小松帯刀(こまつ・たてわき)は,天保6年(1835年)10月14日に,薩摩喜入領主・肝属兼善(かねよし)の三男として生まれる。母は島津久貫の娘。幼名は尚五郎,名は清廉(きよかど)。 篤姫,そして後に親交を持った坂本龍馬とは同年生まれ。
鹿児島市街から錦江湾(鹿児島湾)に沿って国道 226号を約20km南下(指宿方面)したところに,喜入(きいれ)という縁起の良い地名の町(合併で鹿児島市に編入)があります。いま新日本石油の原油備蓄基地があることで知られる町が,かつての肝属家の領地でした。
23才の時,藩主・島津斉彬の命により小松家の養子になりました。斉彬亡き後,後継の島津久光にも登用され,京都,江戸で朝廷の中心である公卿方や有力な幕閣との交渉ごとを行う任務についてゆきます。
なお,喜入から指宿方面に向かって数㎞南下した所に薩摩今和泉に,篤姫の実家は今和泉島津家の屋敷がありました。
1835(天保6)年 喜入領主・肝属兼善(かねよし)の三男として生まれる。
1855(安政2)年 小松家の養子となる。
1856(安政3)年 篤姫、将軍家定の正室となる。
帯刀と改名。火消隊長となる
1863(文久3)年 生麦事件が原因で薩英戦争勃発。
1865(慶応元)年 坂本龍馬、鹿児島着。京都小松邸で薩長同盟が締結。
1867(慶応13)年 城代家老に命じられる。
戊辰戦争。江戸城無血開城。
領地・吉利領の返上を申し出、版籍奉還の模範を示す。
1868(慶応4)年 大阪で病死(36歳)
幻の宰相 小松帯刀伝(改訂復刻版)瀬野 冨吉宮帯出版社このアイテムの詳細を見る |
龍馬を超えた男小松帯刀原口 泉グラフ社このアイテムの詳細を見る |