以前は、「寝付けなくても横になっているだけで体が休むから布団の中にいろ」と言われたのに、最近は、「寝られない状態が続くとよくないので寝つけなければ起きろ」と言われるようになった。昔の常識は今の非常識である。
というわけで、早起きしてこのブログを書いている。早くに目が覚めたと言っても9時に就寝するから8時間は寝ている。昔は深夜までテレビを見ていたが、最近のテレビはつまらないから、とっとと寝ようと思うのである。
テレビがつまらなくなったのは歳をとった証拠?とも思ったが、若者はもっとテレビをみないそうだ。奢れるもの久しからず、オワコン・テレビの将来はない。アナウンサーが人気職業だった時代もあったが、既にNHKではときどきAIがニュースを読んでいる。人気稼業は移ろうもの。バスガイドだって昔は人気商売だった。
起きると言えば、春になって虫が起きてくるのが啓蟄。河津桜の時期だから今から1か月くらい前だが、当時、テレビが「こも巻(樹に腹巻きのように巻く藁)を啓蟄の時期にはずす」と言っていた。はずした後のことは言わなかったが、待っているのは地獄絵図である。すなわち、こも巻は、冬の間にそこに虫を集めて、春にはずして焼却処分にするのである。つまり、虫退治の方法なのである。だから、虫の立場から言えば「焼き殺される」のである。
同様に、生糸は蚕の繭から作るのだが、繭の中のサナギがどうなるのか子供の頃は不思議だった。答は、煮殺されるのであった。すなわち、繭を熱湯で煮るのである。「お蚕様」などと「お」と「様」を付けて崇め立ててもとどのつまりは殺すのである。上座に座らせられ一膳多くもられた婿養子もいらなくなればポイ捨てされるのと一緒である。
次の写真は、啓蟄の頃の近所の河津桜のこも巻である。
初代のモスラが公開されたのが1961年。東京タワーができたのは1958年だから、モスラは出来たばかりの東京タワーを真っ二つにしてそこに繭を作ったことになる。あのとき、人はモスラを退治すべく繭を煮たのではなく火炎放射器で焼いたのだが、焦げた繭からモスラが生きて飛び立ったのであった。焼いたりしなければあの繭から相当の量の生糸がとれたはずである。
一寸の虫にも五分の魂と言うが、だったらモスラには何分の魂が宿っているのだろうか。一寸=約3㎝でモスラの羽の長さは100メートルということだから、単純計算では3000分以上ということになる。