【ビジュアルの系図は,「篤姫館」パンフレットから転載】
篤姫は,天保6(1835)年,今和泉島津家の島津忠剛の娘,一子として,鹿児島城下(現在の鹿児島市大竜町)に生まれる。嘉永6(1853)年,島津斉彬(なりあきら)の実子として島津家本家に入り,名を篤姫と改めた。安政3(1856)年,13代将軍徳川家定の正室(御台所)となる。病弱だった家定は嫁いでから約1年半後の安政5(1858)年に死去。篤姫は23歳の若さで落飾(らくしょう・仏門に入る)して「天璋院(てんしょういん)」と号す。
以来,幕末の動乱期に婚家の徳川家を守るなど,江戸城無血開城にも大きな役割を果たし,りりしく生きた。この生き様が多くの人の共感をよんでいるのであろう。
明治16(1883)年48歳で死去,上野寛永寺に葬られる。
篤姫は,天保6(1835)年,今和泉島津家の島津忠剛の娘,一子として,鹿児島城下(現在の鹿児島市大竜町)に生まれる。嘉永6(1853)年,島津斉彬(なりあきら)の実子として島津家本家に入り,名を篤姫と改めた。安政3(1856)年,13代将軍徳川家定の正室(御台所)となる。病弱だった家定は嫁いでから約1年半後の安政5(1858)年に死去。篤姫は23歳の若さで落飾(らくしょう・仏門に入る)して「天璋院(てんしょういん)」と号す。
以来,幕末の動乱期に婚家の徳川家を守るなど,江戸城無血開城にも大きな役割を果たし,りりしく生きた。この生き様が多くの人の共感をよんでいるのであろう。
明治16(1883)年48歳で死去,上野寛永寺に葬られる。
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