婆のたわごと♬

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東の空が真っ赤に…。

2022-03-10 05:47:42 | 日記

77年前の今日。 3月10日は東京大空襲の日だ。

先の大戦の末期、アメリカ軍が大規模な戦略爆撃をし、無差別に焼夷弾を落とした。

東京の下町は、焼け野原となり、民間人が11万人以上、犠牲となった。

 

当時、私は2歳の幼児。

母の姉(私の伯母)が住んでいた藤沢市の鵠沼の家に疎開していた。

赤ん坊同然の私には、全くと言っていいほど、記憶がないのだ。 何も覚えていない。

3月10日。 藤沢から見た東の空は、真っ赤だったそうな。

そのころの東京は、木造建築の家が多かった。

私が疎開する前にいた下町は、見るも無残な焼野原になってしまった。

 

この空襲で、私の従兄である、伯母の息子が犠牲者となった。

次兄と一緒に逃げていたらしいのだが、離れ離れになってしまい、翌朝、近所の防火桶の傍で遺体となって見つかった由。

伯母は、一夜にして、髪が真っ白になったそうだ。

中学4年生(飛び級)で、大学に合格した次兄は、兄を助けられなかった…という後悔の念にさいなまれ、その後、

精神を病み、人生を棒に振ってしまった。

戦争というのは、直接・間接にかかわらず、悲劇を生むものだ。

当時、父は兵役で中国に行ってたし、留守家族を守る母は必死だったことだろう。

 

これは空襲とは直接関係ない話だが…。

東京から藤沢に疎開する時、家財道具をトラックで運んだのだが…。

下駄箱を荷物の中から抜いて、その隙間に、私の雛人形の箱を、従兄は入れてくれてたそうだ。

東京の家は全焼し、下駄箱は燃えてしまったが、私の雛人形は無傷で残った。 ( ^^) _U~~

後年、優しそうな穏やかな顔をした従兄の遺影に線香を手向けるたびに、

 「お雛様、守ってくれてありがとう♪」

と、合掌したものだ。

 

今、ウクライナがひどいことになっている。

同じ爆撃でも、木造つくりの日本と違って、コンクリートのビルの街は、破壊がすさまじい。

映像を見るたびに、東京の大空襲のことが思い出される。

人間は、なんと愚かなことをしていることか。

教訓はちっとも生かされていないように思えて、歯がゆいばかりだ。

ロシアは一体、何をしたいのか…。

 

  ★一日も早く、ウクライナが安寧な世の中になりますようにお祈りいたします!

コメント (11)
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