二元論は言います。
「心と体は別物だ。」
あるいは「魂はある」と。
それに対して一元論は言います。
「心と体は同じものだ」と。
極論すればそうなりますね。
さて、一元論の立場に立つと「ビッグバンの瞬間に心はなかった」ことになります。
何せ「脳みそ」と呼べるようなどんな構造体も存在できなかったでしょうから。
記述している世界は10次元か11次元の「ひも」の世界です。
宇宙が膨張冷却して原子が存在できるようになって、恒星系、そうしてハビタブルゾーンにある惑星に生命が誕生して、ようやく「脳みそ」が登場します。
そうやってようやく「脳みそ」の活動のおかげで「心」が誕生したと。
そう一元論は主張している訳ですね。
さあ、そうだとすると「脳みそ」の活動をシミュレートできれば「心」を作り出せることになります。
「脳みそ」が有機体ベースかシリコンベースか、そんなことは2次的なことでありますね。
基本的に「心」は「脳みそ」の「情報処理の結果だ」、あるいは「情報処理過程そのものだ」と一元論は主張しているのですからね。
そういう訳で、「物理学還元論者の皆さん」あるいは「一元論者の皆さん」は「いつかはCOM君が心を持つ」ということに「同意している」わけであります。
そうして、この結論がどれだけ今の皆さんの感覚、あるいは常識とかけはなれていたとしても、皆さんお好きの「論理的結論」では「必然的にそういうことになる」訳であります。
PS
「電王戦記」はこちらから入れます。
PS
上記の話、「いつかはCOM君が心を持つ」、の「いつかは」というところがミソですね。
存在することが分かっていても決して人類には手が届かない「将棋の完全解析」の様な例もありますし。
「COM君が心を持つようになる事」よりも「人類の種としての寿命が尽きる事」の方が早いのかもしれません。
PS
2月号の日経サイエンス記事から
ミチオ・カクが語る心の未来<--リンク
物理学者という種族の典型的な意識のとらえ方が書かれていますね。
電気刺激で脳を改造<--リンク
今更ながら、「脳みその働きとしての意識」という推定の妥当性を示す内容であります。
PS
特集記事一覧にはこちらから入れます。<--リンク
「心と体は別物だ。」
あるいは「魂はある」と。
それに対して一元論は言います。
「心と体は同じものだ」と。
極論すればそうなりますね。
さて、一元論の立場に立つと「ビッグバンの瞬間に心はなかった」ことになります。
何せ「脳みそ」と呼べるようなどんな構造体も存在できなかったでしょうから。
記述している世界は10次元か11次元の「ひも」の世界です。
宇宙が膨張冷却して原子が存在できるようになって、恒星系、そうしてハビタブルゾーンにある惑星に生命が誕生して、ようやく「脳みそ」が登場します。
そうやってようやく「脳みそ」の活動のおかげで「心」が誕生したと。
そう一元論は主張している訳ですね。
さあ、そうだとすると「脳みそ」の活動をシミュレートできれば「心」を作り出せることになります。
「脳みそ」が有機体ベースかシリコンベースか、そんなことは2次的なことでありますね。
基本的に「心」は「脳みそ」の「情報処理の結果だ」、あるいは「情報処理過程そのものだ」と一元論は主張しているのですからね。
そういう訳で、「物理学還元論者の皆さん」あるいは「一元論者の皆さん」は「いつかはCOM君が心を持つ」ということに「同意している」わけであります。
そうして、この結論がどれだけ今の皆さんの感覚、あるいは常識とかけはなれていたとしても、皆さんお好きの「論理的結論」では「必然的にそういうことになる」訳であります。
PS
「電王戦記」はこちらから入れます。
PS
上記の話、「いつかはCOM君が心を持つ」、の「いつかは」というところがミソですね。
存在することが分かっていても決して人類には手が届かない「将棋の完全解析」の様な例もありますし。
「COM君が心を持つようになる事」よりも「人類の種としての寿命が尽きる事」の方が早いのかもしれません。
PS
2月号の日経サイエンス記事から
ミチオ・カクが語る心の未来<--リンク
物理学者という種族の典型的な意識のとらえ方が書かれていますね。
電気刺激で脳を改造<--リンク
今更ながら、「脳みその働きとしての意識」という推定の妥当性を示す内容であります。
PS
特集記事一覧にはこちらから入れます。<--リンク