脚本家,エッセイスト小説家として活躍した向田邦子さん。男女の機微や人々の日常を繊細な感性と温かな眼差しで綴った作品は,今も多くの人々に愛され続けています。
向田邦子さん 「おしゃれの流儀」
10月22日に没後37年を迎える作家・脚本家の向田邦子(1929~81年)さん。没後三十余年を経てなお支持される。その理由(わけ)一端を向田さん流のセンスの磨き方、装い術などを、おしゃれ上手だった向田さんの衣装やポートレートからうかがい知ることができます。
向田邦子さんの装いには二十代の頃から「これぞ向田流」と呼べそうな、いくつかの特徴が見て取れます。その流儀を、向田さんと末妹・向田和子さんのエッセイ、そして若き日のポートレートから探ってみます。
◆いいもの好き
私は子供の頃から、ぜいたくで虚栄心が強い子供でした。いいもの好きで、ないものねだりのところもありました。ほどほどで満足するということがなく、もっと探せば、もっといいものが手に入るのではないか、とキョロキョロしているところがありました。玩具でもセーターでも、数は少なくてもいいから、いいものをとねだって、子供のくせに生意気をいう、と大人たちのひんしゅくを買ったのも憶えています。
「手袋をさがす」『夜中の薔薇』
◆末妹・向田和子さんのエッセイ『向田邦子の青春』-「手袋をさがす」
・p103-生き方
エッセイ「手袋をさがす」には、気に入った手袋が見つかるまで、ひと冬を手袋なしで過ごし、「ないものねだりの高のぞみが私のイヤな性格なら、とことん、そのイヤなところとつきあってみよう」と決心した二十二歳の自分を書いている。そして、エッセイの最後の方では、それを書いた四十六歳の自分の気持ちを素直に語っている。
・p104-とことん追求
姉の人生にはたしかにツキがあったと思う。でもそれだけではなくて、いろいろなことをやれたのは、自分に合う「手袋」を一生探し続けたからなのかもしれない。
姉がさらに「手袋」を探し続けていたとしたら、次は何を手に入れていたのだろうか。
・p129-「好き」「嫌い」がはっきりしていた
エッセイ「手袋をさがす」には、一つの気に入った手袋が見つからなくて、気に入ったものが見つからないなら見つかるまで、手袋ははめないと決心して冬を過ごす、というエピソードがある。「傘一本でも、私は一年かけて探す。嫌なものは嫌」と言っていたのを思い出す。「嫌なものは身につけたくない」ということははっきりしていた。いつも自分が好きかどうかだった。「好き」「嫌い」がはっきりしていた。それは、生涯一貫していたと思う。どんなにいいものでも、自分に似合わないと思うと絶対着なかった。
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