▶2024年10月17日号のasacocoに福田緑写真展No.3の記事が掲載されました。
❤会場の「カフェギャラリー縁(えん)」は秋津駅北口から歩いて1~2分です。皆さまのお越しをお待ちしています。
▶ありがたい asacoco の取材でした。
こうした紙面に写真展の記事が掲載されるというのは本当にありがたいことです。今回は連れ合いと友人たちの支えで何から何まで進めている写真展なので、どれだけの方に見ていただけるのだろうと考えると気が重くなることもあるのですが、それでもおいでいただけた方とはたくさんお話を交わしたいと思っています。
そんな状況下で今回の写真展をasacocoさんが取り上げてくださったことには心から感謝しています。以下、この新聞社のウェブサイトからコピーさせていただきました。
「asacocoは、多摩東部・西部・南部朝日会のご協力で毎月第1と第3木曜日に朝日新聞に折り込まれて、約25万世帯に配布されている多摩の地域新聞です。 創刊は2010年10月14日。」
今朝も24万世帯に配布され、関心のある方は中を開いて記事をご覧になっているのかと思うと胸が躍ります。
◆追記:asacocoのウェブサイトからバックナンバーで記事がクリアに見られます。
連れ合いが教えてくれましたので紹介しておきます。
から286号を選び、画面上でPDFを開くと、記事も写真もクリアに出てきます。
ただ、彼のブログに書かれたリンクを直接開こうとしたらうまく開けませんでしたので、以下の画像を参考にして直接上記のウェブサイトを開いていただき、PDFをクリックすると、記事も写真もきれいに見られますのでお試しください(下の画像からは開けません)。
▶私と連れ合いの願い
今回展示する予定のパネルは約40枚の内34枚が2023年に写してきた写真です。中でも私が力を入れたのは、2023年8月15日、夕刻5時からマリア祭壇上にうつろう光をおいかけた写真12枚です。なかなかクレークリンゲンまで行かれない方にも、また行けたとしてもこの時期に合わせて行くのが難しかった方にも、その雰囲気を少しでも味わっていただけたらというのが私の一番の願いです。
もう一つは、連れ合いの三津夫の願いです。
リーメンシュナイダーと同時代、ヨーロッパの様々な地域で、他にも素晴らしい祭壇や彫刻を残した彫刻家がいるということを日本でお伝えしたいとかねてからずっと言ってきた連れ合いです。
国分寺での2回目の写真展に故・植田重雄先生のご子息が見えていたことが受付名簿からわかりました。書かれていたメールアドレスから連絡を取らせていただき、お目にかかることができたのでした。その後、先生がご自宅に残された本を整理されていた息子さんから数冊のご本を譲り受けることができたのも嬉しいことでした。そのうちの一冊が『DER SCHNITZALTAR』(Herbert Schindler, 1978, Verlag Friedlich Pustet)という本なのです。訳すと『彫刻祭壇』。その中に今回展示するアダモフ(チェコ)のツヴェットル祭壇(註)もマウアー(オーストリア)のゴシック祭壇も会場にも持っていきますので手に取ってご覧ください。
ただ、全部のパネルをかけられるかどうかはまだ不確定で、もしかしたらあまりにもキツキツになって数枚はカットせざるを得ないということもあるかもしれません。その節はご容赦ください。
▶清瀬市に写真展チラシを置ける公共施設がありました。
このブログの記事357で、清瀬市の公共施設にチラシが置けなくなったと書きました。最初に訪れたところでそう言われて私は大ショックを受け、すごすごと帰ってきてしまったのですが、数日後に別の施設で連れ合いが数枚のチラシを持ち帰りました。それは市外にある音楽ホールなどで行われる有料で開催されるコンサートのチラシでした。それならなんで私の写真展のチラシが置けないのかということになります。「もう一度回ってみよう」と連れ合い。
前回は打たれ弱い私一人でそのことばにショックを受けて帰ってきてしまったのですが、今回は二人一緒で回ることにしました。その結果、前回チラシを断られた施設にも他地域の美術館のチラシが置かれているのがわかり、私がこの前と同じように断られたところでいざ連れ合いの出番。「どうしてこちらは良くて」とその美術館のチラシを持ちながら「こんな政治色もない、しかもドイツと友好的な関係を持っている福田緑の写真展チラシはダメなんですか」とやんわり話し始めたところ、係の人も困った様子。次第に連れ合いの口調も厳しくなり、「やはりおかしいですよね」と受け取ってくれることになりました。
その後、他の施設を回っても最初からあっさり受け取ってくれたところが4箇所、「預かって相談してみます」と受け取ったところが1箇所ありました。時間切れだったところには今日行ってくる予定ですが、結果的には相当な割合でチラシを置けたということになりそうです。
私の打たれ弱さを反省しつつ、「写真展のチラシが置けなくなってしまった清瀬市」というタイトルについて、事実は違っていたことをここにお詫びし、訂正させていただきます。最終結果はまた後ほどご報告したいと思います。
※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024 Midori FUKUDA