新・旅日記 No.4 2009年冬の旅
ヤンコー先生とマリアさん
留学時代の後半3カ月は、シュヴェービッシュ・ハルの街からバスで10分ほどのミッヒェルフェルドにあるヤンコー先生のお宅に住みました。ヤンコー先生は5 月に私たちのクラスの先生が具合が悪くなり、替わりに来てくださったゲーテ・インスティテュートの元教師です。彼女がゆっくりギリシャの別荘に行って身体を休めたいということで、私に留守番を頼んで行かれたのです。その間、私は2匹の飼い猫、ハネマンとトムのお世話をし、週末に一度ギリシャの別荘にいるヤンコー 先生に電話で報告するという約束でした。上の階に住むマリアさんは認知症でしたが、私の拙いドイツ語を直したりアドヴァイスをすることは元秘書の仕事をし ていた方だけあってお手の物でした。毎日のように宿題でマリアさんにお世話になり、よくおしゃべりしました。そんなお二人にもできあがった本を届けるのが この旅の大きな目的の一つでした。懐かしいヤンコー先生のお宅まで伺ったときに、
「ミドリ、今、ヨハニター・ハレでリーメンシュナイダー作品の展示をしているから、夕食までの間に見に行ってきたら? 送ってあげるわよ」
と 言われたのです。実はフランクフルトのトーマスにもその新聞記事をもらっていたのですが、とても見て回る時間が無いとあきらめていたのでした。バスを待っ ていてはほとんど行けないのですが、車で送迎してくださるのなら充分見てくることは可能です。本当にうれしいことでした。ヨハニター・ハレで初めてのリーメンシュナイダー作品を2点、以前見たことのある作品を1点拝観しました。いずれにせよ写真撮影禁止なので、留学したときにお世話になった方を通して撮影の許可をいただき、出直したいと心に決めました。
また、前の日には、チューリッヒからシュヴェービッシュ・ハルに着いた直後、ハル・フランケン博物館を訪ねました。そこでは、リーメンシュナイダーの弟子、ハンス・ボイシャーが作ったのではないかと言われる磔刑像と、周辺作家による聖枝祭のロバの2点を見ることができました。
<3ヶ月間、宿題の面倒を見てくださったマリアさん お別れするのがとても辛かった。ヤンコー先生はお写真が手元になく、載せることができないのが残念。>
マリアンヌとホールスト
2006 年に約半年間ドイツ語を学んだシュヴェービッシュ・ハルは、未だ中世のような雰囲気を持つ木組みの家々が並んだきれいな街です。ここでの文化交流家庭(タ ンデム)のマリアンヌとホールストは、私にとって学校を離れて話したり一緒に食事をしたりできる安心な模擬家族のような場所でした。帰国してからもずっと メールやカードのやりとりが続いています。マリアンヌは厳しいけど優しい先生のような方。でもお料理が得意でてきぱきとテーブルを整える様子は肝っ玉母さ ん。ホールストは大きな声でしょっちゅうマリアンヌと漫才をしているような朗らかなお父さん。甘いものに目がなく、その分野菜は嫌い。大きなだだっ子のよ うです。最初は彼の発音がなかなか聞き取れなかったのですが、少しずつ慣れてきました。
<本を手にして喜んでくださるマリアンヌとホールスト>
2008年に出版した『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』の作品一覧にはシュヴェービッシュ・ハルの項目がありません。情報そのものが不足してい たこと、また私の語学力も不十分だったため、情報キャッチ力が不足していたことで、彼の作品を見つけることができなかったようです。
その後、弟子の作品があるらしいという話を聞いたり、もう一度マインフランケン博物館発行のカタログを読み直したりした結果、現在ではシュヴェービッシュ・ハルの街では4カ所でリーメンシュナイダー関係の作品を見られることがわかっています。なんとも皮肉な結果ですが、この交通の便が悪い小さな街に留学後に何度も足を運ぶ理由ができて、却ってよかったのかもしれません。ミッヒェルフェルドのマリアさんはすでに老人施設に入られてから連絡が取れなくなり、ミュンヘンに引っ越したヤンコー先生からはメールを出しても返信が届かなくなりました。こうした方々がいなくなると心の故郷も次第に遠のいてしまいがちですが、シュヴェービッシュ・ハルにマリアンヌとホールストが元気でいてくれる間はまだ訪ねる理由があると思うと心がほっこりします。
※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA