買い物で外出中に、携帯に茨城の友人から5回も電話があった。
バックの中に入れっぱなしだから、バイブの揺れにも気が付かなかったらしい。
茨城の彼女はご主人が入院中なので、「まさか!」と、胸の動悸が激しくなる。
夜になってはいたが、まだ、電話をかけても失礼にならない時刻だ。
早速、かけると、案外、元気な声で安心する。
ご主人名義だった自分の電話を、名義変更する手続きが大変だったこと。
一人になるのに、大きな家は経費が大変だから、アパートに引っ越すように娘たちに言われていること。
ご主人は、あと、3か月か半年だと、お医者様から言われてること。
堰を切ったように、私に訴えてくる。
30年以上の友人だから、家族関係もスッカリ承知だ。
娘だから、辛辣なことも、ずけずけ言ってくる。
お嫁さんの様に、遠慮すると言うことがないのよ…と。
(我が家は、私の耳にも痛い話、ずけずけ、するけどな~)
そのくせ、じゃ~、一緒に住みましょう…とは言ってこない。
彼女の愚痴は、延々と…。
今までのところを引っ越してしまうと、近所の仲良しさんとも離れてしまう。
犬や猫はどうしたらいいだろう…。
聞いてるこちらまで、切なくなってくる。
電話を終えたとたん、傍にいた主人が、ぽつりと。
「おい! 〇〇(地名)の彼女たちとは、連絡とってるのか!」
最近は、自分のことにかまけて、ご無沙汰だった。😠
また、連絡しなければ…。
まずはご友人がお元気で良かったです。
しかしご友人は問題山積なご様子。
切ないですね。
娘としては母を案じる気持ちが強いのですが、母にも人格や生活パターンがありますし。父が他界しても母は実家で過ごしたいと言いましたので私がちょいちょい顔出したり旅行したりしようと決意した矢先の母の病気。母が希望した生活は断念せざるを得なくなりホーム暮らしに。しかし逆にそうなってからはより密に母と接していた様に思います。ご友人が納得いく生活をさせてあげたいですね。
切ない話よ!
一家で、主人と言うのは、やはり、大黒柱ね!
彼女のところも、ご主人が病気になって、一気に衰退(?)して言った感じ。
確かに、今の家は、彼女だけでは広すぎる。
維持費もかかる。 経済的にも、以前の彼女のような暮らしは無理!
娘たちの心配もわかる。
まるちゃんは、経験済みなのね~。
私にできることは、彼女とマメに連絡を取って、話し相手になるだけよ!
連絡。。私も反省の兆しあります😅
でもこれだけ色々と話してくれる仲なら良い事悪い事含めてなんでもってのは羨ましい仲です😁
何しろ、下のお嬢さんが中学生のころから知ってる家族です!
母親に偉そうなこと言う年になったんだ…と、感無量。
元気だったご主人には、車で、筑波山や予科練の基地などに連れて行って貰った思い出が。
深い友人なんです。🌸
母は90歳過ぎたあたりから、お友達が全くいなくなりました。亡くなったり、病気になったり、子供さんの家に行ったり。1人でトボトボ買い物に行っているのを見て、ああ、いつもお友達と買い物行ってはお茶飲んでたりしてたなあ、と思いました。
今は施設で新しいお友達と楽しく過ごしているので、それはそれで、良かったね、と思います。
生活を変えると、慣れるまでが大変てす。いや、慣れないままに終わるかも。
よくお話を聞いて差し上げられましたね。どうすることができなくても、話しながら、自分で解決の道を探っているのでは。
私が同じ立場だったら絶対、引っ越ししないです。新しい場所で新入りになるのは辛い。
家で昼間だけ、お茶だけのカフェしようかなと、今
ふと思いました。まだまだ夫は生きていますが。
貴重な体験談、ありがとう♪
彼女に話してみます。
まだ、73歳になったばかりのしっかりした彼女です。
これからの長い(?)将来のこと、彼女なりに考えるでしょう。
娘は娘の家族がありますものね~。
私は、母が早くに亡くなったから、老後の心配はなかった…。
皆さん、ご苦労なさってるのだと、思いました。
(⌒▽⌒)アハハ!🌞
まだ、ご主人が健在のうちから、計画ですか…。
彼女とは、30数年前に、軽井沢のプリンスホテルの会場で隣の席になったのがご縁です。
内田先生の「光彦倶楽部」の催しです。
おひとりでいらしてた彼女と、私はすぐに意気投合。
仲良しになりましたよ。 年齢は違っていたけれど、弟と同年の彼女は可愛い人でした。
そのころの彼女のご主人は若くて、会社経営も軌道に乗り、地元では名士でした。
奥様の友人達をもてなすのが嬉しそうでした。
あれから30年。 月日の流れは残酷だと感じます。