黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

詐欺電話

2025-03-13 09:12:03 | 生活

昨夜のヴァイオリンの記事を昨夜のうちに読んだ方は、今朝、重要な追記(そのヴァイオリンを網棚に置き忘れた話)をしたから、興味のある方は再読していただければ幸いである。

では、今朝の記事に入る。まるで詐欺レベルの紛らしさである。どこかのネットニュースの見出しのことである。「NHK鈴木奈穂子アナ「あさイチを卒業」」とあったからびっくりして記事を読んだら(それが作り手の作戦だったのか)、鈴木アナがあさイチを卒業する近藤泰郎アナにコメントを促した、という話であった。今や、日本は嘘つき大国である。

詐欺と言えば、とうとう本物の詐欺に遭った。留守録ボタンがピカピカ光ってたから確認したら、電話番号は外国のモノ。これだけで詐欺決定である。で、録音内容を聞くと、「NTTの支払いがされていない。強制的に使用を停止する」というもので、こういう詐欺が存在することも事前に聞いていた。もちろん、こうしたモノに一切反応してはならないが、記念に消去しないで置いておくことにした。

大体、天下のNTTが、お役所であるまいし、いきなり「強制的に停止」などという脅迫めいた上から目線のメッセージを送るはずがない……いや、待て、こないだクレジットカードの切替の際、新しい番号を登録しなかったのでWIFIの支払いができなかったときは、WIFI会社からいきなり「回線停止のお知らせ」が来てぎょっとし、金を払わないのはドロボーと同じと当ブログに書いたばかりであった。

「お役所であるまいし」と書いたが、NTTは、その昔は電電公社と言って、ほとんどお役所であった。私の実家が電話を引いたのは私が小学3年生のときで、もちろん電電公社時代である。電話回線を買うには結構なお金がかかったが、小学3年まで電話を引かないでいたのはウチがとりわけ貧乏だったわけではなく(実際貧乏だったがそのせいではなく)、その頃、町中が一斉に電話を引いたのだった。家に電話が来た早々にクラスメイトにかけたことを覚えている。

今や、固定電話を持たない人が多いと聞く。私だって、留守録にかかってくるのは、保険会社と今回の詐欺電話くらいのものである。なくてもよいのだが、オンライン手続の認証用に固定電話を要求する銀行があることと、万が一お役所からなんかの連絡があったときのために残してある。

一人暮らしの高齢者にとっては、固定電話にかかってくる電話に対する受け答えが唯一の人との会話(社会との接点)であり、詐欺だと分かっていても人と話をしたいがために乗ってしまう場合があるという。まあ、私も、一人暮らしの高齢者であり、日頃お話をする友達はいないが、もともと人と話すのが好きではないので詐欺話に乗るおそれはない。

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下手の言い訳

2025-03-12 17:56:32 | 楽器

カーサ某のセッションで久しぶりにヴァイオリンを弾いた。もちろん「下手の言い訳」をしたうえで、である。そう、居並ぶ達人の前でずうずうしく弾くためのとっておきの言い訳があるのである(「下手な言い訳」は言い訳が下手なことであり、「下手の言い訳」は下手である理由である。今、話しているのは後者である)。すなわち「私のヴァイオリンは、弓とケース込みで2万円」と言うのである。これはなかなかの威力があり、達人たちはそんな楽器はあり得ないと信じてるから、音が出るだけで「おおー」となるのである。人々をうならせた2万円がコレである。

商品名としてイタリア人のような名前が付いているが、イタリア製であるわけがない。だが、この言い訳が通用するのは、達人たちがブルジョワジーに属しているからである。私と同様のプロレタリアート階級だったら「あっ、私のもそのくらい」と言われるかもしれないし、ことによると、「2万円もするの?私のはもっと安いよ」という超人がいるかもしれない(私の楽器と同じものを中古で買えばありうる話である)。

故意ではないのだが、つまり忘れていたのだが、実は「全部ひっくるめて2万円」は正確ではない。いや、当初はそうだった。だが、弓にもお金を出した方がいいと聞いて、弓を別途調達したのだった。そのお値段が1万円だから合計3万円が正しい(達人たちからは「お金を出したことにならない」という声が聞こえてきそうである)。

この楽器を買ったのは数年前である。その前に持っていたのは子供の頃買ったヤツでコレである。

たしか、7千円くらいだったと思う(まさに2万円以下である。時代と物価水準が違うけれど)。子供貯金をおろして買ったのだった。この7000円楽器が数年前に壊れてしまった。それで2万円楽器に交代したわけである。壊れたとしても想い出がたくさんつまっているから、今は押入の奥で静かな余生を過ごしてもらっている。

因みになぜ子供貯金をおろして買ったかというと、私の親が、常々子供に楽器を買ってやるようなお金はないと言っていて、親に出してもらうのが絶望的だったからである。そんな折り、ふと子供貯金のことを思い出して、それでヴァイオリンを手に入れることができたわけだ。こういうことをときどきブログに書いてるのに「黒式部さんはいいところの子供に違いない。楽器をいろいろやってるから」と言う人が後を絶たなくて、「ほんとにブログを読んでくれてるの?」と思うこともあるが、そんなものである。人は他人のことなど興味がないのである。

なお、高校で吹奏楽部に入ったとき親がクラリネットを買ってくれたことは親の名誉のために書いておかねばならないだろう。半世紀前で16万円だったからかなりの逸品である。絶対ムリだと思いつつおそるおそる頼んでみたらOKという返事が返ってきたとき奇跡が起きたと思ったものである。

(追記)一番書きたいことを書きそびれていたので追記する。その2万円ヴァイオリンを、セッションの帰りに電車の網棚に置き忘れたワタクシである。駅から出て歩き始めて10分経って気がついて、駅に戻ったらすぐに出てきて事なきを得た。2万円だから置き忘れたんだろうって?ナイン!親が唯一私のために大金を払って買ってくれたクラリネットですら電車の網棚に置き忘れたことがある(半世紀近く前)。鉄道会社に問い合わせると、小田原駅で保管されてることが判明し、そこまでとりに行ったのだった。受け渡しのとき、駅員さんから「これは骨董品?」と聞かれたことを覚えている。私の愛器はキーのメッキのせいでくすんで見えるためである。今でも同様である。

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川の成り立ちVol.11古隅田川に栄枯盛衰を見る

2025-03-12 09:50:17 | 地理

話を太古の昔から始めよう。利根川は、太古の昔においては東京湾(江戸湾)に注いでおり、現在の中川、古隅田川、隅田川を通る大河であった(私の作る川の簡略図は川が縦に(南北に)に流れているが、実際は斜めに(北西から南東に)流れている)。

それがあーなってこーなって(詳細は、当ブログの「川の成り立ち」シリーズの過去回を参照のこと)、現在はこんな風になっている。

注目すべきは、現在の古隅田川である(上図の赤い線。なお、古隅田川という名称の河川は埼玉県にもあるが、今回の主人公は東京都の古隅田川である)。太古の昔においては、利根川の本流すなわち大河であり、武蔵国と下総の国の国境であったのに、現在の古隅田川は、水量が減って干上がり、蛇行の後だけが残って見る影もない(実際、そのほとんどが暗渠で陽の目を見ない)。これほどの栄枯盛衰も珍しい。甲斐の武田は、かつて日本中を震え上がらせた大軍団であったのに、勝頼の代で滅亡した際は、ほんの数騎で山中を彷徨ったというが、そのことを思い起こさせる。

多くのハイカーが勝頼が辿った道を歩くように、古隅田川の流路を辿って往事を偲ぼう、というのが今回の小旅の趣旨である。上記の「現在図」のうち、古隅田川の辺りを拡大したものがコレである(以下「拡大図」という)。

必要に応じてご参照いただければ幸いである。小旅は、上流から下流にかけて、すなわち、中川から綾瀬川に向かう進路を辿った。

スタートは、中川からの分流ポイント。中川の東岸から古隅田川が分流する西岸を見る。対岸の真ん中くらいに分流口があったはずだが、今では影も形もない(と思ったが、改めて写真を見ると、その部分の土手の色が他と違って緑が少ない。分流口をふさいで土をかぶせたから?だとすると、影も形もあったことになる(この括弧追記))。

近くの橋を渡って西岸の土手に行き、中川に背を向けて見下ろすと、目の前の道路が古隅田川の跡である。

古隅田川はほとんどが暗渠で上が道になっていて、その道は足立区と葛飾区の境を成している。右手前の空き地は長門排水場跡である。この道路の突き当たりにマンションが建っているが、このマンションは二棟に分かれていて、その間に区界(古隅田川)が通っている(すなわち「突き当たり」ではない)、ということは、同じマンションでありながら棟によって住所の区が異なるわけである。

このマンションを抜けると突き当たりが(今度はホントに「突き当たり」)亀有アリオ。区界(古隅田川)は突き当たった所を右折して北進し、小さい公園の真ん中を抜けて小径に入る。

この両側にはもう少し大きくて車が通れる道が走っているのだが、こうした車止めがある細い小径こそが暗渠に相応しい。実は、一度この辺りの下見をしているのだが、大きい方の通りを進んでしまったために道をはずれてしまったのである(こっちの方が「道をはずれた感」があるが)。この後、常磐線のガード下をくぐるのだが、

ここだってすぐ東側にはもっと大きなガード下があり、思わずそっちに行ってしまったのが前回の下見時である。この狭いガード下をくぐって進む区界(古隅田川)は相変わらずの小径である。

小径の両側は梅が咲いていた。桃色の梅だったり、

白い梅だったり。

こんな車の通れない小径であるが、「隅田子育地蔵」なる標識が立っていた。

「隅田」という名称が古隅田川を思わせる。

この小径は左に(西)にカーブし、そのうち環七にぶち当たった。

久々に見る車である。進む先は、写真中央に白く輝いている路地で、やはり車止めのある小径である。近くの横断歩道を渡ってそこを進むと、

以前、葛西用水の回で歩いた「葛西用水との合流点」が現れた。あのときは、左右に走る道路の右(北)から葛西用水路を辿って歩いてきて、ここにたどり着いたのであった。葛西用水路はこの交差点の少し前で暗渠となり、この位置で古隅田川の暗渠に合流するのである。

葛西用水路は終点を迎えても、古隅田川はまだまだこれからである。その行く先だが、上の写真で見るように道が二本に分かれている。左側が区界(古隅田川)であり、右側が名前の付いている商店街である。並行して走る道路のうち、一方がうらさびれた暗渠で他方が開けた商店街というのはよくある構図である。街歩きが趣味の人は後者を歩くのが常だが、川跡が目的の場合に進むのは前者である。

「うらさびれた」と言っても、ここからは、区界(古隅田川)も車の通行がOKであり、幅もあって普通の街路である。同時に、橋の名前を記した柱が急にたくさん現れ始め、

もともと「古隅田川」という川だったことのアピールが盛んになる。位置は、拡大図に「橋の跡が多数」と記した辺りである。

この道は南西に延びていて、そのうち常磐線にぶち当たり、ガード下をくぐって線路の南側に出て、すぐに北側に戻り、しばらくして再度南側に出ると、これまで暗渠だった古隅田川の水面がようやく陽の目を見ることとなる。

古隅田川はここからしばらく南下し、途中で右(西)に折れて進むと川の手通りにぶち当たる。

一瞬、暗渠に戻った古隅田川だが、ここを渡るとすぐに復活する。

さらに直進(西進)すると、交差点にぶち当たる。右に行くと綾瀬駅、左に行くと法務局。水路はまっすぐ先に続いているのだが、

実はこれは後から作られたショートカットである。区界(本来の古隅田川の流路)は綾瀬駅に北上するルートである。懐かしい。その昔、綾瀬駅とつながるこの道路の真ん中は、いかにもドブにフタをした暗渠でござい、といった感じの作りで無料の自転車置き場になっていた。皆が乱雑に自転車を置くものだから、帰りに自転車を取り出そうと思っても他の自転車と絡み合って用意に取り出せなかったものだ。ここが古隅田川、すなわち由緒ある大利根川のなれの果てなどということは微塵にも思わなかった。そのうち、ここが工事中となり、自転車置き場を廃止してきれいな道路にしたのであった。下の写真は、駅を目前にした辺りである(右カーブの先を左にカーブすると駅である)。

なんともきれいになったものである。

さて、区界(古隅田川)は、綾瀬駅にぶち当たった所で左(西)に折れ、駅舎が終わった辺りで左(南)に折れて南進し、さきほどのショートカットのすぐ先に出て、再び目に見える水流となる(大きく寄り道をして大体元の位置に戻った格好)。

古隅田川はここからさらに南下し、しばらく行って右(西)に折れると木道がよく整備されている。

正面に高速が見えるが、その下が綾瀬川で、古隅田川はそこで綾瀬川に合流して生涯を終えるのである。その最終ポイントが大六天排水場である。

もともと古隅田川は、現在の隅田川につながっていたのだが、開削してきた綾瀬川とここでぶつかって「打ち止め」にされたのである(因みに、綾瀬川は、後に開削してきた荒川放水路とぶつかって途中で「打ち止め」にされる(因果応報))。だから、綾瀬川の西岸には、取り残された古隅田川が有名な東京拘置所の北側を走っていて、木道が整備されたその流れは、

「裏門堰」と呼ばれている(私は、この木道を歩くときまって足にビリッと電気が走る)。

そう言えば、漱石の小説の中に「舟で綾瀬まで行った」旨の記載がある。最初に舟に乗ったのは現在の隅田川であろう。綾瀬の辺りを流れていたのは古隅田川である。隅田川と古隅田川間は、現在は荒川や綾瀬川でぶちぶち切られていて直接舟で往来できないが、漱石の頃はまだ往来が可能だったのだろうか。すると、滝廉太郎の♪はーるのー、うらあらあのー、すうみいだーがーわー……の「すみだがわ」とは古隅田川である可能性があるのではないか?と密かに思っているワタクシである。

因みに、川にはカモがつきものである。カモは、中川のような大河はもちろん、

古隅田川のようなBächlein(小川の小さいヤツ=小小川)にもいる。

片や宮殿に、片や兎小屋に住むくらいの住居規模の違いであるが、カモは、そんなことは気にしない風である。私はカモを見るのが大好きである(スーパーでカモ肉を買ってオレンジ煮にして食すのも大好きである。なお、野生のカモをとっ捕まえると、オレンジ煮にしてもしなくても鳥獣保護法違反でとっ捕まるから、カモ肉を食したければお店で買うべしと強く申し添える)。

 

 

 

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「やばい」がやばい(梅園)

2025-03-11 09:01:54 | 植物

人から大谷田公園の梅園に行ってきた話を聞いて、そこってウチからチャリで20分のとこなのに全然知らなくて、電車に乗って梅を見に行こう、どこがいいだろう、梅ヶ丘に行こうか、ちょっと遠出をして偕楽園まで足を伸ばそうかなどと考えていて、でも近場によさげな所があったんじゃん!と思って行ってきた。

いろんな梅が植わっていて、名前が面白くて、例えばこれなんかは

野梅というのだが、読み方は「やばい」で、なかなかやばい名前であるが、今日では「やばい」はポジティヴな意味で用いられるから、これを見て感動して「やばいはやばい」と言ったとして日本語的には通じるわけである。それから、これなどは、

「けんきょう」と発音するのだが漢字は「見驚」、すなわち、きれいで「見て驚く」のが名前の由来だという。ピンクっぽいが、後に白くなるという。他にもいろいろ植わっていて、なかなかの目の保養であった。

ただ、これらを真下から拝めたわけではない。時計の針を少し戻して、大谷田公園の入口に着いたときは、ウェルカムな雰囲気がたっぷりで、

期待に胸が打ち震えたのだが、梅園は公園の中の回りを柵で覆われた一角にあって、そこにたどり着いてみると、なんと前日に閉園していた。

この標識は「開園のお知らせ」とあるが、今となっては「閉園のお知らせ」だったわけである。

ま(Ma。イタリア語の「ma」は、この場合の日本語の「ま」と同じニュアンスである)、それでも、コンビニの屋上越しに富士山が見えるとかで押し寄せた外国人を排除するため黒い幕を立てたどこかの自治体と違って、柵の中に入れなくても柵越しに見ることはできる。持参したカメラは、コンデジでありながら20倍までズームを上がられるから、そこそこな写真が撮れた。さすがに、閉園した中を覗くこともあいならん、と言って柵に張り付く見物客を払いのけるお役人様はいなかったし。

それに、梅園外であっても公園の敷地内にはたくさん梅が植わっていて、これでも十分である。ミツバチも十分である、と言ってさかんに蜜を吸っていた。

ただし、これらは豊後という品種で、梅と杏(あんず)の掛け合わせなのだそう。杏が入っているから価値が落ちて梅園の外に配置されたのだろうか。ミツバチは、杏が入っていても(あるいは入っているから)美味しい美味しいと言っているようだが。

杏で因んだ話その1。奥地の家に植わっていた最初に早咲き桜だと思って、後に梅だと思って、最後に杏と判明した樹は、他の樹は伐採してもそれだけは残そうと思っていたのだが、業者さんが「半分枯れている」と言うので涙を飲んで伐採した。最後の年に収獲した実で作った杏酒が現住所の押入にtantoある(イタリア語の「tanto」は「たんと」の意味である)。

その2。桜と梅の見分け方は、花が枝に直接付くのが梅で、柄が伸びてその先に付くのが桜だそうだ。あと、花びらの先に裂け目があるのが桜でないのが梅だそうだ。梅と杏の見分け方は、あるのだろうが私は知らない(奥地の家の杏は、前所有者が杏を植えたと言っていて、それでも私は梅だと思っていたが、最後に業者さんが杏と断定して結論が出た)。

その3。杏で思い出す有名な裁判例がある。お金の代わりに苺ジャムで代物弁済する和解が成立したが、そのジャムは、大部分がりんごや杏のジャムで苺は1、2割にすぎなかった。この場合、錯誤による和解の取消しが許される、というものである(最判昭33.6.14、特選金菊印苺ジャム事件)。

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ビデオテープのデジタル化

2025-03-10 18:01:05 | 生活

あさイチでビデオテープ(VHS、ベータ、8mm等)のデジタル化の話をしていた。これらをDVD等に移す話である。業者に依頼する手もあるが、再生機械を借りてきて自分でダビングすることもできる、と言っていた。私が通ってきた道だからよく知っている(私は、再生機は自前だったが)。ビデオテープのみならず、オーディオテープ(カセットテープ、DAT等)のデジタル化も数年前に完了し、このたびはレーザーディスクのブルーレイへのダビング作業が完了した。レーザーディスクの再生機を中古で買って挑んだ作業であった。最初に1万円でポチったヤツが不良品で、次に2万円でポチったヤツが大当たり!(食中毒ではない)最後の1枚が終わるまでしっかり仕事をしてくれた。合計で3万円かかったが、よしとしよう。まだ、元気そうだから、これからはダビングなしの再生オンリーで働いてもらう。そう、隠居はさせないつもりである(自分はリタイアしてるくせに)。

そのダビングだが、あさイチで「機械になんとか端子(アナログ端子のこと)がついてればできる」と言っていた。その通りである。そして、それがハードルを高くしてるのである。すなわち、最近のブルーレイレコーダーはアナログ端子がついてないのだ。付いてるヤツをゲットしようとすれば中古品を探すことになるが、多くの同好の士が同じことを考えるせいか結構な値段がする。そうでなくても、ブルーレイレコーダーは各社が製造販売を止めてるから希少になりつつある。

さらに、無事DVDやブルーレイディスクにダビングできたとしても、次はDVDやブルーレイディスクが劣化して再生不能になる番である。アナログテープは劣化してもノイズがひどくはなるがまだ見られるだけよい。DVDやブルーレイディスクが再生不能になったらビクとも映らない(変な日本語)。

一番いいのは、データファイル化してHDD内に保存する方法である(ただし、HDDが壊れたらパーだから複数のHDDにコピーを作っておく必要はある)。だが、ディスクの数が膨大だと、ファイルの保存先のHDDの容量も某大になる。わが家にあるディスクの数は約1万枚。それをデータ化して保存することは、手間の面でも、HDDの容量の面でも非現実的である。

しかし、それは「今のところ」の話である。データの記憶容量の進化のスピードは加速度的である。私がパソコンを始めた頃などは、データの記憶先はカセットテープだった。今から比べると、容量も速度も「石器時代」のごとしであった。その後、フロッピーディスクになり、わー、こんなにたくさん保存できるんだ、と思ったらあっという間に時代遅れになって今に至っている。だから、1万枚のディスクを瞬時に、小指の先ほどのメディアに記憶できる時代も必ず来るはずである。問題は、私がそのときまで生き長らえているか、である。

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