黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

こも巻(焼かれる虫を想う)

2025-04-01 06:15:38 | 生活

以前は、「寝付けなくても横になっているだけで体が休むから布団の中にいろ」と言われたのに、最近は、「寝られない状態が続くとよくないので寝つけなければ起きろ」と言われるようになった。昔の常識は今の非常識である。

というわけで、早起きしてこのブログを書いている。早くに目が覚めたと言っても9時に就寝するから8時間は寝ている。昔は深夜までテレビを見ていたが、最近のテレビはつまらないから、とっとと寝ようと思うのである。

テレビがつまらなくなったのは歳をとった証拠?とも思ったが、若者はもっとテレビをみないそうだ。奢れるもの久しからず、オワコン・テレビの将来はない。アナウンサーが人気職業だった時代もあったが、既にNHKではときどきAIがニュースを読んでいる。人気稼業は移ろうもの。バスガイドだって昔は人気商売だった。

起きると言えば、春になって虫が起きてくるのが啓蟄。河津桜の時期だから今から1か月くらい前だが、当時、テレビが「こも巻(樹に腹巻きのように巻く藁)を啓蟄の時期にはずす」と言っていた。はずした後のことは言わなかったが、待っているのは地獄絵図である。すなわち、こも巻は、冬の間にそこに虫を集めて、春にはずして焼却処分にするのである。つまり、虫退治の方法なのである。だから、虫の立場から言えば「焼き殺される」のである。

同様に、生糸は蚕の繭から作るのだが、繭の中のサナギがどうなるのか子供の頃は不思議だった。答は、煮殺されるのであった。すなわち、繭を熱湯で煮るのである。「お蚕様」などと「お」と「様」を付けて崇め立ててもとどのつまりは殺すのである。上座に座らせられ一膳多くもられた婿養子もいらなくなればポイ捨てされるのと一緒である。

次の写真は、啓蟄の頃の近所の河津桜のこも巻である。

初代のモスラが公開されたのが1961年。東京タワーができたのは1958年だから、モスラは出来たばかりの東京タワーを真っ二つにしてそこに繭を作ったことになる。あのとき、人はモスラを退治すべく繭を煮たのではなく火炎放射器で焼いたのだが、焦げた繭からモスラが生きて飛び立ったのであった。焼いたりしなければあの繭から相当の量の生糸がとれたはずである。

一寸の虫にも五分の魂と言うが、だったらモスラには何分の魂が宿っているのだろうか。一寸=約3㎝でモスラの羽の長さは100メートルということだから、単純計算では3000分以上ということになる。

 

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仕立屋=切る人+縫う人=外科医

2025-03-31 14:48:15 | 言葉

その仕立屋のことだが(「千一夜物語」の中の「仕立屋の物語」の仕立屋のことだが)、ドイツ語訳では「Schneider」、すなわち「切る人」である。思い出すのは朝ドラ「カーネーション」で、洋裁家のヒロイン糸子が洋服をこしらえるとき生地をハサミで一気呵成に切るシーン。まさに「切る人」であった。もちろん、切ったままでは服にならないから、その後は縫う。「仕立屋の物語」でも、「schneider」(切る)と「nähen」(縫う)がセットになっていた。だが、ドイツ語は、仕立屋を表す言葉として、「Näher」(縫う人)ではなく「Schneider」を選んだ。切る方を重視したのだろうか。あるいは、「Näherin」には既に「お針子」(縫う専門)の意味があったので、縫うだけでなく切りもする仕立屋には「Schneider」を当てたのだろうか。

「切って縫う」は外科医の仕事でもある。

人が仕立てる対象は服以外にもいろいろあるのに、特に洋服作りが「仕立屋」になったのは不思議である。それを言ったら、「オペラ」も本来の意味は「作品」であるのに特に歌劇が「オペラ」になったのも不思議である。

なお、前記の「Näherin」が女性形なのは歴史的にお針子業を女性が担ってきたからだが、今朝のあさイチで見事な針仕事を披露したロッチのコカドさんのような男性が増えれば、辞書の「Näher」(男性形)にも「お針子」が載ることになるだろう。なお「näher」と小文字で書いた場合の意味は「より精密に」である。

 

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独身の奨め?(千一夜物語の教訓)

2025-03-30 14:52:40 | 小説

その千一夜物語に出てくる若者はきまって美女に恋をし、決まってひどい目に遭う。例えば、ある若者は、惚れた相手に貢いだ揚げ句一文無しになり、スリをはたらいて御用となり、右手を切断される(目には目をの世界)。またある若者はロズバジャ(ニラ料理)を食べた後に手を洗わなかったというだけで新婦の怒りを買い、新婦から手足の親指を切り落とされる。またある若者は、惚れた相手が美人局(つつもたせ)で、人妻かどわかしのカドで百叩きの刑に遭う。

千一夜物語の序文には「昔話は後世の人への教訓」とあるが、こうした若者の遭難はいかなる教訓となるのだろうか?可能性を検証してみよう。

その1。恋をするなら、右手を切断され、手足の親指を切り落とされ、百叩きの刑に遭うくらいのことを覚悟して挑め、という教訓。

その2。恋人にひどいことをされても一切逆らわずに辛抱しろという忍耐の教訓。例えば、ロズバジャが原因で新婦から親指を切り落とされた若者の物語は、信じられないことに、その妻と幸せな人生を送りましたとさ、で終わる。想像を絶する辛抱があって可能なハッピーエンドだと思う。そう言えば、バッハのカンタータの歌詞にも「Geduld」(忍耐)がしょっちゅう出てくる。

その3。あなたの恋人の怖さなどたいしたことはない、もっと怖い人はいくらでもいる。逆に優しいくらいである、と思って感謝せよ、という逆転の教訓。

その4。異性には近づくな、という教訓、すなわち「独身の奨め」である。だが、そもそも若者が恋をするのは種の保存を企むDNAの策略である。そうしたDNAの命令に逆らうことは、普通の人にとっては至難の業である(私は奨められなくても独身である。普通の人でないのなら超人である)。

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千一夜物語の閉じ括弧

2025-03-30 11:40:55 | 小説

千一夜物語の目次には、千一個(実際はもっと少ないと言われている)の物語のタイトルが並んでいるが、これらすべてが独立の物語というわけではない。その一例を挙げると、目次には「背中の曲がった男の物語」「仕立屋の物語」「床屋の物語」が並列に挙げられているが、その内容は、シェーラザードがシャフリヤール王に「背中の曲がった男の物語」を語り、その物語の中で仕立屋が中国の王様に「仕立屋の物語」を語り、その物語の中で床屋がバグダッドのカリフに「床屋の物語」を語る、という案配である。これを重層的な括弧で表すと、「シェーラザードがシャフリヤール王に「仕立屋が王様に「床屋がカリフにかく語りき」と語りき」と語りき」となる(始め括弧の数が3個だから閉じ括弧の数も3個である)。だから、読み進むうちに、あれ?これってそもそも誰の話だっけ?って具合に頭がこんがらがってくる。確かなのは、上記の重層的括弧の一番外側の括弧内の「語りき」の主語がシェーラザードであること、すなわち、すべてはシェーラザードの口から語られた内容である、ということである。

その意味では「ソフィーの世界」も同様である。すなわち、ソフィーの物語が進行するうちに、その物語がヒルデに父親が語る物語であることが分かってくる。とどのつまりは、すべて作者のヨースタイン・ゴルデルが語る物語なのだが。

因みに、シェーラザードが毎夜毎夜シャフリヤール王に寝物語を聞かせるのは、シャフリヤール王は妻を娶る度に初夜の翌朝その首を切ることを日課としていたのだが(浮気をする世の女性に対する復讐である)、その妻となったシェーラザードは面白い寝物語の続きを聞きたいと王に思わせることによって命を長らえようと計ったのである。そういう意図で語られる物語の登場人物がこれまた助命嘆願の手段として面白い話をしたりする。すなわち、話の内容も同様のものが重層を成していることが多いのである。

このような重層的世界は私のはかない脳では整理不能である。だから、千一夜物語を読みながらその重層関係を毎日エクセルに記録しているご苦労様なワタクシである。

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健康と食に関する疑問と盲信

2025-03-29 13:58:28 | 料理

疑問。疲労回復に効果があるというイミダゾールペプチドは鶏むね肉に多く含まれるというが、ではササミはどうなのだろう?ササミはむね肉の一種であるが。答。ササミにも含まれてはいるがむね肉の方が多いようである。むね肉の一種であってもササミという独立名称を頂いているだけあって一般的なむね肉とはいろいろ異なるようである。

疑問。血圧を下げる効果があるいうCMに乗っかってずっと「いいとこ酢」を飲んでいるのだが、他のお酢はどうなのだろう?答は……得られてない。

盲信。もともとナスの血圧を下げる効果が他の野菜の1000倍であるところにもってきて高知なすは普通のナスの4倍、すなわち他の野菜の4000倍であると聞いて以来高知なすを食すようにしている。私が1袋100円を超える野菜を購入するのは高知なすだけである。因みに、「高知なす」と「高知産なす」は別物であり、後者は「普通のナス」の部類なのだが、スーパーでは、ときどき両者が入り混じって売られている。

盲信。緑黄色野菜は油で炒めると栄養効果が上がると聞いて以来ほうれん草も小松菜も必ず炒めている。だから、私のレシピには「ほうれん草のお浸し」はない。

盲信。ワカメやキクラゲは水溶性食物繊維が豊富で大腸の善玉菌の栄養になり免疫向上につながると聞いて以来毎日食している。このうち、ワカメはC国製ではなく値段が高くとも国産品を選んでいるのはC国が日本の海産物の輸入制限をしているからである。「Buyジャパニーズ」である。これに対し、C国製のキクラゲを食しているのはキクラゲは海産物ではないからである(キクラゲ≠黄クラゲ)。C国製のキクラゲは相当安いところにもってきて私はムースーロー(卵とキクラゲと豚肉の炒め物)が大好物だから、かなりの確立で食卓にムースーローが並ぶ。

因みに、かつてワカメは髪に良いと言われたのは都市伝説(嘘とも言う)だったようだが、上記の通りワカメが体に良いことには間違いはないようである。

もう一つ因みに、京丹後に健康長寿の人が多いのは海藻をたくさん食べてるからだそうだが、その話を聞いて、私は京都府が日本海に面している事実を初めて知った。ついでに、福岡県が玄界灘のみならず有明海にも面している事実を知ったのも近年のことであるが、知るきっかけが何だったかは覚えてない。

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