって、「でも今回は3回目ですが、今まではどこでも置いてくださったんですが」と答えると、「市内の施設で開催するものに関するチラシはおくことができるのですが、2年ほど前からこうした個人の展示などは無料であっても置いてはいけないことになりまして、申し訳ありません。」とのこと。驚くと同時に「ここまできたか」と思いました。

 振り返ってみると、前市長の急逝後の選挙で澁谷桂司市長になってから市議会の雰囲気もガラッと変わりました。今年の3月には市内に6館あった図書館がいきなり2館に減らされるという議案がでてきたのでした。しかも一部の議員には直前まで全く知らされずです。こうした議会の陰険な進め方には驚きを通り越して怒り心頭。その前後の市報を見てもどこにも「図書館を6館から2館に減らします」ということばは見あたらないのです。「家庭が図書館になります」とか、「地域市民センター内の図書館がサロンになります」とか、「日本で初めて無料宅配サービスで本を借りたり返したりできます」とか、いかにも図書館が利用しやすくなるというイメージを振りまきながら、事実をきちんと伝える文章は見つけられません。市民の多くはまだ図書館が6館から2館に減らされるという事実を知らないままのようです。


 
そして今日は、私の写真展のような無料の文化行事のチラシさえ置けないと言われてしまったのでした。年々文化度が低くなっていく清瀬市に暗澹とした気持ちになりました。木々も伐採され、緑もずいぶん減ったようです。大好きだった清瀬が遠のいていくのは寂しい限りですできる範囲で行動していかなければと改めて思った出来事でした。

 トップ写真のペンタスは7月に買った花ですが、今でもこうして可憐な花を咲かせてくれています。心痛む日々、このような花を見ると少し気持ちが和らぎます。爽やかなままの清瀬であり続けて欲しいと心から思います。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする