黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

ディーコイ(大谷選手MVP獲得)

2024-11-22 10:03:22 | スポーツ

大谷翔平選手がMVPを獲得。何かと差別が問題となるアメリカだけれど、国籍・人種を問わず正当な評価をしたところは、さすが、憲法に人権条項を入れた世界で最古の国だけのことはある(腐ってもアメリカ。かつて国連の会議で米中の議論になったとき、中国代表が「4000年の歴史」を持ち出したのに対し、アメリカのパウェルさんが「世界で最古の民主国家から来た」と言い返したのが印象的だった)。

翻って自国を見るに、思い出すのは江川卓投手が沢村賞を獲れなかったときのこと。成績的には文句はないのに、投票した記者達が江川選手が嫌いなものだから「人格」とか言うワケのわからない基準を持ち出して選出しなかった。人の人格をとやかく言うって自分が人格者じゃなければできないことだと思うのだが。

大谷選手と奥さんの真美子さんがツーショットで並んでいると普通の日本人カップルのように見えるが、実際は、平均的な日本人カップルと比べて頭二つ(三つ?)抜けている。俳優さんも、テレビ画面では普通に見えてもトーク番組で見ると、わ、こんなに大きいの!?と思うことが多い。ってことは、周りの俳優さんもみんな大きいってことだね。大昔、♪おーきい(ソーソミ)、ことはいーことだ(ソラソミミーレドミ)ってCMがあったっけ。恐竜もどんどん巨大化していったし(巨大隕石が衝突しなければ滅びることはなかった?)

大谷選手がワールドシリーズで肩を怪我しても出場し続けられたのは、監督から必要だと言われたことが大きかったと本人が言っていた。大谷さんほどの人でも、周囲の期待がモチベーションに影響するのか。そういうものでしょう。激励は大事。逆もまたしかり。「いない方がいい」と言われたらそりゃどこにも行きませんよねー。

インタビューと言えば、感心したのがダルビッシュ有投手。改善点を見つけ、より良い選手になれるよう努力すると仰った。38歳でもう十分「よい選手」だと思うんだけど、さらに改善点を見つけようとする向上心は見上げたもの。やっぱり、大成する人は心持ちが違う。ダルビッシュさんって、高校からプロに行ったときはやんちゃなイメージだったんだけどね。因みに、当時、どこかの外国に日本チームが遠征したとき、現地のファンがダルビッシュにキャーキャー言ってて、イケメンは世界共通なんだと思ったもの。

因みに、大谷家の飼い犬のデコピンは、アメリカでデコイと呼ばれてると聞いたけど、アメリカのテレビのキャスターは「ディーコイ」と発音してた。なるほど、「de」だから「ディー」か、と納得した次第です。

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川の成り立ちVol.6葛西用水路(下巻)「都内編」(公開版)

2024-11-21 16:57:38 | 地理

【これまでのおさらい】利根川のほとりで生を受けた葛西用水路は、途中から古利根川と水路を共用したが古利根堰で袂を分かち、逆川と水路を共用し、新方川と元荒川をくぐってから逆川とも袂を分かち、独立して一路東京都足立区を目指して南下したのであった。

【垳川に合流】埼玉県内で南下を続けた葛西用水は、いよいよ東京都に突入する直前まで来た。正面にあるのは埼玉県と東京都の境を東西に流れる垳川である。

合流を垳川の側から見たのが次の写真。手前で左右に流れる垳川に右奥から侵入する流れが葛西用水路である。

葛西用水路は、他の河川にぶちあたるとその川底の下をくぐって通り抜けてきたが、垳川に対しては直接水を交えている。垳川は、大昔は綾瀬川の本流で中川に注いでいたが、現在では綾瀬川からも中川からも締め切られているから、交叉する葛西用水からもっぱら水の供給を受けている。

【葛西用水親水水路】垳川を横切らんとする葛西用水路の進行方向先にあるのが葛西第一水門。

この水門を通って葛西用水は南下すると思いきや、この水門は常時閉鎖されている。地図上では葛西用水路は続いているが、水の連絡はなく、この先は、葛西用水親水水路として、足立区民の憩いの場となっている。すなわち、用水としての使命はここまでである。だから、水門の南側に水はあることはあるが、

もはや水溜まりである。いっとき、古利根川と流れを共にしていたときはあそこまで大河であった水流がここまで落ちぶれるとは。人生もはかないが、川の生涯もはかない。

それでも、しばらく南下すると、いくぶん川幅が広くなり、親水水路らしくなる。

そのうち、おなじみの「潜る孔」が現れた。

今回潜るのは花畑運河である。

花畑運河は、垳川と同様、綾瀬川と中川を結ぶ水流である。上流から断ち切られた葛西用水親水水路は、この花畑運河から水の供給を受けている。

花畑運河をもぐった先は、暗渠と開渠が交互するが、開渠の部分は親水水路としての整備がよくなされていて、春は桜並木が見事だし、今の時期は紅葉がきれいである。

途中で、環七をくぐった後も、なお親水水路が続く。

なお、環七の手前までは、葛西用水親水水路に並行する通りが「葛西用水桜通り」であったが、環七を過ぎてからは、葛西用水桜通りは葛西用水親水水路の一本西側の道である。

葛西用水親水水路をさらに進むと右手に池が現れた。

東和親水公園である。ここにはカメがいるという噂だったが、池を占拠してたのはサギとカモだった。

さらに進むと(この間、ずっと南下してきている)、すっかりお馴染みになった「潜る孔」が現れ、水路は暗渠となった。

すると、巨大な水車(亀有大水車)が現れた。

傍らにポンプがあったから、これで汲み上げた水で回るのだろうか。この時期、水はなく、水車もただのオブジェであった。

さらに進むと、とうとう古隅田川との合流地点に到達した。

標識があるが、葛西用水親水水路は暗渠のままだし、古隅田川もここら辺は暗渠なので、合流は人の目の及ばない地下でひっそりとなされている。

昔は、葛西用水路は、ここから曳舟川となって、お花茶屋辺りまで南進した後、綾瀬川と合流するまで南西に流れていたのだが、現在、曳舟川は埋め立てられて消滅している。だから、葛西用水路はここが終点である。亀有大水車前の手前で暗渠になる直前に見た陽の光が、葛西用水路が見た最後の陽の光となったわけである。だが、曳舟川の跡は、道だったり公園になったりしていてその名を残している。ここから古隅田川をたどる考えもあったが、今回は、葛西用水路の旅なので、曳舟川の名残をたどることにする。

【曳舟川親水公園】曳舟川が変身した道(曳舟川親水公園緑道部)を進むと、JR線のガードが現れた。

そうか、ここは曳舟川だったのか。すぐ近くが亀有駅である(昔は「亀無」だったそうである)。ガードをくぐって更に進む。

すると、道路の中央が公園ぽくなってきた。

曳舟川が公園に変身したもので、その名も曳舟川親水公園という。そう、この公園は道路(曳舟川親水公園通り)の上下車線の間にあって、曳舟川親水公園通りと運命を共にするながーい公園なのである。水路っぽい所もあるが、水があったとしてもそれは人工的に流された循環水である。この時期、ほとんどの箇所で水は涸れていた。

公園内に、鳥とそれを見上げる人の像が現れた。

この鳥は白鳥だそうだ。この辺りには白鳥がいたそうだ。だから、この辺りの地名は「白鳥」なのだとガテンがいった。

すると、京成本線のお花茶屋駅横の踏切が現れた。

ここを渡ってもなお道路内の細い公園が続く。紅葉の時期真っ盛りである。

【綾瀬川に到達】四ツ木近くでようやく公園が途切れると、もう綾瀬川がすぐである。

とうとう四ツ木小橋に到着。綾瀬川にかかる橋である。正面にスカイツリーが見える。

葛西用水路は、その昔、ここで綾瀬川に合流して終点だった。途中から名残りのみを追うことになった葛西用水路をたどる旅もここでおしまいである。綾瀬川の上流をのぞむとなかなか立派である。

この向こう側に綾瀬川と並行して流れる荒川はもっともっと立派である。架かる橋も「小」がとれて四ツ木橋である。

今回の踏破図がこれ。

三回に分けてレポートした葛西用水路の全ルート図がコレである。

図の最上部は栃木県と埼玉県の県境であり、下部は東京都足立区を超えて葛飾区に入っている。取材に要した日数は3日。よく歩いたものである。暇人と人は言う。その通りである。

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半音下げる仕掛け(ボエーム)

2024-11-20 18:52:50 | オペラ

プッチーニのオペラ「ボエーム」については、ずっとカラヤンが指揮しロドルフォをパヴァロッティが歌いミミをフレーニが歌うレコードが名盤とされていた。その後、ビデオが出回るようになってから、なかなかこの組合せによる映像が現れなかったが、ようやく、サンフランシスコ・オペラの公演を収めたレーザーディスクでその組合せが実現したので、大喜びでゲット。ところがでござる。

パヴァロッティの別名は「キング・オブ・ハイC」(ハイC=たかーいド。そう言えば「ハイシー」というジュースがあったが今でもあるのだろうか)。そして、「ボエーム」のアリア「冷たい手」の最大の聴かせどころが高いドだから、このアリアはパヴァロッティのためにあると言っても過言ではなかった。ところが、件のレーザーディスクの演奏では、なんと、天下のパヴァロッティが「冷たい手」を半音下げて歌ってる。そりゃあ、高い音だから、半音下げて歌う歌手は少なくない。しかし、パヴァロッティはハイCの人である。そのパヴァロッティが半音下げて、どうだって感じで伸ばした音が「シ」だったら「キング・オブ・ハイC」の名が泣く、というものである。

因みに、このアリアを半音下げて歌う場合、全体を下げなければならない(一番高い所だけ下げたらそこだけ短調になってしまう)。だが、このアリアは、その前からずっとつながってるから、アリアの所だけ下げたら不自然である。バレないようにそっと下げるためにこういう仕掛けを用いる。次の楽譜はアリアの直前の部分であり、オリジナルと、半音下げる場合とを比較したものである。

赤でくくった部分の始まる箇所が仕掛けどころである。このように、アリアの前から半音下げておくわけである。

因みに、件のレーザーディスクでは、このアリアに続くフレーニの「私の名はミミ」は、ちゃんと下げずに歌っていた。しかし、それはそれで大変である。二つのアリアは続けて歌われるし、しかも、前奏はヴァイオリンが2拍音を伸ばすだけだから、半音低い「冷たい手」の後に歌う「私の名はミミ」も半音下がりそうなところである。だが、パヴァロッティが盛大な拍手をもらうからそこでいったん中断する。その後、ヴァイオリンの2拍を良く聴いて入れば「元に戻る」というわけである。

ところで、二つのアリアの後は二重唱になり、その最後は、楽譜ではミミがハイCでロドルフォが真ん中のミでハモるのだが、往々にしてロドルフォが声自慢だとミミと同じメロディーを歌いたがる。すると、ロドルフォもハイCを歌わなければならなくなる。果たしてこの日のパヴァロッティはどうするのか?フレーニにお願いしてここも下げてもらうのか、それともミを歌ってハモるのか?答は下巻で……って「川の成り立ち」シリーズではない。ここで答を言う。下げずにミミと同じ音を出したのである。すなわち、ハイCを出したのである。見事であった。なーんだ、出るじゃん、じゃ、なんで「冷たい手」では下げたんだろ、と思ったが、まあ、リスクは一回だけにした、というところかもしれない。

この公演には、ニコライ・ギャウロフも出ている。言わずと知れたフレーニの(2番目の)夫である。フレーニのバーター……などと言ってはいけない。ギャウロフだって大歌手である。逆に、妻のフレーニが出るので自分も出てやった、ということだろう。サンフランシスコの歌劇場は、メトロポリタン歌劇場に比べると一枚落ちる印象だったが、いやいやなんの、これだけのキャストを集めるんだから立派である。

このレーザーディスクには出演歌手のインタビューもついていて、ギャウロフが「歳をとってから青春を歌うのもいいもの」と言っていた。知人のアマチュアのカウンター・テナー氏が「美しい水車屋の娘」(若い粉屋見習が失恋する歌曲集)を歌うのも同じ心境だろうか?ま、歌だけなら相手はいらないからね、好きにやればよろしいでしょう。

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川の成り立ちVol.5葛西用水路(中の巻)「逃げおおせた葛西用水」

2024-11-20 09:49:14 | 地理

【前編のおさらい】利根川の水を引いた埼玉用水路から分水するカタチで生まれた葛西用水路は、途中、中川の起点を横目にしながら南流を続けたが、久喜辺りで終点を迎え、その流れは古利根川に変身して継続。だが、葛西用水路は消滅していなかった。古利根川の裏の顔として存続していた(古利根川との水路の共用)。ハヤタ隊員がウルトラマンに変身してもハヤタ隊員であるごとしである。ところで、古利根川はいずれ中川に合流して消滅する。その際、裏の顔である葛西用水路も運命を共にするのか?そうであれば、足立区にたどり着いた葛西用水路は一体何物なのだ?その答は、今回の「中の巻」で明らかになる。

【補足】その前に、前編の補足がある。中川の起点の葛西用水路を挟んだ反対側に水の流れが続いていて、これはなんだ?中川とつながっているのか?つながっているのなら「起点」は起点でないのではないか?という疑問を呈したが、「お里知れず」のその流れのお里が知れた。やはり中川とつながっていた。宮田落(おとし)と言って、上流から流れて来て、葛西用水路とぶつかった所ではその下をくぐって(伏せ越し(今回、これが重要なテーマになる))出てきたところで中川に名前を変えたのである。だから、件の「起点」は、流れ全体の起点ではないが、中川の起点(管理起点)には間違いなかったのである(以上を前編に追記した)。

【中の巻本編】それでは、中の巻に入ろう。今回のスタートポイントは、東武伊勢崎線の北越谷駅(前回よりだいぶ都心寄り)。そこから30分歩くと、前回、その起点を見た古利根川の成長した姿があった。

東武伊勢崎線の駅間で言うと久喜と北越谷間の距離で、これだけ立派になったのである。そして振り返るとそこにあるのが古利根堰。

写真の左端辺りに取水口があるのだろう。そこから取水した水が「逆川」(さかさがわ。江戸川成立の回のときに登場した川とは別物)となって、古利根川の流れと袂を分かつ。

この逆川の裏の顔が葛西用水路なのである。つまり、葛西用水路は、ここまで古利根川に抱きついてきたのだが、抱きつき先を逆川に乗り換えたのである。そうやって古利根川の合流による消滅から免れたのである。親分が捕まりそうになったので、別の親分のところに逃げて捕まるのを免れた子分のようなものである。因みに、「逆川」という名称は、その流れの向きが古利根川の向きとは逆方向だからついた名称ではないかというのは私の推測である。

その逆川は、地元民の憩いの場になっているようで、川岸には人がたくさん出ていた。太公望もたくさんいた。

人だけではなく、猫もいた。

しばらく行くと、逆川が地に潜った。

その先にあるのは、新方川(にいがたがわ)である。

逆川が地に潜ったのは、この川の川底下をくぐって対岸に出るためである。すなわち、川の立体交差である。これを「伏せ越し」という。冒頭で「伏せ越し」が今回の重要テーマになると言ったまさにそれである。私は一緒に潜れないので、近くの橋を渡って対岸に行く。すると、あった、あった、新方川を潜った逆川が出てくる孔が。

ここから先、逆川の沿道は、「逆川緑の道」として整備されているから、

しばらくはこの道を歩くことにする。なかなか閑静である。

30分位は歩いたろうか、再び、逆川が地に潜った。また出た!伏せ越しである。

今回、その下をくぐる相手はかなりの大物である。元荒川(荒川西遷までの荒川の本流)である。

私は一緒に潜れないので、近くの橋を渡って対岸に行く。対岸にあったのは越谷御殿跡である。

へーえ。家康は越谷に御殿を設けていたのか。家康が鷹狩りの際にその御殿に泊まった際、元荒川はまだ荒川本流だったと思われる。この石碑の裏に元荒川をくぐった逆川の出口があった。

こうして、二つの川の下をくぐり抜けた逆川は、ここから左に大きくカーブをし始めた。

この角度で曲がり続けると元荒川と並行することになるな、と思っていたら案の定、広い土手が見えてきた。

元荒川の土手である。こうして、二つの川はしばらく並行して流れることになる。

土手の向こうが元荒川であり、手前が逆川である。なかなか広々として気持ちのいい土手である。

はてさて、このように小さいと大きいのが並んでいたら、小さいのは大きいのに食われるのが必然である。そう、逆川は直に元荒川に合流して消滅するのである。すると、再び例の問題が生じる。逆川と共に葛西用水路も一緒に消滅するのか、という例のアレである。葛西用水路のとった手段は前回と同様、すなわち、脱出である。しばらく行くと、逆川に取水口が現れた。

その名も、東京葛西用水元圦、すなわち、葛西用水の脱出口である。今回は裏の顔としてではない。堂々、自分の名前を出しての脱出である。しかも、「東京」の文字を冠している。長旅の末に単独でやっていける自信がついたのだろう。そうやって脱出して出てきた葛西用水がコレである。

こうして、(東京)葛西用水路は、またしても合流による消滅から免れ、今度は単独の水路となり、

一路、東京都足立区を目指すのである。足立区に入る辺りから先は、下巻のお楽しみとしよう。私も、この日はこれで取材終了。連日3時間の取材歩きだが、アドレナリンが出ているせいか、疲れは感じない。

帰りは、南越谷駅から武蔵野線に乗車。吉川辺りで中川を渡った。

この少し上流で、今回登場した三川(古利根川、新方川、元荒川)を合流させたのだから、大河になるのは当然である。

そして、新松戸で常磐線に乗り換えて都心方向に向かったら、夕陽に映える富士山が見えた。

ボーナスカットのつもりだったが、鉄柱がじゃまである。

前回と今回のルート図を載せておく。

図の下側の赤い線の先が東京都足立区であり、下巻の舞台である。

 

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相続の限定承認の後に相続放棄はできない

2024-11-19 10:53:23 | 法律

相続を特集した昨日のあさイチを見ててわが耳を疑った場面があった。ゲストの一人が「相続の限定承認(相続した借金のうち相続したプラスの財産を超える部分は払わなくてよくなる)をした後に相続放棄ができるのか?」と聞いたのに対し、「相続に詳しい弁護士」の先生が「そうなんです」と言ったのだ。私の知識ではできないはず。あらためて、録画を見る(「おーい、ごはんだよ」を残すためにあさイチは毎日録っている)。やはり「そうなんです」と言っている。なにしろ、そう仰った先生は「相続に詳しい」「弁護士」の先生である。二重の箔である。私の頭が変なのか?それとも制度が変わったのか?条文を見ると、やはり「相続の承認(と言ったら単純承認も限定承認も入る)は撤回できない」とある。限定承認の後の相続放棄は限定承認の撤回にあたるからできないことになる。さらに、念押しで、もう読むことはないだろうからと押入の奥に突っ込んでおいた民法の本を引っ張り出してチェック。結論は変わらず。ってことは弁護士先生が間違ったか?だが、間違いだったとしても、今日(昨日)は訂正しないだろうな、「相続に詳しい」「弁護士」の先生にその場では誰も異を唱えないよな、訂正するとしたら明日だ、と思って明日(今日)を待つことにした。

そして今日(昨日の明日)になった。訂正するとしたら、「おーい、ごはんだよ」が終わって鈴木アナにカメラが切り替わったときだ、と思ったらまさにそのとき、鈴木アナが「昨日の放送について訂正があります」と切り出した。訂正と言いながらいろんな考え方がある等々言い訳がましい場合が多々あるが、今回は「限定承認をした後に相続放棄はできません。確認が不十分でした」ときっぱり。それだけ重大な誤りであったわけだ。そりゃそうだ。○○スポーツの記事ではない。天下のNHKである。人は信じるだろう。しかも、その内容は国民にとって重大関心事である(だから特集したのだろう)。相当数の国民が誤った知識を植え付けられたのだから訂正は当然である。だが、昨日の放送を見た人全員が今日の訂正を見たわけではないだろう。だから、ホントはすぐさま訂正すべきであった。せめてこのブログを読んでいただければ私も社会に貢献できて幸せである(と思ったが、当ブログの信頼性は○○スポーツ以下だし、そもそも誰も読んでないだろうからダメである)。

NHKの誤りと言えば、12年前、FMがフィッシャー・ディースカウの追悼番組を放送したとき、ヨッフム指揮のマイスタージンガーのオケをプラハ国立歌劇場管弦楽団と紹介していて、え?フィッシャー・ディースカウが歌ったドン・ジョヴァンニならそうだけど、マイスタージンガーだったらベルリン・ドイツ・オペラじゃないの?と思ってNHKに問合せをしたら、「おっしゃる通り」というご丁寧なお返事がきた。だが放送で訂正したかどうかは知らない。まあ、今回の事と違って訂正しなくても社会的損失はほぼゼロであったろう。せいぜい、放送を聴いたマニアが他のマニアと飲んだ際、「プラハだ、NHKがそう言ってた」「違う、ベルリンだ」で喧嘩になって血を見るくらいのものである。

昨日の放送に戻るが、他にもひどい話があった。と言っても、そっちはNHKがやらかしたわけではない。どこかの区役所の職員が、相続放棄した人に、被相続人の未払いの住民税を払ってもらわなければ困る、と言ったというのだ。もちろん、相続放棄した人は、被相続人の一切の債務を履行する必要はない。住民税だって同じである。言われた人は、自分で調べて、払う必要がないと分かって、担当職員にその旨を言っても謝りもしないので区役所に文句のメールを送ったらそこで初めて謝罪メールが返ってきたという。「今後、職員教育を徹底する」ともあったそうである。当然である。まあ、その職員は単に無知だったのだろうが、かりに故意だったら(払わなくていいことを知っていながら騙して払わせようとしたのなら)詐欺罪(未遂)である。

だが、このご時世、文句を言うにも節度が必要である。区役所に行って大声でわめきたてたりしたら「カスハラ」のそしりを受けかねないし、場合によると公務執行妨害でお縄になる可能性だってある。

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