主人の母(姑)とは、年齢が離れていた所為か、祖母と孫の関係みたいだった。
だから、いわゆる、嫁姑の争いは、一回もなかった。
実家の母は商家の人だし、姑は農家(と言っても山林持ちの庄屋)の人だったから、似てるようで似ておらず、私には初めてのことが多くて、新鮮だった。
朝、舅と主人、そして義姉を送り出し、そのあと、ゆっくりと、二人で食事を取るのが通例。
「特急列車が優先。 鈍行列車は、退避しなくては…」
が姑の口癖だった。
皆を送り出した後は、ゆっくりとTVを見ながら、食事をする。
例の浅間山山荘の事件の時は、TVの前を離れられず、結局、二人で、一日中、TVに釘付けだった。
今でも、あさま山荘事件…と言うと、姑の姿が浮かんでくる。
姑に教わった「フルーツサラダ」も、我が家の定番だ。
今でも、朝はフルーツサラダ。
昨今の野菜や果実の高騰には、頭が痛い。
実家では、果実は、食後のフルーツとして食べていた。
でも、姑は、果実を細かく切って、マヨネーズで和えるのだ。
初めこそ、「???」だったけれど、口の中に入れた時のいろいろな甘さに驚く。
林檎の甘さ。 柿の甘さ。 バナナの甘さ。
材料を揃えるのも、作るのも、結構、大変だけれど、なぜか、辞めたことは無い。
実家では食べたことのないフルーツサラダ。
今朝も、淡々と、果実を刻んだ。
口には出さないけれど、お母さん子だった主人のために。
(*´σー`)エヘヘ🌞