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米誌タイム,「今年の女性」の一人に故緒方貞子さんを選出 

2020-03-08 00:00:13 | 女ぷり



 米誌タイムは5日,これまでの女性の活躍に光を当てる試みとして,過去100年分の「今年の女性」を発表した。1995年を代表する女性として,昨年10月22日に92歳で亡くなった元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんを選出した。
 タイムは毎年「今年の人」を選出しているが,その大半が男性で,今回の発表を「しばし陰に隠れてきた影響力のある女性たちに光を当てた」と説明した。米国で女性に参政権が認められてから今年で100年となるのを記念し,企画されたという。

 緒方さんは1991~2000年に日本人初の国連難民高等弁務官を務めた。タイムは「小さな巨人」という緒方さんの愛称を紹介し,世界各地の難民支援に心血を注いだ緒方さんを「世界の最も弱い立場にある人々を守るため力を尽くした」とたたえた。

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  ┗ 緒方さんに学ぶ--けっして悲観せず,焦らず,急がず,着実にこなしていく

 けっして悲観せず,焦らず,急がず,着実にこなしていく---それが,緒方さんの生き方であったという。手許の書,『緒方貞子という生き方』(黒田 龍彦著)から,緒方さんを偲ぶ。

はじめに(p11~p14)--権威は眼中になし
 九〇年には、緒方さんは首相や外相経験者が多い国連難民高等弁務官(UNHCR)に選出された。日本人の女性が国連機関のトップに立ったのは初めてのことである。彼女にとって、難民保護は初めての仕事だった。

 その後の十年、彼女は徹底した現場主義を貫き、当事者たちの声に耳を傾けた。身長は百五十センチと小柄ながらも重さ十五キロの防弾チョッキを着て、カンボジア、ミャンマー、イラン、サラエボ、ボスニア、ソマリア、ルワンダ、ユーゴスラビア、ティモール、中南米、アフガニスタンなどの紛争地帯を歩きまわった。            

 彼女はイギリスの『エコノミスト』誌に”ラスト・リゾート(最後の頼み)の女性〃と讃えられ,九五年にはユネスコ平和賞を受賞した。ノーベル平和賞や国連事務総長,そしてわが国の首相候補にも名前が挙がった。その後もさまざまな高官のポストに推薦されたが辞退を繰り返し、けっして現場を離れることを望まなかった。

 彼女にとっては〝権威〃など眼中になかった。彼女が長い間にわたって唯一求めていたものは,まさに〝人間の尊厳〃だった。「慈善援助といっても,一方的にただかわいそうだから助けてあげるのではなくて,大切にすべき人間の尊厳というものをまっとうするためにあらゆることをして守らなくてはいけないと思います」。
 緒方さんの難民問題への姿勢は,けっして悲観せず,焦らず,急がず,着実にこなしていく---それは,彼女の生き方そのものだった。

国連を動かした〝大きな人〃(p140)
 ジュネーブで三年八カ月のあいだ緒方さんの秘書官として公私にわたり行動をともにした斉藤千香子(のちUNHCR駐日事務所主任広報官)さんは、緒方さんを”行動する弁務官〃と評した。
「彼女は指導者としても、人格者としても素晴らしく〝大きな人㌔UNHCRの仕事は、たんにやさしい、あたたかい心があるだけではできません。現場での難民やNGOとの関わりはもちろん、重要な場面では自らが政府や軍隊との交渉の場にも出ていかなくてはならない。そこでは非常に多面的・多角的な交渉能力が必要となり、しかもそれをやりとげられる自信がなければ相手も納得させられない。そうした彼女の実績が、今日の世界的評価につながっているのだと思います。
 分刻みの多忙なスケジュールのなかで、膨大な資料を実によく読んでいました。各地の難民キャンプの現場から送られてくる報告書にも、いつの間にと思うほど目を通していて、『あそこでの車の手配はどうなっていますか?』というように、こっちが忘れていることを突然言われてドキッとさせられることもありました」
 ジュネーブのオフィスに座ったときに、緒方さんがたまった書類をチェックする素早さと正確さは、スタッフの間で知れ渡っていた。不足な点、不明な点を見逃すことはなかった。そこから生まれるスタッフの緊張感が、UNHCRのモラルの基盤となった。
 徹底した現場監督気質だった緒方さんのモットーは、「百聞は一見にしかず。難民の表情で対応が充分かどうかを確認します」 というものだった。

 

勲一等瑞宝章を辞退(p203)
 二〇〇一年春の叙勲で、緒方さんは〝勲一等瑞宝章〃の打診を受けたが,あっさりと辞退した。格が不満なのではなかった。「勲章は仕事を終えた人が浴する栄誉でしょう」というの緒方さんの言葉は,まだやるべき仕事があることを意味していた。二〇〇一年五月,本人は無言のまま渡米の途についた。ニューヨークで〝フォード財団研究員〃という新しい肩書きを持ち,執筆に専念した。

 

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▼緒方貞子さんの経歴

 

 緒方貞子(おがた・さだこ)さんは,1927年東京都出身。曽祖父が犬養毅首相。聖心女子大を卒業後、米国に留学。63年にカリフォルニア大バークレー校で政治学博士号を取得し,76年に日本初の女性国連公使となった。

 上智大教授や国連人権委員会日本政府代表などを歴任した後,91年に日本女性初の国連機関トップとなる国連難民高等弁務官に就任し,3期10年務めた。

 在任中は世界の紛争地に足を運び,イラク北部のクルド人難民や旧ユーゴスラビア連邦内戦によるサラエボの難民,アフリカのルワンダ難民の保護などに尽力した。活躍は世界的に評価され,「ユネスコ平和賞」や「マグサイサイ賞」などを受賞した。

 アフガニスタン支援日本政府代表を務めた後,2003年に国際協力機構(JICA)理事長に就任。12年3月末まで務め,退任してからはJICA特別顧問を務めていた。

 

緒方貞子という生き方

 

「女は人生長いんだし」と緒方貞子さんがスイスに単身赴任
したのは六十三歳のときだった。「子育てを終えた六十歳を
過ぎてからの出発」「戦後における女性の社会進出」「外交
官の父に育てられた生い立ちと家族の肖像」「国連難民高等
弁務官の役割」「アフガニスタン復興支援における問題点」
「いま世界で起きている戦争」「人道大国・日本へと導い
た手腕」「国際テロに向けられた警鐘」「国際平和の未来」
―彼女の生い立ちをたどりながらこれまで行なってきた仕
事と半生を振り返り、国際人として活躍するにいたった“小
さな巨人”の生き方すべてを語る。

 

 ベストセラーズ発行 黒田 龍彦著 

 

共に生きるということ be humane (100年インタビュー)
緒方 貞子
PHP研究所

 

 

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