「天と地と」も古いが、私がリアルタイムで見た最古の大河ドラマは1966年の「源義経」である。だから、私の判官贔屓はこのときからである。義経役はしゅっとした二枚目だった。演じたのは歌舞伎役者の尾上菊五郎さんで、寺島しのぶのお父様であらせられることを知ったのはずーっと後である(ついさっきだったりして)。
最も印象に残っているのはテーマ音楽。作曲したのが武満徹であることを知ったもずーっと後である。つうか、武満徹という人が偉い作曲家であることを知ったのも同じくらい後である。
一ノ谷の戦い(鵯越の坂落とし)で騎馬多数が坂道を駆け下りるシーンは大迫力だった。まるで、京都競馬場で各馬が第3コーナーの坂を駆け下りる様を見ているようだった(と言っても、当時は京都競馬場のことなど知らないから、これは記憶に残ってるシーンに現在の感想を後付けしたものである。なお、昨年、放送されたブラタモリによると、京都競馬場の第3コーナーの坂は土手の名残だという)。今から思うと、多分、坂道を駆け下りるシーンはカメラを斜めにして撮って、だんだんと水平に戻していったんだと思う。だが、実際は(と言っても、はっきり分からないことが多いらしいが)、崖をえっちらおっちら下っていったかもしれないそうだ。その際、大事な馬に怪我をさせてはいけないとばかり馬を背負って崖を下った武将もいるという(当時、馬は高価で、現在なら自動車を買うに等しかった)。だったら、駆け下りるのは無理だろう。えっちらおっちら説の状況証拠になりうる。
壇ノ浦の戦いのシーンも印象的だった。関門海峡の話題が出ると常に壇ノ浦が頭に浮かぶのはそのせいである。潮の流れが速く、日中に潮の向きが変わることもそのときインプットされた(源氏の勝因の一つ)。ただ、義経が敵の船の漕ぎ手(かこ)を射るという禁じ手を使ったことは知らなかった。このドラマにおける義経は徹底的に「いいもの(ヒーロー)」であった。
義経主従が頼朝に追われて西国に逃げようと船出して嵐に見舞われた際に平家の面々の亡霊の出方に注目していたら、海面に横一列に並んでいて行儀がよかった。
義経が最期を迎える衣川の戦いについては、印象的な事柄が3点ある。その1。弁慶の立ち往生。弁慶役の緒形拳の形相がすごかった。その2。観念した義経がお堂に入るシーン。一人で入っていって家来が外から火をつけた。史実では義経が妻子を殺して自害したそうだが、そういうシーンはなかった。その3。防戦に努める義経の家来が、刀が刃こぼれをおこすたびに井戸の中から別の刀を取り出す様子が打出の小槌のようだった。
そう言えば、女性の登場人物の記憶がまるでない。静御前などは必ず登場したに違いないのだが。私の興味が向かなかったのだろう。男女のことなど1ミリも興味のないお子ちゃまな私であった(見始めたときは小学1年生である)。
衣川の戦いの後、戦場跡を訪れた頼朝が義経を偲んで「(義経は)まだ○歳であった」と言うのを聞いて、一緒に見ていた親に、ねー、なんで自分で殺しておいてあんなこと言うの?と聞いた覚えがある。納得のいく答を得た覚えはない。
この作品以来、義経が登場する大河ドラマは全部見てるが、その描かれ方はだいぶ変わってきた。壇ノ浦の戦いでかこ(水夫)を射させる様子も衣川で妻子を殺めたことも描かれるようになった。特に「鎌倉殿の13人」の義経(演:菅田将暉)はダーティーさが極まっていた(でも、こんなんだったかも、という納得はした)。だいたい大河は同じ時代を何度も描くから遠くない将来また義経を見ることになるだろう。それがどんな義経かは興味津々なところである。