忘れないためにも又書いてみます。
昨日で阪神・淡路大震災から26年が経ちました
あの日長男は設計の仕事に就き就職一年目で大阪支店勤務で西宮
の独身寮にいました。
まさに高速道路が折れてバスが宙吊りになっていたすぐそばで
す。
最初テレビをつけてあ~地震があったのねぐらいに考えていたの
が時間が経つごとに大変な事態になっていることがわかり息子に
電話したがもちろんつながりません。
夫は会社で私は家から電話をかけ続けていたが繋がらなく被害が
どんどん拡大しているのがわかってきました。
会社に電話しても繋がらない状態、私はほんとうに心配で泣きな
がら電話をかけ続けました。
夕方になってやっと長男から無事と言う公衆電話からの連絡が入
りました。
ちょうど活断層を境に息子のいるところはみな無事で反対側は軒
並み家が倒壊して人々の呆然とした様子が息子にもわかり気の毒だと泣き声になっていました。
息子は4階にいて落下物で怪我もあったが一階の人は外が稲妻の
ように光ったらしい。
後1時間遅かったら電車の中だったからどんな事態になっていた
かもっと被害がでて自分もどうなったかわからなかったと言って
いました。
それからは水道ガスも出ないので大阪の建築現場から帰りに大阪
市内でお風呂に入り洗濯物も我が家に送ってきていました。
それを私は大阪の現場に送り返すという日々が続きました。
独身寮も二人で一部屋を使うことにして復興の作業員の方に提供
して日曜日にはボランティアで働いていたそうです。
もう26年経ちその後に生まれた人たちも成人にばりましたが私
たちは忘れてはいけないと思う一日です。
私も、もし長男がどうかなっていたら今の幸せも無かったし可愛
い孫にもめぐり合っていなかったわけです。