坂上二郎 学校の先生
坂上二郎さん歌う「学校の先生」。なんともセリフが泣かせる・・・・。歌謡版「二十四の瞳」との評価も。
⇒⇒ 「学校の先生」の歌詞 ⇒ http://www.uta-net.com/movie/34803/
坂上二郎さんの代表曲「学校の先生」
2011年3月10日、惜しまれながら76歳でこの世を去った坂上二郎さん。コント55号としてのコメディアンの顔・俳優・歌手として幅広い分野で活躍した。「学校の先生」は,坂上さんの歌唱力と感動の歌詞が,売り上げ枚数約30万枚の大ヒットを呼んだ。
鹿児島県出身・坂上二郎さん(さかがみ じろう,1934年4月16日 - 2011年3月10日)
出典:ウィキペディア
鹿児島市立清水中学校を卒業後,鹿児島市内の百貨店・丸屋呉服店に勤務する。1953年、『NHKのど自慢コンクール』で鹿児島県代表に選ばれ優勝したのを機に、歌手を目指し上京する。さまざまな職業を経て青木光一の付き人や島倉千代子の専属司会者を経て、獅子てんや・瀬戸わんや門下となり、漫才コンビ「内藤ロック・安藤ロール」を結成。解散後、「安藤ロール」の名のままストリップ劇場・「浅草フランス座」のコメディアンとなり、阿部昇二に師事。幕間コントで萩本欽一と共演した。
キャバレーの営業等で食いつないでいた1966年、萩本と再会し、お笑いコンビ「コント55号」を結成する。初めは歌手を目指したがさっぱり売れず、諦めかけて大型免許を取って転職しようとした矢先、たまたま麻雀のメンバーが足りず萩本に電話をかけたのが55号に繋がった。もともと即席コンビだったのが、浅草松竹演芸場・日本劇場などで人気を博し、演芸ブームに乗ってテレビに引っ張りだことなり、再度芸能界で活躍するようになった。コント55号ではボケ担当で、萩本の「タレ目」に対して「チッコイ目」で売った。「飛びます、飛びます」や「コタローね」といったギャグで人気を集める。
コント55号として活動中の1972年から1973年頃より俳優としても活動することになり、1976年にコンビとしての活動中断以降は本格的にテレビドラマ、映画、舞台などで活躍した。特に1974年からスタートしたTBS系の刑事ドラマ『夜明けの刑事』で連続テレビドラマ初主演。人情派の刑事役を演じ、新境地を開いた。
コメディアン、俳優と並行して念願の歌手としても活動した。1974年に『学校の先生』が約30万枚を売り上げてヒットした。美声と独特の節回しで知られる。また、坂上の声が『柿の木坂の家』で有名な青木光一に似ているとも言われる。もともと岡晴夫の持ち歌だった『憧れのハワイ航路』をTVなどで数多く歌っている。
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