田中角栄首相一行の北京での滞在は6日間あった。なお,国交のない国からのテレビ中継のために,KDD,NECは直径10メートルのパラボナアンテナを持つ可変式地上局を突貫で作って北京に持ち込んだ。角栄氏と周恩来首相の握手の映像は,衛星通信によって日本に届けられた。
角栄氏と周恩来首相は四回の首脳会談と二回の歓迎と返礼の夕食会を重ねた。
大平外相と姫鵬飛外相との実務的な話し合いとは別に,周恩来首相と田中首相の首脳会談も行われている。9月26日の第二回首脳会談の議事録によると,中国側が幾つかの点で気を使っていることが読み取れる。たとえば,次のようなやりとりを行っていた。
周恩来 (前略)我々は日米安保条約に不満をもっている。しかし,日米安保条約はそのまま続ければよい。国交正常化に際しては日米安保条約にふれる必要はない。日米関係はその まま続ければよい。我々はアメリカをも困らせるつもりはない。日中友好は排他的なもので はない。国交正常化は第三国に向けたものではない。(以下略)
田中 (前略)訪中の第一目的は国交正常化を実現し,新しい友好のスタートを切ることで ある。従って,これにすべての重点をおいて考えるべきだと思う。(略)日中国交正常化は 日中両国民のため,ひいてはアジア,世界のために必要であるというのが私の信念である。
(以下略)
出典:『田中角栄の昭和』 保阪正康 p266-267
「わが国が,中国国民に多大のご迷惑をかけた」が,波紋を呼ぶ
角栄氏が25日の歓迎夕食会の挨拶で,「わが国が,中国国民に多大のご迷惑をかけたことについて,私は改めて深い反省の念を表明するものであります」が,中国側の不満を招き,会場はざわめいた。
この「多大のご迷惑をかけたことについて,」の部分を日本側通訳が,「添了麻煩」と中国語に訳すと,会場に座がざわめいたのである。「麻煩」はごく軽いおわびの言葉である。中国側からすれば,もう少し深い陳謝の表現を期待していたのである。
だが,終わりに,『日中双方が合意に達することは可能であると信じます』と言うと,周首相は深くうなずき,会場で一斉の拍手がわいた。
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翌9月26日の第2回首脳会談で,『多大なご迷惑をおかけした』との言についての両首脳間のやりとりを,『実録 田中角栄と鉄の軍団中』木下英治著p34~35で,次のように描写している。
周は、前日の田中のあいさつについても指摘した。
「昨日の夕食会で、あなたは『多大のご迷惑をおかけした』と言った。がそれは、中国では、家の前の道路に水を打っているとき、たまたま通りかかった女性のスカートにその水をかけてしまった場合に詫びる程度の言葉だ」
田中は、苦虫を噛みつぶしたような表情になった。
周は、さらにつづけた。
「日本は、わが国を長いあいだ侵略した。国民は、日本の軍隊によって蹂躙された」
田中は、言い返した。
「隣同士で息子と娘を結婚させようというとき、相手の家の悪口ばかり言ってもしようがない。結婚する二人の将来のためにこれからどうやっていくかということを、前向きに話しあわないといけないのではないか」
が、周は、なおも執拗に日本を批判した。
田中は、眉間に皺を寄せた。
「そんな過去の話ばかりしに来たわけではない。明日から、どういう歴史を切り拓いていくかということを話しあいに来たのだ。過去の話をしたら、きりがない」
田中はつづけた。
「あんた方だって、日本を侵略しょうとしたじゃないか」
座は、水を打ったように静まり返った。
田中は、冗談めかして言った。
「一二〇〇年代、二度にわたって元冠があった。風が吹いて上陸はしなかったけど、あきらかに侵略の意図があった」
周は、笑みを浮かべた。
「あれは、漢民族じゃない。モンゴル人ですよ」
「ああ、それは失礼」
このユーモアたっぷりのトークに、緊張感で張り詰めていた座はなごんだ。